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   党綱領と「プロレタリアートの独裁」

   
                        海路 薫

 

 われわれは現在、党綱領を強化・改定するための論議を組織的に行なっている。綱領は二〇〇四年の結党(二派統合)時に採択されたものであるが、それから十年あまりが経過し、古くなった部分、新しい観点から刷新せねばならない部分、あるいは問題をより深く掘り下げねばならない部分が多くあることが分かってきた。それを反映して改定論議の領域は多岐にわたり、有意義な論議が行われてきた。党建設事業の重要な一部として、この活動を推進していくことが求められる。
 ところで、われわれの綱領には、「日本におけるプロレタリア独裁政権の政策についての基本的考え方」(綱領・第二部第二章)という領域がある。党綱領改定の議論においてこの領域は、党員のもっとも強い興味と関心を集める分野のひとつとなっている。十余年前の結党大会においても、それ以降も、さまざまな意見が諸同志から提起されてきた。
 現在の党内議論では、現行「プロレタリア独裁政権の政策」に関わる部分を全面削除し、ゼロベースで見直すことが提案されている。部分的な改定から始めるのではなく、大胆に発想し、一から課題に挑戦してみようというのが提案の趣旨である。この提案の正当性を認め、それを前提にして作業を進めていくことが確認されている。
 では、そもそもプロレタリアート独裁とは何であるのか。マルクスやレーニンはこの問題についてどのように考えていたのか。議論の発展のためには、この点について整理し見解を明確にしていくことが必要である。以下、論議の一参加者として一定の解釈を加えながら、マルクス主義のプロ独論の輪郭の素描を試みる。

 ●1 近未来社会としてのプロ独

 マルクス主義によれば、プロレタリア独裁とは、共産主義に至るまでの「過渡期」に成立する労働者権力のことである。プロレタリア革命後の過渡期をどのような社会として構想していくのかという問題に対する、われわれ共産主義者のビジョンを示すものが「プロレタリア独裁政権の政策」である。
 ここで問題とされるのは過渡期の社会であり、共産主義社会ではない。共産主義については、これまで存在したことのないまったくの未来社会であり、われわれはその姿を何かひとつの青写真のように示すことはできない。共産主義そのものについて言えるのは、ただその社会はいかなる理念のもとに成立する社会であるのかということである。たとえば、共産主義とは「私的所有が廃止され生産手段が共有された社会」、「強制的な労働が廃止され労働が解放された社会」、「高い生産力水準のもとで、能力に応じて働き、必要に応じて受け取るという原則が貫かれる社会」、「分業が廃止され、諸個人が分業に固定化されない社会」、「階級支配の道具としての国家が無用になり、国家が死滅した社会」である等々というふうに。共産主義についてその理念を明確にすることはもちろん重要である。だが、それを具体的に語るにはおのずと限度がある。マルクスは共産主義社会についてその細部まで具体的に語ることには自制的であった。この点で、マルクス主義は空想的社会主義やユートピア主義とは違う。
 しかし、プロレタリア独裁期=過渡期の社会については、問題はやや異なる。
 革命によって生まれた過渡期の社会は、資本主義および旧社会から生まれたばかりの社会である。過渡期は資本主義・旧社会といまだ完全には切断されていない。政治権力の移動(政治革命)は実現されたが、それは資本主義とある意味で地続きの社会である。プロ独もまた一つの未来社会であり、それはブルジョア独裁を打倒すればただちに現実化する近未来社会である。別の面から言えば、資本主義のもとでプロレタリアートが問題にし要求してきたことの多くが、革命直後の社会にはそのまま持ち込まれ引き継がれるということである。プロレタリア独裁政権について、党の綱領には、かなり具体的な問題を書き込んでいくことができるし、またそうせねばならない。
 ブルジョア独裁打倒後に問題となるのは、まず、打倒されたが広く深く社会に根を張る資本主義的諸要素をいかにして克服していくのかということである。また同時に、資本主義に代わる新しい社会の創造につながる歴史発展的な諸要素をいかにして拡大していくのかということである。こうした政治的・経済的・社会的問題に対する党の具体的な回答が、「プロレタリア独裁政権の政策」として表現される。
 われわれの「プロレタリア独裁政権の政策」の内容は、一九一七年のロシア革命後に制定されたロシア共産党のいわゆる「一九年綱領」を手本としている。ロシア革命後、われわれ共産主義者はプロレタリア独裁期の社会の内容について現実的な問題として検討することが可能になった。その場合、もっとも重要な位置を占めるものは一九一九年のロシア共産党第八回大会で採択された一九年綱領である。これは歴史上初のプロ独綱領であった。この一九年綱領を参照してわれわれが「プロレタリア独裁政権の政策」を作成しようとしたこと自体は当然と言えば当然であり、何ら誤りではなかったと思う。ただ、現在から考えれば当時の討議の水準は不十分なものであり、その作業は拙速の感否めないものであった。綱領の作成においてもっとも多くの未検討部分を残すものとなった。
 あらためてプロレタリア独裁についての原理的・原則的規定について振り返ってとらえることが必要である。このなかには歴史上初のプロ独政権であったパリ・コミューン以降の、プロレタリア独裁についての歴史的な実践の総括について検討することも含まれる。
 問題を歴史的にとらえながら、まずマルクスが、プロレタリア独裁が労働者階級の自己解放、階級の廃絶―無階級社会(共産主義)の実現をめざす権力であると主張したことから学びたい。そのことによって、プロレタリア独裁をスターリン主義のごとく共産党一党独裁による人民支配の別名としてしまうことが、どれほど間違っているのかをはっきりさせねばならない。

