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■全ての原発を即時停止し、廃炉とせよ! 6・11全国100万人行動に総結集しよう 階級的立場に立つ反帝国際主義派の闘いを 福島原発事故は、なお危機的な事態にあり、放射能被害がますます拡大している。われわれは、『戦旗』春期政治基調において、この事態の一切の責任が政府および東電にあり、政府・東電の対応が原発事故による被災をさらに拡大してきたことを厳しく批判した。これを前提として、この論文では原発建設の推進という国策を批判し、すべての原発の即時停止・廃炉にむけて全人民政治決起を全力で組織していき、福島原発事故を脱原発社会への歴史的な転換点としていくことを提起する。そして、この全人民政治決起のただ中において、反原発のたたかいと帝国主義批判・資本主義批判を結合させ、反帝国際共同闘争へと高めあげていくために努力することによって、階級闘争の立場から全力でたたかいを発展させていくことを呼びかける。 ●1章 核武装の準備と結びついた原発建設 東北地方太平洋沖で大地震が発生し、深刻な原発事故が発生する危険性については、反原発運動や良心的な研究者などが以前から指摘してきた。そして、政府内でも二〇〇九年六月の経済産業省の審議会において、大地震と津波によって原発事故が発生する可能性が指摘されていた。しかし、政府・東電はこれらの批判や指摘を黙殺し、ついにチェルノブイリ原発事故とならぶ世界最悪の原発事故に至った。福島だけではない。これまでも全国各地の原発において無数の事故が発生してきたにもかかわらず、政府・電力独占資本は情報を歪曲・隠蔽し、「原発は安全だ」と御用学者やマスコミを総動員して宣伝してきた。そして、何があろうとも原発建設を国策として推進しようとしてきたのだ。この原発の推進という国策が正面から批判されねばならない。 そもそも原発は、核兵器開発の副産物である。一九三八年に発見されたウランの原子核分裂は、ただちに原子爆弾の開発へと転化され、一九四五年の広島・長崎への原爆投下へと至った。アメリカで世界で最初の原発が建設されたのは、その六年後の一九五一年であった。原発建設の目的は、核兵器開発の技術的・産業的基盤を形成するとともに、将来のエネルギー政策の基軸のひとつとしていくことにあった。その二年後の一九五三年十二月、当時のアメリカ大統領のアイゼンハワーは、「アトムズ・フォー・ピース」と呼ばれた国連演説を行った。それは核兵器を米ソ二超大国が独占・管理し、それ以外の国については「原子力の平和利用」に限って核開発技術の援助を行うという方向を明確にするものであった。その目的は、急速に核兵器の開発を進める米ソが激しく対立するなかで、原発建設のための核開発技術の援助と引きかえに、アメリカの世界的な対ソ核戦争体制に西欧諸国や日本などを組みこんでいくことにあった。この国連演説以降、世界のいくつもの国で原発開発が開始されていく。 アメリカは、日本政府に対しても原発開発をはたらきかけた。当時の日本では、米ソ核戦争の危機の高まりのなかで、広島・長崎の被爆経験を基礎に反核運動が高揚しつつあった。軍事占領の終了後も核武装した米軍を日本に駐留させ、ソ連と軍事的に対峙しようとしていたアメリカは、原発の開発を持ち込むことで日本人の「核アレルギー」を解体し、アメリカの対ソ核戦争体制に日本を組みこみやすくしていこうとしたのである。このような世界的な状況のなかで一九五四年三月、ビキニ環礁でアメリカが水爆実験を強行した。この水爆実験による第五福竜丸の被爆が日本に伝わる直前に、日本で最初の原子力関連予算が成立した。そして、一九五五年十二月十九日に原子力基本法が制定され、日本政府は本格的に原発開発に向かっていく。茨城県東海村に建設された日本で最初の原発が営業運転を開始したのは一九六六年であった。 こうして開始された原発建設の目的は、「原子力の平和利用」を掲げつつ、日本の核武装を準備していくことにあった。この時期、日本の電力資本や産業資本は、原発建設を積極的に推進しようとしたわけではなかった。火力発電や水力発電から原子力発電に転換していく産業的な必然性はなく、原発の建設はぼう大な開発コストや危険性から民間企業が独自に決断できることではなかったからであった。しり込みする電力資本を抑えて原発の推進を国策として確立していったのは、政府と保守政治勢力であった。原子力基本法の制定に至る初期の過程を推進したのは、元A級戦犯で初代の科学技術庁長官に就任した正力松太郎(元読売新聞社主)と、元青年将校で後に首相となり、日本を「浮沈空母」にすると唱えて日本の戦争国家化を推進した中曽根康弘であった。これらの最初の推進者からも明らかなように、日本における原発の開発は、その最初から核武装を展望して開始されたものであった。すなわち、原発建設を通して核武装のための技術的・産業的基盤を形成し、プルトニウムの備蓄など核武装の準備を推進していくことにあった。政府もまた、「非核三原則」を掲げつつ、核武装の可能性について否定してこなかった。「必要最小限の防衛的なものであれば、核兵器の保持も憲法において禁止されていない」(一九六〇年岸内閣)というのが公式の見解であり、この政府見解は現在に至るまで変更されていない。 一九六九年に外務省が作成した極秘文書「わが国の外交政策大綱」では、「当面核兵器を保有しない政策はとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャル(能力)は常に保持するとともに、これに対する掣肘(せいちゅう)を受けないように配慮する」としている。すなわち、いつでも核兵器を製造できる準備をしておくとともに、それを「原子力の平和利用」の枠組みですすめることによって、国際的な非難をあびることを回避しようというものであった。防衛庁(当時)の安全保障調査会が一九六八年と六九年に公表した核武装についての報告書は、さらにあからさまであった。この報告書は、ウラン資源の乏しい日本ではプルトニウムを用いた核兵器が適切だとか、保有する核兵器は周辺諸国に脅威を与えるような攻撃的兵器でなければ意味がなく、核弾頭を搭載するミサイルの開発が不可欠だとか、すさまじい内容のものである。この報告書では核武装と原発の関係について、「ウラン238に中性子を吸収させてプルトニウムをつくるには、特別の施設は必要としない。