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   大飯原発再稼動徹底弾劾!

    巨万人民の反原発闘争の決起から

     日帝―野田政権打倒へ突き進もう
                             

                           



 野田政権は六月十六日、ついに関係閣僚会議において大飯原発の再稼働を最終決定し、関西電力は再稼働過程を開始した。われわれは満腔の怒りをもって、この決定を徹底的に弾劾する。そして、引きつづく大飯原発再稼働阻止闘争に決起し、野田政権の打倒に向けて七月十六日の十万人集会に全国から総結集することを呼びかける。


 ●1章 再稼働強行・原発推進の野田政権を打倒しよう

 野田首相は六月八日、記者会見において「国民生活を守るために大飯原発三号機、四号機を再起動すべきだというのが私の判断だ」と表明し、ここから再稼働への動きは一挙に強まっていった。この会見において野田は、@福島を襲ったような地震・津波が起きても事故を防止できる対策と体制は整っている、A原発は重要な電源で、原発を止めたままでは日本社会は立ちいかない、B夏場限定の再稼働では国民生活は守れないなどと述べた。いずれも、再稼働を強行するためだけのでたらめ極まりない主張であった。
 大飯原発の安全性はまったく確保されていない。そもそも福島原発事故が収束しておらず、その原因の究明すら終わっていない段階で、安全だなどとどうして言えるのか。野田が経産省安全・保安院に作成させた三十項目の暫定安全基準なるものは、津波による全電源喪失という事態だけを想定したものにすぎない。そして、防波堤のかさ上げや免震棟の建設、ベントのための弁の設置など実に半分の項目は、数年以内に実施すればよいとするものである。水素爆発を防ぐための水素結合装置の設置は、そもそも計画すらされていない。さらに、福井県安全専門委員会の審議の終了直前に、大飯原発の直下にある破砕帯が活断層である可能性が専門家によって指摘された。活断層の上に原発は建設できない。再稼働の前提そのものをくつがえすようなこの指摘に対して、安全・保安院は何の再調査もしないままに、活断層ではないと断言した。まさにこの過程は、新たな「原発安全神話」の捏造そのものであった。
 「原発が停止したままでは日本社会は立ち行かず、国民生活を守れない」というのもまったくのウソである。関電など電力独占資本は、意図的に原発以外の電源を確保する努力をサボタージュし、このままでは関電管内で夏には15・7%の電力が不足し、計画停電が避けられないとすさまじい電力不足キャンペーンをくり広げた。しかし、そのような関電のデータにおいてすら、今夏の関電の供給力二千五百七十四万キロワットを昨年の電力需要が越えたのはピーク時の十二日間(合計五十八時間)にすぎない。その程度の電力不足など、いくらでも対応の仕方はあったはずである。政府と電力独占資本が何よりも恐れたことは、稼働原発ゼロの状態で夏を乗り切ることによって、原発がなくとも日本社会が成り立っていくことが実証されることであった。だからこそ政府と電力独占資本は、意図的に電力不足をつくりだし、それをもって再稼働に反対してきた民衆や地方自治体の首長などを恫喝し、再稼働の承認を迫るという最も卑劣なやり方を駆使して、何としても大飯原発再稼働を強行しようとしてきたのだ。「国民生活を守る」というのであれば、深刻な事故を起こせば破滅的な結果をもたらす原発を停止させたまままで、すべて廃炉にするしかないのだ。
