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■中国評価についての見解再論 ●(1)はじめに 二〇一〇年に名目GDPで日本を抜き米国に次ぐ世界第二位の経済大国となった中国はいまや世界経済、世界政治に大きな影響力を与えうる存在となり、それゆえ、昨今、ブルジョアジーの側からも、プロレタリアートの側からも中国とはいかなる国かをめぐって、さまざまな論議が展開されている。ブルジョアジーは国内外を問わず、腹の底では基本的に中国は資本主義の世界市場の枠内に入ってきたと確信してはいても、「中国は社会主義国である」という規定である。あえてそう規定することにより、中国の否定的要素のすべては「社会主義」「共産主義」に由来するという反共宣伝の材料に用いて、共産主義に対する絶望、嫌悪、蔑視を人民に植え付けようとするのである。 一方、左翼陣営においても、中国は完全に資本主義国あるいは帝国主義国に変質したと規定する見解から、中国は問題はあるにせよ基本的にはいまだ社会主義国であるという主張まで様々な見解が日本においても他国においても存在している。 ちなみに、当の中国自身は現憲法においても自らを「社会主義国」と規定している。憲法前文第一条第二項で「社会主義制度は中華人民共和国の根本制度である。いかなる組織または個人による社会主義の破壊もこれを禁止する」と規定しているのである。しかしながら、資本の自己増殖とそのために労働者を搾取するという資本主義の本質規定からすれば,生産力の増大、資本のあくなき増殖、国内外の労働者の搾取をおし進めている現中国が資本主義化が進んできているということは否定しようがない事実である。 かかる議論をめぐって、われわれはまず、われわれ自身が日米帝国主義のアジア侵略・支配の強化策動とたたかい、そしてまた戦争国家化を推進する日帝―安倍政権とその対中国排外主義煽動と断固として対決し抜いていくというその前提的立場を明らかにしておく。同時に、そのような反帝闘争実践の基盤の上で、国際共産主義運動の再建の展望に関連して、われわれにとっても現代中国をめぐって次の二つの領域での見解を明らかにすることが要請されているのである。 その第一は、現代中国評価の確定である。これは世界のプロレタリア人民が全世界の帝国主義を打倒し、世界的にプロ独−共産主義を建設してゆくたたかいの中で中国はいかなる役割を果たすのかという点でわれわれの世界革命戦略を提起していくために不可欠の要素の一つでもある。 第二には、毛沢東主義評価に関する我々の見解の提起である。これは現在もフィリピン共産党に代表される第三世界諸国の民族解放社会主義革命勢力の間では依然として毛沢東主義に依拠した運動、党派が根強く継続しており、一定の影響力を有していることの根拠と限界を明らかにすることでもある。そして、それらの党派の多くは帝国主義打倒のたたかいは原則的に堅持、実践しており、われわれの反帝国際主義政治闘争戦線の重要な勢力であり、それらの党派とのかみあった論議を組織していくことは国際共産主義運動の再建、強化に不可欠なことだからである。 ●(2)現代中国に対する評価 上記の中国評価に関するわれわれの綱領的見地からする基本的見解については既に二〇〇九年末の『戦旗』一三四〇号三面国際部論文で提起済みである。以下、要約しておく。われわれは現中国を基本的には社会主義として評価している米国の『社会主義と解放の党』PSLを始めとした党派の評価基準に照らしたとしても「第一に国有企業の民営化、株式会社化の進行、第二にはいわゆる計画経済、非利潤追求の統制経済から利潤追求の市場経済への変質」をもって、中国がもはや社会主義国とはいえないこと、「現中国は外資導入抜きには経済成長が望みえぬ国、すなわち世界資本主義体制の中に完全に組み込まれた国、下部構造としては資本主義の鉄の法則が貫徹する社会、国になった」ことを明確にした。 