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   ■反疎外と自己決定革命の道

       ―ホロウェイ『権力をとらずに世界を変える』批判




     はじめに

 『権力をとらずに世界を変える』という直裁な表題の本が訳出され出版されている。(『同時代社』刊)著者はジョン・ホロウェイというメキシコの大学の教官である。紹介文によると、哲学の研究者であるが、実践運動にも関わっており、グローバル・ジャスティス運動の著名な推進者の一人であり世界社会フォーラムの報告者でもあった。また、メキシコのサパティスタの解放運動、中南米の先住民の解放運動の著名な支持者でもあり、その国際的な連帯運動の支援者でもあるという。したがってこの著作は一般的な学術論文ではなく、実践的な運動に関わりつつその運動の特質をあきらかにしようとしているものである。
 すなわちホロウェイによると、従来の革命運動は根本的な限界をはらんでおり、それはソ連・東欧の社会主義の破産として結果した。それは伝統的な革命理論・スターリン主義の破産であったが、レーニン主義理論にはそれを結果する必然的な根拠があった。その誤りの根幹には「すべての力を国家権力の転覆に集中し、プロレタリアートが権力を獲得して社会を改造する」という戦略・戦術があった。ここからして人民からの革命党の遊離―革命党による人民への支配がおきる。これを転換せねばならない。すなわち人民は権力を獲得するのではなく、社会的自己決定へむかう力を強化すべきだ、と結論づけるのである。そしてこの転換の内容こそはメキシコのサパティスタの運動などの根幹をなしている、というのである。
 この種の主張は格別に珍しいものではなく、多かれ少なかれ七〇年代からの西欧における新マルクス主義と呼ばれる人たちの主張にも見られたものであった。ホロウェイは彼の主張を現実のサパティスタの革命運動に関連させ、その理論的基礎づけという形でやっているという点でリアリティをもっているということであろう。
 以下の小文では、ホロウェイの理論的基礎の網羅的な検討やサパティスタの運動の綱領路線的検討はさておき、まずもって彼の言説が、歴史的な国際的な革命運動のなかでどのような位置を占めるのか、われわれがそれら諸点にたいしてどのような論議をしてきたのか、ということに焦点づけて検討を試みる。ホロウェイの理論的基礎の評価などは追って別途試みたい。


  ●(1)ホロウェイによる伝統的革命運動理論の評価とその根拠

 1)八〇年代末から九〇年代の初頭にかけて生起したソ連・東欧「社会主義」体制の崩壊と支配政党(共産党、労働者党)の崩壊は歴史を画する事件であった。世界と同様に、日本でも社会党は社会民主主義の路線をいっそう右傾化させ、現存「社会主義」の発展に将来を描いていたその「左派」部分は壊滅的打撃をうけた。共産党は社会民主主義路線に乗り移った。現存「社会主義」を批判していた新左翼系も大きな波に呑み込まれた。彼らが激しく批判していた対象である「エセ社会主義」やソ連共産党など支配政党とその路線が崩壊したあと、労働者人民の支持はその批判者に向かうことはなかった。逆に、新左翼系部分もまた客観的には社・共の左翼反対派としての社会的位置をでていなかったことを人民からつきつけられたのであった。帝国主義者の手によって共産主義の旗はソ連・東欧の現実と等値されて汚泥のなかに踏みしだかれ、それは多くの大衆に影響をあたえた。かつて運動圏にいた人々のなかからも共産主義に絶望し意気消沈して戦列を離れる者も少なからず発生した。われわれはこれらの策動・召還と闘いつつ大衆の間に「共産主義の希望」を復権することからはじめねばならなかった。同時にいままでの革命党のありようと階級闘争の指導内実、その限界性を総括し、しっかりと労働者階級のたたかいに立脚するものとして党を打ちたて、共産主義にむけた独自の綱領と路線をもつ革命党を建設、強化することとして新たな歩みを開始してきた。
