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■女性の解放に真っ向から敵対する安倍政権打倒! 改憲―侵略反革命戦争を阻止する女性の団結をかちとろう 安倍政権再登場から一年余、安倍政権は暴走の一途をたどっている。昨年十二月六日には、「現代版治安維持法」である「特定秘密保護法」の採決が強行された。連日国会を包囲し、「廃案に!」と叫び続けた数千・数万の人々をはじめ、全国各地で声を上げた人民、「民主主義の危機。今すぐ廃案に!」と続々名をつらねた知識人や学者、ジャーナリスト等々の声もどこ吹く風の、民意を完全無視した暴挙であった。中でも、石破幹事長の「デモ=テロ」発言は、この法律の危険性を示して余りない、全く許しがたいものであった。戦争に向けて、すでに大きく舵を切った安倍政権。私たちは、女性を蹂躙し、あらゆる権利や尊厳を奪ってきた戦争と軍隊を許さず、今こそ立ち上がらなければならないと訴える。 秘密保護法強行採決の騒動の中、「原発ゼロ」目標の撤回―再稼動方針と、生活保護法制改悪・生活困窮者自立支援法がどさくさに紛れて決議されたことも忘れてはならない。民主党政権への失望・不信を背景に政権を奪還した自民党が行なっていることは、富国強兵のための徹底した棄民に他ならない。99%の人民が犠牲にされようとしている中、とりわけ大きな犠牲を強いられる被差別大衆の声、女性の声で、安倍政権を打倒しよう! 改憲を阻止しよう! 「女性の政治的自由と平等のために闘う」記念の日である三月八日「国際女性デー」は、一九〇四年アメリカに端を発し、日本では一九二三年に初の3・8集会が開催されている。しかしわずか二年後の一九二五年には治安維持法が制定され、一九三七年中国侵略戦争の開始、と暗黒の時代へ向かったのだ。今まさに日本は、当時さながらの暗黒へと向かおうとしている。改めて私たちの手で三月八日を、同じ過ちを繰り返さないことを誓う「女性の日」にしようではないか。 ●1章 ウーマノミクスの欺瞞―女性からの搾取収奪を許すな 昨年十二月十二日、厚生労働省は労働者派遣法を見直す骨子案を提出。企業(専門二十六業務を除く)が一つの業務に派遣労働者を使用できる期間を最長三年に制限する現行ルールを撤廃し、人を入れ替えさえすれば派遣を使い続けられるようにするというものだ。一人の派遣労働者が同じ職場で働ける期間は最長三年のままである。労働現場では正社員から派遣労働者への置き換えが進み、派遣労働者はますます派遣のままとなり転々とさせられる。今以上に雇用が不安定化していく恐れがある。「派遣労働者保護の強化が狙い」のはずが、派遣をより使いやすくするよう求める経営側の意向に完全屈服した内容。厚労省は労働者保護の行政としての責任を、完全に放棄しているのだ。一家に正社員が一人もいない非正規労働者家庭で子どもを養育するのは至難の技であり、そうした家庭の増加で少子化や子どもの貧困問題もさらに加速するだろう……一家心中ならぬ一国心中をしようとしているとしか思えない。 雇用破壊が進むと同時に女性差別、男女間の著しい経済格差もいっこうに解消されない。二〇一三年四月の女性の就業率は、医療・福祉産業、サービス業を中心に62・5%と過去最高の伸びを見せている。しかしこれは、アベノミクスの「女性の活躍で経済成長」戦略キャンペーンの結果などでは決してない。そもそも安倍の言う「活躍」とは、女性労働力の徹底的な引き出し、搾取強化にほかならず、「就業」の大半が過酷で低賃金で不安定な、使い捨て無保障の非正規雇用だ。その結果身体や精神のバランスを崩し、困窮していく女性が年々増加していることは、皆が肌身に感じているはずだ。 保育所に入れない「待機児童問題」では、「より多くの女性が子育てしながら社会で活躍しようと踏み出した表れで心強い」(十二月 横浜市長談話)などと言われているが、何をおっしゃる、「子育てしながらも女性が働かなくては食っていけない世帯が(低所得者層のみならず中間層も含めて)増加した表れ」に他ならないのだ。