そして、「ある国が社会主義国であるか否かを判断する時、ある種の静止的機械的指標よりも階級闘争、革命運動の観点からどう評価するのかということがより重要である」という観点から「@被抑圧階級、被抑圧民族への連帯実践の有無、A資本主義的価値観と根本的に相違するプロレタリア的価値観に基づく社会建設、運動構築の有無、B階級闘争の組織化、直接民主主義運動の構築、ソビエト的組織形成の有無、Cプロレタリア国際主義実践の追求の有無、D帝国主義打倒の路線的立場と実践の有無」を判断の動的指標として提起したのである。それらの指標からしても現中国は社会主義国足り得ないことは明確であると断定した。 そして、毛沢東路線のわれわれによる評価、批判総括的見地についても同論文において提起した。毛路線の限界、課題として「@毛の継続革命論も中国一国内でのそれであり、スタの一国社会主義路線と分岐し得ないこと、A生産力主義批判の内容を一定程度はらみながらも、それを乗り越える内容を提起しえず、基本的にはその枠内にとどまり、ケ小平の奪権を許すに至ったこと、B文革は実際は党内闘争の組織化としての政治運動でしかなかったこと、真に必要とされていたのは文字通りの文化革命、社会革命であり、プロ独下の階級形成を何をもって実践、組織化していくのかということであった」と提起し、結局毛沢東は「農民の持つ小ブル的性格をいかに克服し、プロレタリア階級へと形成し続け、社会主義建設の闘いに動員し続けるのかという課題、党の国家への融合との闘争という課題、プロ独こそプロレタリア民主主義であることの実践、プロレタリアートの直接民主主義の組織化等々の課題に応え得なかったこと」の問題を提起した(詳しくは当該号参照)。 既に戦旗一三四〇号で提起した毛沢東路線、文革批判総括の内容をさらに深化していくとすれば、それはスターリン主義路線の抜本的、現在的批判の深化、発展の内容ということになるだろう。中国共産党についてというより、スターリン主義の影響を残存させる世界各国の共産党、共産主義党全般の路線について、さらには国際共産主義運動の歴史的総括の作業として設定すべきものとなるであろうからである。 その上で、以下中国の変質の歴史を具体的に概括し、さらに現中国規定の指標を整理し、われわれにとっての課題を提起していくこととする。 ●(3)中国革命後の歴史概観 一九四九年十月一日中国革命は勝利し、中華人民共和国が成立した。当初毛沢東は半封建半植民地である中国における革命はプロレタリア社会主義革命ではなく新民主主義革命という特別の性格を有したブルジョア民主主義革命と位置づけた。そして、中国人民協商会議で採択した共同綱領では「人民民主主義の国家」と規定、社会主義を目標とすることは書かれていなかった。その直後の朝鮮戦争で中国は北朝鮮を支援し、参戦した。この戦争にともなう中国の財政負担は国家予算の半分以上を占めた。一九五一年米帝に主導された国連決議での中国への禁輸決議で中国と西側諸国の経済関係が大幅に狭められる等中国は経済的苦境に陥っていた。そして一九五三年から中国は突如「スターリン主義的社会主義」建設を開始し、第一次五カ年計画を策定し、国家計画委員会と中央政府のその他の官庁が主要な財の生産と流通をすべてコントロールするようになる。その背景にはソ連が三〇年代に急速な工業化を達成したこと、中国国内での民間企業に対する統制が既に相当進行していたこと、土地改革による小規模農業経営で農業生産の低迷への対策としての集団化の必要性などがあったと推定される。五三年以降「ソ連に学べ」のスローガンの下、党・国家体制、計画経済等様々な面でソ連を社会主義のモデルとした建設が進行した。 一九五六年中国共産党(以下CPC)第八回大会は中国における社会主義化改造の基本的完成を宣言、以降は階級闘争や革命から経済建設に重点を移行する政策方針を決定した。五七年ソ連のフルシチョフは「重要な生産物の生産量で十五年以内に米国を追い越す」と宣言、毛は「十五年後には英国を追い越す」と宣言し、十年から十五年で共産主義に移る条件を作るべく五八年「大躍進運動」と人民公社化運動を展開する。