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■5月27日 広島 AWC、被爆二世がオバマ広島訪問に抗議の決起 五月二十七日、この日闘い抜かれた伊勢志摩サミットに反対する現地実行委員会の現地闘争を引きついで、米帝オバマの広島訪問に対して原爆投下の謝罪と補償を要求して被爆二世の仲間とともにAWC九州・山口の仲間が抗議のたたかいに決起した。 五月十八日、AWC日本連は、オバマの広島訪問が明らかになるとただちに日本連としての声明を発表し、その声明の意思をオバマと安倍に示すために決起したのだ。 この日、警察は四千六百名による警備体制で、車両はもちろんのこと平和公園に向かおうとする歩行者にまで検問を実施した。平和公園への立ち入りは、正午から全面規制され公園周辺は厳戒態勢が敷かれていった。 われわれは、厳戒態勢をかいくぐりオバマの到着を迎えうつため、午後の早い時間から原爆資料館前の平和大通り沿いに待機し、そのときを待った。 午後三時には、資料館の前を通る平和大通りの沿道ではフェンスによる規制が開始され、抗議行動の封殺にむけた体制が敷かれていった。自衛隊のヘリが公園の上空を飛び、公園周辺に徐々に集まる市民の中を徘徊する警察の数も増える中、「米政府は、謝罪と補償を行え 日帝の核武装反対」と大書された横断幕を被爆二世の会の旗とともに高々を掲げた。 ただちに各地の県警が我々を取り囲み、市の許可がないことを理由に横断幕の撤去を通告してきたのだ。オバマの訪問を歓迎一色に染め上げたい安倍は、抗議の声、ビラ一枚さえ許さない体制で臨んできた。公園周辺に集まる群衆は徐々に増え、権力との攻防が続く中、高く掲げられた横断幕を多くの人々が見上げ、原爆資料館前に唯一かかげられた横断幕の内容を確認しようと駆け寄る被爆二世の方や若者たちがいた。警察との攻防は一時間以上に及んだ。執拗に撤去を迫る県警警備に抗議しつつ、横断幕を片時も放さず抗議行動を貫徹したのである。 オバマは十七分の演説の冒頭、「死が空から降り、世界が変わってしまった」と述べた。まったく他人ごとである。広島にいた人々は死んだのではなく、殺されたのだ。誰によって。まぎれもなく米帝によってである。今回の演説では、謝罪はしない。原爆投下の是非に触れないことが前もって明らかにされていた。そんなことが許されるわけがないのだ。原爆資料館の見学はわずか十分程度でその様子は、報道に公開されることもなかった。被爆者慰霊碑への献花に際してオバマは頭を少し傾けただけであった。謝罪とは受け止められないようにするためだ。アメリカの新聞は、被爆者と抱擁するオバマの写真を一面に掲載し、あたかも被爆者と和解しあえたかのように報道した。 オバマは、広島訪問を前に岩国基地に到着し、米海兵隊と自衛隊を前に演説と激励を行った。そこでは、強固な日米同盟を語り、隊員たちと硬い握手をおこなっているのだ。 来年一月に任期の切れるオバマにとって今回の広島訪問は、まさに最後のパフォーマンスであった。われわれは、今回の訪問で原爆投下の責任を曖昧にさせてはならない。今回の訪問で被爆者の痛み、苦労が消え去るわけではないのだ。そして、二世、三世がその放射能の影響から解放されるわけでもないのだ。 オバマの「核のない世界」が口先だけであることは、七年前の「プラハ演説」以降の米帝の姿勢をみればあきらかである。核保有国をはじめ核武装をもくろむ日帝―安倍政権を許してはならない。 日米同盟のさらなる強化のうえに、帝国主義支配秩序維持のために核を絶対に放棄することのない米帝国主義を許すな。韓国人被爆者をはじめとして全世界の被爆者、二世、三世との連帯を強めよう。 日帝の核武装を絶対に許さず、改憲から自衛隊の海外派兵を目論む安倍政権打倒にむけてたたかおう。 |
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