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   ■自民党改憲推進本部の改憲案を批判する

                        高城誠一


 

 安倍は五月三日、「いよいよ私たちが憲法改正に取り組むときが来た」と表明し、あらためて改憲に向かう意欲をむきだしにした。しかし、安倍の改憲プランは今や破綻寸前の状況にある。二〇〇七年五月に制定された「憲法改定に関する国民投票法」と国会法によれば、改憲手続きは以下のように規定されている。改憲案は衆参両院の憲法審査会で審議され、衆議院では一〇〇人以上、参議院では五〇人以上の国会議員の賛同で国会に上程される。そして、衆参両院の三分の二以上の賛成で憲法改定のための国民投票を発議する。改憲発議は、関連する条項ごとの個別発議とする。国会における発議から六〇日から一八〇日の間に、国民投票を実施する。有効投票の過半数の賛成で憲法改定は成立すると。
 もともとの安倍の改憲プランは、今年の三月の自民党大会で自民党の改憲案を決定し、六月二〇日までの通常国会の憲法審査会で改憲案の審議を行い、秋の臨時国会で改憲の発議を行う。そして、来年の適切な時期に国民投票を実施し、二〇二〇年に改憲を施行するというものであった。しかし、森友・加計問題や自衛隊日報問題での公文書の隠蔽・改ざん、国会での虚偽答弁が次々と明らかになり、余りにも酷い政権の実態が暴露され、安倍政権は窮地に陥ってきた。このような中で、三月の自民党大会では改憲案を決定することができず、自民党改憲推進本部の改憲案を大筋で確認しただけで、改憲案の条文の作成は細田改憲推進本部長に一任されたままである。安倍が通常国会の最大の課題と位置付けた「働き方改革法案」の成立すら見通せない状況のもとで、現時点では通常国会の会期内に憲法審査会で改憲案の審議を開始するめどは立っていない。
 しかし、衆参両院で改憲勢力が三分の二以上の議席を保持するこの機会に、憲法改悪を強行することは、安倍のみならず自民党の悲願であり、日本の多国籍資本の総意なのだ。安倍政権が継続しようと崩壊しようと、自民党を中心とした政権が続くかぎり、来年にかけて改憲をめぐる正念場と言える攻防が継続する。本論文ではそれを見据えて、自民党改憲推進本部の改憲案の批判を提起する。改憲推進本部は、これまで九条、非常事態条項、参議院選挙の合区の解消、教育の充実の四条項を改憲条項と定めて改憲案を作成してきた。まだ部分的な変更はあるにせよ、これらの改憲案を徹底して批判し、安倍の改憲プランを安倍政権もろともに破綻させねばならない。

 ●1章 九条の改悪について

 現日本国憲法の原則は、主権在民、平和主義、基本的人権の尊重にあると言われている。平和主義は、憲法前文と九条を中心に規定されており、前文と九条は一体のものである。そしてまた、憲法全体を貫いて軍隊の統帥権、軍事裁判所、戦時を想定した国家緊急権などおおよそ戦争と軍隊に関連する条項がまったく存在していない。この平和主義は、日本を二度とアメリカに反抗できないように武装解除するという当時の連合国最高司令部(GHQ)の意向の反映であることは事実である。しかし、重要なことは次のことにある。日本の民衆にとって、この平和主義はかつてのアジア侵略戦争の反省にもとづき、二度と戦争はしないというアジア民衆への誓約であった。

 日本国憲法第二章 平和主義
 第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 日本国憲法前文と九条は、侵略戦争だけではなく自衛権の行使としての戦争をも放棄し、戦力の不保持を規定している点において、戦争の違法化という第一次大戦以降の国際的な流れの到達点を示すものだと言える。また、全世界の国民が「平和的生存権」を保有することを確認したものとしても画期的な内容のものであった。現憲法の第九条は、1項で「戦争放棄」、2項で「戦力不保持」と「交戦権の否認」を規定している。現憲法制定時の政府の見解は、吉田茂首相(当時)の次のような国会答弁が示している。「戦争放棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定しておりませんが、第九条第二項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したのであります」(一九四六年六月二六日)。現在でも憲法学会の多数派の見解は、第九条は「自衛」のための戦争や戦力の保持をも否定しており、自衛隊は憲法九条に違反するとするものである。
 しかし、その後政府は自衛隊を創設し、軍隊として増強していくために、主権国家の固有の権利として個別的自衛権・集団的自衛権を保持しているという立場から、解釈改憲を推進してきた。すなわち、九条は戦争やそのための軍隊の保持を禁止してはいるが、自衛のための必要最小限度の実力の行使とそのための実力組織の保持は禁じていないとするものである。二〇一五年に制定された安保関連法は、この延長上に集団的自衛権の行使を限定的ではあっても「合憲化」するものであった。