 野田政権の動きは、日本経団連など日本の帝国主義ブルジョアジーの要求をそのまま体現したものであった。日本経団連は昨年十一月十五日、「エネルギー政策に関する第二次提言」を公表した。そこにおいて日本経団連は、「エネルギー政策は、国家戦略の根幹」だとして、「原子力は、わが国の電源構成の中で、これまで基幹電源としてベース的な役割を担ってきた。政府は、原子力が今後とも一定の役割を果たせるよう、国民の信頼回復に全力を尽くさなければならない」とし、「安全性の確認された原子力発電所の再稼働が非常に重要である」と提言した。日本の帝国主義ブルジョアジーは、帝国主義間抗争に勝ち抜き、巨大な利潤を確保するために、野田政権に対して全国の停止中の原発の再稼働を強行し、原子力を「基幹電源」として明確にすることを迫ってきたのだ。それはまた、いつでも核武装できる条件を保持するという軍事・外交戦略と結合したものに他ならない。
 野田政権はこの要求にもとづき、第一に停止中の全国各地の原発の再稼働を推進しようとしてきた。大飯原発再稼働を主導したと言われる仙谷(民主党政調会長代理)は、「ストレステストで安全が確認された原発は粛々と再稼働していく」(六月十六日)と宣言し、大飯原発を突破口に停止中の全国各地の原発の再稼働に向かおうとしている。大飯の次は、愛媛県の伊方原発三号機がまず対象になるであろう。伊方原発三号機については、すでに三月末に安全・保安院がストレステストの一次評価の結果を妥当としている。原子力安全委員会または新たに発足する原子力規制委員会が妥当と評価すれば、一挙に政府による再稼働への動きを開始できるところにまで来ている。さらに安全・保安院は六月十六日、北海道電力泊原発(北海道)、北陸電力志賀原発(石川県)、九州電力川内原発(鹿児島県)のストレステスト一次評価の審査を八月までに終了する方針を固め、伊方原発とともに再稼働の次の有力候補としていることを明らかにした。また、東電はその再建計画のなかで柏崎刈羽原発(新潟県)を来年には再稼働することを組み込んでおり、関電もまた大飯に続いて美浜原発(福井県)の再稼働をもくろんでいる。大飯原発再稼働阻止のために断固として闘うとともに、このような全国各地の原発の再稼働の動きと全面的に対決していかねばならない。
 野田政権は、第二にこの夏に改定されるエネルギー基本計画と原子力政策大綱において、原発の維持・推進を明確にしようとしている。福島原発事故前のエネルギー基本計画では、民主党政権は二〇三○年までに十四基の原発を新設・増設し、発電量の50%以上を原発に依存するとしてきた。福島原発事故によってこの基本計画の見直しを迫られた民主党政権は、「革新的エネルギー・環境戦略」と新原子力政策大綱の策定という形で、昨年から枝野経産相の諮問機関であるエネルギー・環境会議において審議を行ってきた。このエネルギー・環境会議には、六月中に経産省総合資源エネルギー調査会が二〇三〇年における原子力・火力・再生可能エネルギーなどの比率に関する選択肢を答申、内閣府原子力委員会が核燃料サイクル政策に関する選択肢を答申、環境省中央環境審議会が温暖化対策の選択肢を答申する。これらの選択肢にもとづき、八月中に政府としての決定を行なうという日程である。
 六月八日のエネルギー・環境会議では、選択肢に関する中間的整理(案)が報告された。ここでは、二〇三〇年における原発比率の選択肢として、0%、15%、20〜25%の三つをあげている。上限を25%としているのは、福島原発事故以前の二〇一〇年の原発比率が25%であったことからである。この選択肢との関係では、ブルジョアジーと野田政権は、できれば原発比率25%、最低でも15%を死守しようとしている。しかし、福島原発事故前のように五十四基の原発を保持し、通常の運転を行った場合でも、原発比率は25%にしかならなかった。そして、四十年を過ぎた原発を廃炉としたとき、二〇三〇年には現在存在している原発で稼働できるのは、半分以下の二十一基に過ぎない。これでは原発比率15%にすらはるかに届かない。したがって、原発比率25%を維持する場合はもちろん、原発比率15%とした場合でも、四十年を超えた老朽化した原発や活断層上にある原発をも含めて、稼働できるすべての原発を稼働させ、さらにいくつもの原発を新増設していくことが不可避となるのだ。こんなすさまじい計画の確定を絶対に許すことはできない。