平和利用目的に使用されている通常原子炉の運転方法を変更するだけで容易に達成できる」とし、民間の発電用原子炉の使用済み燃料からプルトニウムを抽出する方法が最も優れているとしている。確かに、ウラン埋蔵量の少ない日本では、核武装のためにはプルトニウム239の核分裂を利用した原爆の方が製造しやすい。しかし、「非核三原則」を掲げた日本では、公然と核兵器のためのプルトニウム製造工場を建設することはできない。それゆえ、原発でウラン235を核分裂させ、その使用済み燃料棒を再処理することによって原爆で使えるプルトニウム239を抽出し、濃縮することが不可欠となる。さらに「もんじゅ」のような高速増殖炉を使えば、核兵器にそのまま使えるような高純度のプルトニウム239を大量に製造することができる。こうして日本は、四千発の原爆を製造できる三十トンのプルトニウムをすでに備蓄しているのだ。 原子力について、その軍事利用が核兵器の製造であり、その「平和利用」が原発の建設であるという区分は成立しない。原発の建設と核武装の準備は最初から結びついたものだったのだ。政府は、「原子力の平和利用」と称した原発推進のなかに、核武装のために必要なプルトニウムの製造や核分裂の制御技術の獲得などをシステムとして組み込み、いつでも核武装できる準備をすすめてきたのだ。 ●2章 原発を軸にしたエネルギー政策と官産学複合体の形成 こうして核武装の準備として開始された原発建設は、一九六〇年代からの高度経済成長や一九七二年の石油危機をへるなかで、日本のエネルギー政策の基軸となっていった。石油危機は、日本の帝国主義ブルジョアジーにとって、中東などから輸入する石油に過度に依存したエネルギー政策からの転換を迫る事態であった。増大するエネルギー需要と石油危機に直面し、政府は原発建設にのめりこんでいく。とりわけ、七〇年代後半から八〇年代には、毎年一基から四基の原発建設に着工した。 この過程で、日本においては原発を推進する巨大な官産学複合体が形成されていった。戦後の日本の電力産業は、東京電力・関西電力などの九つの電力独占資本が、それぞれの地方において発電と配電の両方を独占的に支配する体制へと再編された(一九七二年以降はこれに沖縄電力が加わる)。最近では、原発一基の建設費は、最高で四千億円〜五千億円となっている。この巨額の建設費は、総括原価方式という電気料金のシステムのもとに、3%の報酬率を上乗せする形ですべて電気料金に組みこまれる。すなわち、電力独占資本は原発を建設すればするほど儲かる仕組みとなっているのだ。そして、この巨額の建設費や毎年五千億円前後の原発関連の政府支出が、三菱・東芝・日立などの原子炉の製造を請け負う独占資本、さらに原発建屋建設やインフラ整備を請け負うゼネコンなどにばく大な利益をもたらしてきた。 また、これらの電力独占資本や原子炉建設を請け負う独占資本などに、政府の高級官僚が次々と天下りしていった。五月二日に公表された経済産業省の調査報告においてすら、この五十年間に経済産業省の高級官僚六十八人が電力会社に天下りしているとされている。経済産業省、そして原子力委員会や原子力安全・保安院などの政府関連機関も東電など電力独占資本と深く結びついていった。 さらに、各電力独占資本は、大学の研究室やさまざまな民間の研究所などに資金を提供し、原発推進の立場に立つ学者・研究者をぶ厚く育成してきた。東電は、東大工学部の現在開設されている寄付講座だけで約六億円の資金を提供している。九つの電力独占資本が、全国各地の大学・研究所に注ぎ込んできた費用はどれほどの巨額なのか。福島原発事故以降、毎日のようにマスコミに登場し、政府・東電の代弁者であるかのように「安全だ」「ただちに健康に影響はない」とくり返してきたのは、これらの東電をはじめとした電力独占資本に買収された御用学者たちなのだ。こうして利権によって結びついた巨大な官産学複合体が形成されていった。この官産学複合体が、国策としての原発建設を政府と結びついて推進してきたのだ。 この官産学複合体にマスコミもまた組み込まれてきた。各電力独占資本は湯水のように巨額の広告料を支払い、マスコミを買収してきた。電力独占資本や原発関連の諸団体が提供する広告料の総額は、年間千億円に達する。さらに原子力産業関係の企業や研究機関を総結集させた日本原子力産業協会や原子力関連の政府機関の役員にマスコミ関係者が就任することによって、それはいっそう構造化していった。原産協議会の現在の会長は、元経団連会長で日本テレビ取締役の今井敬である。元読売新聞社主の正力松太郎が初期の原発建設を中心的に推進してきたこともあり、日本のマスコミは原発推進派の牙城となってきた。反原発の立場に立つ良心的な研究者はマスコミから徹底して排除され、政府・東電の代弁者である御用学者ばかりがマスコミに登場するのは、マスコミそのものが東電をはじめとした電力独占資本に買収されているからなのだ。 このような官産学複合体が政府と結合して原発建設を推進してきたことが、原発事故が発生する危険性をさらに高めあげてきた。電力独占資本といえども民間企業であり、利潤の獲得を最大の目的とするものである。深刻な事故をおこせば破滅的な事態となる原発を推進しながら、安全性の確保よりもコスト削減・利潤追求を優先させてきたことは、電力独占資本の資本として本性によるものなのだ。福島原発事故への対応においても、そのことははっきりとあらわれた。三月十二日、冷却機能の喪失によって原子炉圧力容器内の温度が急上昇し、もはや海水の注入によって冷却する以外にない事態に直面しても、東電は海水の注入をためらった。元東電役員で原子力委員会の尾本彰は、「東電が注水をためらったのは、資産を守ろうとしたため」だとしている。史上最悪の原発事故に転化していくただ中においてすら、海水の注入によって廃炉となることを怖れ、これまで多額の投資を行ってきた東電の資産の防衛を優先させようとしたのだ。また、福島原発事故への対応において、政府・東電はデータや情報を一部しか公表せず、危機的な事態を隠蔽し、原発事故の深刻さを過小に描き出しつづけてきた。それは今回ばかりのことではない。日本の原発建設の歴史は、まさに無数の事故とその隠蔽、情報操作の歴史であった。官産学複合体は、何があろうとも原発を推進するために、事故が発生しても事実の隠蔽や過小評価を行ってお互いをかばいあい、結果として次のより大きな事故を準備してきたのである。 このような政府と官産学複合体によって推進された原発建設は、一九七九年のスリーマイル原発事故と一九八六年のチェルノブイリ原発事故によって世界的に原発建設が停滞していくなかで、日本においても新規原発の着工が減少していった。