しかしながら、大躍進運動は惨たんたる結果を招くが「大躍進運動は経済法則を無視したプチブルの政策であり、経済のバランスを失わせ膨大な浪費を生んだ」という彭徳懐国防相の「意見書」に毛沢東が激怒し、反右傾キャンペーンが開始され、この流れは文化大革命へとつながっていくこととなる。 また、五八年からソ連とは異なる「独自の社会主義」を目指し始めた。フルシチョフのスターリン批判、五六年十一月モスクワにおいての十二カ国共産党会議での毛沢東の「東風は西風を圧倒する」演説後、毛は急進的な社会主義政策を展開していった。五八年末から五九年夏にかけて「左」派糾弾、廬山会議およびその後の「反右派」闘争、五九年ソ連は中国と結んでいた国防新技術協定を一方的に破棄、翌六〇年には科学技術援助も打ち切った。六〇年ソ連の平和共存路線への全面的な批判を開始した。六一年から六四年までの国民経済調整、六三年から「社会主義教育」運動と続き、国際共産主義運動の総路線をめぐる全面的な中ソ論争、中ソ対立の時代となった。その対立は一九六九年にはついに国境線をめぐる中ソの軍事衝突へと至った。このようなソ連との対立を背景に、中国は米国との接近を図り、ニクソン訪中を契機に一九七二年には米国との国交正常化、次いで日本との国交正常化を行った。(この間の毛沢東路線、文革評価については前述の『戦旗』一三四〇号参照)。 毛沢東の死を経て、ケ小平が党の実権を明確に掌握した七八年末CPC第十一期中央委員会第三回総会から改革開放の時代が開始された。農村における生産請負制や都市における個人経営、企業の独立採算制が積極的に奨励された。そして人民公社は八三年までにすべて解体された。所得格差の問題等が発生し、二〇〇四年には家計所得のジニ係数〇・四七三とアジアの中で最も不平等な国の一つとなる。八一年六月CPC第十一期六中全会で文革を全面否定する歴史決議が採択された。八二年九月CPC第十二回大会で「中国の特色をもった社会主義」を打ち出す。八〇年代後半より九〇年代にかけて銀行の民営化進行、八七年CPC第十三回大会で「社会主義の初級段階論」を打ち出し、「初級段階」と規定することにより、高度な社会主義を実現するために資本主義的経済手法も積極的に取り入れることを正当化しようとした。そして、七人以下の自営業、賃労働の雇用関係による私営経済、外資合弁等々を容認し、「生産力を発展させることを、あらゆる活動の中心とすること」を決定した。 九〇年代に入り、国有企業の株式会社化進行、九二年ケ小平は南方巡察講話で「すべての判断基準は生産力発展に有利かどうかにある。計画と市場に社会主義・資本主義の区別はない」として、「社会主義市場経済」を改革の目標に定め、全面的市場経済化を目指した。欧米等の資本主義国の制度と同じものを構築、企業については日本の会社法を参考に株式会社、有限会社の制度をつくり、証券取引所を準備して株の本格的な流通を実現した。九七年九月CPC第十五回党大会では社会主義法治国家の建設が謳われ、株式会社化を念頭に非公有経済制の重要性が強調された。二〇〇一年十二月に中国は世界貿易機関(WTO)へ正式加盟し、資本主義世界への全面的参加を果たした。二〇〇二年十一月のCPC第十六回党大会は「先進的な生産力」「先進的文化」「最も広範な国民の利益」の三つを代表する「三つの代表」論で私営企業家、資本家の入党を認めるという労働者階級を代表する「階級政党」から資本家もふくめた全国民の利益を代表する「国民政党」への転生を宣言した。 胡錦濤時代には「公民の私有財産権の不侵犯を保障する」ことをはじめかなり本質的な憲法改訂が行われた。二〇〇七年三月には「物権法」が制定され、私有財産の法的な保護が明確にされた。また同年十月のCPC第十七回党大会では党規約を改訂し、国家建設の目標を「富強、民主、文明、和諧」を備えた社会主義現代国家の建設と位置づけた。同大会ではまた「経済建設と国防整備を統一的に考え」「富国と強軍の統一を実現せねばならぬ」と国家戦略として「富国強軍」を目指すようになった。また米中は米中関係を「建設的な戦略的パートナーシップ」を目指すことで合意した。