 九〇年代はこのようなわれわれの組織的たたかいに対して、敵のみならず、運動圏に属していた人々からも共産主義への絶望、不可能性を主張し、あるいは社会民主主義の正統性を主張する者が現れた。彼らはスターリン主義批判の装いのもとにレーニン主義を攻撃し、はてはマルクス主義を否定した。これらは多く新マルクス主義やポストモダンの理論などを取り入れつつおこなわれた。
 もとよりソ連―東欧の崩壊を導いたスターリン主義の路線、その支配党の誤りは実践的にも理論的にも徹底的に断罪され批判されねばならない。ある意味でホロウェイも理論的にそれをなそうと試み、スターリン主義の客観主義、経済主義的性格を批判しようとしている。しかし、以下にみるようにそれは別の誤りに陥っている。
 2)ホロウェイは、いま、資本主義が人類に破局をもたらすことがますますあきらかになっているなかで、これにたいする伝統的な回答は危機に瀕している、レーニン主義革命党も革命の展望を示せなかった、と述べる。すなわち、マルクス・レーニン主義の社会主義建設は挫折し、国際的運動は解体している、左翼政党へ投票しても幻滅におわるだけだ、というのである。それは、現に革命党の歴史が抑圧と圧迫の歴史であったのみならず、現在その権力奪取の可能性をもった革命党が世界のどこにも存在しないからである、とする。また、テロリズムの暴力も無益だと排斥する。では、どうするのか。彼は結論的に、回答はないが、まず、革命概念をきちんと認識すること、反資本主義闘争の伝統的形態の危機を認識することを訴える。革命とは何か特別のものではないのであり、革命概念の認識から立て直さねばならない、というのである。どのようにしてか。
 「私たちは資本主義の支配の裂け目から出発する。拒絶、不服従から出発する。」「私たち皆が反逆者であり、革命とは日常の事柄である。日常体験のうちに含まれている反資本主義をめざす闘いである。」
 「資本主義の内にあるわれわれが資本と対抗しながら資本をのりこえるのである。」「抵抗するなかで仲間との友愛連帯などの関係―われわれが実現しようとする社会のあり方が予め形成されている。」
 「革命にむけての組織化は、特別な人間集団の組織を作る、という問題ではなくて、矛盾の極を組織すること……反資本主義的な諸形態こそが新しい社会の萌芽形態なのです。……評議会組織の理念はいま組織形態としての党が危機を迎えているなかでそれに対応するために世界各地でおこなわれている。……組織するということは、日常生活における反資本主義感情を明確に表現すること。」
 その場合の最大の核心は権力奪取という考えかたを拒むことである、と彼はつぎのように主張する。「私たちは社会的自己決定を目指して進んでいる。伝統的な革命理論はあらゆることを国家権力の獲得のためにおこなう。そして国家支配を獲得したら国家から社会的変革へと出て行く。すなわち、この行動はすべて、国家権力の獲得という目標に達するのに役立つのか、で判断される。しかし、私のアプローチは、この行動は社会的自己決定へ向かう私たちの衝動をいかにして強めるか、である。」
 「国家の支配をめぐる闘いに変わるものとは……社会的自己決定に向かって動いていく力である。……国家がそれを抑圧している。……この力は他者によって決定されることを拒むところから始まる。」
 「社会的自己決定というものをコミュニズムという最も簡単な言葉であらわすならコミュニズムは運動として、駆動力として、渇望としてのみとらえることができる。」
 3)なぜ伝統的革命理論にこのような誤りがでてきたのか。ホロウェイは伝統的革命理論が現代のシステムが疎外と物神化のうえに成立していることを決定的に無視しそれと闘わないからだと述べ、つぎのように歴史を疎外と物神化で説明する。
 まずはじめに人間としての「叫び」がある。資本に服従させられることへの反対行動、抵抗があり、自己決定への希求がある。「叫びはどこにでもあり、抑圧された非アイデンティティーを解放することであり尊厳のための闘いだ。第二に、反権力はパワーの推進力でもあり抑圧の犠牲者のみならず自らを解放する主体だ。救い主による啓蒙を通じて解放されるのではない。」
