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■『戦旗』1664号(9月5日)4-5面

  
 現場から階級的労働運動の強化を
 
産別・業種別労働運動の闘いと展望
 
              
遠井怜子
                 



 いま日本労働運動は、大きな転換期の中にある。労働運動はもうダメなんでは…という声も聞こえるが、それは困難な闘いから逃避させようとする敵権力=帝国主義・巨大独占資本への屈服の誘惑である。
 戦後三十余年の労働運動の主流であった総評労働運動が崩壊し、日本労働運動が大きく分裂してから三十余年。世界は大きく変貌し、労働運動もまた新しい様々な課題にぶつかっている。二一世紀に入って明確化してきた様相は、世界大に発達した巨大独占・多国籍資本が、各国の暮らし・文化までも利益の対象としながら貪欲に世界を覆いつくしていることだ。巨大独占資本の利益拡大を中軸とした社会構造・社会分業体制を各国に強要し、世界に格差と貧困、社会的荒廃をもたらしている。自らが生み出す地球環境破壊、温暖化、資源や領土をめぐる絶え間ない抗争・戦争が、現代世界の特徴であるが、巨大独占資本はこれを解決するどころか、その災禍はいっそう拡大するばかりである。
 このように爛熟し腐敗する帝国主義世界のもとで、様々に噴出する災禍への憤り・闘いもまた絶えることはないが、民族・宗教・国民国家等の旧来の歴史産物に保守的に回帰することによっては解決できないばかりか、問題は複雑化するばかりである。これら歴史的産物は、私たちが今とりあえず立っている現実以外ではない。次の世界を切り拓く新たな社会的・国際的結合を求めて前進する労働者・勤労人民、被差別大衆の闘いを成長させ、帝国主義世界が生み出し続けている災禍を一つずつ取り除いていく長期にわたる闘いを通してしか解決の道はない。労働運動・労働組合運動は、その一翼を担いうる根拠を持つ社会勢力であり、また、そのようなものとしていかなければならない。