少子化とは矛盾する保育所・学童保育の待機児童問題が深刻化して久しいが、要求の声を上げる闘いもまた、母親=女性にのみ押し付けられている。育児は女性だけの責務ではないにもかかわらずだ。家事・育児・介護などの家内無償労働に押し込められてきた女性が外へ出て行くために、これらの仕事の公共サービス化あるいは商品化が進んだはずだったが、今や簡単には活用できぬハードルの高いものとなっている。家内無償労働に純化していては生活が成り立たず、サービスを利用するためにまた働き続けなければならない。育児がようやく終わっても、「あとは悠々自適な年金生活」など待ってはいない。家族の介護をしながら、同時に介護労働に従事し、ギリギリの暮らしを送る中高年女性も増えている。 女性の社会進出どころか、その位置は後退させられている。女性は今まで以上に搾取され、あらゆることを求められ、「産む性」としての選択すら自身のものではなくなっているのだ。安倍政権は「ウーマノミクス」を唱い、東京オリンピック招致活動をはじめ各所で「女性を起用」、最大限に利用しようとしてきた。「あからさまな利用」は、実に差別的に見える。国家、資本、男性にとってのみ都合の良い「女性の進出」を批判し、正当な賃金と権利と社会保障を求め立ち上がろう。 ●2章 加速する女性の貧困化、生活保護法制改悪許すな 生活保護費の抑制策を盛り込んだ改悪生活保護法と生活困窮者自立支援法は十二月六日、衆院本会議で採決され、自民・公明の与党と維新の会、みんなの党、生活の党の賛成多数で可決、成立した。改悪法では、申請手続きの厳格化(保護の申請時に本人の資産や収入などを記した申請書と所定の書類提出を義務付ける)、扶養義務の強化(自治体が申請者の扶養を断る「扶養義務者」に説明を求めたり、「扶養義務者」の収入や資産状況を調査したりできるようにする)や、「不正受給者」あぶり出しの強化・罰金引き上げ、などが定められている。今までも福祉事務所の窓口で行なわれてきた「水際作戦」(相談者・申請希望者をなんだかんだと言って追い返し、受給以前に申請さえさせない)が合法化されたに等しい。「水際」ならぬ「沖合作戦」だと指摘する人もいる。 生活困窮者自立支援法もまた、(『自立支援』と名のつく政策が全てそうであるように)問題多きものである。自立支援事業が水際作戦の「防波堤」にされていく可能性が大きく、さらに貧困ビジネスの跋扈や、労働破壊・賃金破壊につながっていく可能性も危惧されている。 本来人々が、最低限度の健康で文化的な生活を維持するために無差別平等に利用することができる、当然の権利であるはずの生活保護。しかし受給者は一貫して差別を受け続けてきた。二〇一一年五〜六月には片山さつき等自民党一部議員が主導しての「生保バッシング」が、その差別をより激化させた。翌二〇一二年十二月に安倍が「生活保護費の給付水準一割カット」を掲げて政権復帰し、早速、生活保護基準の引き下げに着手していく「地ならし」のための演出だったのだ。ネット上に「ナマポ」なる新たな差別用語が飛び交い、多くの生保受給者が精神的に追い詰められていった。 法制改悪に先駆けて、二〇一三年八月よりすでに保護費の引き下げは開始されており、今後三年かけて段階的に、最大10%の引き下げが強行される予定という。月々数千円の減額を「わずか」と思う人もいるだろう。しかし、元々わずかな生活扶助費からの数千円は、消費増税とのダブルパンチで人によっては命にもかかわる金額だ。特に引き下げ幅が大きいのは、育ち盛りの子どもを抱えた世帯である。子どもが二人いる世帯では、最大の10%―月に約二万円が削減される予定だ。そうなると子どもに食べさせるために親が食事を減らすなどして健康被害に、光熱費を削ったため夏の熱中症死・冬の凍死者急増へ、といったことが懸念されるレベルだ。教育環境が充分に整えられないための「貧困の世代間連鎖」もより深刻さを増す。 問題は生保受給当事者だけのものではない。保護基準の引き下げは、「労働者の最低賃金額や、年金の給付水準も低くて良い」ということにつながりかねず、就学援助の基準や住民税の非課税基準、諸々も引き下げられることになる。全ての低所得者層の生活に直結するのだ。