 福島原発事故以降も、いわゆる原子力ムラが原発を維持・推進するためにどれほど卑劣な手段を用いてきたのか、この間暴露された核燃料サイクルに関する原子力委員会の答申をめぐる事態は、その一端を示すものであった。原子力委員会は、原発推進派だけを集めた「勉強会」と称する秘密会議を二十三回にわたって開催してきた。三月八日の会議では、核燃料サイクル技術等検討小委員会に提出予定の四つの選択肢(モデルケース)について議論し、高速増殖炉もんじゅや青森県六ヶ所村の再処理施設の継続にとって不利な選択肢を削除することを確認した。そして、小委員会には三つの選択肢しか報告されず、そのままエネルギー・環境会議に答申されることになっている。まさに、福島原発事故以降も、原発を推進してきた官産学複合体がそれ以前と何ら変わることなく、日本の原子力政策を支配していこうとしているのだ。そして、新原子力政策大綱制定会議のメンバーには、八木誠(電気事業連合会会長/関電社長)、羽生正治(日本電機工業会原子力政策委員長)、三村申吾(原子力発電関係団体協議会会長/青森県知事)など、そうそうたる原発推進派が名をつらねている。また、原子力委員会事務局は、現在の事務局員十九人のうち九人が出向で、東電・関電・中部電力・日本原電の電力会社四社および電力会社が出資する電力中央研究所、三菱重工・日立・東芝などの原発メーカー五社からの出向であある。それ以外の十人も経産省・文部科学省の出身者で、まさに原発推進派の牙城となっているのだ。
 野田政権は第三に、原発輸出を引きつづき推進し、また核武装の条件を保持するために原発を維持していこうとしている。重要な事態は、六月二十日に成立した「原子力規制委員会設置法」において、第一条(目的)の項に、「(原子力の利用は)わが国の安全保障に資することを目的とする」ことが明記され、さらに同法附則において、原子力基本法第二条(基本方針)を「安全保障」の文言を挿入するように改定したことである。原子力を「安全保障に資する」ことを目的に利用するとは、原発で製造したプルトニウムや核制御技術を核兵器の製造に転用すること以外の何ものでもない。それは、原発を「原子力の平和利用」だとしてきたこれまでの建前すら投げ捨て、公然と核武装への道を開くものである。この部分は、閣議決定されたもともとの法案には入っておらず、民主党と自公両党との直前の修正協議の過程で、ほとんど知られることなく加えられたものであった。藤村官房長官は「非核三原則」は変わらないなどと弁明しているが、日本の原子力政策の根本的な転換につながる法改正をこのようなやり方で強行した野田政権を徹底して弾劾し、核武装の道を何としても断ち切っていかねばならない。


 ●2章 大飯原発再稼働阻止闘争の地平との課題

 今年の前半期の最重要な課題であった大飯原発再稼働阻止闘争は、三月二十五日の福井県民会議による福井集会(七百人)および四月七日の滋賀県・大津市での関西集会(六百人)から本格的に開始された。闘いは大阪の関電本社と各府県の関電支社、そして福井現地を焦点として組織され、四月十四日の枝野福井訪問抗議闘争(福井県庁前)、四月二十一日の大阪集会と関電本社包囲行動、四月二十二日の経産副大臣の滋賀県庁・京都府庁訪問抗議行動、四月二十六日の政府によるおおい町住民説明会をめぐる行動など、まさに息つくひまもない連続した闘いとなっていった。
 福井現地と関西・全国を貫いて、無数の団体・個人が集会・デモへの参加、座り込みやハンスト、申し入れ行動などに立ちあがっていった。そして、この過程で闘いは急速に全国化していき、経産省前テント広場では福島の女性たちをはじめ連続した座り込み・リレーハンストが組織されていった。
