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■女性は原発―核政策を許さない 分断許さず解放の道を進もう 東日本大震災と福島第一原発事故は、政府・東電の無策・無責任によって、女性たちにさらに多くの犠牲を強いることとなった。福島では、女性たちが立ち上がり、つながりあって、自らと家族の生命と生活を守るための闘いを継続している。福島の女性たちと連帯して、「自己責任」という名の棄民を許さず、一切の責任を政府・東電に取らせよう! 先行きへの不安と不満が強まる中で、いっそうの排外主義煽動が吹き荒れている。やつらが標的にするのは、常に社会的弱者、女性やマイノリティである。女性たちの間に持ち込まれる分断と敵対を許さず、女性解放の勝ち取られた地平を守るため、差別・排外主義と闘おう! 沖縄では、人々の反対の声を圧殺する形で、周辺住民の生活と生命を脅かす米軍の新基地建設が強行されようとしている。戦争と軍事基地こそ私たちの脅威であり、女性差別を拡大するものにほかならない。反基地を闘う沖縄の人々と連帯し、「本土」で反基地の声を大きく組織しよう! 今こそ、分断された女性たちのつながりを作り出す、国際主義につらぬかれた反帝女性解放闘争を大きく組織しよう! ●1章 被害・被曝を放置、女性への押し付け許すな 二〇一〇年三月十一日に東日本全体を襲った大震災は、人々に多くの犠牲を強いた。一万五千人以上もの尊い命が奪われ、三十万人以上の人々が避難生活を強いられたまま年を越した。 震災後一年が経過したが、被災地の復興にはいまだ長い時間がかかる。がれき撤去などは進みつつあるが、これまでにないがれきの規模と福島第一原発の放射能被害によって他県の受け入れが難航していることから、がれきの処理は遅れている。 行政による街の再建計画も明確にされない中で、被災者・被災企業の再建もまた足踏みを強いられているケースが増えている。 地震と津波の恐怖の記憶や大切なものを一瞬にして失った喪失感、自責の念にさいなまれ生活の再建への一歩を踏み出せずにいる人も多い。 国・県などによって復興・生活再建に向けた被災者・被災企業向けの様々な助成が行われてはいるが、既存の枠組みでは全てのケースに対応することができず、同じように被災し生活の再建を目指しているのに、そのための助成には大幅な格差が生じてしまうといったケースも多く、被災者の間での不公平感が強まってきている。 被災者の生活再建の道程はいまだ厳しく、先の見えない不安は増すばかりとなっている。とりわけ生活再建の礎となる雇用の面でも女性にとっていっそう厳しい現実となっていることが明らかとなっている。 昨年九月の時点でも、宮城県ではハローワークを通じて再就職が出来た人は求職者のおよそ二割にしか満たない。宮城労働局はその要因として、沿岸部で鉄道などの公共交通機関が復旧していない現状では、既婚女性の場合、夫や子どもが自家用車を優先的に使わなければならないケースが多く、遠距離通勤が困難なため、その九割が転居を伴わない「現在の居住地から通える範囲」での就業を希望している。しかし、企業が完全な事業再開に至らない中でこれを満たす求人案件は著しく少ないことを挙げている。 また、震災前は水産加工会社などで働いていた女性の多くが会社の送迎バスを利用してきたが、「被災した企業にそうした余裕がない」ことも影響しているという。もともと震災復興がらみの仕事は土木・建設・警備などの肉体労働が多く、雇用形態も短期や期間社員などの不安定なもので、これも女性の就職難に拍車をかけている要因だ。 昨年十一月の被災三県の失業手当受給者は女性が三万七千六百一人と、男性(二万六千六百三十一人)の約一・四倍に達する。その失業保険もその多くが今年の一月から二月で給付期間を過ぎ、仕事に就けぬまま無収入状態になる人は毎月数千人単位に上るとされている。 昨年六月という早い段階で大震災で被災して生活に困った女性を売春させた容疑で東京都江戸川区の男性三名が逮捕されるというニュースが流れた。生活基盤が一瞬にして壊され、突如貧困状態に叩き落とされ、その上より安定した再就職の道が開かれない以上、多くの女性たちは更なる過酷な労働条件の下に引きずり出されるしかない。 