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■翁長知事の取り消し決定断固支持! 辺野古新基地建設阻止闘争の歴史的な勝利に向け総決起を 沖縄労共闘 ●1章 翁長知事の「埋立承認」取消し断固支持! ついにその日が来た。翁長雄志知事は十月十三日、辺野古埋立て取り消しを発表した。われわれは、この翁長知事の取消し決定を断固支持する。仲井真弘多前知事が行った一昨年、二〇一三年十二月二十七日の「埋立て承認」という屈辱の日から、一年十ヵ月、し烈を極めた階級攻防戦で歴史的な勝利をかちとった。やったぞ! 日帝―安倍政権の辺野古新基地建設工事はついに、違法・不法状態となったのだ。 反戦地主会を先頭にしてかちとられた、あの一九七七年5・15「公用地法」期限切れによる「四日間の空白」(米軍不法占拠)―反戦地主米軍基地内実力立入り闘争、さらに反戦地主・知花昌一氏のたたかいによってかちとられた一九九六年四月一日からの米軍強制使用期限切れ(米軍不法占拠)=米軍楚辺通信所「象のオリ」奪還闘争以来の歴史的快挙だ。 今、新たな沖縄解放闘争の歴史が切り拓かれた。この歴史的な革命的朗報を、われわれは、真っ先に辺野古現地で壮絶な闘いを展開し志半ばで逝ってしまった故・金城祐治「命を守る会」代表に捧げる。祐治さん、われわれは、あなたの不屈の闘志と遺志を断固として継承する。辺野古新基地建設阻止完全勝利を絶対かちとることを改めて誓う。 翁長知事は記者会見で、冒頭一番「本日、普天間飛行場代替施設建設事業に係る公有水面埋立て承認を取り消しました」と表明した。そして「今後も、辺野古に新基地は造らせないという公約の実現に向け、全力で取り組む考えであります」と述べた。 記者との質疑応答でも、「(四月頃からの閣僚との意見交換、八月からの集中協議を経て)思い返してもなかなか沖縄の考え方、思い、今日までのいろんなこと、ご理解をいただけるようなものがなかった」「沖縄県民に寄り添って県民の心を大切にしながらこの問題を解決していきたいというような気持ちがあの集中協議の中にもなかった」と、日帝―安倍政権の強権的な姿勢を徹底的に弾劾した。そして、「辺野古移設が普天間基地の危険性を除去する唯一の解決策。移設しなければ普天間基地の固定化につながる」なる日帝―安倍―新基地推進派のネジ曲がった「屁理屈」にも、辺野古新基地建設も順調にいって十年、それ自体が固定化攻撃である「埋立地=国有地」としての新基地建設は、基地沖縄の永久的固定化だと明確に断罪し、日帝―安倍の対応は「日本の政治の堕落」と断言した。痛快である。晴れ晴れしいとはこのことだ。シタイヒャー(やったー!)。 知事表明を受け、キャンプ・シュワブゲート前では、退院後病気療養中の山城博治・沖縄平和運動センター議長をはじめ座り込みに参加していた約二百名の仲間たちが歓喜のカチャーシーを踊り、たたかいの新たな決意を打ち固めた。海上では、記者会見が行われた午前十時を期して、カヌー全艇と抗議船四隻が「臨時制限水域」のフロートを越えて前進した。国家暴力団・海保もなす術がない。当然だ。 「県」議会与党会派は、記者会見後翁長知事との合同会議を開いてさらなる団結を確認した。稲嶺進名護市長は、与党名護市議団とともに記者会見を開き、翁長知事を支え、断固として新基地を断念させるまで奮闘することを表明した。日弁連は、「法的瑕疵が存在し、瑕疵の程度も重大」と翁長知事の判断を支持する会長声明を発表した。 取消し翌日の早朝六時、ゲート前には定例議員団総行動とも相まって国会議員ら五百名以上の仲間たちが結集して勝利の気勢をあげた。「県」警機動隊も基地内のカマボコ車に鎮座したままだ。 だが、日帝―安倍政権は「法的瑕疵はない。