 こうして、全原発が停止する五月五日までに大飯原発を再稼働させようとした野田政権のもくろみを打ち砕き、稼働原発ゼロという画期的な事態を生みだすことができた。五月五日以降、夏の電力需給が逼迫する時期までに再稼働を強行しようとする野田政権と対峙し、五月二十六日には「もうひとつの住民説明会」がおおい町で開催され(百五十人)、五月二十七日には大阪・扇町公園での大集会が開催された(二千二百人)。そして、六月十六日の再稼働最終決定に抗議し、六月十七日には福井市で全国からの結集によって大集会が開催された(二千二百人)。この過程で東京においては、六月十五日に一万二千人、六月二十二日には四万五千人、六月二十九日にはそれをはるかに上回る人々が首相官邸を包囲するという画期的な闘いが組織された。また関電本社・支社に対しても、連日のように闘いが組織されつづけた。残念ながら野田政権による再稼働の決定を阻止することはできなかったが、再稼働阻止に向けた闘いはさらに大きく拡大してきている。そして、再起動直前の六月三十日から七月一日深夜にかけて大飯原発ゲート前のバリケード封鎖・占拠闘争が青年層を中心に組織された。この数カ月の闘いは以下のような画期的な地平を切りひらくものとなった。
 第一に、停止中の原発の再稼働阻止闘争を反原発運動の決定的に重要な闘いへとおしあげたことにある。いかに野田政権が夏のエネルギー基本計画の改定・新原子力政策大綱において原発の維持・推進を決定しようとも、停止中の原発の再稼働を実現できなければ、それは実質的に破綻していく。その意味において、再稼働阻止闘争はすべての原発を廃炉としていくための戦略的に重要な闘いなのである。大飯原発再稼働をめぐる闘いは、大飯を突破口に全国の停止中の原発を再稼働させようとする野田政権に対して、これと正面から対決するものとして組織され続けてきた。
 大飯原発再稼働阻止闘争は、何かひとつの先鋭な戦術による闘争によって勝利できるという性格のものではなかった。再稼働を推進する政府と関電に対する闘い、政府が福井県において立地自治体の議会と首長の再稼働容認表明を下から積み上げていこうとすることに対して、これと一つひとつ対決していく闘い、滋賀・京都・大阪など隣接自治体への働きかけ、そして全国的な再稼働阻止闘争の高揚によって世論を突き動かし、政府・関電を追いつめていくような全人民的な闘いによってしか勝利することはできないという性格のものであった。そして、このような闘いとして組織されてきたことによって、野田政権を追い詰めることができたのである。野田政権は、大飯原発再稼働の決定に続いて、伊方三号機など全国各地の原発の再稼働に向かっていくであろう。大飯原発再稼働阻止闘争を断固として推進するとともに、停止中の原発の再稼働を阻止する全国的な闘いの大高揚を切りひらいていかねばならない。
 第二に大飯原発再稼働阻止闘争の地平とは、おおい町住民の中に流動が生まれ、おおい町のなかから闘いの新たな主体が登場してきたことである。これに対する支援と連帯を全力で組織してきたことにある。また福井の反原発運動と関西の闘う労働者人民の共同の闘いをつくりあげていったことにある。また福井の反原発運動と関西の闘う労働者人民の共同の闘いをつくりあげていったことにある。おおい町では、一九七〇年代前半の大飯原発一号機・二号機建設阻止闘争、一九九〇年前後の大飯原発三号機・四号機増設阻止闘争が敗北したあと、反原発運動はいったんほとんど根絶された。巨大な原発利権によって結びついた官産学複合体の地域版が強固に形成され、原発に依存した地域社会へとおおい町は徹底的に歪められていった。町長や町会議員のほとんどが原発利権と結びつき、国や関電の下僕としておおい町を支配してきた。どれほど原発に不安を抱いていても、反対の声をあげればすさまじいバッシングを受け、地域社会から排斥されていかざるをえない。まさに原発と結合した地域支配構造のもとで、自由な意見の表明という民主主義や地方自治の基礎までが圧殺されてきた。
 しかし、福島原発事故は「安全神話」を崩壊させ、おおい町の住民をいやおうなく原発の危険性にあらためて向き合わせた。そして、原発に不安を抱く住民のなかに流動が生まれ、その中から未だ少数ではあっても再稼動に反対し、廃炉に向けて闘おうとする住民が登場してきた。これらの立ちあがりはじめた住民に対して、福井県の内外から支援と連帯が組織されつづけた。何度にもわたって、おおい町三千世帯への全戸ビラ入れ、住民との話しこみが組織された。