この状況が大きく変化していくのは、二十一世紀に入ってからだった。イラク戦争などによる中東からの石油供給の不安定化と石油価格の高騰、中国などBRICs諸国の急速な経済成長による世界的なエネルギー需要の増加、地球温暖化防止のための二酸化炭素排出量の抑制の必要性などに直面して、世界的に新たな原発建設計画が次々と打ち出されていった。スリーマイル原発事故以降三十年間にわたって原発建設を凍結してきたアメリカは、二〇〇八年三月に三十三基の原発の建設を決定し、ヨーロッパ諸国や韓国・台湾などもこれに続いた。中国では、建設中・計画中の原発が七十基あり、二〇五〇年には原発総数を二百三十基まで増加させることを決定した。インドも二〇三二年までに五十基の原発の建設を決定した。いわゆる「原子力ルネサンス(復興)」の到来であった。 世界原子力協会によれば、二〇三〇年までに四百三十基以上の原発が新たに建設され、その直接の建設費用だけで一兆ドル、インフラ整備などを含めれば二兆ドルの巨大市場が形成されると予測された。アメリカ・日本・イギリス・フランスなどの帝国主義諸国は、自国における原発建設を推進するだけではなく、この新たに形成されていく巨大市場の世界的な争奪戦に突きすすもうとしてきた。とりわけ、二〇〇八年九月のリーマンショックによる世界恐慌情勢の継続のなかで、帝国主義諸国はこの新たな巨大市場に希望を託し、世界的な原発建設の拡大を推進しようとしてきたのである。 日本においては自民党政権時代の二〇〇五年十月に「原子力政策大綱」、二〇〇六年六月に「原子力立国計画」が閣議決定された。そこでは、世界が「激しい資源獲得競争の時代」に突入し、原子力を見直す世界的な動きが始まったという認識のもと、@原子力発電によって二〇三〇年以降も発電量の30%〜40%を確保すること、A核燃料サイクルを推進すること、B高速増殖炉の実用化をめざすことを基本目標として掲げ、その実現のためには「中長期的にブレない確固たる国家戦略と政策枠組みの確立」が必要だと強調し、国家の主導によって「原子力ルネサンス」に対応すべきことを提起した。二〇〇九年の政権交代をへて民主党政権が成立するが、民主党政権もこの枠組みを継承した。そして、二〇一〇年六月十八日に「エネルギー基本計画」および「新成長戦略」を閣議決定した。ここにおいて民主党政権は、二〇三〇年までに十四基以上の原発を新たに建設することや原発輸出の促進をうちだし、これらを新たな成長戦略の基軸のひとつとしていくことを明確にした。しかし、このような原発の大増設は福島原発事故が発生しなかったとしてもほとんど不可能であり、核燃料サイクルや高速増殖炉の建設は破綻した状態にある。 現在十三県に五十四基の商業用原発、一基の高速増殖炉原型炉が存在している。北海道泊原発(三基)、青森県東通原発(一基)、宮城県女川原発(三基)、福島県福島第一原発(六基)・第二原発(四基)、茨城県東海第二原発(一基)、新潟県柏崎刈羽原発(七基)、静岡県浜岡原発(三基)、石川県志賀原発(二基)、福井県敦賀原発(二基)・美浜原発(三基)・高浜原発(四基)・大飯原発(四基)、島根県島根原発(二基)、愛媛県伊方原発(三基)、佐賀県玄海原発(四基)、鹿児島県川内原発(二基)と福井県の高速増殖炉原型炉「もんじゅ」である。「エネルギー基本計画」によれば、ここに新たに大間原発一号機、東通原発東北電力二号機、東通原発東京電力一号機・二号機、浪江・小高原発一号機、福島第一原発七号機・八号機、浜岡原発六号機、敦賀原発三号機・四号機、上関原発一号機・二号機、島根原発三号機、川内原発三号機の合計十四基の建設が予定されている。しかし、新たな原発建設は、上関原発のように激しい住民の反対運動に直面した場合はもちろんのこと、周辺自治体との合意の形成などさまざまなハードルがあり、国が決定したとしても簡単に実現できるものではない。二〇〇〇年に白紙撤回された三重県の芦浜原発など、計画されながら中止された原発建設はいくつもある。 核燃料サイクルとは、原子炉の使用済み核燃料棒を再処理することによってプルトニウム239およびウラン235を抽出し、これを原発の核燃料として再利用しようとするものである。プルトニウムの再利用の方法は、ウランと混ぜてMOX燃料とし、通常の原発で燃料として用いる「プルサーマル計画」と呼ばれる方法と高速増殖炉の燃料として用いる方法とがある。いずれにしても、青森県六ヶ所村の再処理工場で使用済み燃料棒の再処理を行うことが不可欠なのだ。しかし、この再処理工場は試運転を開始したものの、たび重なる事故やトラブルのために十八回にわたって完成時期が延期され、現在は二〇一二年完成とされている。それが実現される保障はどこにもない。再処理工場は、使用済み燃料からプルトニウムやウランを抽出していくために、その作業はきわめて危険であり、周辺への放射能の漏出が避けられない。またMOX燃料は、通常のウラン燃料よりもはるかに多くの放射能を発生させ、融点が低いために炉心溶融をおこしやすい。さらに事故をおこした場合には、猛毒のプルトニウムを飛散させるという危険きわまりないものなのだ。 高速増殖炉では、燃料に核分裂するウラン235・プルトニウム239と核分裂しないウラン238を混合したMOX燃料を用いる。そして、核分裂反応によって発生した高速の中性子がウラン238に吸収され、プルトニウム239に変化する。こうして高速増殖炉は、燃やしたウランやプルトニウムよりもはるかに多くのプルトニウムを生成できることから、一時期「夢の原子炉」などともてはやされたものである。高速増殖炉は、炉心の冷却材に水ではなくナトリウムを用いる。ナトリウムは、水に接触すると爆発・燃焼するきわめて危険な物質である。アメリカ・日本・フランスなどいくつかの国が高速増殖炉の建設を計画化したが、ナトリウムの爆発・燃焼事故がくり返され、日本以外のすべての国はすでに高速増殖炉建設から撤退している。日本で最初の高速増殖炉原型炉として建設された「もんじゅ」も、一九九五年八月の運転開始からわずか四ヵ月後の十二月八日、ナトリウムの漏出による大火災を発生させ、十五年間運転を停止した。「もんじゅ」は昨年五月六日に部分運転を再開したが、八月二十六日に原子炉内中継装置の落下事故が発生し、再び停止している。日本政府がこれほどまでに高速増殖炉の建設にこだわっている理由は、単にウラン資源が乏しいからだけではない。