加えて、福島第一原子力発電所の事故が更に多くの、そして甚大な被害を女性たちに与えている。史上最も深刻とされるこの事故は未だ収束の目処も立っていない。十二月十六日に政府は「事故収束」宣言なるものを出したが、実際は内部がどうなっているかさえ把握できていない状態であり、放射性物質は拡散を続けている。 そんな中、文部科学省の「年間線量の上限二十ミリシーベルト」の設定によって、むちゃくちゃな環境の中で福島の子どもたちは生活を余儀なくされている。低線量被曝は子どもの甲状腺ガンや女性の乳がんの発症率を上げることが統計的にも明らかとなっている。高い空間線量に加え、食物や水の摂取による内部被曝がどれだけ進行し、この先どのような被害が及ぶのか、現段階でわかっている者は一人もいない。 福島では「がんばっぺ福島」がことさらに叫ばれ、スーパーでは「地産地消」「福島の農民を支える」を名目に福島県産の食品が並べられ、学校給食でも福島県産のものが使われているという(市によって住民の強い要望により国の基準値よりは低い基準値による給食が実現している)。 確かに、今回の原発事故によって福島の農業・畜産・漁業などの第一次産業が受けた打撃は想像を絶する。が、実際に現在も放射性物質は拡散を続けており、ざるのような検査方法では、どれほど食品の安全が保持されているのかは疑わしいのであり、福島県産の食品を敬遠することは「風評被害」などでは決してない。 子どもを、特に幼い子どもを抱える母親にとって、高い線量のもとでの生活を余儀なくされているのであれば(そうでなくても)、汚染されているかもしれない食品を子どもに与えることに躊躇し回避しようとするのは当然であり、福島のお母さん達の間では福島県産以外の食品の入手先の情報交換が日常的な話題にまでなっているという。 しかし、だからといって福島の農家を見殺しにしろというのでは決してない。自分たちが引き起こしたことの結果でもないのに、消費者に安心しておいしく食べてもらえる生産物を出荷できないという生産者の苦悩と痛みもまた深いものであるだろう。放射能汚染は原発政策を強力に推し進めてきた中曽根時代からの自民党政権とそれにくっつき甘い汁を吸い続けてきた東電の責任であり、食品の安全に疑問を持たざるを得なくなったのは必要な情報すらひた隠しにし根拠もないまま「安全だ」と繰り返し、いかに安くあげられるかで決めたような「安全策」しか取ろうとしない民主党政権の責任である。であるならば、農家を支え、農業を見殺しにしないための策は、民衆が、そして子どもが体内被曝の危険にさらされながら「食べて支える」のではなく、政府・東電による完全な賠償によってなされるべきものなのである。 しかし、子どもを抱える女性たちは事故当初から政府・東電の無策・無責任の犠牲となり、子どもへのその責任の一切を負わさることとなった。まさに人災としか言いようが無い。子どもの健康と生命を守るために、隠される情報を必死に集め、常に「自己責任」の名の下に決断を迫られ、家族や友人・地域といったつながりからの分断・孤立さえ余儀なくされている。女性たちが抱えさせられている重圧と不安はどれほどのものであろうか。 今このような極めて苦しい現状の中、そんな女性たちが新たに大きくつながりを作り、子どもと自身を守るための闘いを力強く進めている。 この間福島では、国の責任によって子どもたちを集団で避難させることを要求する「ふくしま集団疎開」裁判や二十ミリシーベルト基準の撤回を求める取り組みが闘われ、十月に行われた経産省前での座り込みやデモには支援を含めて三日間で延べ二千人を超える女性たちが集まった。この福島の女性たちの闘いに全国の女性からの連帯と激励が寄せられ、北海道で、富山で、和歌山で、全国各地で連帯の座り込みが行われた。 また、首都圏を中心に地域の母親たちがつながり、自主的な生活空間における空間線量の測定や行政に対する学校給食の安全確保の要請、除染の要求なども闘っている。反原発・今ある原発の再稼動中止と廃炉の闘いにも多くの女性たちが参加して闘われている。 原発事故の大きな被害は、一部の利益を守るために圧倒的な犠牲を強いられるのはわれわれ労働者階級の人民であること、この社会はわれわれ人民が正当な声を挙げることすら許さず、沈黙を強い、あくまで従順に耐え忍ぶことを求める社会であることを明らかにした。