 武力行使の新三要件(安保関連法) この三要件を満たす場合、個別的自衛権の行使のみならず集団的自衛権の行使も可能
 1 我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び 幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること
 2 これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
 3 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと

 二〇一二年に自民党が作成した「日本国憲法改正草案」は、九条2項を削除して国防軍の創設を規定するなど、現憲法第九条による制約を根本的に突破しようとするものであった。それは実質的には現憲法を廃止し、新憲法を制定するに等しいものであった。しかし、安倍政権はこの「改正草案」をそのまま実現することをめざすのではなく、第九条1項・2項を残したうえで、自衛隊の根拠規定となる条項を付加するという方向に転換した。「改正草案」のままでは、連立を組む公明党の協力すら得られず、また国民投票で否決される可能性が大きいからであった。

 自民党憲法改正推進本部の九条改悪案
 第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 第1項 前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。
 第2項 自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

 この改憲案は第一に、自衛隊は憲法違反だという批判を封殺し、自衛隊を憲法上「正当化」するものである。自衛隊は、米国・ロシア・中国に次ぐ世界第四位の軍事力を保持する軍隊である(米国の軍事研究機関のグローバル・ファイヤーパワー)。自衛隊が、九条2項で禁止する「陸海空軍その他の戦力」に該当することは明白である。改憲案は、九条2の第1項を付加することによって、「後法優先の原則」にもとづき、このような自衛隊をその実態をも含めて「合憲化」しようとするものだ。
 この改憲案は第二に、自衛隊を「必要最小限度の実力組織」と規定してきた枠組みを取り払うことによって、自衛隊の際限のない増強を可能とするものである。自民党改憲推進本部の議論では、自衛隊を「必要最小限度の実力組織」としてきたこれまでの政府の規定を改憲案から削除した。自衛隊の実態は「必要最小限度の実力組織」という枠を超えており、憲法違反だという批判を封じるためであった。「必要最小限度の実力組織」という規定は、きわめてあいまいなもので、政府見解では核兵器を保持することも許容されている。しかし、それは「専守防衛」という基本的な軍事戦略と結びついて、長距離弾道ミサイルや戦略爆撃機・攻撃型航空母艦・原子力潜水艦を保有できないなど、自衛隊の軍備増強を抑制的にしてきたことも事実であった。この枠組みを取り払い、海兵隊仕様の部隊の編制をも含んだ攻撃的な軍隊への転換をすすめることで、自衛隊はいよいよ他国へと出撃し、武力行使を行う軍隊へとその全体系が再編されていくことになる。
 この改憲案は第三に、集団的自衛権の全面的な行使に道をひらくものである。自民党内では、石破元防衛相などが二〇一二年の「日本国憲法改正草案」を支持する立場から現憲法の九条2項の削除を主張してきた。改憲推進本部は、「集団的自衛権のフルスペック(無制限)の行使が可能になる」との理由で、石破らの主張を受け入れなかった。しかし、改憲推進本部の改憲案もまた、集団的自衛権の全面的な行使に道をひらくものである。集団的自衛権についての旧来の政府見解は、日本は主権国家の固有の権利として集団的自衛権を保持しているが、憲法九条によってその行使は禁じられているというものであった。安倍政権は、安保関連法の上程前の閣議決定によってこの見解を変更した。すなわち、個別的自衛権であれ集団的自衛権であれ、武力行使の新三要件(前記)に合致すれば自衛権の行使が許されるとした。この見解にもとづけば、改憲案に明記された自衛権の行使には個別的自衛権だけではなく集団的自衛権の行使も含まれることになる。そして、武力行使の三要件の重要な一部である「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」という限定が、この改憲推進本部の改憲案には存在していない。自民党改憲推進本部はこれを意図的に削除したのである。この「必要最小限度の実力行使」という限定を否定することによって、より全面的な集団的自衛権の行使が可能となる。
 以上から明らかなように、改憲案は現憲法の九条を死文化させ、自衛隊の海外における武力行使を大きく拡大する。安倍政権は、現憲法九条1項・2項はそのまま改憲案でも残っており、自衛隊を憲法に明記するだけで、自衛隊の役割などは変わらないと説明してきた。しかし、それは「後法優先」の原則からしてまったくのウソである。この改憲案にもとづけば、何がどう変化するのか、国会審議を通して徹底して暴露されねばならない。自衛隊を「自衛のための必要最小限度の実力組織」とする規定は改憲案から削除されたが、政府はこの規定を変更するのかしないのか。「専守防衛」という基本的な軍事戦略は変更するのかしないのか。武力行使の新三要件は変更するのかしないのか。イラク戦争のような国連安保理や多国籍軍による武力行使に参戦できるのか後方支援にとどまるのかなど。これまでの国会での政府答弁との関係が明らかにされねばならない。
 もちろん言うまでもなく、われわれは「専守防衛」の枠内であっても自衛隊を容認しない。「後方支援」の枠内であったとしても自衛隊の海外派兵を容認しない。それを前提としつつ、ここで論点を列挙したのは、安倍政権と自民党がこの改憲案をもってどこまで海外派兵と武力行使を実行しようとしているのか、どこまで多国籍軍による侵略戦争に参戦しようとしているのか、それをはっきりと見定めて阻止するためにである。いずれにせよ、われわれは改憲案の危険性を徹底して批判し、改憲発議を阻止するために闘い、国民投票に至ったとしてもそれに勝利しなければならない。