通常の原子炉の運転によって生成されるプルトニウムは原子炉級と呼ばれる純度の低いものだが、高速増殖炉で生成されるプルトニウムは純度が96%以上で、そのまま原子爆弾に使用することができることがある。事実、「もんじゅ」はわずかの運転期間にもかかわらず、この高純度の核兵器級のプルトニウムを約六十キログラム生成したと見られている。 ●3章 すべての原発を即時停止し、廃炉とせよ 福島原発事故は、世界的な「原子力ルネサンス」と称した原発大増設、そして日本における国家戦略としての原発大増設と原発輸出の動きを大きく揺るがす事態となっている。すべての原発は即時に停止され、廃炉とされねばならない。 それは第一に、原発事故を完全になくすことはできず、深刻な原発事故が発生したときには破滅的な結果をもたらすからである。人類の現在の知識と技術では、核分裂反応を完全に制御することはできない。福島原発事故は、そのことをあらためて突きつけた。日本における原発建設の歴史は、無数の原発事故の歴史であったと言うことができる。一九七八年十一月二日、福島第一原発で制御棒の脱落による日本最初の臨界事故が発生し、十一時間三十分にわたって燃料棒の臨界状態がつづいた。東電は、二十九年後の二〇〇七年までこの事故を隠蔽しつづけた。一九九五年には、高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏洩火災事故が発生。一九九九年九月三十日には、東海村JCO臨界事故が発生した。至近距離から大量の中性子をあびた作業員労働者三人のうち二人が死亡、周辺地域に放射能被害が拡大し、事故調査委員会が認定した被曝者だけで六百六十七人に達した。二〇〇四年八月九日に美浜原発蒸気発生事故がおこり、作業中の労働者十一人のうち五人が死亡、六人が重軽傷を負った。二〇〇七年七月十六日には、中越地震によって、柏崎刈羽原発の火災・放射性物質漏洩事故が発生。全七基が損傷して運転を中止した。これより小さな事故は無数にある。 さらに、日本のような地震列島に原発を建設することは自殺行為に等しい。以前から、この三十年以内に東海地震が87%、東南海地震が60%、南海地震が50%の確率で発生すると予測されてきた。また、日本列島の地下には無数の活断層が存在しており、阪神大震災のような直下型地震が発生する危険性も高い。東北地方太平洋沖地震の発生を受けて、多くの地震学者は日本列島全体が地震の活性期に入っており、いつどこで次の巨大地震が発生しても不思議ではないと警告している。そもそも原子炉圧力容器・格納容器は巨大な地震に耐えるように設計されているわけではない。大地震や津波によってであれ、設計・製造過程での誤りによってであれ、それ以外の原因によってであれ、原発事故を完全になくすことはできない。さらに日本の原発の多くはすでに老朽化している。五十四基の原発のうち、運転開始後二十年〜二十九年のものが十八基、三十年〜三十九年のものが十六基、四十年以上のものが三基となっている。老朽化は、原発事故の危険性をさらに高める。原発事故を完全になくすには、すべての原発を即時停止し、廃炉とする以外にはないのだ。 第二には、そもそも原発は深刻な事故をおこさなくとも、作業員労働者の被曝労働と周辺地域の放射能汚染を前提としてしか維持できないものだからである。原発は約一年間運転すると定期点検を行わなければならない。またさまざまな故障に対応していかねばならない。高濃度の放射能で汚染された格納容器内やその周辺での点検作業、除染作業や修理などによって、これまでも多くの作業員労働者が被曝し、白血病などのガンにかかって死亡し、健康を害してきた。このような危険な作業に従事しているのは、ほとんどが東電など電力会社の正社員ではなく、下請け労働者である。それらの労働者はまた、その多くが非正規雇用労働者である。二〇〇九年度では、全国の原発やその関連施設で約八万三千人の労働者が働いており、その88%が非正規雇用労働者であった(二〇一一年四月十日ニューヨークタイムス)。これらの労働者は、放射能の危険性についての知識も与えられず、充分な放射能の防護措置もないままに働かされてきた。まさに使い捨て労働者である。福島原発事故において、作業員労働者は被曝量を測定する線量計すら与えられず、作業に従事させられた。放射能汚染された水の危険性を知らされないままに、長靴もはかずに水にふみこみ、三人の労働者が病院に搬送された。これらの余りにもひどい実態は、特別なことでない。全国各地の原発で、作業員労働者が同じような状況で働かされ、被曝を続けてきたのである。また、原発は日常的に放射能をおびた温排水を海に流しており、周辺の空気や水や土壌を放射能で汚染していく。また、青森県六ヶ所村の再処理工場の建設にあたって、日本原燃は再処理事業指定申請書において再処理工場が日常的に放出する放射性物質の一覧表を記載しているが、それは一日で原発一年分に相当する放射性物質を放出すると批判されているものである。 労働者の被曝労働と周辺地域の放射能汚染を前提としてしか維持できない原発、こんなものにわれわれの社会は依存するべきではない。さらに原発は、大量の放射性廃棄物を生みだしつづける。現在の人類の知識や技術ではこれを処理することはできず、放射性廃棄物は密閉して地中深く埋め、何万年・何十万年も保管していくしかない。しかし、地震や地殻変動は避けられず、これだけの期間、地下水の放射能汚染も引きこさずに安全に保管できることなどありえない。こうして、未来の世代にばく大な放射性廃棄物をおしつけることによってしか原発は維持できないのだ。このような半永久的な地下での放射性廃棄物の保管が困難であることから、政府はモンゴルやさまざまな第三世界諸国に放射性廃棄物処理施設を建設することをもくろんできた。日本の独占資本は、国内では自然環境破壊を抑止するためのさまざまな規制が存在していることから、自然環境破壊を不可避とする工場などをアジア第三世界に移転させていった。放射性廃棄物についても、同じことをやろうとしているのだ。第三世界の労働者人民に、被曝の危険性をおしつけようとする動きを断じて許すことはできない。 第三に、原発は核武装の準備と結びついているからである。すでに述べたように、政府は「原子力の平和利用」と称した原発建設のなかに、核武装の準備をシステムとして組みこんできた。原子力の軍事利用が核兵器の製造であり、「平和利用」が原発だという区分は成立しない。日本の核武装を阻止していくためには、すべての原発を廃炉とし、備蓄してきたプルトニウムを廃棄させることによって、いかに政府が望もうとも核武装が不可能な状況をつくりだしていかねばならないのだ。