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  ■第三誘導路建設粉砕! 農地強奪阻止! 現闘本部奪還!

    10・10全国から三里塚現地に総結集しよう




 三里塚芝山連合空港反対同盟は全国の労働者階級人民にむけて、10・10全国集会の呼びかけを発した。この呼びかけに応えて、全国から三里塚現地に結集し、成田空港会社の農地強奪攻撃を粉砕しようではないか。
 空港会社は六月二十八日、団結街道の閉鎖を強行した。6・27全国結集大闘争がたたかわれた翌日、未明から機動隊とガードマンを配置して、地域住民の生活道路を閉鎖してしまったのだ。空港会社は、この閉鎖した団結街道を横切るように第三誘導路を建設しようとしている。空港会社と成田市が結託した、この生活破壊、営農破壊の極限的攻撃を、あらためて怒りをこめて弾劾する。
 反対同盟は、この攻撃と真っ向から対峙し、かつ、勝利の確信に満ちている。今春夏期の攻防において、たたかって敵を押し返し、たたかえば必ず勝利を引き寄せられる確信をつかんだからだ。二月二十五日、天神峰現闘本部裁判において、仲戸川裁判長は許しがたい反動判決を出したものの、空港会社が目論んでいた「仮執行宣言」をつけることはできなかった。そして、団結街道をめぐる攻防の中で、空港会社の「五月二十日通行止め」方針を市東さんが実力粉砕した。市東さんの決起は、空港会社と千葉県警を大混乱に陥れた。
 本年前半の実力攻防を大きな礎として、三里塚闘争は、第三誘導路建設粉砕、農地強奪阻止、現闘本部奪還の今秋期の攻防に突き進んでいこうとしている。十月十日、ともに三里塚現地へ結集しよう。



  ●第1章 反対同盟を先頭に団結街道閉鎖攻撃と実力対決

  ▼@団結街道閉鎖―第三誘導路建設阻止の闘い


 10・10三里塚現地闘争を環とする今秋期三里塚闘争方針に向けて、最初に確認しなければならないことは、反対同盟を最先頭にして団結街道閉鎖攻撃と真正面から実力対決してきたことである。
 本年年頭、天神峰現闘本部をなんとしても強奪しようとする成田空港会社は、「仮執行宣言」付き判決を求めた。しかし、反対同盟を先頭とした千葉地裁を包囲するたたかいは、この空港会社の目論見を粉砕した。二月二十五日の千葉地裁・仲戸川判決は、現闘本部の撤去―明け渡しという空港会社の主張をほぼ全面的に認めた反動判決だったが、「仮執行宣言」を付けることはできなかった。反対同盟は「仮執行宣言」粉砕で勝利への道をこじ開ける展望をつかみ、この勢いをもって3・28全国集会を開催した。
 3・28集会は、反対同盟と三里塚勢力が一丸となってたたかえば、勝利の展望が切り拓けることを確認しつつ、目前に迫った団結街道閉鎖攻撃と対決する決戦に、実力闘争で立ち上がることを確認した。空港会社は四〜五月の過程で攻撃を開始することが予想された。反対同盟は、空港会社の言いなりになって廃道手続きを進めようとしていた成田市に対しての抗議行動、成田市内での街頭情宣を、連日取り組んだ。五月、情勢が緊迫する中で、沖縄現地攻防とも連動しつつ、「団結街道閉鎖阻止―第三誘導路計画粉砕」の緊急闘争を五月十六日に設定した。
 5・16現地闘争で萩原進事務局次長は、「もう決戦に入ったんだ」「反対同盟は逮捕を恐れずたたかう」と宣言した。

  ▼A市東さんの決起「俺たちは本気だ」

 空港会社は、この反対同盟のたたかいに対して、5・16緊急闘争までは沈黙を保ち、集会直後の五月十七日、突然、団結街道北側を二十日付けで「通行止めにする」なる看板を団結街道の北側、南側に設置した。この看板の一枚は、市東孝雄さん宅の間近に挑発的に設置された。この時にはまだ成田市の手続きさえ終了していなかった。空港会社は団結街道の一部を取得していることを「根拠」にして、一刻も早く団結街道を閉鎖し、市東さんの営農を妨害し、また、支援の援農、闘争を鎮圧しようとしたのだ。「第三誘導路建設」という公然の目的からすれば、この段階で一部閉鎖しても意味はない。まさにこれは、営農破壊、闘争破壊、反対運動つぶしの攻撃以外の何物でもない。
 この悪辣な攻撃の意図をだれよりも早く察知し、実力抗議行動に立ち上がったのが市東孝雄さんだった。三月全国集会、五月緊急闘争で確認してきた反対同盟の戦闘宣言を、体現するたたかいだった。
 この市東さんの体を張った決起に、空港会社と千葉県警は大混乱に陥った。通常逮捕から三日目になされる勾留延長手続きを行なうことができず、四日目に行なった。空港会社は、市東さんの逮捕と直接関係のない、他の二箇所の看板を撤去してしまった。