全国の女性たちは家族や自身の生命を守るという視点から立ち上がり、このような現実のあり様を目の当たりにし、一方でより多くの人々との団結を勝ち取ることを通して、「危険や矛盾を誰かに押し付けることで保たれる平穏で豊かな生活」にはっきりと拒否の意を表しはじめている。 経産省前の座り込みを行った「原発いらない福島の女たちの会」の女性たちは絶望や不安や葛藤を抱えながらも、それぞれの立場の違いから生じる分断を乗り越え、避難した人も、しなかった人も、そして全ての女性が共に立ち上がり、座り込もうと訴えた。今なお、原発と放射能汚染は人々に多くの様々な分断を強いているが、この福島の女性たちの地平に学びながら、さらに広範な女性たちの連帯と団結を創造しながら、今こそ負うべき責任を負うべき者に取らせきらなければならない。でなければ、またしても責任の所在はあいまいにされ、同じような悲劇が繰り返されてしまうだろう。 被災地の復興を、一部の大資本や利権屋の食い物とさせず、真に被災した人々のためのものとするために人民による支援を続けていこう。福島の女性たちと固く連帯し、汚染地域からの避難に対する完全な補償・年間線量二十ミリシーベルト基準の撤回を実現しよう。政府・東電に事故責任の一切を取らせきり、全ての原発の廃炉を勝ち取ろう。 ●2章 女性の闘いを憎悪する排外主義運動 長期にわたる不況と失業の増加、格差の拡大、さらに大震災が追い討ちをかける形で起こり、人々が先行きへの不安と不満を募らせ、大きく揺らいでいる今、差別・排外主義の煽動が巻き起こっている。 目立つところでは在特会(在日特権を許さない市民の会)などが跋扈しているが、この団体は表向き「特権」などという言葉を使い、あたかも既得権を持つ既成の権力・勢力に抗うかのように見せかけて、実際には在日や滞日の外国人、それも女性や子どもをねらい、アジア蔑視・敵視をことさらに煽り立てるなど旧来の弱いものいじめ、排外主義でしかなく、主張も言いがかりとしかいえないような中身のないものに過ぎない。しかし、これらの団体の主張がこの不安・不満の鬱積する社会の中で、一定の勢力として存在しうることを許している現実は否定できない。どころか、アジアへの蔑視、特に中国や韓国・朝鮮民主主義人民共和国への憎悪ともいえる偏見と蔑視はかなり広範に薄く広まってきているように思われる。 ネット上などでは、歴史修正主義の作り出すデマがあたかも真実であるかのごとく書き込まれ、「チョン」や「シナ」(ママ)といった蔑称までが公然と使われて、「日本から追い出せ」「殺せ」とヘイトスピーチが撒き散らされている。震災時には、「震災に乗じた中国人窃盗団が乗り込んでいる」「在日朝鮮人によるレイプが横行している」「こんな時に悪いことをするやつは日本人じゃない」といった多くの流言蜚語が流された。「がんばれ日本」の裏側で、九十年前の関東大震災時と同様の、まったく目を覆いたくなるような状況であった。 朝鮮学校の高校無償化除外や、各地方の朝鮮学校への補助金カットにみられる行政による差別は、このような民衆の中の排外主義に支えられ、民衆の中の排外主義の潮流もまた差別を公然と行う行政にお墨付きをもらったかのように錯覚することで増長し、官民が相互に後ろ盾となりながら行われるという様相を呈してきている。 また、在特会らはその結成当初から、「慰安婦」問題解決のための女性たちの闘いを敵視し、妨害を繰り返してきた。大阪で行われている韓国のハルモニによる水曜デモに連帯する取り組みも数度にわたって妨害、東京都三鷹で行われたロラネットによる「慰安題」問題に関するパネル展にも会場前や会場の中にまで侵入し、妨害行為を繰り返している。昨年十二月十四日の韓国水曜デモ一千回に連帯する外務省人間の鎖行動にも在特会は登場した。 在特会は「慰安婦」問題を「朝鮮人売春婦の金欲しさの嘘」と規定し、被害女性をおとしめる、聞くに堪えないまさに罵詈雑言をがなりたてる。