 ●2章 緊急事態条項の新設について

 緊急事態条項の新設は、「国家緊急権」に関する条項を新たに設置するものである。「国家緊急権」とは、戦争や災害など国家の平和と独立を脅かす緊急事態に際して、政府が平常の統治秩序では対応できないと判断した際に、憲法秩序を一時停止し、一部の機関に大幅な権限を与えたり、人権保護規定を停止するなどの非常措置をとることによって秩序の回復を図る権限だとされている。
 憲法に「国家緊急権」に関する条項を設けている国も多い。いわゆる戒厳令の施行は、この「国家緊急権」の行使のひとつとされる。しかし、現日本国憲法は「国家緊急権」に関する条項を設けていない。憲法学会の多数派の見解では、「戦争放棄」と「戦力不保持」「交戦権の否認」を定めた平和憲法であることから、あえて「国家緊急権」に関する条項を設けなかったということである。また、「国家緊急権」を根拠に政府が独裁的権限を掌握した戦前の経験の反省がその背景にある(一九四六年当時の金森憲法担当国務大臣の国会答弁)。
 以上から明らかなように、「国家緊急権」はそもそも主権在民、平和主義、基本的人権の尊重という現憲法の原則と対立するものであり、緊急事態を理由として政府によるこれらの原則の侵害を正当化するものである。ナチスは、ワイマール憲法第四八条(大統領緊急命令)を利用して独裁政権を樹立していった。ヒトラーは一九三三年二月に「民族と国家を防衛するための大統領緊急命令」と「ドイツ民族への裏切りと反逆的策動に対する大統領緊急命令」を発布させ、共産党員・社会民主党員などへの逮捕・予防拘禁を強行した。そして、一九三三年三月に制定された「全権委任法」をもって立法権までも掌握し、独裁支配を確立していった。「国家緊急権」の危険性は、このドイツの経験がまざまざと示している。われわれは、どのようなものであれ「国家緊急権」に関する条項の新設には断固として反対する。これを前提として、自民党改憲推進本部の改憲案を見ていく。

 自民党改憲推進本部の改憲案
【内閣の事務を定める第七三条に追加】
 第七三条の2
 第1項 大地震その他の異常かつ大規模な災害により、国会による法律の制定を待ついとまがないと認める特別の事情があるときは、内閣は、法律が定めるところにより、国民の生命、身体及び財産を保護するため、政令を制定することができる。
 第2項 内閣は、前項の政令を制定したときは、法律の定めるところにより、速やかに国会の承認を求めなければならない。
【国会の章の第六四条に特例規定を追加】
 第六四条の2
 大地震その他の異常かつ大規模な災害により、衆議院議員の総選挙または参議院選挙の通常選挙の適正な実施が困難であると認めるときは、国会は法律で定めるところにより、各議院の出席議員の3分の2以上の多数で、その任期の特例を定めることができる。