 こうして開催された「もうひとつの住民説明会」には、おおい町の住民四十人前後を含む百五十人が参加した。この過程を通して、自由に意見を表明することすらできなかったおおい町の状況は大きく変化しはじめ、おおい町における新たな闘いの主体が形成されていった。そして、六月三十日には、全国からの結集で「STOP原発再稼働!6・30おおい集会」とデモが組織された。この集会は、野田政権による大飯原発再稼働に抗議し、立ちあがり始めたおおい町の住民を激励し、野田政権による大飯を突破口とした全国各地の原発の再稼働と対決する全国的な連帯を強化することを目的に開催されたものであった(詳報次号)。
 原発に依存した地域社会へと歪められ、民主主義すら圧殺されてきたおおい町の現実は、全国の多くの原発立地自治体に共通するものである。日本における反原発運動は、「原子力の平和利用」論に日本共産党までが立つなかで、一九七〇年前後から全国各地で次々と原発が建設されていくことに対する各地の建設予定地の住民とこれを支援する労働者・学生などの闘いとして本格的に開始されていった。この闘いによっていくつもの原発建設計画が阻止された。その勝利の経験に学ぶことは、現在でもなお重要である。そして、いくつもの立地自治体・周辺自治体において、粘り強い長期にわたる闘いが組織されつづけてきた。たとえば、世界最大の原発である柏崎刈羽では、原発建設後も二〇〇一年にプルサーマル導入について刈羽町で住民投票を行い、この件では勝利をおさめている。他方でおおい町がそうであるように、この建設期の闘いが敗北して以降、反原発運動が徹底して抑圧され、孤立化させられ、きわめて厳しい状況が強いられてきた地域も多い。この数カ月のおおい町での経験は、未だ始まったばかりだとは言え、このようなきわめて厳しい状況を強いられてきた地域の現実に立ち向かおうとするものであった。野田政権は、大飯を突破口として全国各地の原発の再稼働を強行しようとしていく。各地の条件は、それぞれ異なってはいる。しかし、この再稼動に対する闘いを通して、立地自治体・周辺自治体の住民のなかに新たな流動を生みだし、立ちあがる住民への支援と連帯を強化することによって、日本の反原発運動をぜひとも大きく発展させていかねばならない。
 大飯原発再稼働阻止闘争のなかで、若狭の活動家たちからは次のような提起がくり返し行われてきた。立地自治体では、経済や雇用が原発に依存したものとなっており、そこでは原発の危険性を徹底して訴えていくとともに、原発に依存しない地域の再生、雇用の保障の展望を提示していかねば、住民の多数を引きつけることはできないと。それは、立地自治体における反原発運動が直面し続けてきたことであった。大飯原発再稼動阻止闘争は、この課題をあらためて突き出し、とりわけ都市部における反原発運動全体の中にしっかりと位置づけていくことを要求するものであった。それはまた、都市における反原発運動と立地自治体における反原発運動の新たな結合を迫るものでもあった。危険な原発を過疎地の立地自治体におしつけ、そこでつくられた電気のほとんどを大都市が消費するというこれまでの構造に、圧倒的多数の都市の民衆もまた無自覚なままに組み込まれてきた。福島原発事故を共通の経験として、立地自治体の住民と大都市の住民がすべての原発の廃炉に向けてともに闘うとともに、原発に依存しない地域の再生に向けた立地自治体での住民の闘いに連帯と支援が組織されていかねばならない。
 第三に、大飯原発再稼働阻止闘争を通して福井の反原発運動との共同闘争の構造や全国的な連携・連帯が強化されるとともに、あらためて野田政権の打倒にむけた巨万の反政府闘争を全国からの総結集でつくりだしていくことの重要性が明確になっていったことにある。われわれはこの過程で福井の反原発運動と共同で闘いをつくりだしていくことを重視してきた。われわれは京滋の活動家たちによる若狭の反原発運動との結合を強化し、共同の闘いをつくりだそうとする努力を全力で支援してきた。そして、福井の闘いに対する全国からの支援・協力を推進しようとしてきた。この間の福井における闘いは、全国からの支援に大きく支えられてきたと言える。野田政権による確固撃破を絶対に許さず、再稼動に直面する各地の闘いへの全国的な連帯と支援が組織されていかねばならない。