 ●2 マルクス主義においてどう理解されてきたのか

 プロレタリアートの独裁という言葉はマルクス独自のものではない。それは、ブランキストなどを含む一九世紀はじめの、当時の共産主義者のなかに、ブルジョアジー打倒後の権力を示す言葉として広く存在した言葉であった。マルクスはこの言葉の意味内容を深め、その発展を試みたのである。
 マルクスがプロレタリア独裁の問題について言及している著作はそれほど多くはない。プロ独についてマルクスが自身の見解を明らかにしているのは、一八四八年からのヨーロッパ革命運動の高揚期、一八七一年のパリ・コミューンという革命後の一時期、そしてドイツ社会民主党綱領草案に対する批判である一八九五年の「ゴータ綱領批判」が書かれた時期に集中している。そこでマルクスは多くのことを問題にしているが、われわれがここで見るべきは、プロレタリア革命はどのような歴史的な性格をもつ革命であるのか、権力をにぎったプロレタリアートはその権力を行使してどのような歴史的な役割をはたすべきなのかということである。
 マルクス最初の、そう呼んで良ければ「プロ独論」は、一八五〇年の『フランスにおける階級闘争』において現れる。これは一八四八年から一八五〇年までのフランスにおける革命運動を総括した著作である。プロ独の歴史的性格についてふれた次の文章は、この著作からの引用である。「プロレタリアートは、ますます革命的社会主義のまわりに、すなわちブルジョアジー自身がそれに対してブランキなる名称を考えだした共産主義の周囲に結集しつつある。この社会主義とは、革命の永続を宣言することであり、プロレタリア階級の階級的独裁のことである。この独裁は、階級差異一般の廃絶に、階級差異の基礎であるいっさいの生産関係の廃絶に、これらの生産関係に照応するいっさいの社会関係の廃絶に、そしてこれらの社会関係から生じるいっさいの観念の変革に到達するための必然的な過渡的段階である」。
 マルクスがここで言っているのは、プロレタリア独裁は階級社会の歴史に終止符を打つ階級社会最後の階級権力である、ということである。ブルジョア独裁などそれまでの階級権力はすべて、ある一つの階級が他の階級を支配することを目的とした権力であった。これに反してプロレタリア独裁は、まぎれもなく一つの階級権力ではあるが、それは階級そのものを廃絶することをめざす権力である。階級と階級支配をなくすことで人類前史を終わらせ、本来の人類史の扉を開いていくような過渡期の権力であるということである。
 これと同様の思想をマルクスは、一人の友人にあてた手紙のなかで、少し違ったかたちで次のように語っている。「近代社会における諸階級の存在を発見したのも、諸階級相互間の闘争を発見したのも、別にわたしの功績ではない。わたしよりもずっとまえに、ブルジョア歴史学者たちはこの階級闘争の歴史的発展をのべていたし、ブルジョア経済学者たちは諸階級にたいして経済的解剖をおこなっていた。わたしが新しくやったことは、つぎの点を証明したことである。@諸階級の存在は、生産の特定の歴史的発展段階だけにむすびついたものであるということ、A階級闘争は、必然的にプロレタリア階級独裁へみちびくということ、Bこの独裁そのものは、いっさいの階級の廃絶と無階級社会とにいたる過渡をなすにすぎないということ、これである」(一八五二年、『マルクスからヨーゼフ・ヴァイデマイアーへ』)。文中@ABは、切り離すことのできない連続した一対のテーゼであるが、まず語られるのは階級についてである。そして階級をなくしていくためには、階級闘争とプロ独という階級権力が必然的に必要であり、プロ独を通じて初めて無階級社会に到達できるとする。階級や階級闘争を「発見」したことがマルクスの功績であるというのは大きな誤解である。マルクスは階級の廃絶を問題にし、それを実現するためにはプロレタリア独裁が必要だと言ったのである。またマルクスはここで、この独裁は無階級社会への「過渡をなすにすぎない」ということ、あくまでもそれは臨時的な性格をもつ権力であるという点を強調している。これらは、われわれがプロレタリア独裁について考えるさいのもっとも基本的な観点である。