「強かんは女性への基本的人権の侵害」「被害女性の正義と尊厳の回復、再犯防止のためには責任者の処罰を」といった元「慰安婦」の被害女性たちによる闘いの中で勝ち取られてきた女性解放の地平をまったく無視し否定し、あろうことか、幼い子どもたちに「慰安婦」問題を教えることは「性虐待」だとまでいうのだ。全ての女性に敵対する存在である。 そのようなものたちが旗を振る差別・排外主義は、女性たちの間に分断と敵対を持ち込み、それによって女性たちに自らの尊厳や勝ち取ってきた権利をも放棄させ、貶められるだけの、従順な存在にさせようとする攻撃である。かつて、日本の女性たちは同じような差別・排外主義に屈服し、天皇制家族制度の下で皇国の母として「後方」で戦争を担い、アジア女性への蹂躙を許してしまった。しかし、その戦争によって得たものは何もなかったし、アジア女性への蹂躙はすなわち自身も含めた女性全体への蹂躙であり、女性を軽んじる価値観をこの社会にさらに深く刻んでしまう結果を招いたに過ぎなかった。これまでの女性たちの闘いの地平に学び、勝ち取られてきた成果と団結を守るために、同じ轍を踏むことなく差別・排外主義を許さない社会的な包囲の輪をさらに強めていかなければならない。 朝鮮学校の高校無償化からの排除、都道府県での補助金のカットを撤回させるために在日韓国・朝鮮の人々と連帯して闘おう。日本軍「慰安婦」制度の被害女性(サバイバー)の正義と尊厳の回復への闘いや帝国主義の搾取に苦しむ女性労働者の闘いに共に立ち上がり、アジアの女性たちとの連帯を積み重ね、強めながら、差別・排外主義と対決しよう。 ●3章 女性は反戦・反基地を先頭で闘おう 昨年十一月二十八日に当時の沖縄防衛局長が、辺野古の新基地建設へのアセス評価書提出について年内提出実施の明言を避けているのはなぜか、と問われたことに対し「犯す前にこれから犯しますよと言いますか」と述べた。まったくもって許すことの出来ない差別発言である。 この発言で田中防衛局長は更迭となったが、この発言は日本政府、防衛省が沖縄への米軍新基地建設がまったく正当でないことを自覚しているにもかかわらず、確信犯として強行しようとしていることを明らかにしている。 そもそも普天間返還問題は九五年に起こった米兵による少女への性暴力事件に端を発する。にもかかわらず、このような犯罪行為になぞらえるような発言がなされるという、その無神経さにはあきれてものも言えない。 これに関連して、当時の防衛大臣一川保夫は九五年の少女暴行事件について「詳細には知らない」と答弁した。まさに、日本政府の沖縄の現状に対する無知、沖縄への差別意識・支配意識がこれらの発言をなさしめたといえるだろう。防衛局長の更迭などで済ませられる問題ではない。 沖縄では、これまで多くの女性たちが米軍基地があるが故の性暴力・生活破壊・騒音被害などの基地被害によって苦しめられ、犠牲を強いられてきた。米兵はフェンスの内外を自由に行き来し、犯罪を犯しても日米安保・地位協定によって守られ処罰されることはない。沖縄の人々にとって毎日の通学路や通勤路、はては自分の家の中でさえ安心できる場所はないのだ。 米兵による事件・事故が繰り返される度に沖縄の女性たちは糾弾の声をあげ、悲劇が二度と繰り返されないことを切実に求めて闘ってきた。しかし、そのような人々の切実な願いが、そして安心して暮らすことができるという当然の権利が何度となく踏みにじられてきている。沖縄の人々はもはや自分たちを守るためには基地の撤去しかないことを知っている。 同時に、米兵による性暴力事件が起こるたびに繰り返される被害女性へのバッシング、セカンドレイプに対しても激しい怒りが燃えている。基地を押し付けられ、日米安保や地位協定が住民よりも米軍を守り、安心していられる場所もなく、被害に遭っても泣き寝入りと沈黙を強いられている沖縄の現状を省みることなく、「日本に米軍基地は必要だ」と簡単に言い捨て、被害女性に責任を押し付けるような言説が平然と行われることに対して、沖縄の人々は「被害女性へのバッシングは、全てのウチナンチュに投げつけられているものだ」と受け止め、被害女性とその家族に何よりも思いを寄せて闘っている。 このような基地の被害と女性の人権の蹂躙は、沖縄だけの話ではない。岩国でも神奈川でも、韓国でもフィリピンでも軍事基地のあるところどこでも起こっている。