 同時に、このような再稼働阻止闘争は、野田政権の打倒に向けた巨万の反政府闘争と結合しなければ勝利することは困難な闘いであることが明確になってきた。野田政権は、再稼働を最終決定するにあたって、福井県内で再稼働容認表明を下から積み上げていき、言わば「地元」の要望を受けるという形で政府としての決定を行なおうとした。しかし、福井県においてすら再稼働に反対する世論が多数を占め、再稼働阻止闘争が高揚していくなかで、このような責任回避のやり方は破綻していった。結局、追いつめられた野田政権は、六月八日の野田首相の表明をもって強権的に中央突破をはかるようなやり方を選択する以外になかった。立地自治体の議会や首長による容認表明を一つひとつ阻止するために闘うだけではなく、これを野田政権打倒に向けた反政府闘争と結合させていくことが要求されてきたのだ。
 第四に、この大飯原発再稼動阻止闘争の過程で、多くの青年たちが新たに立ちあがり、ついには六月三十日から七月一日にかけた大飯原発ゲート前でのバリケード封鎖、占拠闘争という大衆的な実力闘争が組織されたことにある(詳報次号)。確かに福島原発事故以前においても、辺野古新基地建設、高江ヘリパッド建設、上関原発建設などをめぐって、少なくない青年たちが体を張った実力攻防に結集しつづけてきた。しかし、このような青年たちの新たな立ち上がりは、福島原発事故以降、あらためてめざましい形で広がっていった。大飯原発再稼動阻止闘争の過程でも、四月からの大飯監視テントの設置、積みあげられてきた福井市やおおい町での闘いへの関西・全国からの結集、関電包囲行動や首相官邸包囲行動への広範な結集など、いくつもの行動が組織されつづけてきた。このような青年層の立ち上がりとその闘いは、反原発闘争という領域をこえて、今後の日本の労働者人民の闘いにとって大きな位置を持つものとなっていくであろう。このことについては、稿をあらためて提起したい。


 ●3章 大飯原発再稼働阻止!7・16代々木10万人集会へ

 われわれは、当面する任務を提起するにあたって、あらためて福島の闘いへの連帯を確認しておきたい。福島をはじめ東日本では、ぼう大な人々が被曝し、放射能被害が拡大し続けている。野田政権は、子どもたちまでをも高線量の地域に放置し、強制的な避難指示を行った地域外の住民の避難の要求を拒否しつづけてきた。それはまさに殺人行為であり、断じて許されない。
 侵略反革命と闘う被爆二世の会は、これまでの被爆者解放闘争の経験にもとづき、次のように呼びかけてきた。「今大事なのは、一兆円もかけて『除染』作業をすることではない。なるべく多くの民衆を福島第一原発からできるだけ遠くへ避難させて、少しでも被曝を少なくすることだ。『除染』とは、放射性物質を拡散させたり、一箇所に集めたりすることで、決して放射性物質が無くなるわけではない。日本政府が今なすべきことは、フクシマ原発事故の被害者全てに『被曝者手帳』を交付することだ。そして、定期的な健康診断を行い、少なくとも広島・長崎の原爆被爆者の健康管理手当に該当する疾病にかかった時は、医療費を全額国費で負担することである」(『共産主義』十八号)と。福島をはじめとした被曝者の闘いに連帯し、政府による棄民化を許さず、福島原発事故を引きおこした政府と東電および電力独占資本、原子炉メーカー、御用学者、マスコミなどの責任が徹底して追及されねばならない。そして、福島原発事故の被害者に対する無条件の補償、避難を希望する人々や被災地に残ることを希望する人々への支援、被災地での雇用創出など、東日本大震災と福島事故の被災者への緊要の支援が迅速に実施されていかねばならない。