 二〇一二年の自民党の「日本国憲法改正草案」では、対象となる緊急事態について「大地震その他の異常かつ大規模な災害」だけではなく、日本に対する武力攻撃やテロをも含めるものであった。石破らの二〇一二年の改憲草案を擁護し、九条2項の削除を要求してきた勢力はこのことをあらためて要求したが、改憲推進本部の議論をとおしてここで言う緊急事態に武力攻撃やテロは含まないとされた。民衆の反発を恐れて、民衆の同意が得やすい大規模災害時の対応に限定した形で、法律と同等の効力を有する政令を制定することができるという「国家緊急権」の設定から改憲しようとするもくろみであろう。
 しかし、対象となる事態を「大規模災害」に限定したとしても、政府に「独立命令」としての政令の制定権を与える改憲案はきわめて危険なものである。政令とは日本国憲法第七三条6項にもとづいて内閣が制定する命令で、行政機関が制定する命令の中では最も優先的な効力を有する。現憲法は、憲法・法律の規定を実施するために制定される「執行命令」と法律の委任にもとづいて制定される「委任命令」のみを認めており、政府が法律を根拠とせずに独立に定める命令である「独立命令」を禁止している。それは、主権在民の原則から立法権は国会のみが保持するということからであった。改憲案は、「大規模災害」に限定したものであったとしても、現憲法が禁じる「独立命令」としての政令の制定権を政府に与えるものである。それは、主権在民の原則と矛盾する。
 このような「国家緊急権」の行使が「合憲化」されるならば、次にはその対象が「大規模災害」への対応から戦争やテロに対する対応にまで拡大されていくことは必至である。そうなれば、政府はこの政令をもって民衆を戦争に強制動員することや言論・表現の自由などの基本的人権を制限することが可能になる。まさに、それは戒厳令に道を開くものだと言うことができる。われわれは、このような「国家緊急権」の設定を絶対に許すことはできない。
 なお、国会議員の任期の特例を設けるという規定は不必要なものである。現憲法の制定過程で、当時の日本の内閣が同様の理由から「国家緊急権」の設定を要求したが、GHQはそれを拒否した。その結果、現憲法では第五四条2項において、衆議院の解散によって国会が閉会しているときに国会の議決を必要とする緊急の問題が発生した場合、参議院が国会の機能を暫定的に代行する制度として参議院の「緊急集会」を設定している。この規定にもとづいて対応可能なものである。現憲法の制定から現在に至るまで、この規定による不都合は生じていない。
 「大規模災害」への対応ということでは、二〇一一年三月一一日の東日本大震災の経験がある。このとき政府は、「国家緊急権」の発動によるのではなく、現憲法と法律の枠内で事態に対応した。その対応が十分であったかどうかは別としても、それは主権在民の原則を破壊する「国家緊急権」に頼らずとも、現憲法と法律の枠内で対応可能であることを示すものであった。

 ●3章 参議院の合区の解消と教育の充実について

 以上から明らかなように、自民党が何としても実現したい改憲条項は九条の改悪と緊急事態条項の新設にある。ただし、自民党の改憲推進本部は、それ以外に参議院の合区の解消と教育の充実を改憲条項に含めてきた。最後にこれらについて触れておきたい。
 参議院の合区とは、一票の価値の格差が広がり、衆参両院の選挙を違憲状態だとする裁判所の判例が連続するなかで、事態を打開する方策のひとつとして導入されたものである。具体的には、二〇一五年の参議院選挙において、鳥取県と島根県、徳島県と高知県をひとつの選挙区とする「参議院合同選挙区」が実施された。しかし、この合区についてはひとつの選挙区が広くなりすぎることや参議院議員のいない府県ができることなど、多くの問題が指摘されてきた。自民党改憲推進本部の改憲案は、憲法第四七条に選挙区の設定は「人口を基本とし、行政区画、地域的な一体性、地勢等を総合的に勘案」すると明記し、特に参院の選挙区は三年ごとの改選で広域的な地方公共団体(都道府県)から少なくとも一人を選出できるという規定を追加した。この改憲案では、人口の少ない都道府県についても一人の議員の選出が保障されることにより、一票の格差は不可避に拡大する。この改憲案は、第一四条(法のもとの平等)という規定を侵害し、一票の格差を拡大することになっても裁判所が違憲や選挙無効の判決をだせなくするものである。それは、一票の価値の平等を求めてきた戦後の営々たる努力を破壊するものでもある。
 改憲推進本部の改憲条項に教育に関する条項が含まれているのは、「教育の無償化」を要求する日本維新の会を憲法改悪へと取り込むためであった。しかし、高等教育や私学をも含めて無償化するにはばく大な財源が必要になるという異論が自民党内から噴出し、改憲案から「教育の無償化」という表現は削除された。
 憲法第二六条は、教育を受ける権利と子どもに普通教育を受けさせる義務、義務教育の無償など教育の機会均等を規定している。しかし、貧困と格差が拡大するなかで、貧困ゆえに通学・進学の機会を奪われる子どもたちがますます増加している。そのことが、世代を超えた貧困の連鎖を生みだしてきた。教育の機会均等という原則を実現するためには、教育の無償化は優先的に実施されねばならないものである。それは、高校無償化制度が導入されたように、現憲法二六条のもとで実施可能なものである。しかし、自民党は「教育の無償化」という表現に反対しただけではなく、二六条1項に「経済的理由によって教育上差別されない」という文言を付加することにも「訴訟が乱発する」という理由で反対し、3項として努力義務を追加するというところにまでおとしこめた。このような3項を付加しても現状は変わらない。自民党のこの間の対応は、日本維新の会を取り込むという党利党略のために、教育の無償化をもて遊ぶものであった。必要なことは第二六条の改定ではなく、政府の施策として教育の無償化を直ちに実施することなのだ。
 憲法改悪を阻止する闘いはいよいよ正念場を迎えている。改憲阻止に全人民の力を結集していこう。


 

 

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