また、原発は治安管理体制の焦点のひとつであり、平時において情報の秘匿と「原発テロ」に備えた厳重な警備の対象となっている。そして、有事においては「国民保護法制」によって重点的な警備対象とされ、まさに原発周辺地域を戒厳令的な治安弾圧下におくことが計画されている。福島原発事故の発生に対応して、米軍と自衛隊が原発周辺地域を制圧したことは、その一端を示すものであったと言える。 アメリカをはじめとした帝国主義諸国は、原子爆弾を製造することによって、核分裂反応が生みだす巨大なエネルギーを殺戮と破壊のために解き放った。その結果、広島・長崎においてぼう大な労働者人民が殺され、被爆二世・三世をも含めて深刻な放射能被害に苦しめられてきた。旧ソ連や中国などもアメリカに対抗して核武装していった。また、アメリカによるイラク戦争などでの劣化ウラン弾の使用は、その地域において深刻な被曝を生みだし続けてきた。他方で帝国主義は、「原子力の平和利用」と称して、核分裂反応を発電に利用しようとしてきた。現在では、世界の三十を越える国・地域に四百四十基以上の原発が存在している。しかし、現在の人類の知識と技術では、核分裂反応を制御しきれないことも明確になった。事故をおこしていなくとも、原発は被曝労働と周辺地域の放射能汚染を不可避とする。そして、チェルノブイリ原発事故や福島原発事故のような深刻な原発事故が発生すれば、ぼう大な労働者人民が被曝し、とりかえしがつかない事態となる。核兵器の製造であれ原発の建設であれ、それは人類の生存を脅かす。核と人類は共存できない。人類の生存にとって脅威であるだけではなく、核兵器や原発は生態系を破壊し、地球上のすべての動植物にとって脅威となってきたのだ。帝国主義が被爆者を生みだし、生態系を破壊することを絶対に許さない。われわれは、広島・長崎への原爆投下や核実験・劣化ウラン弾の使用を厳しく弾劾し、被爆者解放闘争と結合して闘ってきた。福島原発事故による放射能被害がますます拡大していくなかで、被曝者の苦しみや苦悩は何十年にもわたって続いていく。われわれは被爆者解放闘争と結合し、核兵器の廃絶とすべての原発の即時停止・廃炉を要求する。帝国主義は、発見された核分裂反応を核兵器の製造と原発の建設に転化することによって、災厄のつまった「パンドラの箱」をあけてしまった。共産主義者と先進的労働者人民は、全世界的な階級闘争の力によって「パンドラの箱」を閉め、この地上からすべての核兵器と原発を葬り去っていかねばならない。共産主義運動と労働者人民の階級闘争は、この人類的な課題を自らの課題としていかねばならないのだ。福島原発事故は、このことをすべての共産主義者と先進的労働者人民に突きつけている。 原発をただちに停止し、廃炉にせよという要求に対して、政府・電力独占資本や原発推進派は、原発は30%の電力を供給しており、そんなことをすれば電力が不足すると反論してきた。そこには、発電能力ではなく発電実績だけで論じるという大きなごまかしがある。いま原発をすべて停止しても、日本の電力は決して不足しない。経済産業省の「平成二十二年度電力供給計画」によれば、二〇一〇年の最大需要電力は夏のピーク時で一億六千九百六十五万キロワットであった。それに対して、発電能力は火力発電が一億四千七百四十一万キロワット、水力発電が四千六百七十万キロワット、原子力発電が四千八百九十六万キロワットであり、火力発電と水力発電だけで充分に最大需要電力をまかなうことができる。発電実績において原発が30%の電力を提供しているのは、政府や電力独占資本が原発については稼働率をできるだけ引きあげ、火力や水力については稼働率を低く抑えてきたからである。また、原発は安全性のために常に100%の出力で運転せざるをえず、電力需要に応じた発電量の調整は火力発電・水力発電で行う以外にないからであった。二〇一〇年のそれぞれの稼働率は、原発が70・1%に対して、火力は44・8%、水力に至ってはわずか20・7%にすぎない。夏のピーク時に原発が提供した電力をまかなうためには、火力と水力の稼働率を87%に引きあげればよいのである。日本社会は、現在でも原発に依存しなければ維持できないわけではない。電力不足を理由として、政府や電力独占資本がすべての原発の即時停止・廃炉に反対することは断じて許されない。 このことを前提としたうえで、われわれは再生可能エネルギーを中心としたエネルギー政策への転換を要求する。確かに火力・水力発電によって、現在必要とする電力を供給することはできる。しかし、石炭・石油・液化天然ガスなどの化石燃料を燃やす火力発電は、地球温暖化の原因となる二酸化炭素を大量に排出する。また水力発電のためのダム建設は、自然の生態系を破壊する。太陽光発電、風力発電、潮流発電、地熱発電、バイオマス発電など、再生可能エネルギーを基軸としたエネルギー政策への転換は不可避である。アメリカのシンクタンク「ワールドウォッチ研究所」は、二〇一〇年において世界の再生可能エネルギーの発電設備容量が初めて原子力発電を上回ったと報告している(二〇一一年四月十二日)。また、世界自然保護基金(WWF)は、二〇五〇年までに再生可能エネルギーによる発電によって、火力発電による発電量をカバーすることができるという予測を公表した。世界は、確実に再生可能エネルギーを中心としたエネルギー政策へと向かいはじめているのだ。しかし、日本の現状は惨憺たるものである。電力独占資本十社の二〇一〇年の発電設備構成では、再生可能エネルギーによる発電は1%にも達していない。政府・電力独占資本が、エネルギー政策の基軸を原発におき、再生可能エネルギーの開発にはわずかの投資しかしてこなかった結果である。 また原発推進派は、原発は二酸化炭素を排出しないクリーンな発電であり、地域振興にも寄与すると主張してきた。原発は、確かに発電中に二酸化炭素は排出しない。しかし、そこで働く労働者を被曝させ、周辺の空気・水・土壌を放射能で汚染しつづける。そして、処理できない大量の放射性廃棄物を生みだしつづける。まして、深刻な事故をおこせば、その放射能被害は広範囲に及ぶ。こんなものをどうしてクリーンな発電などと言えるのか。地域振興に寄与するというのもまったくのウソである。原発が立地する地域の多くは、過疎化と高齢化がすすみ、主要な産業であった農漁業・林業が衰退してきた地域である。ここに建設された原発は、何も新しい地場産業などを生みださず、農漁業・林業などの発展にも寄与しない。