埋立て工事を進めていく」(官房長官・菅)、「取消しは違法」(防衛相・中谷)と居直り、翌十月十四日午前、沖縄防衛局は「行政不服審査法」に基づき国土交通相へ「取り消し無効の審査」を請求するとともに、「執行停止の申立書」を提出する暴挙を強行した。この暴挙に加担する国交省は直ちに受理したのだ。想定されていたとはいえ、日帝―安倍政権の不当不法な蛮行を断固として弾劾する。 ●2章 仲井真「埋立承認」の瑕疵を明確にした検証結果 昨年十一月十六日、沖縄人民は、約十万票の圧倒的な大差で反革命知事・仲井真を打倒し、翁長雄志氏を知事に押し上げた(十二月十日就任)。「オール沖縄」としてかちとった勝利の階級的地平は、オスプレイ配備撤回、普天間基地の即時閉鎖・撤去、「県」内移設反対―辺野古新基地反対を軸とする「沖縄建白書」に貫かれた「沖縄の誇りある豊かさ」を求める沖縄人民の自己解放闘争の到達点である。日帝の沖縄差別軍事支配・日米共同反革命前線基地化に抗した自己決定権の発露である。われわれはこの階級的革命的地平を何度も何度も確認しなければならない。 翁長知事は就任間も無く、その階級的地平の表現である公約実現に向けて、今年一月二十六日に「普天間飛行場代替施設建設事業に係る公有水面埋立承認手続に関する第三者委員会」を設置した。 第三者委員会は法律・環境専門の六名の学識者により構成された。七月十六日に検証結果報告書を提出するまでの間、十三回の委員会および現地視察を行った。委員会の設置目的は「『承認手続』に関し、法律的な瑕疵の有無を検証することであり、大浦湾・辺野古海域の埋立の是非を判断することではない」と自らの職責を厳格に定め、当初より政治性を排していることが特徴である。それゆえに「検証結果」は客観性科学性に貫かれたものである。 そもそも、海上自衛隊掃海艇「ぶんご」まで動員した違法な「事前調査」や、オスプレイ配備や弾薬搭載エリア、強襲揚陸艦用軍港施設等の「後出し」にも端的なように、「環境アセスメント」そのものがずさんな代物であり、何の科学性も有していないことは明白だった。それ故に、「当該評価書で示された環境保全措置等では生活環境および自然環境の保全を図ることは不可能と考える」とする知事意見(仲井真)も出されていたのである。今回の翁長知事決定に対して、当の仲井真は御用NHKのみのインタビューに応じ、「問題ない」「翁長知事は、県民の生命、財産を守るべき責任を放棄した」ととんでもない反革命言辞で居直っている。断じて許さぬ。徹底糾弾、徹底せん滅あるのみだ。 検証結果で指摘している「法的瑕疵」は、@埋立願書には、普天間基地の危険性の早期除去に必要性は述べられているが、なぜ移設先が辺野古なのかの合理的説明がない、A埋立てによる利益と不利益の要件を満たしていない、B環境保全措置の要件が不十分、C「生物多様性国家戦略」「生物多様性おきなわ戦略」「琉球諸島沿岸海岸保全計画」違反、すなわち、公有水面埋立法の第四条第一項、第一号、第二号、第三号に違反していると明確に「法的瑕疵」を指摘した。 この検証結果を受けて、翁長知事は九月十四日、「取り消しうるべき瑕疵があると認められた」として「埋め立て承認取消し」表明を行った。そして同日、沖縄防衛局長あてに「意見聴取について」の通知文を出し、具体的な取消し手続きに入ったのである。 ●3章 日帝―安倍に痛打を与えた海上ボーリング調査阻止行動 国会内外をはじめ全国各地、各界各層の総決起で、解釈改憲の集団的自衛権行使で自衛隊の国軍化・海外派兵を可能とする戦争法案粉砕の闘いが高揚する中、窮地に追い込まれた日帝―安倍は、八月十日から九月九日まで「国と県との集中協議」「協議中の作業中断」という突然の`休戦aを余儀なくされた。翁長知事に体現される沖縄労働者・人民の不退転のたたかいが、戦争法粉砕・原発再稼働阻止のたたかいと合流・結合しながら、安倍政権打倒の大きなうねりとして燃え上がることへの敗北宣言でもあったのだ。 