 以上を前提としつつ、われわれは次の闘いに全力を集中していくことを呼びかける。その第一は、、大飯原発再稼働を阻止し、大飯を突破口とした全国各地の原発の再稼働を阻止するために全力で闘うことにある。野田政権による大飯原発再稼働の決定は、全国の再稼働に反対する民衆の怒りを激しく燃え上がらせ、闘いは燎原の炎のように広がってきている。毎週金曜日の首相官邸包囲行動は、六月十五日に一万二千人が結集、六月二十二日に四万五千人が結集するなど、急速に拡大してきている。首相官邸と関電本社・支社、そして大飯現地を焦点として、大飯原発再稼働をただちに中止させていくために、絶対にあきらめることなく奮闘しよう。
 二章に提起したように、停止中の原発の再稼働を阻止していくことは、すべての原発を廃炉としていくための重要な戦略的闘いである。それはまた、原発立地地域における反原発運動が徹底して抑圧され、原発に依存したものへと地域社会が歪められてきた結果、これらの地域に強力な反原発運動がほとんど存在しないという、日本の反原発運動が内包してきた大きな弱点を克服していく闘いでもある。この間の大飯原発再稼働阻止闘争は、典型的な原発立地自治体であるおおい町の住民のなかに流動を生み出し、新たな闘いの主体の登場を実現してきた。それは、未だ開始されたばかりの努力ではあっても、新しい可能性を示す経験であった。野田政権が大飯を突破口に愛媛県・伊方原発、石川県・志賀原発、鹿児島県・川内原発、北海道・泊原発などの再稼働に向かおうとしているいま、各地の闘いの各個撃破を許さず、全国的に反撃していくために布陣していかねばならない。そして、それぞれの立地自治体での困難な闘いに対する周辺地域と全国からの支援が集中されていく必要があるのだ。
 第二には、このような大飯を突破口とした原発再稼働を阻止する闘いと巨万の反政府闘争をしっかりと結合させ、野田政権の打倒に向けた全人民政治闘争を全力で推進していくことである。日本経団連など日本の帝国主義ブルジョアジーは、福島原発事故の以前と同様に、原発の維持・推進を日本の成長戦略・エネルギー政策の基軸のひとつとし、原発輸出すら推進しようとしている。反原発運動の高揚のなかでかつて計画した原発の大増設は不可能としても、何も本質的に変わってはいない。野田政権は、このようなブルジョアジーの要求にもとづき、この夏にはエネルギー基本計画・原子力政策大綱の改定という形で、あらためて政府として原発を維持・推進することを決定しようとしている。これを絶対に許してはならない。すべての原発の廃炉、再生可能エネルギーを基軸としたエネルギー政策への根本的な転換に向けて、いよいよ政府との真正面からの闘いに立ち上がるときが来たのだ。
 七月十六日の代々木公園における十万人集会の開催が呼びかけられ、七月二十九日には首相官邸を包囲する大闘争が呼びかけられている。これらの闘いの持つ位置はきわめて大きい。これまで、大飯原発再稼働阻止闘争と七月十六日の十万人集会の組織化は、緊密に結合してきたとは言い難い。この弱点を克服するために努力し、全国で闘われてきた反原発運動を野田政権の打倒に向けた全人民政治闘争へと転化していかねばならない。全国各地からの七月十六日の十万人集会への結集を組織しよう。
 第三には、このような反原発運動の高揚のただなかで、資本主義・帝国主義に対する闘いへと向かうことを提起し、大衆的には基地も原発もない人らしく生きられる社会の実現へと反原発運動を牽引していくことにある。