岐路に立つ日本労働運動

 二四春闘において、連合労働運動は、経団連と足並みをそろえ、「労使『協力』春闘」なるものを提唱した。連合は成果を誇っているが、圧倒的多数の労働者は冷ややかに見ている。実際、この恩恵にあずかったのは大企業本工労働組合にいるほんの一握りの労働者であり、全体から見れば、実質賃金は2・5%減、物価上昇に賃上げは全く追いついていない。中小零細企業労働者、非正規雇用労働者にとって、昨年に続き春闘は格差拡大で終わった。労働組合運動の生命力である団結・横並び闘争を否定し、詐欺のような「新しい資本主義実現会議」に座を連ねている連合・芳野会長からすれば、全労働者の10%に満たない労働貴族が満足すればいいということなのだろう。
 労働者の貧困と格差の拡大は、非正規雇用の拡大と進展とともに深まってきた。それまでも臨時工や季節工、日雇い労働者など労働者の雇用身分差別・分断はあったが、「戦後政治の総決算」「戦後レジームの転換」などを掲げた自民党反動政権によって、労働市場を含む日本社会の新自由主義的改造が進められた結果、非正規雇用労働者は、戦後しばらくは一割程度だったものが、一九九〇年代には二割、一九九五年「新時代の日本的経営」が打ち出されてからはうなぎ上りとなり、二〇二〇年には四割程度まで広がった。この労働者構成の変化は、企業別労働組合を柱にしていた日本労働運動の大衆性や社会的力を削ぎ落し、一方に、「正社員クラブ」を良しとして資本家・経営者に公然とすり寄る部分を作り出した。
 連合から分岐した左派の労働組合運動は、企業内本工主義を批判し、非正規雇用の直接組織化や、最低賃金・均等待遇などの政策要求を掲げ、地域合同労組、ユニオン、混合労組などの形を取りながら新たな労働運動作りの試みを行ってきた。この分岐から四〇年近くが経つがこれらは未だ道半ばであり、この中軸を担ってきた団塊世代がリタイヤしていく中、様々な困難課題を抱えている。
 日本労働運動の主流は企業別労働組合であり、これを打破しようと上述のような非主流の労働組合の奮闘がおこなわれてきたわけだが、着目しておかなければならないのは産別労働組合運動の存在である。連合には官民すべての産別を有すると言われているが、それらは日本型産別と呼ばれる独特のものであり、企業内労組の産業ごとの連合体のことである。ギルド等の歴史を経て同一労働同一賃金を骨格にして登場してきた欧州の産別労働運動とは似て非なる性格を持つ。国際的に言うところの産別労働運動は、雇用形態を問わず同一の職務には同一の待遇・賃金を徹底させようとするが、日本型産別は、企業内労組連合であるため、同一労働差別賃金、資本の産業政策への同調(その範囲での改良政策の推進)、企業・雇用身分別に閉じられた組織などの特徴をもっている。連合の産別は、産別という名に恥じる組織である。
 しかし、このような日本型産別ばかりではない。具体的には、全日建連帯労組、全港湾など、企業内労組が連合していくのとは全く異なる闘い・歴史的経緯によって形成され、本来の意味に近い産別労組が存在している。全港湾は、港湾荷分け労働者を中心に危険な港湾労働を強いる労働ボス・ヤクザとの闘争を通じて形成され、政府の港湾政策と対峙しながら産別団交権の獲得、港湾労働法の実現などを労組の闘争力によって切り拓いてきた。全日建連帯労組は、建設現場の暴力的支配との職場民主化闘争を通じて形成され、大手ゼネコンと対峙しながら、産別労働組合の仕組みを実力で形成してきた。