これまでも「沖縄基地問題」は日米安保体制の屋台骨を揺るがす重要な政治問題となってきたが、ここ「辺野古問題」に至っては日帝―安倍打倒の一大階級攻防戦として一層激烈化しているのである。 「集中協議」発表前の七月二十四日、日帝―沖縄防衛局は、第三者委員会検証結果に敏感に反応し、海上ボーリング作業が終了しない段階で、二十二ヵ所のうちの実施済み十二ヵ所のみの一部埋め立て本体工事の実施計画と環境対策の二点に関する事前協議書を一方的に「県」に提出するという「禁じ手」まで繰り出していた。しかも、それだけではない。沖縄防衛局は、仲井真「承認」の際の留意事項によって設置した「環境監視等委員会」の委員にすら、協議書の環境対策の内容を知らせていなかったことも暴露された。「承認取り消し」前に、埋立て本体工事の既成事実を作っておこうという、なりふり構わない、不当で強引なやり方だ。 そして、「県」の当然ともいうべき協議書取り下げ要求に対し、沖縄防衛局は八月三日、「段階ごとに協議を行うことは何ら留意事項に反するものではない」などと要求拒否の回答を行った。官房長官・菅も「取り下げる考えはない」と同日の記者会見で述べている。それが一転、翌八月四日の記者会見での菅官房長官による「集中協議・作業中断」表明であった。 そもそも「海上工事中断期間」とされた一ヵ月(八月十日から九月九日まで)の期間というのは、沖縄では台風時期でもあり、従来も工事が度々進まない時期なのである。ましてや、海底ボーリング調査の当初期限だった昨年の十一月末を本年三月三十一日まで延期し、さらに六月三十日まで延期していたのである。 相次ぐ期間延長は、ゲート前での工事車両、防衛局・海保車両侵入阻止の二十四時間態勢と海上でのカヌー隊らの果敢なフロート突破行動など、粘り強くダイナミックな現地阻止行動の前に、初めから今夏の本体工事などできっこない事態だったわけである。笑止千万である。 「普天間基地の危険性除去」「中国の脅威からの抑止力」なる論理は破たんした。政治的に「中断」できることも証明された。後は、「断念・撤回」のみだ。まさに海上ボーリング調査阻止としてたたかわれてきた現地阻止行動の大勝利の成果であった。 これより前、翁長知事は「沖縄県漁業調整規則」に基づいて、沖縄防衛局に対して三月三十日までに海底ボーリング調査作業の停止指示を出していた。三月二十一日に四千名余の大結集で開催された「止めよう辺野古新基地建設! 美ら(ちゅら)海を守ろう! 県民集会・海上行動」(名護市瀬嵩の浜)が、翁長知事の決断を後押したのである。 日帝―沖縄防衛局は、昨年十月の台風十九号の影響で流出した鋼板アンカーの代わりに、十〜四十五トンものコンクリート製構造物(トンブロック)を「アンカー(錨)」だと強弁し、今年に入り次々に大浦湾に投下した。その巨大なトンブロックが、岩礁破砕許可区域外でサンゴ礁を無残に押しつぶしていることをヘリ基地反対協ダイビングチームが調査・暴露糾弾したことで、「県」も二月に独自の潜水調査を行い、このサンゴ礁破壊の事実を確認。改めて臨時制限区域内での潜水調査を申請したが、沖縄防衛局は「米軍の運用上の理由」を挙げ、不許可にしていたのだ。 沖縄防衛局は同じ水域内で潜水調査を実施しており、「運用上の理由」が成り立たないことは明白だが、ここでも「運用上の理由」という「理由」が極めて恣意的で政治的であることを改めて指し示すことになった。半年以上も経ってから申請を認めざるを得なかったが、破損サンゴ礁の「証拠隠滅」の可能性も指摘され、また撮影した写真などの公表は事前に米軍の同意が必要としている。 また、肝心のボーリング調査作業中止指示に対しても、日帝―防衛省は三月二十四日、農林水産相あてに「行政不服審査請求」と「審査完了までの作業停止指示の執行停止申し立て」を同時に行い、三月三十日には農林水産相が「停止指示効力の執行停止」を出すという一方的な暴挙を重ねていた。