「社会保障の岩盤」である生活保護基準を引き下げることは、全ての人々の生活、社会全体を崩壊に導くといっても過言ではない。 まず怒りの声を上げ立ち上がったのは、当事者である障害者や、野宿労働者生活を経るなどして受給者となった人々、そしてシングルマザーをはじめとする女性たちだ。「自分だけではなく、苦しんでいる全ての人々のために」と、吹き荒れるバッシングに正面から立ち向かい、集会デモに参加し、「不服審査請求」には全国一万人超の人々が立ち上がった。「こんなことをしたら福祉を切られるのではないか、周囲に(受給者だと)知れたら嫌がらせを受けるのではないか」などの不安を乗り越えての決起である。自分だけじゃない、一人ではない、との思いが世代や立場を越えた万人規模の団結をつくり出し、四月二度目の引き下げに向けて闘いはさらに広がり続けている。 妻は夫に従い、子は親に、親は子に従う―家族制度の崩壊、格差社会と長引く不況を背景に、二十一世紀になって生活保護受給者は急増した。受給者数は昨年十月の時点で約二百十六万四千人と、過去最多を更新し続けている。しかし捕捉率・利用率は、世界各国と比較しても最低水準のままだ。本当に必要としている人が、どれだけ排除されているかを示している。とりわけシングルマザーや、高齢女性の貧困は深刻である。 昨年五月二十四日、大阪市でDV被害から逃れようとして社会的に孤立したとみられる女性と子どもが、衰弱死していたことが明らかになった。行政窓口で相談もしていながら、当然の権利である生活保護を受給できずに生きる道を断たれたのだ。法改悪前ですら、このような犠牲が多数出ている。暴力的な配偶者から発見されるかもしれない恐怖に脅える女性が、「扶養義務者」への連絡を強化するという生保窓口には、今後ますます行けなくなるだろう。また埼玉県では、シングルマザーが一才児を置きざりにしたままアルバイトに出かけ、熱中症死させていたとして保護責任者遺棄致死で逮捕、モラルのない女性と責める報道がなされた。児童相談所は介入をしていたようであるが、彼女に生活保護を利用しながら保育所に子どもを預けて就労し、生活を立て直すという道を示せなかった社会に、モラルを云々言う資格はない。 これら事件は氷山の一角にしか過ぎない。「ストーカー殺人」や無理心中事件等があとを断たないように、社会不安の中でとりわけ差別と暴力にさらされている女性。配偶者や交際相手からのDV被害について、配偶者暴力相談支援センターに寄せられた相談は二〇一一年度で約八万件、二〇一二年度には九万件近くに上る。「シングルマザー」も増加の一途、百八万二千人(総務省統計局二〇一〇年度調べ)となっており、その大半約八割が「離別」によるものである。 そんな人々を、セーフティネットの窓口から「沖合へ」と遠ざける法改悪、生保切り下げを決して許してはならない。また生保改悪は同時に、旧来の家族制度復活を狙うものであり、それは多くの女性に「忍従」を強いるものである。「(夫に)殴られて死ぬか、飢えて死ぬか、選べと言われるなら闘おう!」そんな彼女らを決して孤立させず連帯し、共に声を上げよう! ●3章 福島第一原発事故から3年、共に生き闘おう! 3・11東日本大震災・福島第一原発事故から三年が経過した。わずか三年しか経っていないにもかかわらず、何事も無かったかのように政府は原発再稼動・推進方針をうち出している。未だ二十七万八千人もの人々が避難生活を強いられており(二〇一三年十一月 復興庁調べ)、新たな生活拠点を築く目処も立たないまま。避難生活の長期化による「震災関連死」は、福島県内市町村が認定した人だけでも千六百五人に達し、地震や津波による県内の直接死者数千六百三人を超えた。福島第一原発では収束作業が進むどころか、大量汚染水漏れを止める術がなく、新たな汚染を拡大し続けている。 そのような状況にもかかわらず、安倍首相は福島原発問題を「アンダーコントロール(管理下に置いており)」、今までも現在も将来も「Safe(安全)」であると強弁、二〇二〇年東京オリンピック開催を決定した。