いわば米中平和共存時代への突入である。 以上の経緯を見ると、中国革命勝利、中華人民共和国建設以降、ケ小平が実権を掌握した後、中国はまっしぐらに、それこそ「資本主義への道」をひた走ってきたことが明確に見てとれる。実態的、法的、イデオロギー的に資本主義国家、資本主義社会に変質していったことは否定しようがない事実であろう。 ここで、これまで触れなかった人間の変革、意識の変革の問題についても提起しておく。社会主義、共産主義の建設は全世界の帝国主義の打倒、世界的なプロ独の形成、十分な生産力の発展という客観的な条件と共にそれを担う新たな価値観で武装された人間の形成という主体的条件が必要である。この点についてはマルクスも「共産主義的意識の大衆的規模での創出のためにも、事柄そのものの完遂のためにも、大衆的規模での人間変革が必要である」(『ドイツ・イデオロギー』)と重要視しているところであるが、毛沢東も民衆全体にわたる徹底的な思想、意識改造がなければ、社会主義が資本主義に変質してしまう必然性を認識していた。すなわち、階級意識形成の問題、ゲバラのいう「新しい人間」の形成の問題である。社会主義社会では、自分のためではなく、他人のためにとりわけより抑圧された人々のために生きる「無私、利他的な」人間の存在を社会存立の前提としているからである。中国では一九五〇年代では、大衆の間に社会主義の理想を信じて、共産党への自発的な支持、協力があった。しかしながら、大躍進の失敗後、とりわけケ小平の権力掌握後、「公」に献身的な革命精神が後退し、「私」を中心とした生活意識が生まれてきた。いわゆる「向銭看」現象=拝金主義の蔓延はその象徴的なものであろう。すなわち思想、意識面での資本主義化である。 ●(4)現代中国の抱えている問題 次に、このような形で資本主義化を進行させてきた中国と中国社会が現在抱えている問題をみていくことにする。そこには少なくとも次のような問題が含まれるであろう。 第一には、人民の間の貧富の格差問題である。所得格差が地域間でも階層間でも拡大し、格差度を測るジニ係数が危機の臨界線といわれる〇・五に迫っている。これは米国のウォールストリート占拠運動時のスローガン内容である1%の富裕層がその国の富を独占し、99%の他の一般の人々を支配しており、絶対的多数の貧しい者と極少数の大金持ちとに二極分化しているという事実が中国においても当てはまる状況になっていることを示すものである。この点に関して国務院発展研究センターの張立群第一研究室主任は「北京では、金融資産の八割を11%の人が持つ。地域格差も深刻で、上海と内陸部・貴州省の平均所得の差は十二倍以上だ」と指摘している。胡錦濤が掲げた「和諧社会の構築」という政府の主要スローガンそのものが格差問題の深刻さを如実にあらわしている。平等な社会というのが社会主義社会あるいはそれへと至る過渡期社会の基本的イメージであった。しかるに、それからほど遠い現中国社会は社会主義とは無縁といってよいであろう。 第二には、官僚、党幹部の汚職、腐敗の問題である。二〇一四年、習近平は「汚職問題が生じても政治局常務委員には量刑は課さない」という慣例を破って周永康前常務委員の逮捕、起訴に踏みきった。これはCPC内あるいは中国政府内の党官僚、政府官僚の腐敗、汚職がどれほどすさまじいものとなっているかを物語るほんの一端である。既得権益集団の権力と癒着した組織的な汚職―腐敗などは長年どの政権も問題視し、その撲滅キャンペーンを試みてきたが成功したためしがないものである。ちなみに二〇一三年の第十二期全人代第一回会議の政府報告によると二〇一二年までの過去五年間に汚職事件などで立件された公務員の数は二十一万人余りで、これはその前の五年間もほぼ同数程度であり、汚職撲滅運動の効果のなさを如実に物語っている。コミューン四原則とかいって、公務員の給与をおさえても、ついてまわる特権をなくさねばこの汚職問題は途絶えることはないのである。それには国家論の総括をふまえ、国家の構造、中身そのものからして抜本的に検討、再措定せねばならないといえる。 