 企業労組連合でしかない連合のような日本型産別との根本的相違は、一つに、その労組を生み出した歴史的攻防を土台とした現場闘争力を保持していることであり、二つに、個別賃金・条件にとどまらない産業別最低賃金、労働時間、年金、休日・休暇、労働安全、福利厚生、さらには職域、事前協議制度、作業基準、作業体制など、その産業にかかわる労働者全体の待遇交渉をおこなっていることであり、三つに、組織化の形は様々であるが、一人からでも加入でき、正規・非正規の分断を超える団結形成の可能性を持っていることである。加えて四つに、連合のように資本の産業政策への同調ではなく現場労働者を主体にした産業政策・社会政策を描き続けていることである。
 二〇二〇年を前後して安倍・菅政権のもとで労働組合つぶしの国家的不当労働行為が吹き荒れたが、そのターゲットとなったのが、これら真の産別労組であった。とりわけ全日建連帯労組関西生コン支部(以下、関生支部)は、全日建連帯労組が、実力で産別闘争を切り拓いていく推進力となっており、政権が基盤とする大手ゼネコンはもとより関西の生コン資本家にとって〝目の上のタンコブ〟に他ならなかった。当たり前の組合活動を理由にしての大量逮捕、長期勾留、ありえない起訴、不当判決、重罪求刑は、今まで『戦旗』紙上で報告してきたとおりである。官邸を軸に警察・検察、一部裁判所が一体となって行った国家的不当労働行為である一連の関生支部つぶしは今も続いている。戦争遂行体制には、闘う労働組合運動はジャマであり、関生支部つぶしが成れば、全日建連帯労組の産別労組としての推進力を削ぎ切り、あわせて全港湾の産別交渉力を限定的で政府と親和的なものに押さえ込むという政権のシナリオが描かれているのだろうと推測する。
 まさに日本労働運動は岐路に立っており、この政権のたくらみが成功し、闘いが崩れる時は、すでに連合の一部で進行している帝国主義・巨大独占資本べったりの産業報国会化へと労働運動全体が崩れ落ちていく時である。闘う労働組合を破壊され、かつてのように侵略戦争と生存権破壊に屈服し、その尖兵とさせられ、そんな荒廃した時代を受け入れるのか。戦争と貧困・格差の時代を闘うことで生き延び、平和と人間らしい暮らし、まともな産業・社会を求め、運営していくことをめざすのか。まさに岐路である。
 後に述べていくが、日本において数少ない産別労働運動を生き残らせることは、今後の労働運動にとって極めて大きい意味を持っている。前述した非主流派による企業内本工主義労働運動とは異なる労働運動作りの四〇年に及ぶ実践は、産別・業種別労働運動の萌芽を様々な形で生み出しており、またそれら内部からの産別・業種別労働組合作りの努力も始まっている。しかし、これが形を成すには、もう一時代を必要とするだろう。そして産別労働運動の柱がしっかりと立っていれば、それらは離合集散を繰り返しても、必ず産別労働運動の別の柱となり、日本の労働運動を塗り替えていく可能性があるのである。