「普天間周辺の住民の危険性や騒音の継続による損害、日米両国間の信頼関係への悪影響による外交・防衛上の重大な損害が生じる」という、結論ありきの防衛省が作文した徹頭徹尾反革命の「理由」だったことも想起せよ。 当然ながら今日まで、農林水産相による「審査」が行われているという情報は一切聞かない。このような国家的な八百長・猿芝居を、今回の「承認取り消し」で再び好き勝手にやらすわけにはいかない。 ●4章 「辺野古唯一」を強制する新たな沖縄差別軍事支配打破せよ 日帝―安倍は昨年来、翁長知事の就任あいさつや新年度予算要請などでの閣僚面会拒否を相次いで行い、挙句の果てには新年度「沖縄振興予算」を五年ぶりに、前年度比4・6%も減額するという、まさに「いじめ」を地で行くような茶番劇を繰り返していた。強権的に恫喝と屈服を沖縄人民に強要してきたのだ。 だが、沖縄人民の島ぐるみの歴史的たたかいを背景とした翁長知事の不退転の姿勢と知事権限行使が、ボーリング調査作業中止指示に対して官房長官・菅の「この期に及んで」連発発言でも如実に表れた日帝―安倍の焦りを次々と白日の下にさらしてきたのである。 八月十二日以来、九月七日まで第五回にわたる「集中協議」の第一回目のその日、米陸軍の特殊作戦用のMH60ヘリコプターが、うるま市伊計島南東約十四キロ沖の海上で米海軍輸送艦「レッド・クラウド」への着艦に失敗し、墜落するという衝撃的な事故が発生した。「集中協議」に参加した官房長官(沖縄基地負担軽減担当相)・菅に、「基地の島・沖縄」の厳然たる事実を、米軍自らが突きつける事態となった。 この事故は、米陸軍特殊部隊員がヘリから降下し、武装勢力に制圧された船を奪還する訓練の最中に起こった。六人の負傷者の中には、陸上自衛隊中央即応集団の「特殊作戦群」所属隊員二人が含まれていることも判明した。 沖縄での米軍機の墜落事故は一九七二年「復帰」以降、四十六件目である。奇しくも当日は、日本での航空機事故としては最大級の乗客・乗員五百二十人が犠牲となった一九八五年の日航ジャンボ機墜落事故から三十年を迎えた日であり、同時にまた米軍大型輸送ヘリCH53D型機の沖縄国際大学への墜落爆破炎上事故が発生した二〇〇四年八月十三日から十一年目を迎えようとする中で、「空の安全・安心」についての検証と教訓の継承が厳しく問われた最中の事故であった。 一昨年五月二十八日の国頭村安田沖合での米空軍嘉手納基地所属のF15戦闘機墜落事故、続く八月五日、宜野座村大川ダム近くのキャンプ・ハンセン基地内での米空軍嘉手納基地所属HH60ヘリ墜落炎上事故(乗員一人死亡)の記憶もまだ新しい。今年四月二十三日には伊江村でパラシュート降下訓練中だった米兵一人がフェンス外の畑に着地する事故も発生している。 今回は、事故原因も特定されない中で六日後には事故機と同型の米陸軍特殊作戦用MH60ヘリが飛行訓練を再開したことや、沖縄防衛局への情報伝達もなかったということで、米軍優先の軍事訓練恒常化と、同時に陸上自衛隊員の負傷も判明したことで、実質的に戦争法―集団的自衛権行使のための日米合同訓練が実施されていたことにも怒りが倍増した。 さて、五回にわたる「集中協議」は、予想された通り「決裂」に終わった。官房長官・菅は最終協議後、「普天間の閉鎖の必要性については認識が一緒になったが、方法論については大きな隔たりが埋まらなかった」と記者会見で居直った。 それに対し翁長知事は、「県民の魂の飢餓感に気付き、理解できなければ、なかなか個別の問題は難しい」(第一回協議後)、「今日までも五回の協議はどっちかというと私の方が沖縄の実情を話して、聞き役に回っていただいて、なおかつ理解ができないということですから、これはなかなか難しい。