「福島は大丈夫なのか」の問いに「東京は大丈夫だ」との回答には、東京(国家)の事業に福島は関係ないと切り捨てる意味が含まれており、「震災からの復興」を掲げた東京オリンピック開催でありながら被災地への思いやりはひとかけらも無い。オリンピック決定を受けた直後から、金も人も資材も東京へ流れ、業者は次々と被災地復旧作業から手を引いては、より金になる東京へ。早くも具体的に被災地が置き去りにされているのだ。一方、原発事故収束作業労働者は「早く早く」と急がされて、違法な超過労働や殺人的な被曝を強いられている。相次ぐ単純ミスや労災事故につながるなど、現場の危険がより増す結果を引き起こしているのだ。 昨年十一月十二日、福島県は小児甲状腺ガンの検査結果を発表した。それによると甲状腺ガンやその疑いありと診断された子どもは計五十九人と、わずか三ヶ月前八月の検査結果と比較しても十五名増えている。事故前は「百万人に一人」と言われていた小児甲状腺ガンが、実に二百五十倍の「四千百人に一人」の割合で発症しているのだ。「チェルノブイリでは四年後から発生、五年後から急増した」「チェルノブイリの場合は主に事故当時〇〜五歳だった子ども達に甲状腺ガンが発生したが、福島の五十九名は十五〜十八歳に患者が集まっている」というデータの違いや「スクリーニング効果」(一般的な検査より集団スクリーニングによる罹患率の方が高くなる)を根拠に、「被曝の影響とは考えられない」と、この期に及んでも関連が否定され続けている。甲状腺ガンに罹った子ども達は、甲状腺を全摘出しなければならない。さらに摘出手術を受けた子ども達は、定期的な血液検査を受け、精確に調整された甲状腺ホルモン剤を一生服用していかなければならない。また、再発、転移への恐怖も一生つきまとう。診断を受けた子どもとその家族にとっては、非常に苦しい宣告である。 放射線被曝による健康被害は、甲状腺ガン以外にも、白血病・固形腫瘍・他種のガン、心臓疾患、免疫システムの低下、妊娠合併症、先天的障害、流産など様々な可能性が報告されている。「チェルノブイリは四年後からだった」という根拠なき根拠を振りかざすなど、愚かにも程がある。福島原発事故の被害がチェルノブイリ原発事故を超えるものだということを早く認め、チェルノブイリからの二十八年を良い意味で教訓化し取り組むべきなのだ。まずは「被ばく限度は年間1ミリシーベルト」の国際基準を守り、「20ミリシーベルトでも100ミリシーベルトでも大丈夫」などと言っておらずに、一刻も早く避難指示を出して、生活を保障すべきである。皆がそう言い続けて三年が経つのに実現されないどころか、次々と「帰還宣言」が出されて「帰りたい、帰れない」と悩む人々をより苦しめ、補償を打ち切る口実とされ、新たな分断や差別を生じさせている。二〇一二年六月に成立・施行された「子ども・被災者支援法」も骨抜きのまま、実行されていない。原発事故収束作業や除染作業の現場は、被災者である福島の労働者が大半を占めており、劣悪な労働条件と被曝を強いられている。出て行くところなど無い、仕事は無い、選択肢を奪われた中で、未成年者(違法)や多くの若い女性までもがこれら被曝労働現場で働いている事実にも、何故か光はあたらない。こうした人々への`被曝の影響aもまた、自己責任にされてしまうのを許してはいけない。 私たち女性は、福島と具体的につながると同時に、「風評被害」の文字に覆い隠される実際の被害と差別の問題に、主体的に向き合っていかなければならないと、この三年様々な形で取り組んできた。 反原発運動では「子どもたちの未来のために」「生む性である女性、命の重みを知る母親だからこそ」原発に反対という声が、とりわけ強調されてきた。一方、3・11直後に「私たちはもう、結婚することも子どもを産むことも望めないのです!」と泣きながら訴える女子高校生に、満場から激励の拍手が上がる光景が繰り返し放映された。以降、「私は結婚できるのかな? 子どもを産んでいいのかな?」福島の多くの女の子たちが口にしたり文字に記したりしている。そんな子ども達の姿に大人達が胸を痛める声は聞こえても、悲痛な叫びに答えようとする声は聞こえてこない。 