 しかし、社会関係が物神化されていることによって、これらの解放への希求や自己決定の可能性は人々の目から隠されているのだ、と彼は述べる。
 労働についても「人間の行為が労働として表現されてしまう」ととらえる。「資本主義のもとでは人間の創造的行為が抽象的労働という非人間化されたプロセス(価値生産過程)に還元されてしまう。」
 「対立関係が階級よりも先行するものであり、対立関係の二極化が階級の二極化へと反映する。労働者階級としてたたかうのではなく、労働者階級であることに抵抗してたたかうのである。……労働者階級としてあるアイデンティティーは大切にすべき良いものではなく、それに対して闘うべき対象である」。ホロウェイにとっては、労働と労働者としての存在すらも歴史的に考察されることなく、ただただ疎外の概念のなかでのみ把握され、歴史貫通的な疎外の一素材としてしか意味をあたえられないのである。
 4)以上のように、ホロウェイにおいては「自己決定」というキーワードが大きな位置をしめている。それは、資本への服従、国家による強制にたいする抵抗として語られており、それら抵抗の拡大として共産主義が語られている。しかし、自己決定という概念をこのように恣意的に抽象的に、超歴史的に考えることはできない。この概念自身が、人類の歴史の特定の段階での産物であり、自己決定する個人そのものが封建制のくびきから解放されて資本の支配のもとへ二重の意味で自由な労働者として組み込まれていった社会の産物であるからである。資本主義が歴史的にこの自己決定という概念を俎上にあげうる地平を準備してきたのである。資本主義の歴史は同時に資本のもとに目にみえない鎖でつながれた労働者の生きんがため食わんがための反抗の歴史であった。当初は逃亡や打ち壊しや暴動などで反抗していた労働者大衆は、やがて団結しみずからの生活上の要求をかちとり、労働時間規制などの社会的要求をかちとってきた。ホロウェイは賃金闘争さえも資本からの自立度を高める自己決定にむけた闘いとして位置づけているが、これらのさまざまな要求と闘いを内容ぬきに「自己決定」と抽象的に概括することはできない。
 なぜ、彼はそのような自己決定という概念によって歴史を塗りつぶしているのであろうか。それは彼が資本や国家を人間の疎外ということを方法論として把握しているからにほかならない。
 ホロウェイは、人間の行為が行為の結果と切り離され、行為の結果が行為を否定する力になり、行為がそれに従属することになる、すなわち人間の行為が労働という疎外された形をとり、その結果が人間の行為に敵対してくると論ずる。これによって非人間化がおこり、人間の社会的関係がモノとモノとの関係として物神化としてあらわれ、物神崇拝がおこるというのである。ホロウェイはこれをあらゆる事象へと拡大している。たとえば国家も社会関係の物神化された形態である、といように一般化しすべての事象を説明している。たしかに、マルクスは初期の著作で労働の疎外が生産物からの疎外、類的存在からの疎外などをもたらすことをあきらかにしたが、しかし、のちにこの観点は具体的な資本主義の分析へとむかった。彼は価値、商品、貨幣、資本、絶対的・相対的剰余価値の生産、資本の蓄積などを分析し、そのことによって資本主義の歴史的位置―限界ときたるべき社会主義のための物質的条件の成熟を明らかにした。そしてそれを担う主体プロレタリアートの登場を明らかにした。私有財産と分業への従属を廃絶する条件が作り出され、それを担うプロレタリアートの成熟と階級闘争の前進をあきらかにしたのである。しかし、ホロウェイの疎外と物神化の分析は資本の再生産のなかでそれらが拡大再生産されるという指摘にとどまり、資本主義の分析などしなくてもよい構造になっており、超歴史的な疎外論になっている。共産主義は歴史貫通的な疎外からの回復と自己決定の獲得とされており、その物質的・主体的条件が歴史のなかで準備されていることを無視している。したがって彼にとっても革命が何ゆえに共産主義革命なのか、不明であり、結局せいぜい自己決定を永続的に追求する市民革命と同様のものになっているのである。