 革命的転化の一時期

 ところでそのような過渡期の権力を、なぜ独裁と呼ぶのか。過渡期とは、死滅しつつある資本主義と生れ出ようとする共産主義(社会主義)の両方の性格を併せもつ社会である。革命によって打倒された資本家階級は、必死の反抗をもって革命政権の転覆を企図する。資本家階級のこのさまざまな奪権の策謀を鎮圧することがプロレタリアートの権力には必要とされる。このたたかいの勝利を前提にしてはじめて、資本主義社会の根本的で全面的な変革は可能となる。したがって過渡期のプロレタリア政権は、ブルジョアジーに対しては専制的・階級独裁的性格をもたざるをえないというのがマルクスの考えである。
 一八七一年、パリ・コミューン後、マルクスは次のように主張した。「すべての労働手段を生産労働者に引き渡すことによって現存する抑圧条件を除去し、こうして、労働能力をもつ者は誰でも自分の生存のために労働せざるをえないようにすれば、階扱支配と階級抑圧との唯一の基礎が除去されるであろう。しかし、こうした変革が実現されるまえに、プロレタリア階級独裁が必要であり、そしてその第一条件はプロレタリア階級の軍隊である」(「国際労働者協会創立七周年祝賀会での演説」一八七一年九月)。プロレタリア階級がその歴史的な役割を果たすためには、ブルジョアジーに対する支配が必要であり、それを保障する階級の軍隊が必要だということである。これをマルクスはプロレタリアートの独裁とした。
 その後もマルクスの考えは基本的なところで変わることはなかった。もっとも有名な主張は、一八七五年の「ゴータ綱領批判」中のものである。ここでマルクスは、きわめて簡潔に次のように述べている。「資本主義社会と共産主義社会とのあいだには、前者から後者への革命的転化の時期がある。この時期に照応してまた政治上の過渡期がある。この時期の国家は、プロレタリア階級の革命的独裁以外のなにものでもありえない」。資本主義社会から共産主義社会への変化は歴史的必然であるが、そうであったとしても、それはなだらかな過程ではない、そこでは「革命的転化」「革命的独裁」を必要とする一時期がある、という考えがここでは表明されている。