発電した電力もそのほとんどが都市部へと送られ、原発立地地域には事故と放射能汚染の危険性がおしつけられる。電源三法による巨額の交付金や原発の固定資産税が周辺の地方自治体に入るだけである。こうして地方自治体の財政構造や政策が、原発に依存したものに歪められていく。浜岡原発がある静岡県御前崎市では、一般会計収入約百六十七億円の42・4%が原発関連の交付金である。しかし、この交付金や固定資産税による収入の大幅な増加も一時的なものである。交付金の多くは、原発の着工から運転開始までの期間に支払われる。固定資産税も、原発の減価償却が進むにつれて減少していき、運転開始から六〜七年で半減してしまう。雇用の創出という面でも、建設期間が終われば原発維持のための限られた雇用だけが残ることになる。その結果、いったん原発建設を受け入れた地方自治体は、交付金と固定資産税を新たに確保するために、次々と新しい原発建設を受け入れていくことになる。事故をおこした福島第一原発には、一号機から六号機まで六基の原発が存在し、さらに七号機・八号機を建設する予定であった、限られた地域に原発が集中していくのは、原発が地域振興に役立つからではない。次々と原発の増設を受け入れていかなければ地方自治体が維持できないところにまで、地方自治体が原発に依存した構造に歪められてきた結果なのである。 原発はただちに停止し、廃炉とする以外にない。そうするためには、これまで原発に依存した構造へと歪められてきた地域社会について、雇用の確保を含めて原発に依存しない社会として再生させていくことが不可欠である。国家戦略を背景におしつけられてくる原発建設を拒否するためには、農漁業や林業の再生、新しい地場産業の育成など、原発に依存しない地域社会の再生に向けた無数の努力が必要となる。上関原発に反対する祝島の住民は、原発建設に反対するだけではなく、原発に依存しない地域社会の再生の展望をつくりだしていこうと努力してきた。二十九年以上にわたって上関原発建設に反対してきた「上関原発を建てさせない祝島島民の会」のたたかいの中から、「祝島自然エネルギー100%プロジェクト」が立ちあげられ、そのための「祝島千年の島づくり基金」が発足した。このような地域社会の再生への努力は、新自由主義政策のもとでの地域社会の崩壊・荒廃が広く進行しているなかで、これまで原発を受け入れてきた地域だけではなく、それぞれの地域の条件に合致した形で日本全国の多くの地域で共通に求められていることなのだ。そして、祝島での努力が示すように、再生可能エネルギーを軸にしたエネルギーの地産地消の追求は、このような地域社会の再生のための努力の一部となりうるものなのである。 ●4章 全国百万人行動に総結集し、反原発の全人民政治決起を 福島原発事故は、危機的事態がつづき、放射能被害がますます拡大している。すでに周辺地域の土壌汚染は、チェルノブイリ原発事故を上回りつつある。再度の水素爆発や水蒸気爆発の発生という最悪の事態に至れば、どれほどの放射能被害が生みだされるのか想像もつかない。福島原発事故の収束のために全力を尽くし、放射能被害のこれ以上の拡大を抑止することは、政府・東電の責務である。政府・東電は、福島原発事故のすべてのデータ・情報を公表し、事態の隠蔽と意図的な過小評価をただちに中止しなければならない。いかに危機的事態であろうとも、これほどまでに原発での作業に従事する労働者を被曝させてきたことは断じて許されない。今なお、労働者たちは被曝線量を記録する手帳すら渡されず、内部被曝量をはかるホールボディカウンターでの検査も実施されていない。被曝線量の管理すらできない状況下、労働者は被曝への不安をますますつのらせながら、満足な食事や就寝場所すら与えられないなかで、懸命の作業に従事しているのだ。また大阪の釜ケ崎では、福島県女川市でのトラック運転手の仕事で募集した寄せ場労働者をだましうちにして、福島第一原発敷地内での放射線防護服を着用する作業に動員した例も報告されている。 放射能被害のこれ以上の拡大を抑止するために、政府は恣意的な被曝限度量の引き上げを中止し、ただちに撤回しなければならない。政府は、原発作業員の緊急時の年間被曝限度量を福島原発事故にかぎっては二百五十ミリシーベルトにまで引き上げた。そうしなければ作業員を確保できないという理由からであった。また、これまで年間一ミリシーベルトであった一般人の年間被曝限度量を福島では二十ミリシーベルトにまで引きあげた。さらには、学校の校舎・校庭での子どもたちの年間被曝限度量もまた二十ミリシーベルトとした。いったい何のための基準なのか。なんという恣意的な設定なのか。とりわけ、放射能の影響を受けやすい子どもたちの被曝を避けるために、学校の校舎・校庭での二十ミリシーベルトという基準はただちに撤回されねばならない。このような基準を設定することは、殺人行為に等しい。チェルノブイリ原発事故の経験が示すように、被曝した子どもたちの甲状腺ガンなどの発生率の増加は目に見えている。 「警戒区域」や「計画的避難区域」に指定され、避難を強制されてきた人々は、これまで生きてきた土地に戻れるのかどうか深刻な不安をかかえつつ、避難先での生活を余儀なくされている。これらの区域以外にも、今年の農作物の作付けが禁止された土地、放射能被害によって農作物や生乳の出荷が制限された地域が広がり、海産物からも基準値を上回る放射能が検出された。東北地方の農漁業は甚大な打撃を被っている。このようななかで政府は五月十三日、「東京電力福島原発事故に係る原子力損害の賠償に関する政府の支援の枠組みについて」を閣議決定した。それは、十兆円を越えるとも予測される福島原発事故の損害賠償の枠組み(スキーム)を以下のように設定するものである。すなわち、@原発事故が発生した場合の損害賠償の支払い等に対応する支援組織(機構)を新設する。原発を保有する電力会社九社にこの機構への参加を義務付け、負担金を支払わせる。A東電は、この機構からの支援をうけ、損害賠償を行う。その総額には上限を設けないが、東電を債務超過にはさせない。B東電は、機構に特別負担金を支払うという形で、機構からの支援については長期的に返済する。この閣議決定にあたって、政府は電力会社の負担金・特別負担金について、電力料金に上乗せするべきではないという意向を表明してはいるが、それは強制力を持つものではない。この損害賠償スキームは、結局のところ東電とその大株主・社債権者である金融機関などを救済し、電力料金の引き上げという大衆収奪をもって賠償金にあてるという道を残すものである。