ですから、別々にお互い七十年間生きてきたんですね、というようなことを話させてもらったわけです」(最終協議後) と、沖縄の歴史性を考慮することもない日帝―安倍の沖縄差別を徹底糾弾してきた。今回の取り消し決定に通じる決定的な分岐であった。 「普天間飛行場移設問題の原点」(辺野古新基地建設阻止)は、国体護持(天皇制延命)のために強制された沖縄戦と米軍占領、サンフランシスコ講和条約での分離強要、米軍による土地の強制接収・基地拡張によるものだ。文字通り、日帝国家権力による沖縄への差別軍事支配、抑圧・同化と分断支配を打破すること、それが原点なのである。 同時に、地方交付税は全国十六位、国庫支出金と合わせても全国六位の現実でしかない沖縄「振興策」での「予算優遇神話」を徹底的に糾弾し、在沖米軍基地の「抑止力」論、「中国からのミサイルにはミサイルで対抗する」(防衛相・中谷)に対し「沖縄をただ領土としか見ていない。百四十万人が住んでいるのに配慮がない。日本の安全保障に沖縄は欠落している」と批判するなど、日帝―安倍政権の「辺野古唯一」押しつけを全面的に論破してきたのである。 合わせて八月十六日には稲嶺進名護市長も、容認派の首長や地域ボス共とは何回も密会を重ねてきた防衛相・中谷との初会談で、「一九九九年の稲嶺恵一知事・岸本建夫名護市長の受け入れは十五年の使用期限や軍民共用などの条件が付されていた。だがその後政府は、二〇〇六年五月三十日の閣議決定でこの条件を取り消した」と指摘し、「受け入れ」の前提条件そのものの虚構を糾弾したのである。そもそも日帝―安倍が「原点」だと言う一九九六年のモンデール・橋本会談での普天間基地返還合意には「辺野古唯一」なる合意は一片たりともなされていないことは自明である。 歴史をねじ曲げ、勝手な屁理屈を並び立てるのは、「戦後七十年談話」で日本のアジア侵略戦争を過去のものとし、解釈改憲で戦争法・集団的自衛権行使を遂行するファシスト安倍政治の本性である。断じて許すわけにはいかない。 日帝―安倍は、五回の集中協議で「溝が埋まらなかった」「県側の理解を得るには至らなかった」(官房長官・菅)ことを居直り、工事再開を明言し、実際に九月十二日より海底ボーリング(掘削)調査に向けたフロート(浮具)設置作業を再開した。また防衛省は、来年度予算で名護市を通さずに辺野古、久志、豊原の三区(久辺三区)直接交付金を支出するという超法規的脱法手段で新たな分断攻撃も仕掛けてきた。さらにオール沖縄への反革命として登場してきた参議院の島尻安伊子を沖縄担当相にすることで、振興策の金をチラつかせて翁長知事への恫喝と懐柔、一方で各市町村首長や保守層への懐柔と翁長「県」政への敵対を組織して翁長知事を屈服させ、来年の参議院選挙をメルクマールに沖縄の反基地闘争をつぶそうとしてきている。これが、常々日帝―菅が `愛用aする「法治国家」の実態である。ガタガタに揺さぶられた日帝―安倍政権に何らの未来も展望もないことを改めて知らしめていこうではないか。 翁長知事は、最終協議の場で「あらゆる手段を使って全力で阻止する」と戦闘宣言ともいうべき不退転の姿勢を示した。そして、九月十四日の「取り消し表明」に始まり、十月十三日の「取り消し決定」に至ったのだ。この勝利的地平を断固防衛し、自信と誇りをもってこの歴史的局面を総力でたたかいぬこうではないか。 ●5章 現地行動を基軸に総力戦で辺野古新基地阻止へ決起せよ 日帝―安倍は十月十四日、国交相への「行政不服審査請求」と「審査完了までの作業停止指示の執行停止申し立て」を行った。 今回の「請求」でも、沖縄防衛局は「一私人、一民間業者」の立場で「行政不服審査請求」を行ったと強弁している。そもそも「行政不服審査請求」は、公権力・行政権力からの国民権利侵害を救済するための制度である。国の機関が国の機関に救済を申し立てる茶番は、まさに国家権力による脱法違法行為そのものである。