 ●3 パリ・コミューンの経験

 一八七一年に蜂起したフランス・パリの労働者たちによってパリ・コンミューンが打ち立てられた。パリ・コミューンとは何であったのか。一八九一年、パリ・コミューンの二十周年にさいしてエンゲルスは次のように述べた。「パリ・コミューンをみよ。それこそは、プロレタリアートの独裁だったのだ」(『フランスの内乱』ドイツ語第三版に対するエンゲルスの序文)。パリ・コミューンは現実の労働者によって担われた最初のプロ独であった。その歴史的経験は、それまでのマルクスのプロ独論をいっそう深化させ、またいくつかの具体的内容をこれにつけくわえた。マルクスの『フランスの内乱――国際労働者協会総務委員会の宣言』(一八七一年。以下『内乱』と略す)は、パリ・コミューンの歴史的意義について書かれている。とくに『内乱』の第三章は、マルクスのプロ独論がどのように発展したのかについて考えるうえで参考になる。
 マルクスは『内乱』において、次のように述べている。「コミューンのほんとうの秘密はこうであった。それは、本質的に労働者階級の政府であり、横領者階級に対する生産者階級の闘争の所産であり、労働の経済的解放をなしとげるための、ついに発見された政治形態であった」。これはマルクスのパリ・コミューンに対する総括である。コミューンが@労働者階級の政府A闘争の所産B経済的解放をなしとげる政治形態であったと畳みかけるように主張される。マルクスのプロ独論の神髄はこの簡潔な文章のなかに、ほぼ表現しつくされていると言って過言ではない。ここにおいて一つの歴史的大事件の意義が明確にされ、「ほんとうの秘密」として明らかにされるのは、コミューンこそ労働者階級の自己解放闘争をなしとげるべき政治権力であったということである。
 前出のB経済的解放の項目について少し説明を加える。政治権力の奪取はプロレタリアートの政治的解放の第一条件である。だがプロレタリアートの解放のためにはそれだけでは十分ではない。労働者階級は資本のもとへの経済的従属からこそ解放されねばならない。マルクスはパリ・コミューンが、「労働の経済的解放」をなしとげる「政治形態」であったことを「発見」した。「労働の経済的解放」という言葉は、すでにマルクスが一八六四年に執筆した「第一インターナショナル規約前文」において使われている。そこには次のように書かれている。「労働手段すなわち生活の源泉の独占者にたいする労働する人間の経済的従属があらゆる社会的悲惨、精神的堕落、政治的依存の根底にある」、「したがって、労働者階級の経済的解放はあらゆる政治運動が手段としてそれにしたがうべき大目的である」。圧政から解放され政治的自由をかちとることは政治的解放である。政治的解放は経済的解放と結びつけられてはじめて十全な意味をもつ。