  ▼B空港会社を追い詰めた4〜6月現地攻防

 看板に明示されていた団結街道北側通行止めのはずの五月二十日、反対同盟は緊急闘争を呼びかけた。市東さんが不当逮捕―勾留され続けている中、「俺たちは本気だ」という市東さんの言葉が三里塚をたたかう全国の人々を奮い立たせた。獄中の市東さんとともにたたかう決意を固めて、多くの人々が十九日夜から結集した。支援連は、二十日早朝には市東さんの畑に結集し、「通行止め」実力阻止の態勢をとった。
 市東さんの逮捕直後に全ての看板を撤去していた空港会社は、「通行止め」を明示していたはずの五月二十日当日、何も行なうことができなかった。成田署に勾留されている市東さんを恐れたのか、反対同盟・支援連との実力攻防を恐れたのか。
 支援連は、団結街道の全域でデモを行い、宣伝カーによる情宣を繰り返した。空港会社職員は団結街道に出てくることもできなかった。県警の私服は二十名ほどが隊列をなして団結街道に現れたが、支援連によって排除された。反対同盟と支援連が団結街道全域を制圧する状況の中で、天神峰現闘本部に隣接する市東さんの畑で勝利集会が開催された。
 この雨の中の集会で、市東さん不当逮捕の弾劾声明が読み上げられ、弾圧への怒りが再確認された。萩原進事務局次長は、「今日できなくなり、明日できなくなる。こういう一日一日のたたかいの積み重ねが重要」「市東さんのたたかいに全国の人々が呼応し、今日午前中、彼らが手出しできないところに追い込んだ。本日は押し返した」と、実力で掴み取った勝利を確認した。
 反対同盟と支援は、閉鎖攻撃に備えて監視態勢を強化し、五月二十四日には第三誘導路建設計画の「公聴会」粉砕闘争を取り組んだ。権力は、この成田市内デモにおいて、市東さんに続いて萩原富夫さんを不当逮捕した。
 弾圧をエスカレートさせながら、しかし、空港会社は六月に入っても、団結街道を閉鎖することができなかった。この決戦をより攻勢的にたたかうべく、反対同盟は六月二十七日、「団結街道閉鎖阻止! 第三誘導路認可・着工粉砕! 不当逮捕・弾圧を怒りをこめ粉砕!」を掲げて、全国結集大闘争を開催した。決戦に突入した状況をしっかり確認し、三里塚勢力総体が実力攻防に立ち上がっていく決意をはっきりと示した。この集会において、2・25現闘本部判決「仮執行宣言」粉砕から、団結街道閉鎖阻止五〜六月攻防に至る、今秋夏期のたたかいが総括され、勝利的展望をもって確認された。
 この6・27闘争の直後、二十八日に空港会社と千葉県警は団結街道閉鎖に着手した。
 空港会社の暴挙を許すことはできない。第三誘導路建設に手をかけてきたのだ。市東さんの生活道路を奪い、急カーブの危険な迂回路を強制し、かつ、誘導路などの空港施設で市東さんの家屋・畑を囲い込んでしまおうという、悪辣極まりない攻撃だ。
 しかし、この春夏期攻防の中で、混乱し、追い詰められてきたのは空港会社の方だ。
 空港会社の当初の目論みは大きく外れ、四月、五月と遅れ、とうとう六月の末になった。市東さんの決起、反対同盟と支援連の連日の闘争、監視行動。敵の攻撃を押し返すために闘争を積み重ねてきた。一日一日を決戦としてたたかい、空港会社を窮地に追い込んできた。市東さんは空港会社の言いなりには決してならなかった。反対同盟と現地に結集した労働者、学生、多くの人民が、不条理極まりない事態に憤激し、実力攻防に立ち上がった。二〇一〇年春夏期の攻防の中で掴み取られた勝利への展望は、ともにたたかった人々の確信となっている。このことこそが、三里塚闘争の次のたたかいを大きく切り拓いていくだろう。