新たな労働運動の萌芽

 新たな労働運動の萌芽は、一つは、総評労働運動崩壊以降の左派労働運動の地を這うような努力の結果、生まれつつあるものである。一見〝賽の河原の石積み〟に見えた非正規雇用労働者組織化の努力は、今後の労働運動にとっての萌芽を生み出している。
 前章で、連合のエセ産別と異なる産別労働運動の性格を述べてきた。一つに、現場闘争力、二つに、個別賃金・条件にとどまらない産業別賃金・労働条件など産業労働者全体の交渉、三つに、正規・非正規の分断を超える団結形成、四つに、現場労働者を主体にした産業政策・社会政策、をあげた。
 ここでは簡単にいくつかの例を見ていこう。
 例えば、巨大な郵政産業のもとでは、労使協調の御用労組と対峙しつつ、郵政産業労働者の約半数を占める非正規雇用労働者の過酷な待遇改善を求め、毎年の均等待遇要請署名、現場ストライキ、労働契約法二〇条裁判などを展開している郵政産業労働者ユニオンが健在である。郵政事業経営陣の度重なる投資事業の失敗・巨額の赤字のツケは労働者に押しつけられ、職場合理化という名の労働強化と低賃金、パワハラ体質に苦しめられながらの組合活動が行われている。
 また公務労働者と民間労働者の混合組合という組合形態も登場し、長年の闘争で社会的に認められるに至っている。教育産業で先行的に進んでいるが、組織化の足かせとして、政府による労働法からの除外(会計年度任用職員のような)のあれやこれやが立ちはだかっている。政府の教育現場しめつけ・非正規雇用化、また学校間競争の激化による労働条件悪化のため、その基盤とする教育現場は荒廃しており、そのもとでの労組活動は困難を極めているが、混合労組の強みを活かし、公立・私立の戦術の違いはあれ学校当局・資本に対して団体交渉やストライキをおこない、また教育労働者政策をめぐって他ユニオンと共同で文科省交渉などが行われている。
 そして全国各地で外国人のコミュニティや共通業種をベースに、外国籍労働者の団結体が成長してきている。その地域の特色によって様々であるが、例えば、語学学校講師、英語教育の補助教師などの劣悪待遇、非正規雇用は当たり前、ひどい時には自営業や請負業の扱い、などに対し、団体交渉やストライキ、時には裁判を使って、正当な権利要求や待遇改善をおこない、また社会保険加入などをめぐって文科省や厚生労働省交渉を展開している。
 これら産別の萌芽と言える業種別労働組合に加え、地域で孤立し、業種別としてさえまとまらない労働者の駆け込み寺・受け皿となってきた地域合同労組・ユニオンなどがある。これらの関係性について今回は触れない。
 新たな労働運動の萌芽のもう一つは、この三〇年余の間に進んだ社会的変貌(非正規雇用化、資本家階級を軸にした徹底した社会分業体制の構築)に照応し、個別の労使関係がアイマイとなり、まともな賃金・労働条件を求めようとすれば、背景資本に手を延ばさざるを得ない労働者の存在であり、これに立脚した様々な業種あるいは領域別などのユニオンの登場である。
 統計では、COVID―19危機以降、非正規雇用労働者は減少している。これは休業のしわ寄せ等が非正規雇用労働者にいったことを示している。しかし労働者は働かなければ生きてはいけない。そこで非正規雇用労働者の自営業、フリーランスやギグ労働者への転身などが進んでいった。フリーランス人口は、コロナ危機前の二〇一八年だと一一五一万人ほどだったが、コロナ危機ただ中の二〇二一年には一六七〇万人にも膨れ上がった。このような流れは政府や資本家たちによって先導されてきた。「働き方改革関連法」(二〇一八年六月)では、労働時間規制やディーセントワーク等のきれいごとが並べられているが、その中で謳われたのは、工場法以来の時間・場所に縛られた労働者保護法からの転換である。〝労働生産性の向上〟と〝多様で柔軟な働き方〟がそのテーマであり、「副業・兼業」「テレワーク」「雇用類似の働き方」を推奨し、これらは労働法の枠を外れるものとして取り扱い、契約労働は「労働法」ではなく、経済産業省による「独占禁止法」のみで運営すればいいという意見まで出されていた。
 アマゾンの配送労働者やウーバ―イーツ、またフリーランス労働者の(これは組合というわけではないが)連携しての法改正や政策要求などが起こっている。二〇二三年五月に「フリーランス新法」が公布され、今年から施行となっているが、交渉力を持つ団結体がない限り、泣きを見るのはフリーランスの労働者たちである。
 自営業だ、フリーランスだ、ギグワーカーだと色々言われるが、それらはすべて生産手段を持たず自分の労働力を売らなければ生きていけない労働者階級の一員である。生産技術の高度化や社会的協業の発展にともない、いっそうの人件費の削減(労働搾取)を進めたい巨大独占資本家たちは、労働基準法や労働組合法をはじめとする労働権から除外された労働者を大量に作り出しているのだ。人間らしく生きていきたければ、立ち上がり、同じ境遇の仲間と団結して闘う以外にはない情勢なのである。この過酷な状況の中から闘いは登場していくだろう。
 社会全体の荒廃、その頂点にある政権、暴力装置(司法・警察)の腐敗がすすみ、権力に楯突くもの・モノを言う団体・個人が弾圧の対象となる中、いま労働運動は押さえつけられ後退しているかにみえるが、次の時代への反転攻勢を切り拓くために泥まみれになって屋台骨を築き上げている一時代といえる。
 敵権力は、それを知るがゆえに、関生支部への未曽有の大弾圧、さらには全港湾の産別的力のそぎ落としにかかった。それは短期的には功を奏した面もあれが、逆に全日建・全港湾を軸にした闘う労働組合の結束・連携が強められていっているのである。