私たちは、女性差別と障害者差別が、無意識・無自覚のうちに繰り返されようとしているのではないかと疑問を感じている。どうしてそんなことを(まずは常に女性ばかりが)言わされるのか? それはチェルノブイリ原発事故以来、放射能の影響で様々な健康被害が生じると同時に、被曝による様々な先天的被害を受けた子どもが生まれる可能性が高まるという不安が、一般的にも広がったからだ。将来結婚差別に遭う可能性を、まだ幼い子どもたちが、とりわけ女性たちが、誰から言われるともなく直感しているからだ。「チェルノブイリの障害児の写真見た?」「産む前に堕しちゃった人たちもいっぱいいたんでしょ?」「かわいそうに、怖いわね」―今では忘れてしまったように見える多くの母親たちが、事故直後はそんな言葉と共に「子ども達を守れ」と放射能問題を口にした。それはそれで大きな反原発運動のエネルギーとなっていった。しかしそれで良いのだろうか?。 福島と桁が違うとはいえ、少なからず被曝してきた東日本・関東・首都圏の人々、われわれ自身もまた問われたのではなかったか。「自分達自身の被曝」と、「最も福島を差別してきた、していく位置にいる」こと、これらと無関係に福島との真の連帯はないのではないか?。私たちは「侵略反革命と闘う被爆二世の会」の仲間がうち出した総括と闘いの地平に、学ぶべき重要な提起がされていると考える。 「被爆者である父は病気がちで、貧しい生活の中で育ち、自分が被爆二世であることをずっと否定的にとらえてきた」が、「障害者解放運動との出会いで意識が変わった」という被爆二世の会の仲間は、「『障害者が生まれると不幸だから原発に反対』という意識やヒバクシャへの差別意識は、こうして生まれ、生きている被爆二世(三世)の私たち皆や、障害者の存在を否定するもの」と訴える。また同会の女性は、「反原発の人と話していても『福島の友人に子どもが生まれたときに何とも言えない……おめでとうと言えない気持ち』を語る人がおる。どうして? 子どもが生まれたら『おめでとう』に決まっとる」。「私たち被爆二世の中には、障害があったり、病気がちだったり、貧しかったり。でもこうしてそこそこに、自分らしく生きている!」と訴えた。 「障害児が生まれると不幸」なのではない、「どのような子どももありのままの生命をありのままに生きられる社会じゃない」から不幸なのだ、と。その上で、「確実に身体を蝕み、ガンなどを発症させる被曝を、強いられ続けてはいけない。少しでも早く、少しでも遠くへ皆を避難させるべきだ。原発再稼動も原発輸出も絶対に許してはいけない。広島・長崎を繰り返してはいけないと訴えるのが、我々被爆者・二世・三世の役割だ」と訴えている。広島・長崎原爆投下も福島原発事故も、責任は日米帝国主義にこそある。その被害を過小評価して隠蔽し、被害者を差別的に取り扱って社会的に抹殺してきたのも、日米帝国主義の意志だ。被害者が「広島・長崎(福島)の出身だというだけで結婚を断られる」差別に遭ってきたことも、「我が子を被爆(被曝)させてしまった」と自分を責める親や、被爆(被曝)者であることを隠して生きようとする親が数多くいることも、半世紀を経て繰り返されようとしている。皆が「ヒバクシャ」としての生を、その痛みや思いを共有しながら生き、差別を許さず、共に社会を変革していくことこそが「団結」であり「解放」なのだ。(参考:侵略反革命と闘う被爆二世の会論文『被爆二世から見た被爆者解放運動の総括と私たちの地平』二〇一二年一月二十五日) 我々は「女性だから」「母だから」こそ「子どものために」「母性で」反原発を闘うのではない。子どもを大切にしなければならないのは、男性も一緒なのだ。女性が、母親が、根強い優生思想のもと「正常・健康」な子どもを産み増やし育てる責務を負わされ、同時に差別されてきたからこそ、さらなる差別が生み出されたことへの怒りをもって起ち上がろうではないか。 昨年四月に開始された新型出生前診断(妊婦の血液検査だけで、染色体異常などが分かると言い、従来の羊水検査より母体への負担が少ないとのキャンペーン)で、半年間に診断を受けた約三千五百人のうち六十七人が陽性と判断され、うち九割以上の五十六人が人工妊娠中絶を選択したとの結果が公表された。