  ●(2)資本主義、国家、革命についてのホロウェイの誤り

 彼は国家について「国家とは国境があり、差別するもの。国家の実体は規定づけ排除する運動である」と述べている。彼はこうして国家を資本主義には外在的な存在であり抑圧者としてしか見ておらず、国家を階級との関係で、階級闘争の非和解性の産物として捉えることをしない。国家の歴史性を無視し、国家を疎外された社会関係一般としてしかとらえない。ホロウェイはまた、総資本としての国家を否定しているなど、ここからブルジョア国家打倒の任務はでてこないのである。
 もちろん彼も支配階級が人民の運動に対して警察・軍隊を使う危険性を否定できない。だが彼は、だから労働者階級が国家をコントロールの下におく必要がある、という意見にたいしては次のように反論する。「第一に(党が)労働者階級に代わって国家をコントロールの下においても何も保障されない。必ずしも国家と労働者階級との距離をちぢめない。必要なときには党にコントロールされた軍・警察が労働者階級の行動をすべてつぶしにくる。第二に、軍事的に決起し資本主義をつぶす目的で革命軍を組織するというのは無意味だ。勝利できない。また軍事的対決にひきこまれた(革命)軍というものは階層秩序を再生産せざるをえず、自己決定にむかう営みから最も遠い。第三に、国家の暴力にたいして身を守るのは、国家暴力を抑止する程度の武装自衛であり、よりここの運動を社会に根付かせる社会関係の網の目の密度の問題である。運動がどれだけ社会に根付いているか、ということである。」
 もちろん、いままでの革命運動の歴史からすると、この彼の論理はまったくの表層的な俗論であり、プロレタリアートの階級闘争が権力をめぐって煮詰まっていく現実の過程において武装解除を強いる論理でしかないことはいうまでもない。ホロウェイの立論はロシア革命以降の赤軍の変質の問題やラテンアメリカ革命についての自分なりの総括であろうが、革命軍の建設の問題はこのような浅薄な結果解釈ではなく具体的に実践的にさらに深く考察されねばならない問題である。しかし、われわれがここで注意せねばならないことは、このような考えかたが彼の国家を疎外された社会関係一般として把握することに根拠をもっていること、あるいは、国家が階級支配の機関であることを否定し社会関係(ないし諸階級の力関係の凝縮された場)として把握するネオ・マルクス主義の論者に通底する、現代の流行となってわれわれを取り巻いていることである。
 もっとも、彼にしても国家の強権支配、階級支配を否定しさることはできない。彼は同時に、国家の性質そのものが変わりつつある、と述べている。「国家はますます直接的に抑圧するようになり、国民がコントロールする、という見せかけを取りさりつつある。それに伴って世界中で国家本位の政治にたいする幻滅が広まっている」。もちろんブルジョア国家は打倒されることなくして自然に衰退することはないし、自然に市民の共同体に変わることもありえない。
 さらにホロウェイは、`資本主義の客観的矛盾がもたらす危機を革命=権力奪取によって解決する、という伝統的戦略aを否定し次のように述べる。「危機も革命もどちらも権力が統合できなくなった結果である。……しかし危機は資本主義の客観的発展の産物ではなく私たち自身の強さの表現であり、危機として存在している反権力の発展である。」「危機にむかう傾向(もしくは危機の『不可避性』)をいかにして客観的な力に頼らずに語るか……決定論的な見方をとらないすべての危機理論は危機へむかう傾向をせめぎあいの動力学のなかに見つけださねばなりません。……階級対立の形態のなかに埋めこまれたものとして見るという問題です」。ホロウェイはここにおいて、スターリン主義が革命的危機を階級闘争を欠落させて客観主義的に理解していることに反対し、主体の側の条件を強調するかのようである。しかし、彼は危機を彼の考える「階級対立」すなわち資本と労働の相互依存性と対立、として説明し、資本からの労働の自律をかちとる闘いとして一般化してしまうのである。