今回の埋立て申請に際して、民間業者の「許可」ではなく、国の機関として都道府県知事に「承認」を求めてきた事実を棚上げにし、先のボーリング調査作業中止指示に対抗した農林水産省への措置と同様で、翁長知事の取り消し決定を有名無実にしようとする魂胆は明々白々だ。 今後、「執行停止」効力を盾に裁判闘争などさまざまな手段で翁長知事の承認取消し決定を覆そうと躍起になってくることが想定されるが、肝心なことは、行政闘争、裁判闘争の可否ではなく、海底ボーリング調査や本体工事への強行突破を何としても阻止しぬく激烈な攻防戦を勝利することにある。われわれはさまざまな闘争手段、方法を数多く有している。 日帝―沖縄防衛局は、最近になり「仮設」だから「事前協議は不要」と強弁しているが、知事や名護市長との事前協議事項である美謝川水路付け替え協議、土砂搬入方法変更協議も残されている。さらには、今後数多く予想される設計変更申請、新たな岩礁破砕許可申請など現行法の枠内だけでも多くの関門が厳然と存在している。 さらには、キャンプ・シュワブ内には多くの遺跡群が存在しているが、辺野古ダム周辺の宿道(しゅくみち・琉球王府時代の主要幹線道路遺跡)や、先日は大浦湾の「仮設岸壁」予定地で琉球王府時代の「碇石(いかりいし)」(交易船の碇に代用された石)も発見された。「県」教育委員会が文化財に指定した歴史的遺産だ。翁長知事決定と軌を一にするかのように、十月十三日名護市教育委員会は文化財保護法に基づき、発見現場周囲の予備調査を開始した。場合によっては海底域の本格調査も必要となることは必至だ。 また、キャンプ・シュワブ内は、戦後「大浦崎収容所」として今帰仁、本部、伊江村民ら約二万人が収容された場所である。数多くの埋葬地が存在したが、埋葬地の発掘と遺骨収集も未解決のままだ。「戦争の犠牲者の遺骨の上に、新たな戦死者を生む基地を造る。これ以上の死者への冒涜はない」(沖縄戦遺骨取集ボランティア「ガマフヤー」=壕堀人・具志堅隆松代表)と新基地建設阻止へ向けに新たな怒りの声が上がっている。戦後七十年、沖縄では未だ戦後は終わっていない。 あわせて、大量土砂搬入での特定外来生物の混入が危惧される埋立て用土砂の採取予定地(山口・周南市、防府市、北九州市、小豆島、長崎・五島列島、熊本・天草市、奄美大島、徳之島)では、「辺野古土砂搬出反対」全国連絡協議会も結成された。「一粒たりとも故郷の土を戦争に使わせない」をスローガンに、辺野古新基地建設反対のたたかいを支えていることも特筆される。外部土砂搬入は、民間業者からの土砂買い上げという形で完全な「環境アセス逃れ」であり、「埋立て承認」判断規準に瑕疵があることは明確だ。 これに呼応する形で「県」議会では、「土砂規制条例」を六月議会で制定可決した。「特定外来生物が付着・混入している埋立用材を県内に搬入してはならない」「搬入予定日の九十日前までに届け出なければならない」「県が立入り調査を実施、……搬入・使用の中止を勧告できる」など、公有水面埋め立て事業における外来生物の侵入防止を目的とするもので、今年十一月から施行される。 さらに「県土保全条例」改正も検討されている。これは辺野古ダム周辺から採取する計画の二十万立法メートルの土砂調達を阻止するためのものだ。現行法において適用される、三千平方メートル以上の土地を開発する場合の県知事許可義務の除外規定を撤廃することで、辺野古埋め立てのための土砂も県知事の許可がない限り調達不可能にさせる狙いがある。土砂採取後の土地には米軍隊舎建設計画があることも暴露されており、本体工事強行への行政的抵抗手段なのだ。 今日、米軍基地拡張攻撃と激烈にたたかいぬいた「三原則貫徹」島ぐるみ闘争、「本土」労働者人民との革命的結合を求め、ベトナム反戦・B52爆撃機撤去、米軍基地撤去をたたかった「復帰闘争」の革命的地平を継承したたたかいが辺野古新基地建設阻止闘争である。