 「可能なる共産主義」

 この点から、共産主義の実現可能性についてふれた『内乱』の次の主張は重要である。マルクスは『内乱』において、「コミューンは、だから、階級支配が、よってたつその経済的基礎を根こそぎにするための槓桿(てこ)として役だつべきであった」として「可能なる共産主義」という言葉を使って次のように述べる。「もし協同組合の連合体が協同計画にもとづいて全国の生産を調整し、こうしてそれを自分の統制のもとにおき、資本主義的生産の宿命である不断の無政府状態と周期的痙攣(恐慌)とを終わらせるとすれば諸君、それこそは共産主義、『可能な』共産主義でなくてなんであろうか!」。ここでマルクスは、資本制生産と生産関係を具体的には「協同組合的生産」や「協同組合的所有」によって置き換えていくことが、共産主義への現実的一歩となるという考えを示す。プロ独期は過渡期であるが、過渡期と共産主義は泰然と区別されるわけではない。共産主義はプロ独期から徐々に始まっていくのであり、その場合に「協同組合的生産」「協同組合的所有」は決定的意義を占めるというのである。共産主義論に関わる過渡期の経済については、われわれが今後もっと掘り下げていくべき論点のひとつである。
 さらにマルクスはコミューンの総括から、「労働者階級は、できあいの国家機構をそのまま掌握して、自分自身の目的のために行使することはできない」(『内乱』)という結論を引き出した。コミューンは常備軍を廃止し、それを武装した人民とおきかえた。コミューンは議会のあり方を変え、単なる代議体ではなく、執行と立法を兼ね備えた行動体となった。またいつでも解任可能な、労働者なみの賃金の議員を普通選挙で選出した。これらが「できあいの国家機構」に代わって生み出されたものであった。資本主義のもとでは実現困難な、こうしたすばらしい前例のない革命的な政治的変革は「労働の経済的解放」を実現していく政治的条件になるはずであった。一八七二年にマルクスとエンゲルスが共同署名した『共産党宣言』ドイツ語版序文では、「……はじめてプロレタリアートが二ヵ月間政治権力をにぎったパリ・コミューンの実際の経験にてらして見れば、この綱領(注・『共産党宣言』のこと)は、今日ではところどころ時代おくれになっている」として、『内乱』の上記引用箇所を引いている。「できあいの国家機構」をどのように破壊し、何によって置き換えていくのかという問題の答えを、マルクスはパリ・コミューンのなかに見つけ出した。しかしそれは各国の革命が模倣すべきモデルではない。マルクスはここで「できあいの国家機構」は、革命を永続化させるためには利用できず、他の何ものかにとって代えられねばならないことを述べるにとどまっている。何にとって代えるのかは、各国の革命をになう共産主義者の課題であるとされる。

 ●4 レーニン主義による具体的展開

 マルクスとエンゲルスの死後、労働者階級の運動はドイツなどで大きく前進した。だが、ドイツ社会民主党の修正主義者たちによって、マルクスのプロ独論は大きな歪曲を受けていく。この流れをふたたび反転・転倒させていったのが、ロシア革命の勝利とレーニンの理論であった。一九一七年のロシア革命をへて、プロ独は共産主義運動においてマルクス主義理論の機軸をなす概念として全世界で復権されていった。レーニンは、「プロ独の承認」をマルクス主義者かどうかを決める試金石であるとした。
 レーニンは次のように述べた。「階級闘争を承認するにすぎないものは、まだマルクス主義者ではない。そのような人はブルジョア思想とブルジョア政治のわくをまだ出ていないのかもしれない。マルクス主義を階級闘争の学説にかぎることは、マルクス主義を切りちぢめ、歪曲し、それをブルジョア階級にもうけいれられるものに変えることを意味する。階級闘争を承認し、同時にプロレタリア階級独裁を承認するものだけが、マルクス主義者である。この点に、マルクス主義者と月なみな小ブルジョア(ならびに大ブルジョア)とのもっとも大きな相違がある。この試金石で、マルクス主義をほんとうに理解し承認しているかどうかをためさなければならない」(『国家と革命』一九一七年)。
 「階級闘争を承認するにすぎない」とか「階級闘争の学説にかぎる」とは、ブルジョア国家権力の打倒とプロレタリアートによる権力奪取・過渡期の階級独裁権力の樹立を放棄し否定するということである。それは、議会主義・排外主義に屈服したカウツキーなど第二インターの指導者に対する、マルクス主義の日和見主義的解釈、革命路線の裏切りに対する批判であった。