  ▼C鈴木幸司さんの遺志を受け継いで闘う

 六月二十七日の全国結集大闘争の冒頭で、この春夏期の攻防のさなかに逝去された鈴木幸司さんに対する黙祷が行なわれた。北原事務局長をはじめ、登壇した人々は鈴木幸司さんへの悼みの言葉を述べると共に、空港反対を生涯貫いた鈴木さんの遺志を受けてたたかうことを誓い合った。
 成田用水という農村の集落を分断する攻撃に対して、孤立を恐れず断固反対し、反対同盟として最期の最期までたたかいぬいた鈴木幸司さん。その信念は反対同盟に、三里塚をたたかう全ての人々に受け継がれた。日帝の侵略戦争に動員され、その戦争体験ゆえに侵略戦争と天皇に対して怒りをたぎらせていた鈴木幸司さんは、成田空港建設そのものが戦争への道だと見定めていた。鈴木さんの人生において、反戦闘争と空港反対運動は矛盾なく一つのたたかいだった。
 鈴木さんの信念と頑健なたたかいは、三里塚闘争の核心点として、何度も確認されなければならない。

  ▼D現地攻防と一体に闘われる裁判闘争

 団結街道閉鎖―第三誘導路建設粉砕の現地攻防と同時に、空港会社の農地強奪攻撃としてある裁判闘争の現局面をしっかりと確認して取り組んでいくことが問われている。
 空港会社は、天神峰現闘本部建物、市東さんの農地、鈴木さんの一坪共有地を、形式的には「民事訴訟」の手続きをもって強奪しようとしている。しかし、そもそも、国家権力を後ろ盾にした空港会社や千葉県が、農民を相手取って「民事訴訟」を起こし、農地を強奪しようと企てること自体が異様なのだ。
 空港公団―空港会社は、土地収用法をもってしても、あの違憲の成田治安法をもってしても、これらの土地を奪うことができなかった。つまり、農地を収用する「公共性」も「緊急性」もすでに否定されている。これは、三里塚闘争が掴み取ってきた正義であり、歴史的地平だ。
 しかも、空港公団―空港会社は、当初の計画を何度も大きく変更してきた。「暫定滑走路」、その「延伸」。むりやり建設を強行したがゆえに、誘導路が「への字」に変形した。東峰の森の破壊を強行して新誘導路をつくったが、杜撰な計画ゆえに危険で使用できなかった。さらに、新たな第三誘導路の建設を強行しようというのだ。危険で無駄な空港建設の総括は一つもない。こんな空港会社が会社として成り立っていることが不思議である。こんなものは「公共工事」ではない。社会に危害と負担をもたらし続けているだけだ。
 詭弁を弄して訴訟を起こし、農地を取得しようなどとしているが、裁判が行なわれていること自体が不当なのだ。
 天神峰現闘本部裁判は七月二十三日に東京高裁で控訴審が始まった。北原さん、萩原さん、そして弁護団が控訴理由を陳述し、裁判闘争を決戦状況の現地攻防と一体にたたかうことを宣言した。千葉地裁で不当にも却下された事実調べ、現闘本部そのものの検証、そして、反証がなされないままにされている証人の再尋問を、必ず高裁で行なわせなければならない。
 油断は許されない。空港会社側は「付帯控訴」という形で、あくまでも「仮執行宣言」付き判決を求めている。仲戸川以上の反動判決を出させてはならない。徹底した事実調べを行なわせて、反対同盟の正義を明らかにしていかなくてはならない。
 市東さんの農地をめぐる裁判は、市東さんの耕作地の一部を「不法耕作」だとして強奪しようとする「耕作権裁判」と、農地法を「根拠」にして市東さんの耕作地を強奪しようとする「農地法裁判」、そして、これに対する反撃としての「行政訴訟」、の三つの裁判が千葉地裁で争われている。
 「耕作権裁判」では、そもそも空港会社側が航空写真のみで「特定」したとする土地そのものが、現実の地主とも耕作地とも異なっており、訴訟の前提が崩れているのだ。一方、「農地法裁判」と「行政訴訟」においては、市東さんの耕作地を空港公団(現空港会社)が秘密裡に取得したとき、空港公団は不在地主であり、農地法第六条に違反していたことを弁護団は追及している。空港会社は「一時的なものだ」と答え、千葉県は「農地法第六条違反であるかどうかは、同二十条の解約許可決定にあたっては関係ない」などと答えている。
 とんでもない話だ。そもそも、空港公団は、農地を農地として使用する目的はなく取得したのであり、だからこそ、その事実すら秘匿し続けたのだ。農民から農地を強奪して空港用地にする目的を最初からもって行なったのであり、農地法を尊重する意思など全くなかった。だからこそ、「不在地主」という事実が残ったのだ。
 いまさら、千葉県知事まで結託して「農地法」を根拠に農地としての使用を否定するということが、どういう論理でなせるというのか。
 市東さんの「行政訴訟」と「農地法裁判」の第六回口頭弁論は、五月二十五日に設定されていたが、五月十七日の市東さん不当逮捕の弾圧によって、九月十日に延期された。空港会社が農地強奪の意図をもって起こした訴訟そのものの不当性をはっきりと突き出し、市東さんの農地を絶対に守りぬいていく闘いとして、反対同盟とともにたたかいぬいていこう。