`沖縄「建白書」を実現し未来を拓く島ぐるみ会議aは、その推進軸として、オール沖縄の意志を実現する草の根運動体として発足した。現在、各市町村単位で独自に結成され、文字通り「島ぐるみ」のたたかう陣形が構築されている。ゲート前座り込み行動を支えているのが、連日各地から運行されている「辺野古バス」である。たたかいを財政的に支える「辺野古基金」も設立され、全国から四億円以上のカンパが寄せられている。かつてないたたかいの成果だ。 九月二十一日(現地時間)には、スイス・ジュネーブで開かれた国連人権理事会総会で、都道府県知事が同総会で演説するのは初めてという翁長知事の発言がかちとられた。またそれに先立って、「沖縄の軍事化と人権侵害」シンポジウムも国連欧州本部で開かれた。シンポジウムは、国連NGO市民外交センターや反差別国際運動(IMADAR)、沖縄「建白書」を実現し未来を拓く島ぐるみ会議などが共催した。翁長知事はこの場で全世界に向け、「辺野古新基地建設強行は沖縄への人権侵害である」「沖縄人民の自己決定権が踏みにじられている」「あらゆる手段で阻止する」と発信した。まさに歴史的な快挙だ。 あせった日本政府(在ジュネーブ代表部)は、相変わらずの「辺野古唯一」論で異例ともいえる「反論」を述べたという。また官房長官・菅も、「人権や基本的自由の保護促進などを主な任務とする人権理事会で、沖縄の米軍基地をめぐる問題が扱われたことには強い違和感を持っている」と不快感を示した。こうした日帝―安倍政権の反動的対応が、逆に翁長知事(沖縄人民)の訴えの正当性を満天下に示し、輝きをもって全世界に発せられたのである。 特筆すべきは、米上下両院の軍事委員会で、二〇一六会計年度国防権限法の最終案での下院案の「辺野古が唯一」条文が撤回されたことである。今年五月の翁長知事や稲嶺名護市長らの訪米行動の成果でもあり、「辺野古問題は日本の国内問題」と居直っていた米帝にも、もはや日米同盟の根幹を揺るがす沖縄のたたかいを無視できない状況が生み出されている。翁長知事決定をもってさらなる追撃を加えるため、十二月には島ぐるみ訪米団が準備されている。 一方で、九月十九日未明の右翼反革命集団によるテント襲撃・破壊攻撃、また九月二十二日には「辺野古連帯・国際キャンプ」参加の韓国・済州島の仲間が不当逮捕される事態も発生した。海上行動での海保の暴力的敵対に加え、「県」警機動隊によるゲート前座り込みへの暴力的排除攻撃や不当逮捕攻撃も続出している。断じてこの暴挙を許さない。 まさに本格的辺野古決戦の火ぶたは切って落とされた。われわれは、この階級決戦の重大局面において、安保粉砕―日帝打倒―米帝放逐、沖縄―「本土」を貫くプロ独樹立を貫く沖縄解放闘争の責任党派として断固として総決起しなければならない。 何よりも、勝利のカギはゲート前座り込みと海上阻止行動を二本柱とした現地行動への総力決起である。辺野古決戦の帰趨は、現地でのたたかいがすべてを規定していると言っても過言ではない。「埋立て承認取消し決定」の歴史的勝利の地平を支えるのもこの現地闘争を軸とする大衆運動の力でしかない。不法違法の埋立て工事を止めることが大前提だ。職場、学園、街頭で、ありとあらゆる戦線で、派遣団を組織しよう。 われわれは今夏、戦争法案粉砕の全人民的決起の地平を獲得した。この戦争法粉砕のたたかいを断じて一過性のものに押し止めてはならない。原発再稼働阻止、TPP締結粉砕、消費税増税撤回などありとあらゆる階層のたたかいと結合し、辺野古新基地建設阻止を日帝―安倍打倒の導水路としよう。闘争五十年を迎えようとする三里塚芝山連合空港反対同盟の地平に学び、実力阻止闘争で勝利をかちとろう。 |
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