 1節 プロレタリアートの鉄腕論

 レーニンはプロ独を、プロレタリアートに対しては徹底的に民主主義的な政権であると規定したうえで、まずはこれをブルジョアジーに対する階級独裁という性格を重点においてとらえた。プロ独=「プロレタリアートの鉄腕」論である。当然のことではあるが、ロシア革命直後の主張にはそうした考えが色濃く出ている。革命後の一九一八年の「ソビエト権力の当面の任務」には、プロレタリア独裁を必要とする要因について次のような考えが述べられている。「資本主義から社会主義へ移行するさいには、つねに二つのおもな原因によって、あるいは二つのおもな方向において、独裁が必要である。第一に、搾取者の反抗を仮借なく弾圧しなければ、資本主義にうち勝ち、これを根絶することはできないからである。搾取者からその富を、組織面と知識面でのその優位を、一挙にうばいとってしまうことはできない。したがって、かれらはかならず、かなり長い期間、憎むべき貧民の権力をくつがえそうとするであろう。第二に、あらゆる大革命、とりわけ社会主義革命は、たとえ対外戦争がおこらなかったとしても、対自戦争、すなわち国内戦争を経ることなしには考えられないからである。国内戦争は、対外戦争よりもいっそう大きな破壊、数千、数百万件にものぼる動揺や寝がえり、および方向がきわめて不明瞭で、力がきわめて不均衡な混乱状態をもたらす」。ブルジョア階級の反抗は、「国際資本の力」だけでなく「習慣の力、小生産の力」からも生み出される(「共産主義内の『左翼主義的誤り』」一九二〇年)。
 また次のような記述もある。「独裁とは、直接暴力に立脚し、いかなる法律にも拘束されない権力である。プロレタリアートの革命的独裁は、ブルジョアジーに対するプロレタリアートの暴力によって闘い取られ維持される権力であり、どんな法律にも拘束されない権力である」(『プロレタリア革命と背教者カウツキー』一九二〇年)。プロ独とは超法規的政権であるとも読める。
 こうした主張は、一国で革命に勝利はしたが国際的に圧倒的な孤立を強いられたロシア革命後の、強い危機意識にもとづいていることは言うまでもない。ロシアのプロ独権力は自国内外の反革命との闘争をたたかい、世界革命への道を切り開いていくことに直面していた。だがプロ独権力もまた、一国の法によって規制される政権である。レーニンのここでの主張は一時的・臨時的なものとして理解すべきであり、これを普遍的なものとして鵜呑みにすることはできない。

 2節 国家の死滅論

 レーニンにあっては、ロシアの革命政権を内外の武装した反革命・反革命的干渉から防衛することこそ、ロシア・プロ独権力の基本中の基本任務であった。同時にレーニンは『国家と革命』(一九一七年)などにおいて、マルクスのコミューン論などに学びながら、過渡期の国家=プロ独国家を、「多数者」による「自分の抑圧者」への「抑圧」、「本来の国家ではない国家」「ただちに死滅しはじめるし、また死滅せざるをえないようにつくられた国家」と規定し、過渡期を通していずれ「国家の死滅」が達成されるという展望を示した。それは共産主義の不可欠の内実である。プロ独を通じて「国家の死滅」が実現されていくことを説いたことが、レーニンのプロ独論のもう一つの重要な側面である。
 ではどのようにして国家は死滅するのか。『国家と革命』は次のように主張する。
 「民主主義は、およそ考えられるかぎりもっとも完全に、もっとも徹底的に遂行されると、ブルジョア民主主義からプロレタリア民主主義へ転化し、国家(=一定の階級を抑圧するための特殊な力)から、もはや本来の国家ではないあるものへ転化する」「ひとたび人民の多数者自身が、自分の抑圧者を抑圧することになると、抑圧のための『特殊な力』はもはや不必要である! この意味で、国家は死滅しはじめる」。プロレタリア独裁は圧倒的多数者の利益を代表する国家であり、このもとで、徹底した民主主義的政策が遂行されれば、それは国家死滅の最初の条件となる。そしてその場合、要となるのは、すべての労働者人民自身が、国家の運営に直接に参加すること、「監督と経理の機能」を担うことである。それが国家を死滅させていく物質的根拠となる。
 ロシア革命の前夜に執筆された『国家と革命』は次のように述べる。「大規模生産を基礎として、このように始めてゆけば、ひとりでにあらゆる官僚制度は徐々に『死滅』してゆき、また、かっこつきではない秩序、賃金奴隷制とは似ても似つかぬ秩序――ますます単純化する監督と経理の機能が、すべての人によって順番に遂行され、つづいてそれが習慣となり、最後に、人間の特殊な層の特殊な機能としてはなくなるような秩序――が徐々につくりだされていく」。現代世界において、「国家の死滅」はいぜん未完の課題である。だが、これは決してレーニンの「夢物語」ではない。