私たちの暮らしと軍事基地は絶対に共存することはできないのだ。 また、ひとたび戦争となれば、さらに女性への人権侵害は拡大していく。元日本軍「慰安婦」のサバイバーの闘いは、戦争は女性に犠牲を強いるだけであること、そして軍隊による女性への差別・暴力・人権侵害への不処罰がまかり通る限り悲劇は繰り返されることを明らかにした。二〇〇〇年代に入って拡大し続けた対「テロ」戦争でも、米軍の「テロ」掃討作戦の名の下で、女性や子どもまでが拘束され、悪質な性拷問が行われたり、強かん事件が頻発した。戦争の一手段として性暴力が行使され、劣化ウラン弾などによる環境汚染が女性の生命と健康を破壊し、その被害は深い傷を残している。 戦争と女性差別、軍事基地と性暴力の問題は、長い間闇に葬られてきた。多くの女性たちが沈黙を強いられ、それによってさらなる悲劇が繰り返されてきた。元日本軍「慰安婦」のサバイバーをはじめとする被害女性たちの勇気とそれを支える多くの女性たちの闘いによって、この問題はようやく明らかとされてきたが、その闘いの地平も今差別・排外主義煽動の逆風にさらされている。 女性に犠牲を強いるだけの戦争と軍事基地に反対し、沖縄・岩国・神奈川などの粘り強く反基地を闘う人々と連帯して闘おう。アジア・中東諸国に基地被害と戦争を押し付ける米軍再編を各国の女性たちとの国際連帯で打ち砕こう。そして戦争体制を支えるために被害女性をさらにおとしめるバッシングを許さず、軍隊による性暴力への不処罰の連鎖を断ち切り、被害女性の尊厳の回復を勝ち取ろう。 ●4章 女性の貧困を労働者の団結で打ち砕こう 厚生労働省の調査によると、全国民の中での低所得者の割合や経済格差を示す相対的貧困率が二〇〇九年に16・0%となり、一九八五年以降で最悪となった(前回調査は〇六年で15・7%)。 一人暮らしの女性世帯の貧困率は、勤労世代で32%、六十五歳以上では52%と過半数に及んでいる。また、十九歳以下の子どもがいる母子世帯では57%で、女性が家計を支える世帯に貧困が集中している。いまや勤労世代(二十〜六十四歳)の単身で暮らす女性の三人に一人が貧困状況にある。年々増加の一途をたどる貧困層だが、単身女性がその最大の部分を形成しているのだ。 労働者の年収をみてみると、さらに女性の貧困状況が裏づけられる。全女性労働者の平均年収は二百六十九万円で、三百万円台以下が66・2%にまで達している(図一)。全ての年代で平均年収は三百万円を超えない。男性平均と比べるとどの年代でも男性の半分かそれ以下とされており、最も開きのある五十〜五十四歳では、女性平均二百八十三万円に対して男性平均六百四十九万円で、三百六十六万円もの開きが生じている。 このように女性の貧困の問題は、女性への労働における賃金格差・差別的雇用形態の問題だともいうことができるだろう。 女性の非正社員勤務者の比率は二〇〇三年以降過半数を超え、二〇一一年には54・6%と過去最高を更新している。男性の非正社員勤務者の割合(20・1%)よりも圧倒的に高くなっている。 歴史的にも女性労働者は六〇年代からパート労働という形態で低賃金・無権利、不安定労働を定着させられてきたが、格差社会が深化する中で、二〇〇〇年以後、女性の非正規内部の構成も変化した。これまで非正規雇用の最大の雇用形態だったパートタイムにかわり、急増しているのが派遣・契約・嘱託社員等という雇用形態だ。 例えば、契約社員には二つのタイプがあり、その一つは正社員が従事していた業務のうち、定型的な業務に近いものを契約社員に担当させるというものである。これまで女性正社員が担当してきた業務を切り替えたものであることから、正社員と職務の内容・範囲・責任等があまり変わらないのに処遇は低く抑えられているという典型的な例である。つまり、景気悪化の下で、リストラの最も大きな標的となったのは女性正社員であり、その穴埋めにさらに安価な労働力として導入されたのもまた女性労働者だったということである。 また、非正規雇用の場合、正規雇用に比べ勤続年数が短くなる傾向にあり、長期勤続を通した職務経験の蓄積や職業能力の形成も困難で、非正規の雇用形態から正規雇用に転職できる割合は極めて低い。女性の非正規雇用化は、同時に労働者全体の非正規雇用への固定化につながっているのだ。 