  ●第2章 追い詰められ、あせりに駆られる空港会社

  ▼@本格化する羽田国際化

 本年十月二十一日、羽田空港は第四滑走路と新国際線ターミナルが開業し、「ハブ空港」としての位置付けをもって国際空港として復活する。成田の開港以来、「国内線は羽田、国際線は成田」(内際分離)とされてきた日本の航空行政が転換する。昨年の民主党政権発足以来、前原国交相が打ち出していたものだ。前原は、羽田を「ハブ空港」と位置づけた上で、羽田と成田の「共存共栄は可能だ」などといっているが、航空自由化を本格的に進めようとすれば、羽田・成田の競争はいっそう熾烈になることは間違いない。
 羽田には、国内線のネットワークがあり、今後就航する国際線は羽田で国内線への乗り継ぎが可能となる。外国から国内各地方空港へ、また、その逆もスムースになされる。また、羽田はこの国際化にともなって本格的に二十四時間化する。到着地の時間に合わせた深夜早朝便が設定されるため、利便性が高まるという点もある。
 しかし、これは決して画期的なことではない。韓国・仁川国際空港などアジア各国の国際空港は、すでに「ハブ空港」として、国内線―国際線の乗り継ぎが可能で、二十四時間化というのは当然の条件となっている。日本が大きく遅れてきたのだ。それが不可能な成田を「国際空港」と位置づけることに固執してきた日帝の航空行政こそが誤っていたのだ。根本的には、「ハブ空港」になりえない成田空港の建設を強行し続けてきたことこそ、誤っているのだ。
 成田空港会社はあせりに駆られて、暫定滑走路北延伸を強行してきた。本年三月から、騒音を拡大しながら、年間発着回数を二万回増やして二十二万回にした。羽田との競争ゆえに、さらに三十万回まで増便しようとしている。しかし、これは、東峰・天神峰をはじめとする空港に隣接する地域の住民への騒音、排気ガス、農家の上空四十メートルの殺人的離着陸を極限的に増大させることにほかならない。

  ▼A破綻した日本航空が明らかにしている事実

 本年一月に経営破綻して会社更生手続きに入っている日本航空は八月三十一日、更生計画案を東京地裁に提出した。一万六千人の削減と国内線・国際線合わせて四十五路線からの撤退という大規模なリストラ計画だ。これを条件に、金融機関の債権放棄と企業再生支援機構の出資を行なってもらい、「経営再建」をはかるというものだ。しかし、人員削減を行なう計画の一方で、前経営陣の天下り人事が横行し、大西賢社長の月額報酬は百六十七万円という高額であり、許しがたい「経営再建」計画である。
 四十五路線撤退のうち、国際線に関しては成田発着の八路線など十五路線から撤退する。しかしながら、改めて国際化する羽田発着の国際線六路線を新規就航させるとしている。羽田発着国際線は「安定した需要」が見込めるとしているのだ。これまで、「ナショナル・フラッグ・キャリア」として別格で優遇され、成田発着枠の27・2%を独占していた日航だが、銀行団に「更生計画案」を認めてもらうためには、採算のとれない成田国際線を削減し、羽田国際線で稼ぐ計画を提出するしかないのだ。
 国策会社としての日本航空や成田空港会社の維持温存という国交省官僚どもの政治を抜きにして、経済的メリットだけで判断・選択するならば、成田ではなく羽田の国際線という結論になることを、破産に直面した日本航空こそが自己暴露している。
 また、日航の更生計画においては、ジャンボ機の全機退役方針も明らかになっている。すでに、全日空はジャンボ機を最新鋭中型機に入れ替える計画に着手している。昨年十月二十二日、暫定滑走路北延伸の最初の発着にジャンボ機を飛ばし、森中社長は「初めて大型機が飛び立つことを味わいたい」などと語った。しかし、航空不況の中で、燃費が悪く、五百席を超える定員の大型機を飛ばす経営を選択する航空会社はない。座席数百〜二百の中型機が中心になっている。
 日航も全日空ももうジャンボ機を持たない、飛ばさない経営方針なのだ。経営再建が遅れている日本の航空会社ですら、そうなったということであり、これは国際的な航空運輸の常識となっている。今後、アジアの航空運輸を席巻するであろうと言われている格安航空会社(LCC)などは、コスト削減に敏感であるがゆえに、すでに中型機に特化した運航を行なっている。