 「労働も資本もともに相互依存の関係からつねにみずからを解放しようとしている。これが資本主義の脆さの源泉になっている。……私たちの闘いは一貫して資本から逃れようとする闘いである。……賃金闘争も資本からの自立度を高める闘いとしてみることができる。」
 「危機というのは資本主義のさまざまな関係がバラバラに分解していくこと。私たちの闘いは資本の再構築にたちむかいその分解を早めること。」
 「危機をうながす力は自由への衝動にある。資本と労働がそれぞれ自由を得るためにお互いから逃げあうこと、資本と人間らしさとが斥けあうこと、それが危機をうながす。」
 こうして彼は危機に際してプロレタリアートの革命的闘争を位置づけることができず、もっぱら「疎外からの解放」「自己決定の社会」の視点からその自然発生的闘争を賛美する役割を果たしているのである。


  ●(3)ホロウェイによるレーニン主義批判

 1)ホロウェイの誤りは具体的な社会主義運動の歴史の評価にいたって決定的なものになる。
 ホロウェイは、レーニン主義について、「彼らは権力をとって労働者階級を解放するといったが、しかし、この後半は実現されなかった」と批判する。しかしわれわれにとっての問題は、権力をとったがなぜ解放に結果しなかったのか、を問うことにある。彼はそれにたいして、国家権力はそもそも抑圧するものであるから権力を通じて解放は実現できるはずはない、というのである。
 ホロウェイはレーニン主義の革命概念の批判内容を次のように提出する。
 「レーニンの労働者階級は限界をもった自足的な存在であり、これが職業革命家に導かれて労働者の限界を超えていくことができるというのです」としてこれが代行革命にいたると批判する。そして「革命は労働者階級に権力を与えるはずであった。でも労働者階級が党の思うように望まなかった場合はどうしたか。ボルシェビキの答は、何が労働者の利益になるか、は党が決める、ということであった」としてプロ独が党の独裁になったことを批判する。
 これに次のように対置する。「組織とは、もともと限界をもっている主体にたいして外部から意識をもたらすということではない。抑圧され矛盾した形態においてではあるが、すでに存在している認識を引き出すことである。」「正しい路線を守る観点ではなく、プロレタリアートの意思を正確に表現する形態はどういうものか、と問題をたてるべきだ。」
 また彼は代表制を批判し直接民主主義を提唱する。「自己決定にむかう営みは代表制にたいする批判を内に含んでいる。……代表制の民主主義は資本と対立しない。代表制の政府を資本主義の支配に挑むものと考えてはならない。自己決定とは両立しない。……代表制を斥けることは指導や上下関係を斥けることである。自己決定にむかう営み(お互いに尊厳を認め合うことを基礎とする社会にむかう営み)は必ず答えを探し求めていく過程になる。」
 「問いを発展させながら動いていく運動が組織原則である。論じ合うことを禁ずる垂直的な構造を拒むことである」「もちろん直接民主主義にも問題がある。問題の核心は集団的自己解放のプロセス、行為の社会的な流れを集団的に決定していこうとする決定過程への積極的な参加の実践なのである。」
 「自己決定へとむかう営みは国家権力を獲得するという目的とは両立しない。国家という組織形態は自己決定の否定である。」
 ホロウェイは以上のような領域においてレーニン主義の誤りというものを次のように説明する。レーニン主義は「国家権力の獲得が自己決定にむかう営みの頂点をなす、と考えた。……しかし事実はロシアにおける国家権力の獲得がソヴィエトの挫折であった。」
 もちろん、このホロウェイの理解は誤りである。レーニン主義にとっては国家権力の掌握が頂点ではなく手段であり、その権力を使って社会主義建設に向かい資本主義を廃絶することが目的であった。これと同時に、革命のために国家権力を掌握することは不可欠であり、決定的に重要であることはいうまでもない。歴史は、危機に際して大衆が出口を求めて全国民的な政治的流動を開始し政治権力をめぐる闘争に大量に参加すること、また、大衆が成功裡に権力を掌握したとしてもその後の社会改造、文化改革が困難で長期にわたるものであり大衆が国家権力を通じて大量に社会主義建設に参加することの必要性を教えているのである。しかし、彼はこれらの事実を一切見ようとはしない。