しかし、正社員の間でみても男女の賃金格差は歴然としてある。勤続年数が長くなるほど男女間の賃金格差が生じている。それは、男性は勤続年数が長くなるほど職階が高くなるという関係が顕著であるのに対して、女性にはそれがないことがあげられる。二〇一〇年の調べでも係長相当職以上の管理職全体に占める女性の割合は8・0%で、女性管理職のまったくいない企業は23%、従業員一千人〜四千九百九十九人の企業では一割にも満たない5・0%という低い水準に止まっている。 勤続年数三十年以上の正社員であっても、その平均年収は男性の七百四十六万円に比べて五百四十七万円と低く抑えられている(図二)。正規・非正規、長期・短期にかかわらず、女性であることで賃金格差が生じているというのが実状だ。 崩壊しつつある資本主義・帝国主義は、自らの延命のためにさらなる搾取を労働者階級全体に強いてくるだろう。これまでの安定的支配さえ投げ捨て、女性労働者のみならず、国際的な労働力の流動化を進め、いっそうの低賃金競争を加速させていく。女性労働者の置かれている現状は、労働者全体の遠くない将来の姿を示しているのだ。女性労働者の差別賃金・差別的労働条件と闘わない限り、男性労働者の労働条件もまた切り縮められていくばかりである。事実、若年層の男性の非正規雇用比率も年々増加の一途をたどり続けている。 女性や外国人、日系企業の海外工場の現地労働者など、より過酷な搾取に直面する労働者を軸にすえた労働運動が必要である。資本主義・帝国主義の下、最も過酷に搾取・抑圧されてきた女性が、階級闘争としての労働運動の必要性をしっかりと確認し、先頭で闘おう。 ●5章 女性解放の道と共産主義運動 資本主義にとって不可欠な存在である労働者の供給を実際に直接担っているのは資本家などではなく労働者家族であり、家庭内の女性の無償労働こそが労働力の再生産を担っている。逆に言えば、資本主義・帝国主義は自らが存立するために必要な労働力の再生産を安価で面倒なく行わせるために、女性を生産における主軸的位置から排除し、家庭内の一切を負わせたのだ。 さらには、女性を低賃金で、しかもいつでも切り捨てることのできる労働力の調整弁として極めて強権的に収奪・搾取する対象としてきたのである。 日本においても当然同様である。マルクス、エンゲルス等が明らかにしたような「私有財産の発生以来の女性の男性への従属」や資本制社会の成立に伴うブルジョア的単婚制の成立、女性の家事育児労働への陥し込め(家内奴隷化)、女性の子生み道具化、女性の低賃金労働者としての労働市場への引き出し、女性の性そのものの商品化といった、帝国主義の普遍的なもろもろの規定が、日本独特の構造をもって実現されてきたのである。 資本主義・帝国主義とはまさに1%の少数者による99%の圧倒的多数者に対する暴力による搾取と支配である。女性差別を含む、あらゆる差別はこのような搾取と支配のシステムを維持するのに不可欠であるためにつくり出されてきた。ブルジョア的民主主義はこのような暴力的な支配と差別を覆い隠すものだった。権力は巧妙に民主主義という目隠しを使いながら少数者の利害を体現した政治を強行してきた。しかし、現在その資本主義・帝国主義自体が世界的に破産し、存亡の危機に立たされる中で、更なる搾取と抑圧を強めようとしている。そのためにはこれまでの目くらましであった民主主義ではもはや効かなくなり、より悪辣な差別・排外主義が手段として使われている。 女性に対する差別の物質的根拠、元凶を私有財産制と家族制度、その下での女性の性の商品化と家庭内における無償労働だとしたマルクスやエンゲルスは、私的所有の廃止とともに社会の経済単位としての家族は廃止され、現在のような各個分立した家内経済は共同の家内経済に置き換えられ、家事労働や子どもの扶養・教育は個別家族から社会の手に移されるであろうと語った。 このことを実現するための具体的な解放政策がロシア革命の中で試みられている。 ソビエト政権による最初の家族法典(一九一八年)では、両親や教会の影響を排した婚姻や離婚の自由の確立、嫡出子と非嫡出子との完全な同権、母親が父親に対して子の扶養料を請求する権利などが打ち出された。