  ▼B第三誘導路建設を絶対に許すな

 成田空港会社は、ジャンボ機の離着陸を理由に暫定滑走路北延伸を強行し、かつ、ジャンボ機の地上走行を理由にして、東峰の森を破壊して第二誘導路建設を強行した。しかし、これも危険で使えないとして、第三誘導路建設を強行しようとしている。多少なりとも、航空運輸の将来的展望をもって計画を立てるならば、ジャンボ機の運航を中心にした滑走路・誘導路の建設計画などということは無意味である。
 羽田の本格的国際化という状況の中で、危険極まりない暫定滑走路をとにかく「国際空港」の滑走路にしようとして、見境なく、継ぎ足し、継ぎ足しで拡張してきたものでしかない。
 こんな状況で、全く無用な第三誘導路建設を強行するのは、航空運輸の側面からの要請としては有り得ない。反対同盟農民に対する攻撃でしかない。天神峰現闘本部を破壊―強奪し、市東さんを空港施設で囲い込んで孤立させようという、その魂胆は明白ではないか。滑走路・誘導路の直近に、空港反対闘争の拠点がそびえ、市東さん、萩原さんが日々営農を続けることが、「国際空港会社」として目障りなのだろう。
 しかし、空港会社こそ倒錯している。農民が生活しているのだ。農家の軒先で、ジェット機が地上走行し、ジェットブラストを撒き散らしながら離着陸を繰り返すことが間違っているのだ。ここに「暫定滑走路」を作って運用していることの誤りこそが糾されなければならない。



  ●第3章 三里塚から秋期階級攻防の突破口を切り開こう

 10・10三里塚全国集会は、沖縄反基地闘争、横浜APEC反対闘争をはじめとする今秋期階級攻防の重大な局面のなかでたたかわれる。団結街道閉鎖―第三誘導路建設阻止という三里塚現地の決戦は、沖縄、日米安保の新たな強化、日本帝国主義のアジア侵略の新たな踏み込みという攻撃を打ち破るたたかいと一体のものである。改めて反帝闘争の拠点としての三里塚闘争の現在的意義を確認し、この攻防を最先頭でたたかいぬいていこうではないか。

  ▼@名護市議選の勝利から沖縄知事選勝利へ

 五月二十八日の日米共同声明では、日帝・米帝は八月末までに普天間基地移設案の具体的位置・工法を発表することになっていた。八月三十一日に発表された日米の「普天間専門家検討会合」の報告は、「I字案」(日本案)と「V字案」(米国案)の二案併記という代物だった。辺野古移設反対の沖縄人民のたたかいの拡大に恐れをなした菅民主党政権は、最終決定を十一月沖縄知事選後に先延ばしした。しかし、許しがたいことは、二案併記で具体的決定ができないにも関わらず、移設先だけは辺野古と決めていることだ。しかも、北沢防衛相は、自衛隊・米軍の共同使用を「真剣に検討」とまで言い出している。
 仲井真知事ですら、「県内移設」に対しては、現状では「協議に入れない」と言っている。日・米政府間の「合意」だとして基地を沖縄に押しつける菅政権の傍若無人な態度は、沖縄人民の憤りをさらに高めるばかりだ。
 菅政権は、利権に群がる基地容認派を支援し、この勢力の拡大を図り、容認派の言動をもって「沖縄の民意」にすりかえようと企んでいる。自公政権がかつてやってきたのと同様の手法で、沖縄解放闘争の圧殺を謀ろうとする攻撃を絶対に許してはならない。九月名護市議選―十一月知事選の勝利のために全力でたたかうことである。米軍基地無条件撤去―新基地建設阻止の沖縄人民の意思が、政治的な力として打ち固められていくべく、このたたかいの勝利へと突き進むことである。
 普天間基地即時無条件撤去―辺野古新基地建設阻止のたたかいは、沖縄人民が一貫して希求してきたことであると同時に、日米軍事同盟の根幹を突くたたかいである。日米安保そのものを粉砕し、そして、労働者人民への敵対を強める現政権を打倒するたたかいへと直結する。