第三には、労働争議、農民争議数の激増という問題である。その背景には一九九七年で二千万人前後に達した都市におけるレイオフを含む失業問題、さらに一億五千万人前後と見積もられる農村での半失業者を加えると中国における失業者数は膨大な数に達している。中国では企業が競争力を高めるために労働者を低賃金で長時間働かせているという「搾取労働」の問題が国内外を問わず問題となっている。そして労使間の対立があらわになった昨今本来労働者の利益を代表すべき中華全国総工会およびその傘下の「工会」はあからさまに企業よりの姿勢を見せストなどの阻止に動く場合が多いといわれている。それ故に現在中国の工場等では「工会」を通さずに、労働者たちが直接メールなどを通じて情報交換し、なし崩し的にストライキを広めていくという「山猫スト」の形がとられている。 農村においてはいわゆる「三農問題」すなわち「農業」の低生産性、「農村」の荒廃、「農民」の貧困という厳しい現実を背景として農民の集団的抗議行動が激発している。その他労働者、農民を中心とする権利の擁護、経済的利益を求める闘争が激発、地元政府の強引な土地収用への抵抗、抗議闘争等民衆と警察との衝突も頻発し、二〇〇〇年代半ばに八万七千件と発表された集団抗議事件についても当局は近年は統計も発表しないほどの増加を示している。企業の利益のためにあるいは国家のために人民の犠牲等は意に介さぬという社会は、もはや社会主義を目指しているとはいえないものである。 第四には、少数民族問題である。九割を超える漢民族以外に五十以上の少数民族が共生する中国において一九八〇年代以降民族紛争が活発化している。中央政府への反発が強く、分離独立運動が目立つのは特にチベット仏教とイスラム教を精神的支柱とするチベット族とウイグル族である。とりわけ二〇〇八年ラサでのチベット族、一九九七年および二〇〇九年のウイグル族の抵抗運動は大規模でそれらに対して党、政府は軍隊をもって厳しく制圧した。それ以降もこれらの民族運動に対しては厳しく弾圧する強硬手段をとり続けている。 第五には、領土紛争およびそれをめぐる態度に関する問題である。とりわけ南沙諸島をめぐる領有権問題について、習近平政権はかつての受動的対応の伝統的方式を改め、南中国海での石油探査、南沙諸島で強引に滑走路建設を進めるなど、これまでにない強硬手段による国土の主権を主張するに至っている。第四、第五を貫いて、中国共産党の現指導部は民族問題、領土問題を中華ナショナリズム、大漢民族主義で集約、統合しようとしているといえる。これはスターリンが大ロシア民族主義で国家統一を図ろうとしたことと同様の立場であり、反プロレタリア国際主義である。 第六には、社会保障や医療、住環境などの福利厚生の未整備、悪化の問題や環境問題である。様々な社会保障や医療、教育などについても近年中国では、資本主義的基準から、つまり利益を出すことを基準とした考えから改悪が進む一方で、米国と同様に満足な医療、教育が受けられない人々が貧困層を中心に増加している。また中国の環境汚染の深刻さについてはよく知られているところである。中国の国家環境保護総局は中国の現状を「三億人の農民が不衛生な水を飲み、国土の三分の一に酸性雨が降っている。国土の28%が荒地で18%が沙漠化、人口一人当たりの水資源量は世界平均の四分の一に過ぎず、飲用・工業用水の不足が深刻だ」と発表している。また中国環境保全省の発表した資料によっても世界十大大気汚染都市の内で中国は七都市を占めるほど中国の大気汚染は深刻なものとなっている。大気汚染による死者や工場廃水による有機水銀汚染等の環境汚染事故も多発し、そのことをめぐる警官との衝突にいたる住民の抗議行動も頻発している。この点についても米帝の経済封鎖のもとにあっても人民には十分な教育、医療を保証し得ているキューバとは大きな違いがある。 第七には、「新植民地主義」的とも批判される対外経済進出に関わる問題である。石油や鉱物資源の確保を目的としたアフリカへの進出が一九九〇年以降急激に進んだ。