介護労働運動と介護産業の状況

 前章で触れた業種別として登場してきたユニオンの一つにケア労働運動がある。

<介護労働運動>

 ケア労働運動は、前述した闘う産別運動、その産業に巣くう大元である巨大資本の使用者責任を追及できるような、現場からの労働者の闘い・団結・政策要求をつくり上げていく力を持つ産別運動へと成長する可能性があるのだろうか。ケア領域には、医療・保育・福祉・介護などがあるが、ここでは介護保険制度確立以来、〝成長産業〟とされてきた介護産業とそこでの労働組合について見ていく。
 第一に、介護産業は自由市場ではなく規制市場である。
 介護産業はごく一部私的サービスがあるが、全体としては介護保険、障害者総合福祉法などの公的介護サービスが中心となっている。理由は私的サービスの経済的負担が大きく、耐えられる利用者が限定されるからである。
 公的介護サービスは医療や薬価と同様に、報酬は点数制で設定されている。点数は政府が決める公定価格であり、いわゆる市場原理は働かない。最近のホームヘルパーの有効求人倍率は一五倍を超えているが、それでも賃金を上げられるような報酬となっていないので賃金上昇はほとんど発生しない。結果、投入できる労働者がいなくなって事業所はサービス供給制限/停止、閉鎖や人事倒産へと至る。
 規制は報酬だけにとどまらない。人員配置基準なども細かく規定されている。本来的には報酬だけ受け取るが安全基準を満たさない事業者が出ないようにすることが目的だが、実際には設定されている基準が低すぎてその目的はまったく果たせていない。良いサービス提供のために基準を超えた人員配置をしても、受け取れる報酬は変わらないため、現実には多くの事業所で最低基準への平準化が発生し、利用者のサービス低下、労働者の待遇悪化につながっている。
 第二に、介護産業は政府の福祉政策と直結している。
 これら公定価格の基礎になる報酬、また人員配置基準、その他の規制や対策も、政府―厚労省が大元を握っている。閣議決定される「骨太方針」などに沿って、財務省が現実離れした負担増やサービス切り捨てを指示し、厚労省に介入している。賃金・労働条件を決定する大元である政府の政策に対して、判断しモノを言わなければ、状態は悪化するばかりなのがこの介護産業だ。
 第三に、介護労働者の賃金・労働条件はほぼ同じ水準である。
 介護産業は労働集約的であり、公定価格が決まっているため、経営者の良し悪しはあるが、賃金・労働条件はほぼ同じ水準である。全産業平均から月額およそ八~一〇万円低い等、「加算」を言わざるを得ないほど、ケア労働者の賃金は低額であり、その大元は政府予算にある。労働集約的であり、経営の利幅が少ないために、サービス残業、加算の横取りや労働強化を強いる経営者との闘いは必要であるが、個別企業内ではおのずと限界のある産業構造となっている。報酬の人件費補助方式への転換や産業別(業種別)最低賃金、同一労働同一賃金(ILO的な意味での価値労働基準も)など、新しい賃金要求闘争の可能性、またそれを実現する共闘の可能性も存在している。
 第四に、社会連帯をキーワードにする産業である。
 ケア労働の根幹には、障害者や高齢者の当事者主権の尊重がある。利用当事者の自分らしい暮らし・生き方を支えるものとしてのケア労働である。政府や強欲事業所は、障害者や高齢者が必要とするケアを削り取ることで、社会保障費を安上がりにして、利益を得ようとする。対人労働、その命と暮らしを預かる介護労働者は、いつも選択の中で働いている。このような権利侵害の傾向に同調して当事者の権利を削り取るのか、自分の身を粉にしてサービス労働するのか、それとも闘うのかを、不断に選択することを要求されている。個々バラバラでは絶望しかなく、同調の道は虐待……、無償サービスは燃え尽き……、へと行きつきかねない。介護労働者にこそ、社会連帯の組織と団結が必要である。
 第五に、介護産業は、これを運営する保険主体として市町村を持つ。
 介護保険を管理・運営している保険主体は市町村である。政府―厚労省の方針のもとに保険料を徴収し、サービスの実施方針を出している保険主体=自治体との関係は、介護関連労働者にとって切っても切れない身近なものである。地域単位での介護保険をめぐる改善・改良の闘いは、労働者の横断的団結、良心的事業者との協働、障害者や高齢当事者との連帯、住民自治運動との連携などに結びつかざるを得ない性質を持っている。ここに介護労働運動の特徴がある。