  ▼AソウルG20―横浜APEC粉砕闘争に決起しよう

 十一月十三日、十四日の両日、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会合が、十五年ぶりに日本が議長国となって、横浜で開催される。その直前には、韓国ソウルでG20首脳会合が開催される。〇八年九月以来の世界恐慌の中で、帝国主義各国などは全面的な財政政策によって危機の先延ばしを図ってきた。だが、本年に入って各国の財政危機が凄まじいものとなり、財政破綻の連鎖による世界恐慌のもう一段の深化が始まりつつある。
 信認を失ったドルの下落は放置されたままであり、日帝資本は急激で大規模な資本輸出をもって延命をはかろうとしている。必然的に国内産業の空洞化が進むことになる。APECは、日帝、米帝をはじめとする各国の、アジア太平洋地域の経済権益をめぐる争闘の場である。日帝はASEAN+3(日中韓)の関係強化を基盤として、アジア太平洋全域への侵出、そのための自由貿易協定(FTA)、経済連携協定(EPA)の拡大をはかろうとしている。
この日帝資本の利害と同時に、「日米安保五十周年記念式典」を横浜APECに合わせて開催し、日米同盟強化を民主党政権の手で進めるという画策もなされている。
 アジア侵略と軍事同盟強化の思惑が交錯するAPEC首脳会合ゆえに、日帝国家権力は全面的に反対運動を鎮圧する弾圧態勢を準備している。
 十一月ソウルG20―横浜APEC粉砕闘争は、日本の労働者階級人民のプロレタリア国際主義の真価が問われるたたかいである。弾圧を粉砕し、ソウル―横浜を貫いて反帝国際共同闘争に立ち上がろう。

  ▼B10・10三里塚現地へ総決起しよう

 普天間基地撤去―辺野古新基地建設阻止の沖縄の島ぐるみのたたかい、これと結合する全国の反基地闘争、とりわけ、岩国、神奈川の反基地闘争の前進。日米安保と相容れない住民のたたかいが、徹底非妥協のたたかいとして日々前進している。日帝、米帝と対決する反帝闘争の質をもって、闘争は強化されている。
 住民闘争の中から反帝闘争の確信をつかんできた三里塚闘争の意義を、今秋期の階級攻防の中で、再度しっかりとつかみ直していかなくてはならない。それは今春の市東さんの決起が端的に明らかにしたことだ。農民が農民として当然の生活をし、当然の主張をなす。これを圧殺しようとする国家権力に対して実力で立ち上がったときに、自らがどこに依拠して、誰と共にあり、何に対してたたかっているのか、鮮明になってくる。これは、その場の憤りでは終わらない。共にたたかう人々によって総括され、再びつかみ直されてきた。
 三里塚闘争は確かに、軍事空港反対を掲げ、ベトナム反戦闘争と結びついた全人民闘争拠点となってきた。農民自身が実力闘争に立ち上がり、機動隊との激突戦をたたかってきた地平がある。その闘争の事実だけで、「反戦の砦」―反帝闘争の拠点となってきたのではない。
 そこには、一人ひとりが現実の闘争場面に直面して、実際に立ち上がってたたかってきたということがある。その一つひとつのたたかいが歴史的に総括され、たたかう勢力全体の確信となってきた。三里塚が今も日本の反帝闘争の拠点であり続けるのは、そういう実力闘争の積み重ねと、それを継承し主体化する集団的な力があったからだ。
 辺野古でも、高江でも、岩国でも、厚木でも、そして、韓国、フィリピンをはじめとする世界各国人民との国際共同闘争の場においても、反帝闘争としての確信が生み出され、積み重ねられていく。それは、同時に、三里塚闘争四十四年のたたかいの中で掴み取られてきた反帝闘争の質が、全国さまざまなたたかいに引き継がれ、発展し、再び結合していくことでもある。
 われわれは、10・10三里塚、十一月G20―横浜APEC粉砕、十二月岩国国際連帯集会に、連続して立ち上がっていく。
 第三誘導路建設粉砕! 農地強奪絶対阻止! 現闘本部奪還を掲げて、十月三里塚へ全国から決起しよう。

 

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