中国がアフリカを原料供給地、資本輸出地、商品販売市場にしようとしていることは明白で、そのあり方はアフリカ諸国の労働者人民のなかからも批判的な動きが出ている。また中国のアフリカ諸国への開発援助は、日本帝国主義の援助(ODA)が悪名高き「ひも付き援助」であったのと同様に、中国の企業に受注させることを条件にしたり、中国から労働者を連れて行くなどの形態をとることが多い。さらに具体的な中国への批判、抗議としては、例えばザンビアでは劣悪な労働環境や低賃金、度重なる突然の工場閉鎖などに対し現地住民の不満が強まり抗議の動きがある。また、アフリカのなかで独裁的な暴圧政治を行っている政府に対しても中国の利益になるならば、その政府との友好関係を人民の反政府闘争よりも重視するという反階級的反プロレタリア国際主義的立場をとっているのである。このことは米帝による厳しい「経済制裁」の中でも、自国人民のみならず全中南米人民の利益のために医療、教育面で無私の精神で大きな寄与をし続けているキューバのプロレタリア国際主義実践、階級的立場の堅持と比較する時、その反プロレタリア性、反階級性が浮き彫りとなるのである。 以上見てきたように、あまりにも資本主義的な社会の実体と建前としての「社会主義国」との落差を覆い隠す口実として中国政府は「中国の特色ある社会主義」なる言葉を用い続けているが、正確には「中国の特色ある資本主義」という表現がぴったりするというものであろう。 ●(5)われわれの課題 以上で、中国が基本的に資本主義国に変質したことは明確であろう。その下で中国は今や世界政治、世界経済に大きな影響を与えうる存在となった。しかし、その中国の資本主義が米・日・西欧の帝国主義とまったく同じようなものかといえば、やはりそうとは言えないだろう。 その相違点は、第一に、資本家階級(ブルジョアジー)が形成されていることは事実だが、いまだ米・日・西欧諸帝のそれと比較して脆弱性を有しており、歴史的形成過程からしても浅く、政治指導部の決断によって放逐されやすい弱さを持っていることである。第二に、そのことの別表現ではあるが共産党指導部がいまだ強力な権力を有し、米・日・西欧諸帝のように完全な資本家階級の政治指導部の位置を占めるに過ぎないとはいえないこと。第三には、建前ではあれ自国を「社会主義国」規定をしていることである。第四には未だ軍事力については攻撃型、世界戦力的軍事力としては整備、準備しきれていないことである。これらのことの背景には、中国が資本主義の発展が十分でない条件下(半封建半植民地と規定された)での革命に勝利した後に、紆余曲折を経て、急速に資本主義的発展を遂げてきた、というその歴史的性格に由来するものだろう。 これらのことから、われわれの革命戦略を立てるときには次のことが言えるであろう。資本間の対立、競争としては、米日西欧諸帝と十分闘える条件を有していること。ただし、全面的軍事抗争に至る条件は有しておらず、当面は平和共存平和的競争という形をとるだろうこと、中国国内の労働者人民の決起、真の共産主義組織が形成される時には「社会主義」の大義が人民に有利に働きうること等々である。さらに詳しくは後々のわれわれ自身の世界革命戦略、国内革命戦略を明確にしていく作業の中で分析、検討していくべきであろう。 次に、中国の変質の総括、ソ連の解体の総括に関して、われわれは基本的な見地はスターリン主義路線批判、毛沢東路線批判等として、これまでも様々な論文で明らかにしてきた。しかし、究極的にはわれわれの国家論、われわれの共産主義論としてその基本的かつ具体的内容を提示して、それとの関係で再度ソ連崩壊、中国変質の抜本的総括内容を提起し、もって国際共産主義運動の再建のための国際的な諸党派との論議に耐えうるものとして深化してゆかねばならないことが今後のわれわれの課題としてあるだろう。そしてその内容をふまえてわれわれの綱領の発展、深化としても勝ち取っていくのである。 |
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