 「運動を国家権力の獲得におくべきか?……国家は代行のプロセスである。……国家は社会的自己決定主体の多様性に立脚したコミュニティーを壊して、個人化と抽象化を基盤とするコミュニティーに変えてしまう。」
 「国家も党もコミュニティーをつくり出すが、ともに共同の自己決定を危険なものとして排除する。党が階級を代行し、指導部が党を代行し、特定の指導者が指導部を代行する。……トロツキストはこの代行のプロセスが党の形態そのものに、国家権力を獲得する企て自体に、すでに刻印されていた、という事実をみていない。」
 彼はブルジョア国家も労働者国家も同様である、として「自己決定にむかう運動は同時に国家をつうじてたたかうことと矛盾し、共存しえない。国家は自己決定にたいして絶えず干渉してくる。……」。もちろん「われわれは国家と接触することを避けることはできない」、しかし、「国家と関わりあえばいつでも行為や組織が一定の形態に引きずりこまれていき、自己決定に反する方向へいってしまう。」
 「革命後のロシアをソビエト国家として語ることはソビエト(自己決定にむかう営みの表現)から国家(自己決定を排除する組織形態)へと転換する動きを隠蔽することになる。」
 2)これらはすべてホロウェイの決定的な誤りであるが、それはレーニン主義にたいする評価の誤りと共産主義にいたる過渡期の否定としてある。
 ホロウェイはレーニン主義による革命が権力を握って労働者階級を解放する、といいつつ結局解放できなかったと断罪し、それはそもそも不可能であるのだと結論づけている。国家権力とは本質抑圧的なものであり、その権力を通じて解放ができるはずはない、というのである。
 しかし、彼が無視しているのは、ロシア革命において彼にもわれわれにも想像できないほどの労働者人民の決起があり献身性が発揮されたことであり、解放にむけた激しい論争がおこなわれたことである。この論争をもたらした現実的根拠と矛盾の存在とをしっかりととらえねばならない。それは完全な解放にむけて、社会の根本的改造にむけて、労働者人民が握った国家権力をどのように運営していくのか、をめぐっての闘争であった。革命を真剣に考える人ならば、この過程を無視して、解放にいたらなかった、と結論付けたり、それを誰かや何らかの理論の責任にしてことたれりとすることはできない。ホロウェイに限らず、スターリンの路線と体制のもとでソビエト・ロシアにおいて国家の死滅とは逆に党・国家官僚が国家権力支配を強化していった歴史をレーニン主義の責に帰す人は多い。彼らのうちの多くはそれを政治革命先行説の誤りと結論づけて国家権力の掌握を否定してしまうのである。
 一八七一年のパリ・コミューンが労働者の権力をはじめて歴史の舞台にのぼせたように、一九一七年のロシア革命はソビエト政権を樹立し、その権力によって共産主義にいたる過渡期を切り開いていったし、権力奪取の決定的重要性を明らかにした。そこにおいて、諸階級、諸勢力とその諸路線が激しくぶつかりあった。革命とは単に国家権力を奪取することではなく、その労働者の国家権力を使って全社会を根本的に改造すること、資本主義にかわる社会主義を組織し人民の解放にむかうこと、はボリシェビキにとって自明のことであった。しかし、期待した西欧諸国の革命の波は後退し帝国主義の包囲が強化されるなかで、ロシアの労働者階級は一国の労働者権力を守り抜き社会主義建設を進めつつ世界的な革命の波との結合を期せねばならなかった。この闘争は結局スターリン派の勝利によって以降の革命の挫折へといたるのであるが、そこにはたしかにレーニンのめざしたように国家権力を社会のなかに吸収し死滅にいたらせる志向も存在したのである。ホロウェイはこれを誤って先験的に国家権力一般の反解放的性格として総括しているが、われわれはこの過程を研究しそこから現代革命の課題につながる多くの教訓をえることができるし摂取せねばならないのである。