 ●5 スターリンによる歪曲

 マルクスにおいてもレーニンにおいてもプロ独権力は、プロレタリア階級解放を実現していくための階級の自己権力であった。プロレタリア階級・人民自身が国家の主体となって活動すること、かれらはそれをプロ独国家の基本的な性格と考えた。パリ・コミューンもソヴェトもそれを体現していた。しかしスターリンはこの点の重要性を口先だけの承認にとどめ、ロシア・プロ独国家を一部特権層が支配する官僚独裁国家に変えた。労働者大衆から国家活動への自主的積極的参加と決定の権限を奪い、これを「党による指導」一党独裁によって置き換えた。
 スターリンは国家を物神化し、国家死滅の事業を永遠の彼岸に追いやった。スターリンは言う。「階級の廃絶は、階級闘争の鎮静によってではなく、その強化によって達成できるものである。国家の死滅は、国家権力の弱化によってではなく、その最大限の強化によってたっせられるであろう」(『スターリン全集』十三巻二三四頁)。こうした「階級闘争激化論」「国家権力の最大限強化論」が「陰謀理論」と結びついて同志をスパイにでっち上げ、大量粛清を招いた。また民族問題における大ロシア排外主義、富農の絶滅政策等によって革命後のロシア社会を暗黒の監獄社会へと変えていったのであった。この決定的誤りは、世界革命の可能性への道を閉ざした一国社会主義建設可能論、そして歴史発展の原動力を生産力の量的発展に求める生産力主義思想によって支えられていた。
 スターリン(主義)批判は当時のロシア社会の状況に照らし合わせて、より具体的に批判される必要がある。

 ●6 「プロ独の政策」が党綱領に占める位置

 以上、マルクスやレーニンがプロレタリア独裁についてどのように考えてきたのか、ごく簡単に見てきた。われわれはプロ独問題についても、基本的な点においてマルクス、レーニンの主張を継承する。しかし単純に模倣すればよいというわけではない。とくに、現代においてプロ独を問題にすること自体、無意味で時代錯誤的であると受け取られるような風潮があることを押さえておくべきである。マルクスやレーニンの主張に学びながら、独自にその内容を構想していくという態度が必要である。その場合、現実の労働者階級の要求のなかに宿る未来社会創造的な内容、また樹立すべき社会の萌芽像をとらえて、これをプロ独の政策のなかに書き込んでいくことが重要になる。
 プロ独は現在と未来を結ぶ結節点の位置を占めている。それは党の綱領で言えば、最大限綱領と呼ばれる「綱領の原則的部分」と最小限綱領と呼ばれる「実践的部分」を結ぶ位置にある。プロ独期における党の政策は、一方でプロレタリアートの旧社会における要求を内包するが、また他方では来るべき新社会への要求をも不可避にはらむ。そこには資本主義社会においては実現できなかった要求が広く含まれ、と同時に共産主義へのステップとしての過渡期において未来を先取りするような要求が含まれる。プロ独の政策とは、プロレタリアートがプロ独を乗り越えてプロ独の向こう側に飛翔して行くために不可欠の翼である。


 

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