福島原発事故の損害賠償にあたっては、まずは東電の資産がすべて提供されねばならない。そして、原発推進の官産学複合体を形成してきた電力独占資本、三菱・東芝・日立をはじめとする独占資本や金融機関にその巨大な内部留保をはきださせねばならない。 福島原発事故と急速に高揚する全国的な反原発のたたかいは、原発大増設と原発輸出を新たな成長戦略の基軸としてきた政府・独占資本の国家戦略を大きく揺るがし、国際的にも大きな影響を与えつつある。これほどの大事故を発生させたにもかかわらず、原発を推進してきた官産学複合体はなお原発の増設をおしすすめようとしている。そして、定期点検や故障によって停止してきた原発を次々と再稼動させていこうとしている。これほど儲かる原発建設はやめられないということなのだ。電力独占資本は三月末、時期を遅らせることはあっても原発の増設計画を維持することを次々とうちだした。東電は、国に提出した電力供給計画において、なんと福島第一原発七号機・八号機の建設を盛り込んだ(さすがに各方面からの批判をあびて撤回したが)。関西電力の八木誠社長も三月二十八日、定期点検で停止中の美浜原発一号機、高浜原発一号機、大飯原発三号機の再稼動、高浜原発三号機でのプルサーマル発電の開始について「粛々とやっていく」と述べ、これまでの計画に変更がないことを表明した。また、中国電力の山下隆社長は三月二十七日、「原発の開発は必要だ」とあらためて強調し、上関原発建設についても「住民に理解してもらえるようにこれまで以上に説明に努める」と表明した。そして、日本経団連の米倉会長にいたっては三月十六日、「福島原発は千年に一度の津波に耐えており、すばらしい」と言い放ち、「原子力行政が曲がり角に来ているとは思わない」と、これからも国策として原発建設を推進すべきだという立場を明確にした。しかし、日本の帝国主義ブルジョアジーの分裂もまた露呈してきている。ソフトバンクの孫正義社長が「自然エネルギー財団」を設立すると宣言し、脱原発の姿勢を明確にしたことは象徴的な事態であった。原発の建設によって、すべての独占資本が巨大な利益を得るわけではない。原発の大増設計画が困難になるなかで、原発推進の官産学複合体に関与していない独占資本のなかから、再生可能エネルギーの開発のなかにより大きなビジネスチャンスを見出し、脱原発の姿勢をとる部分がでてくることは不可避である。 このようななかで菅首相は五月十日、二〇三〇年までに十四基の原発を建設するというエネルギー基本計画について「いったん白紙に戻して議論する必要がある」と表明し、五月六日には「東海地震に対する中長期の対策が完成するまで」という条件つきで、浜岡原発をすべて停止するように中部電力に要請した。しかし、それは浜岡原発を廃炉にすることを意味しない。そればかりか、他の原発の停止へと波及することを恐れ、他の原発は停止しないと強調してきた。菅政権は、福島原発事故が発生した以上、エネルギー基本計画に規定したような原発の大増設が困難になっていることは実感している。しかし、「原子力について言えば、徹底的に検証してより安全な原子力のあり方、これをしっかりと求めて実行していきたい」(五月十日)と述べたように、福島原発事故をのりきり、国策として原発建設を推進するという基本方向を何としても維持しようとしているのだ。 このような菅政権に対して、すべての原発の即時停止・廃炉と脱原発政策への転換を強制していくことができるのは、反原発を掲げた巨万の全人民政治決起だけなのである。日本においても、全人民的な反原発のたたかいが大きく高揚しつつある。六月十一日には、全国百万人行動が呼びかけられている。青年たちをはじめとして、これまで集会やデモに参加したことがなかった多くの人々が、さまざまな創意工夫をこらして街頭に登場し、反原発の思いを表現しようとしてきた。また、東電前や関電前や九電前など全国各地において、電力独占資本への抗議行動が毎日のように組織されてきている。現在の局面における先進的労働者人民の第一の課題は、このような反原発の全人民政治闘争を全力で推進していくことにある。そのために、全国・各地方において最も広範な共同行動が組織され、反原発を掲げた統一戦線が形成されていかねばならない。六月十一日の全国百万人行動の成功を全力でかちとろう。そして、首都圏における浜岡原発を廃炉に追い込むたたかい、関西における福井原発と「もんじゅ」を廃炉に追い込むたたかい、西日本における上関原発建設を中止させるたたかいなど、各地方におけるたたかいを断固として推進していこう。 第二の課題は、このような全人民政治闘争のただなかにおいて、階級闘争の立場にたつ反帝国際主義派としての独自のたたかいを組織し、そのもとに広範な労働者人民を結集させていくことにある。われわれが原発に反対するのは、それが深刻な事故をおこせば破滅的な結果をもたらすからだけではない。日本における原発建設は、原発のための核開発技術の援助と引きかえに、対ソ核戦争体制に同盟国を組み込むというアメリカの世界戦略のもとで開始された。日本政府とブルジョアジーは、このようなアメリカの世界戦略を受け入れつつ、日本の独自の核武装の準備として原発の建設に着手していった。そして、世界を支配する列強として復活した日本帝国主義は、日米軍事同盟のもとに核武装した米軍と自衛隊の軍事一体化を推進しつつ、原発建設を通して日本の核武装の準備を営々とおしすすめてきたのだ。反原発のたたかいは、日本の核武装に反対するたたかいとしっかりと結合され、全世界において核兵器を廃絶するたたかいと結合されていかねばならない。そして、日米軍事同盟のもとで進行する核武装した米軍と自衛隊の軍事一体化に反対し、沖縄・日本から米軍基地を撤去させていくたたかいと結合させていかねばならない。核兵器であれ原発であれ、それは人類の生存を脅かす。核と人類は共存できない。先進的労働者人民は、あらためてこのことを明確にし、被爆者・被曝者のたたかいと結合してすべての原発を即時停止・廃炉とするために奮闘しよう。そして、反原発のたたかいに立ちあがる労働者人民を反帝国主義のたたかいへと広範に結集させていかねばならない。 われわれは、原発建設がもたらす利権によって結びついた官産学複合体を断じて許さない。利潤の獲得を最大の目的とする電力独占資本は、深刻な事故をおこせば破滅的な事態となる原発を推進しながら、安全性の確保よりもコスト削減・利潤追求を優先させてきた。