<介護産業の状況>

 いま介護保険制度は崩壊の危機にある。それは富裕層にとっての崩壊の危機ではなく、貧困化する労働者・民衆にとっての介護保険制度崩壊の危機であり、制度成立時に、医療・介護関係者、「認知症とその家族の会」などの市民運動と交わした誓約の崩壊である。当時、社会保険方式と民間活力の導入を主張した政府―厚労省に対し、それらは〝行政責任をあいまいにし貧困者に過酷になる〟との反対意見を強く主張していた。厚労省は、社会保険方式の枠組みであっても、住み慣れた地域で自宅や自宅に近い環境で暮らせる「継続性」、自らの生き方を決める「自己決定」、経験や能力を生かす「自己資源開発」をめざすと約束して、それらを説得した。いわゆる高齢者福祉三原則である。三年毎に改定される介護保険の第九期計画(二〇二四年~)、第一〇期計画(二〇二七年~)の中で、それは葬り去られようとしている。
 今年二〇二四年四月から介護保険第九期計画がスタートしたが、「在宅介護の命綱」と言われながら、その責任に比して報酬が低くヘルパーの求人倍率が一六倍に近い訪問介護の報酬を減らすものであった。全国ホームヘルパー協議会と日本ホームヘルパー協会が厚生労働省へ抗議文を出したのを皮切りに福祉関係団体からの批判が相次いでいる。七月には商工リサーチが、二〇二四年上半期(一~六月)で介護保険法以来最多である八四件の倒産件数を発表した。うち四〇件が訪問介護である(前年同期比42・8%増)。
それでなくても介護労働者の産業からの流失が止まらない。厚労省は七月一二日、最新推計において、二〇四〇年までに二七二万人の介護労働者が必要なことを発表した。二〇二二年調査では二一五万人と報告されているが、二〇二三年の「雇用動向調査」では「離職超過」とされている。介護労働者は、低賃金にもかかわらず、長時間・重労働の劣悪条件職場が多く、また高齢者の命と暮らしを預かるため責任が重い。この改善が必要だが、政府・厚労省の基本的動向は、利用者の介護費負担増額、介護サービスの削減、労働者の〝生産性向上〟である。この逆行をおし進めるべく、すでに今年から介護保険第一〇期計画に向けた審議が始まっている。
四月には財務省が社会保障審議会を開催し、九つの提言を行っている。
 1.ICT機器を活用した特養・通所介護等の人員配置基準の柔軟化
 2.経営の協働化・大規模化の推進
 3.集合住宅(サ高住・住宅型有老等)におけるサービス提供のあり方
 4.介護保険外サービスの柔軟な運用。ローカルルールの確認
 5.人材紹介会社に対する規制強化
 6.要介護1と2の介護保険外し
 7.ケアプラン作成の利用者負担の導入
 8.利用者の二割負担の対象拡大
 9.老健等の多床室の室料負担の見直し
 三年後の改定に向けて、これらとの攻防が繰り広げられるが、紙面の関係上、詳しい分析等はまたの機会とする。
 大まかに言えば、一つは、報酬が低くても効率的に運用できる大規模経営を中心としようとしていることである。生命保険会社が介護産業に参入し始めている。公的保険外介護による利益強化が進み、利益を生まない者は切り捨て。すなわち介護難民・再びの介護の家族化である。まさに生殺与奪を金が握る社会である。二つは、生産性向上を対人労働へ持ち込むことである。生産性向上とは、より経営利益を生むように労働するということである。AIを導入し、配置人数を減らし、「継続性」や「自己決定」など手間・費用のかかることは除外し、管理・監視以外の専門性は必要のない介護とすることである。三つは、ケア関係労働者は低賃金・劣悪労働条件に置かれ続け、「自己責任」のもとに利用者負担は増え続ける。そうして国費負担を増やすことなく、エッセンシャルワーク(社会的必要労働)は維持される。このような流れは、介護職場を荒廃させ、介護労働者を高齢者管理・監視の官吏としていくことであり、虐待の温床はここに存在している。
 六月に発表された「骨太の方針二〇二四」に見られるように、政府は増税と社会保障費の抑制を宣言している。背景には、戦争経済がある。岸田政権は二〇二七年の防衛費をGDP比で倍増する方針を取っている。二四年度予算では約八兆円が計上されたが、二七年度には一一兆円になる。戦争と生存権破壊の社会となっていくのである。


ケア産別に向けて福祉・介護・医療の業種別労組を建設しよう

 前述したように介護労働運動は、まさに業種別・産別労働運動としてしか有効な労働運動として機能しない。また棄民化される高齢労働者が安心して暮らせる社会保障制度をより良いものにする力を持つことができない。介護保険制度の危機の下で、これへの様々な個別抵抗が起こっている。
 私たちは呼びかける。
 現場での賃金・労働条件改善、介護労働の管理・監視化をやめさせる闘いと、政府・厚労省の介護保険制度改悪との闘いを結び付けていこう。
 介護労働者への処遇改善加算は低賃金改善にはなっていない。春闘で賃上げがあり、最低賃金の大幅アップがある中で、介護報酬増額がなければ格差拡大にしかならない。国庫負担による介護報酬の大幅増額を実現せよ。
とりわけ訪問介護の報酬減など論外だ。訪問介護事業所が倒産・廃業し、病院などは利益率が悪いと撤退し始めている。在宅介護の命綱である訪問介護を崩壊させるな!
様々な介護施設・事業所は、政府・各自治体の社会保障・福祉システムを現場で請け負っている。介護保険の保険主体は自治体であり、その大元は政府であり厚労省である。介護保険制度の不備、不足に対して責任もって対応させよう。それらは広い意味で介護労働者に対して使用者責任を負っているのである。
 すべての介護労働者は、高齢者や障害者とともに、企業や組合系列の壁を越えて連帯し、政府・自治体に介護制度の不備を改善する使用者責任を問い、横並び団結で闘う業種別運動として成長していくことが問われている。このような労働組合運動の創出にしか次の社会への希望は存在しない。


 


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