具体的な政策としては、従来個々の家庭で母親が受け持っていた生活面や教育面の仕事を共同社会に移行させるために共同住宅・共同炊事場、公共の食堂、洗濯場が建設された。女性の産前産後の有給休暇、若い母親への手当ての支給、託児所や母性診療所の建設など、出産や育児の権利を保障するための母性保護にも務めた。 他にも、職業教育訓練や収入のない女性への援助なども行われている。それまでの帝政ロシアでは圧倒的多数の女性が完全に家父長制の隷属状態におかれており、世界的に見れば女性の参政権すらない時代の政策である。どれほど画期的な政策であったかわかるだろう。現代の日本社会ですら実現されているのはほんの一部に過ぎない。逆に言えば、女性を貶め苦しめる社会のあり様は、この当時からあまり変わっていないともいえるのではないか。 残念ながら、これらの画期的な女性解放政策はその後のソビエト内外の様々な理由により中断されてしまった。しかし、革命ロシアにおける女性革命家によって提起されたこれらの取り組みは、現在のわれわれ女性たちにも「差別のない、解放された社会」が実現できるかもしれないという希望と可能性をはっきりと示すものだ。 また、わが党は女性解放闘争を国際主義に貫かれたものとして闘い続けてきた。韓国・フィリピンをはじめとするアジアの民衆と固く連帯しながらこの闘いを創りあげてきた。今現在でも、これら各国の女性たちは想像できないほどの抑圧と暴力に命をさらされながら、闘いつづけている。 韓国では、李明博政権による弱者切り捨て、労働者の全ての権利を剥奪するかのような労働政策、アメリカ政府に協調し推し進められる米軍基地拡張建設と米軍による無法の中で、多くの犠牲を払いながらまさに人間としての尊厳を守るための体を張った闘いが粘り強く闘われている。 フィリピンでは、アロヨ政権による労働運動・農民運動の活動家への拉致・拷問・暗殺の横行が記憶に新しい。アロヨ政権からアキノ政権へと変わっても圧倒的な貧困の中、外貨獲得のために国内では労働者は多国籍資本による欲しいままの搾取にさらされ、そこからさえ排除された男性・女性を問わない多くの若者が、国からの何の援助も保護もないまま海外への出稼ぎ労働者となる現状は変わっていない。 このような中で闘う各国の女性たちとの真の連帯は、彼女たちにとっても抑圧者として存在している日本の帝国主義をその足元で実力で打倒する闘いに立ち上がり、ともに闘ってこそ築くことができるのだ。 女性の差別からの解放が階級としての労働者全体の解放の中からしか展望できないことを、今ほど示す時代はない。暴力的な支配と搾取の社会に対置し、展望を示すことができるのは、人々の協働とあらゆる差別を排した政策によって人々の尊厳が守られる社会だ。だからこそ、常により過酷な搾取と抑圧と差別に苦しめられてきた女性が、女性こそが資本主義・帝国主義の打倒と、労働者全体の解放・国際主義に貫かれた共産主義の実現を目指すのである。 99%の圧倒的多数者にとって希望のもてる未来と、全ての人間の解放を実現可能な未来として抱ける闘いは共産主義を実現するための階級闘争の中にある。そして、女性同志とともにこの階級闘争を闘う中で、個人的な怒りを階級としての怒りに転化することができるのだ。女性自身がそのような展望をはっきりと抱き、その実現のために団結し、強いられた個への分断を突き破って、自己解放とすべての女性の解放を一体のものとして闘わなければならない。このことによって、さらなる女性たちとの連帯とそれによる勝利・解放を勝ち取ることができるのである。 今、女性にとってさらに困難で生きづらい社会となり、一人一人の抱える苦悩もまた深い。そうであるがゆえに、多くの女性が社会(それは同時にそこで生きる他者)について考え、行動する余裕など持つことができないでいる。 今こそ、そんな女性たちに困難と犠牲を強いているのは帝国主義であることをはっきりと指し示し、立ち上がらせ、分断された女性たちのつながりを作り出す運動が求められている。帝国主義と真っ向から闘う女性解放運動を組織していこう! 女性たちの連帯を勝ち取り、解放の勝利をつかみ取ろう! |
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