妊娠・出産の高齢化が主な背景ではありながら、戦時中の「優生思想キャンペーン」を彷彿とさせるこのような動きのもと、悩み苦しんだ末に人工中絶を選択させられる女性が増加することも無視できない。 「多様な生」を認めずに排除・抹殺する「障害者差別」と、「女性差別」と「ヒバクシャ差別」は一体のものであり、天皇制優生イデオロギーそのものであると訴える被爆二世に学び、共に闘おう。 「男はダメだね。地震の直後、『原発が危ないらしい』との情報に、一斉に連絡しあって走り出したのは女たちだった」(福島の女たち談)。3・11その日から始まった「福島の女たち」の闘いが、全国に散在する避難者や、心同じくする人々と繋がり、今日まで闘い抜かれてきたこともまた事実だ。彼女たち、そして未だ声を上げられぬ多くの女性たちと結びつき、彼女たちの思いを踏みにじる被災者切り捨てと原発再稼動を絶対に阻止しよう。 ●4章 橋下徹大阪市長「慰安婦は必要」発言弾劾! 昨年五月十三日、橋下徹大阪市長(日本維新の会共同代表)は、次のような許しがたい発言を行った。「慰安婦制度というのは世界各国の軍が持っていた。なぜ日本の従軍慰安婦制度だけが世界的に取り上げられるかと言うと、日本は軍を使って国家としてレイプをやっていたという、ものすごい批判を受けている。その点については、違うところは違うと言っていかなければいけない。あれだけ銃弾が雨・嵐のごとく飛び交う中で、命を懸けて走っていく時に、猛者集団、精神的に高ぶっている集団をどこかで休息させてあげようと思ったら、慰安婦制度というものが必要なのは誰だって分かる。今のところは、軍自体が、日本政府自体が暴行、脅迫をして女性を拉致したという事実は証拠に裏付けられていない」。さらに同日夕刻、「歴史をひも解いたら、いろいろな戦争で、勝った側が負けた側の方をレイプするという事実は山ほどある。そういうのを抑えていくためには、一定の慰安婦みたいな制度が必要だったということも厳然たる事実だと思う。(沖縄宜野湾市の)米軍普天間飛行場に行った時、司令官にもっと風俗業を活用してほしいと言った。司令官は凍りついたように苦笑いになってしまって。性的なエネルギーを合法的に解消できる場所は日本にはあるわけだから」。同会共同代表石原慎太郎も、「彼は基本的にまちがったことを言ってない」「軍と売春はつきものだ」などの発言で橋下を擁護した。これらの背景にあるのは、二〇〇七年第一次安倍内閣の「河野談話否定―強制連行はなかった」発言である。 橋下らの発言は、日本の侵略戦争を正当化し、女性への暴力・レイプを容認し、日本軍「慰安婦」強制連行の歴史的事実を捻じ曲げると共に、女性たちの長年にわたる苦しみと怒りを全く理解せずに再度傷つけるもので、断じて許すことはできない。さらにレイシストらによるヘイト・スピーチ―元「慰安婦」女性や多くの在日外国人、女性たちに対する暴言・暴力を拡大させた責任を取らせなければならない。米軍による性暴力によって筆舌に尽くしがたい痛みを負わされてきた沖縄の女性たち、そして「女性をはけ口にしながら死地を駆け回る兵隊」であるとされた男性たち、全ての人々の尊厳を傷つけるものであり、許せるものではない。 一連の発言に対し、すぐさま国内外から激しい抗議、発言の撤回・謝罪と橋下の辞任を求める声が上がった。橋下は事態収拾、名誉挽回のために元「慰安婦」被害者のハルモニたちと面談すると言い、五月二十四日にその日程を決めていた。韓国から来日した元「慰安婦」の金福童(キム・ポットン)さん、吉元玉(キル・ウォノク)さんの二人はしかし、橋下が真摯に謝罪する気などなく「謝罪パフォーマンスを準備している」との情報や、卑劣な居直り発言を繰り返していることに「胸が引き裂かれる思いになった」と面談を拒否した。当然であるハルモニたちの選択に、レイシスト達は「(橋下市長が)会ってやると言っているのにドタキャンするとは何事か」「嘘がばれるからだろう」などとさらに悪罵を叩きつけた。 二十一世紀の世で、これほど女性の尊厳が傷つけられたことがあっただろうか。