そして、被曝労働を多くの原発で働く労働者に強制し、下請け労働者・非正規雇用労働者を使い捨て労働力として虫けらのように扱ってきた。これらのことは、電力独占資本の資本としての本性によるものなのだ。資本による利潤追求を何よりも優先させ、労働者が賃金奴隷として資本に隷属させられている資本主義という社会システムそのものが、原発のもつ本質的な危険性をさらに高めあげ、原発で働く労働者や周辺地域の住民の被曝をさらに深刻なものにしてきたのである。ここにおいて、原発への批判は資本主義への批判と結びついていく。このことを暴露し、徹底して批判していかねばならない。原発で働く労働者のほとんどは、決して特別の存在ではない。ますます不安定な雇用、貧困と無権利を強制されている圧倒的多数の下層労働者の一部なのだ。被曝の不安を抱きつつ、いまもまた危険な福島原発の現場に労働者が動員されつづけている。これらの労働者のためにたたかうこと、困難ではあっても労働組合・労働運動に組織していくことは、日本の左派労働運動と先進的労働者人民の重要な課題なのだ。そして、福島原発事故の被災者による政府・東電への批判とたたかいに断固として連帯していかねばならない。 われわれはまた、反原発のたたかいを国際的なたたかいへとおしあげ、反帝国際共同闘争の重要な一部へと発展させていかねばならない。「原子力ルネサンス」は、帝国主義によって主導された世界的な動きであり、二〇三〇年までの二十年間で四百三十基の原発を増設するというすさまじいものである。このような原発の大増設計画を阻止し、すべての原発を停止させ廃炉としていくことは、国際的な共通の課題である。福島原発事故をきっかけとして、二十五万人が結集したドイツの反原発デモをはじめ、世界各国・地域で反原発のたたかいが大きく盛り上がりつつある。そして、六月十一日の日本における全国百万人行動を世界的な反原発同日行動として組織しようという呼びかけも、さまざまな形で発信されている。反原発のたたかいの国際的な結合を促進し、反帝国際共同闘争の一部へと発展させていくために奮闘していかねばならない。 以上のように、先進的労働者人民は反原発の全人民政治闘争を全力で推進しつつ、反原発のたたかいを帝国主義批判・資本主義批判と結合させ、反帝国際共同闘争の重要な一部へと発展させていくことを要請されている。このような努力を組織することをもって、反原発の全人民的なたたかいを階級的に牽引していこう。そして、立ちあがる広範な労働者人民を資本主義・帝国主義とたたかう階級闘争の主体へと前進させていこう。このような階級闘争の立場にたつ反帝国際主義派としての独自のたたかいをすべての原則的な共産主義者、先進的労働者人民の共同の努力として全力で組織していかねばならないのだ。 第三の課題は、原発推進の立場にたった連合指導部を徹底して弾劾し、また日本共産党への批判を明確にしていくことにある。民主党政権による原発推進を支えてきた大きな勢力のひとつが連合である。電力総連(旧電力労連)は、原発を推進する官産学複合体の一角を占め、電力独占資本と一体化して原発建設を推進してきた。そればかりではない。電力総連は、電力独占資本に雇用された正規雇用労働者の被曝を避けるために、被曝する可能性のある仕事については下請け企業に外注することを電力独占資本に要求してきたのだ。連合もまた、昨年八月十九日に「エネルギー基本方針」を策定し、そのなかで原発の増設を「着実にすすめる」と原発推進の立場を明確にした。このような連合指導部は、連合に参加する労働組合・労働者の反原発運動への結集を抑圧し、反原発運動の全人民政治闘争への発展を抑止するというきわめて反動的な役割をはたしている。しかし、このような連合指導部の態度は連合内の矛盾を不可避に生みだし、労働者からの連合指導部への批判が強まっていく。いかに連合指導部が抑圧しようとも、連合に所属する現場の労働者の反原発運動への結集を阻止することはできない。先進的労働者人民はこれを促進し、連合指導部へのたたかいへと発展させていかねばならない。 日本共産党は、これまで「原子力の平和利用」として原発建設を容認してきた。すなわち、「原子力の軍事利用」としての核兵器の製造と「原子力の平和利用」としての原発建設という区分を行い、「民主・公開・自主」という原則のもとで原発建設を推進すべきというものであった。このような立場から、日本共産党は各地の反原発のたたかいに敵対し、政府・電力独占資本による原発建設をあとおししてきた。「軍事利用」と「平和利用」を区分する論理の誤りについてはくりかえさない。「民主・公開・自主」という原則にもとづく原発の推進とは、日本共産党を中心とした民主連合政府のもとでは、原発のもつ危険性を制御できるというものである。何という思い上がりなのか。そこには、かつて「社会主義国の核武装の擁護」という立場から反核運動を分裂においやり、日本の反核運動に大きな打撃を与えたことと同根の誤りがある。日本共産党は、原発が深刻な事故をおこせばどれほどの破滅的な事態をもたらすのかを正面からとらえず、被曝労働と周辺地域の放射能汚染を前提としてしか原発を維持できないことへの批判が欠落してきた。日本共産党は、この数年、なし崩し的に原発に対する態度を変更してきた。前回の大会において「原子力の平和利用」という用語を削除し、福島原発事故後の今年のメーデーでの志位演説では、「この大事故をふまえ、私は政府に対して原発からの撤退を決断すること、原発をゼロにする期限を決めたプログラムを策定することを強く求める」と述べた。しかし、そこには「原子力の平和利用」という立場に立ってきた誤りについて、何の自己批判も総括も存在していない。そして、すべての原発の即時停止という要求をいまなお拒否し、「安全重視の原発政策への転換」を主張して、いささかも大衆運動として反原発のたたかいを組織しようとはしていないのだ。 反原発の全人民政治闘争を推進しつつ、階級闘争の立場にたつ反帝国際主義派としての独自のたたかいを断固として組織し、そのもとに広範な労働者人民を結集させていくために奮闘しよう。そして、このたたかいを基地も原発もない人らしく生きられる社会、資本主義・帝国主義にかわる新たな社会の建設に向かうたたかいへと発展させていくことをあらゆる戦場において提起していかねばならない。われわれ共産主義者同盟(統一委員会)は、このようなたたかいの先頭にたつ。ともにたたかわん。(二〇一一年五月十五日) |
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