 われわれは、福島原発事故以降の反原発運動のなかで、被爆者解放運動の経験に学びつつ、核兵器であれ原発であれ、核と人類は共存できないということを基礎的な立場として打ちだしてきた。そして、この核兵器や原発を廃絶していくという全人類的な課題をプロレタリアートの階級闘争が自らの課題として引き受け、反原発運動を牽引していくべきことを提起してきた。福島原発事故の以前から、多くの研究者や反原発運動が原発の危険性、とりわけ地震国である日本での「原発震災」発生の可能性を指摘してきた。しかし、歴代の政府は、原発が深刻な事故を起こせばどれほど悲惨な結果を招くのかをなかば承知しつつ、原発を推進してきた。それはまさに、人の命よりも資本の利潤追求、世界的な帝国主義間抗争での勝利を優先させていくという資本主義・帝国主義の本性のあらわれであった。それはまた、「原子力の平和利用」と称した原発建設のなかに核武装の準備をシステムとして組み込み、いつでも核武装できる準備を保持していくという日本帝国主義の軍事・外交戦略と結びついたものであった。プロレタリアートの階級闘争こそがこのことを徹底して批判し、原発の廃絶を願う広範な労働者人民に対して、資本主義・帝国主義との闘いに向かうことを提起していかねばならない。また、原発輸出に反対し、全世界において原発を廃絶していくために、反原発運動の国際的な連帯を推進していかねばならない。
 そしてまた、反原発運動と反戦反基地運動、新自由主義政策による貧困と無権利からの解放をめざす闘いをしっかりと結合させていくために努力することが要請されている。反原発運動の一部には、反原発を課題とした集会やデモに他の政治課題を持ち込むことに反対する傾向が存在している。しかし、反原発運動もまた資本主義・帝国主義が人民にもたらす災禍と苦悩からの解放に向けた闘いの一部なのだ。そのように位置づけ、闘うことを否定することからは、反原発運動の勝利の展望もまた築いていけない。われわれはこのような立場から、反原発運動を「基地も原発もない人らしく生きられる社会」の実現に向かう闘いへと発展させていくことを提起してきた。再稼働強行・原発推進の野田政権の打倒に向けて巨万の反政府闘争の組織化が要求されているいま、このことはますます重要となってきている。沖縄・岩国・神奈川などを焦点とした米軍再編・日米軍事一体化との闘いにおいて、また新自由主義政策と対決し、貧困と無権利からの解放をめざす闘いにおいて、野田政権打倒の声がますます高まってきている。これらの闘いをしっかりと結合させ、野田政権の打倒に向けた全人民政治闘争を断固として推進していこう。そして、そのただなかから、資本主義・帝国主義と闘い、プロレタリア国際主義に立つ階級闘争のうねりを力強くつくりだしていこう。
 それにあたって、最後に橋下・大阪維新の会への批判について提起しておきたい。五月末、それまで大飯原発の再稼働に反対してきた関西広域連合が電力不足の恫喝に屈し、再稼働容認に転じたことが野田政権による再稼働の最終決定に至る転換点となった。この水先案内人となったのが、いち早く夏季の限定的な原発再稼働を唱えた橋下・大阪維新の会であった。この過程は、橋下・大阪維新の会の「脱原発」なるものがいかにでたらめなものなのかをまざまざと示した。彼らは、関電株主総会への提案においても、再稼働そのものに反対しているわけではなく、将来的な脱原発を主張しているにすぎない。そして、大阪維新の会の国政進出に向けて、反原発運動の高揚を政治利用しようとしているだけなのだ。彼らが国政に進出したとき、一夜にして原発の維持・推進へと変貌することも十分にありえることなのだ。橋下・大阪維新の会への期待と幻想は徹底して反原発運動の中から一掃されていかねばならない。また、橋下と同列に論じることはできないにせよ、嘉田・滋賀県知事や山田・京都府知事なども最終的には再稼働を容認した。反原発運動の高揚のなかで、再稼働をめぐって周辺自治体の議会や首長が簡単には容認を表明できない状況があるなかで、これらの議会や首長への広義の意味でのロビー活動が一定の重要性を持つことは事実である。しかし、いささかもそこに幻想を持つことはできないこと、直接行動を含む徹底した大衆闘争こそが基軸であること、このこともまた大飯原発再稼働阻止闘争のなかであらためて明確になった。
 大飯原発再稼働阻止、大飯を突破口とした全国の原発の再稼働と対決し、野田政権を打倒する全人民政治闘争の巨大な高揚をつくりだそう。



 

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