 この権力奪取直後のソビエト権力をとりまく切迫した条件のもとで過渡期を組織していく多くの論争と闘争がなされた。
 そのひとつがNEP(新経済政策)をめぐる論争である。ソビエト政権は襲いかかる反革命軍による内戦と帝国主義による干渉戦争を大きな犠牲をはらって撃退したが、経済は徹底的に疲弊し、革命を支えてきた労働者の分散、農民の離反に直面した。ここにおいてソビエト政権は掌握した政治権力を担保にして市場経済をとりいれて経済の復興を図ろうとした。具体的には戦時統制経済のもとでの農民からの食糧徴発を食糧税の徴税に切り替え、余剰農産物の販売を容認して農民との同盟関係を維持・強化しようとしたのである。
 しかし、それと同時にNEPのもとで国営大工業の独立採算制の導入、労働者自身による労働時間の管理、生産工程の管理などの政策、つまりレーニンが提唱した「記帳と統制」を導入し、労働者自身による経済の実際の運営、管理、労働の組織化をおこなう試みがなされたことを忘れてはならない。レーニンは内戦と干渉戦争を大きな犠牲をはらって撃退した後に、ソビエト権力はやっと社会主義建設にとりかかると述べたが、それは政治と経済を労働者大衆が実際に管理運営することにとりかかることを意味していた。それはとりわけ当時のロシアの「文化水準」のもとでは困難だったとしてもどうしてもやり遂げねばならなかった。もちろんそのためには、労働者大衆すべてにそのための能力を獲得させるために教育・訓練が特別に保障されねばならず、そのための労働時間の短縮など一連の政策が必要であった。これなくして労働者による経済・政治の管理は空語になってしまうし、専門家、官僚による管理運営の固定化を放置してしまうからである。そして当時すでに多くのボリシェビキ党指導部はソビエト国家と経済の労働者からの遊離や専門家層の固定化、官僚化が進行していることに危惧を抱いていた。よく知られている「労働組合論争」はそのような状況下で開始された。労働組合の任務をめぐってなされたこの論争は「生産者大会による経済の管理・指導」を要求した労働者反対派の提起からはじまり、またその対極に労組を政府機関として位置づける潮流を発生させた。この論争については結局、官僚化した現ソビエト政権との関係で労働者の利益を守るために労働組合としての役割を打ち出したレーニンらのグループが論争に決着をつけた。この論争は労働者がソビエト政権とその経済の官僚化と闘い、いかにして実際に労働を組織し、生産を管理し、経済を運営するのか、という大きな課題を俎上にのぼせたのである。
 しかし、全党をまきこんだ論争は党の分裂状況をもたらし、党十回大会において「分派の禁止」が決議された。これがもたらしたものは大きい。不可欠の課題であった労働者による経済・政府の運営・管理を実現していく論議を深める機会を失ったのみならず、NEPを過渡期のなかに統合する機会を失い、ボリシェビキ党が論争しつつ団結して過渡期を建設していく作風が失われた。したがって一九二四年レーニン死後のスターリン派による一国社会主義路線の勝利はなんら必然的なものではなく、また予定調和的なものではなく、以上のような闘争の敗北過程をへてもたらされたものであった。
 当時のロシアとは状況が異なるが、帝国主義と闘い一国のプロレタリア権力を世界プロレタリア権力の一部として建設していく大事業、そのなかで労働者人民が国家と社会を実際に運営していく課題、そのことを通じて国家を死滅させる事業はそのまま現在にうけつがれている課題である。しかし、ホロウェイやそれに通底する人達はこの課題の困難さを反映し、プロレタリアートの解放への具体的条件を無視し、現代における空想的社会主義やサンディカリズムの道をあゆんでいるようである。


 

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