女性の怒りは、沸とう点に達した。我々もまた、各地での緊急抗議行動を取り組んだ。これだけ世界中からの非難を浴びながら、一切の責任を負わないまま、橋下・石原らは政界に居座り続けており、安倍政権下で一連の発言は容認され続けている。決して忘れず、許さず闘いを続けていこう。 在特会(在日特権を許さない市民の会)の登場から八年。やつらを始めとする差別排外主義集団が、大阪・鶴橋や東京・新大久保などの地域でヘイト・スピーチを繰り返し、その矛先は前述した生活保護受給者や、広島・長崎の被爆者(二世・三世)、反原発運動や沖縄の辺野古テントにまで向けられてきた。「南京大虐殺はなかった」「『慰安婦』は売春婦」と史実を捻じ曲げ、「尖閣諸島と竹島は我が国固有の領土」と主張し、侵略戦争を目論む安倍政権下で、お墨付きを得たとばかりにさらなる跋扈を続けようとしている。 やつらがターゲットにするのは、常に社会的弱者やマイノリティ、そして中でも女性である。「売春婦」「ゴキブリ」「メス豚」を「殺せ!」「たたき出せ!」と聞くに堪えない罵倒=暴力が、女性たちに対し何の制約もなく振るわれる様は、まさに侵略戦争下で繰り返されてきた女性へのそれである。絶対に許すことはできない。女性に「売春婦!」などの悪罵を叩きつけているのは、なにも男性ばかりではない。多くの女性が最先頭に立たされている。奇しくも橋下らが公言した「軍隊による女性へのレイプ容認」に、他ならぬ女性も加担させられてきた総括に立たぬ限り、分断は続き、新たな侵略戦争=暴力をも容認していくだろう。父親や夫や息子が、殺したり「強姦」したりまた殺されたりすることを容認させられるのみならず、今や女性も銃を握らされる時代。今こそ敵対・分断をのりこえ、戦争と暴力を許さない、女性の大きな団結を作り出していこう。 ヘイト・スピーチに対し闘われている「我々の仲間に手を出すな!」の声をより広範なものにし、日本軍性奴隷制度をはじめとする侵略・加害の歴史を後世に伝えていこう。朝鮮学校の生徒達、オモニ達と共に高校無償化適用・補助金等の回復を勝ち取ろう! ●5章 改憲―侵略反革命戦争もくろむ安倍政権を打倒しよう! われわれは、安倍首相の靖国参拝強行に満腔の怒りをもって抗議する。そして、現在急速に推し進められようとしている「教育再生」(=皇民化教育再生)を決して許さない。 文部科学省は十二月二十日、教科書検定基準の改定案などをたった二回の審議で了承・決定した。改定案は、教科書の内容を政府自民党が隅々まで統制し、事実上の「国定教科書」づくりをめざすものである。「近隣諸国条項」を無効化し、日本の侵略・加害の記述を一切消し去り、「(尖閣・竹島)固有の領土論」などの政府見解を書かせることを強要。さらに、原発や沖縄、ジェンダー平等教育などの記述についても特定の見解・価値観を押し付けて、マインドコントロールを狙うものである。そして政府の意に沿わない記述があれば「一発不合格」という「審査要項」追加により、教科書発行者を威嚇し屈服を迫ろうとしている。我々は「つくる会教科書の採択を阻止しよう」と長年訴えてきたが、まさに全ての教科書が「つくる会教科書化」されてしまうのだ。それがこの五月、中学校教科書の検定から早くも実施されようとしている。さらに、学習指導要領の全面改定を目指しての提案―日本史必修化、道徳の教科化などが矢継ぎ早に打ち出された。 安倍の言う「強い日本」「新しい国づくり」に教育を、子ども達を売り渡してはいけない。安倍が取り戻したいと訴える「強い日本」とは、アジア諸国の女性を蹂躙し虐殺してきた国そのものであり、取り戻したいと願うこと自体が犯罪である。そして女性の解放とは真っ向から敵対するものである。 愛国心教育―秘密保護法―安保戦略―改憲……。侵略反革命戦争に向けた軍事国家の完成を、全力で阻止しよう! 沖縄―辺野古埋め立て・新基地建設を阻止しよう! 核政策―原発再稼動・新たな原発建設・原発輸出を阻止しよう! 全国の女性たち、アジア民衆と連帯して共に闘おう! |
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