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■5月 沖縄 沖縄-「本土」貫き戦争-改憲策動と闘う ■5・15 県民大会 辺野古から出発し合流 平和行進と集会 今回で三十七回目を迎える五・一五平和行進は、五月十六日、名護市辺野古の浜にて三コース行進団が結集しての初めての合同出発式でスタートした。あろうことか、反革命統合四十二年目の五月十五日、首相安倍は「集団的自衛権」解釈改憲を記者会見で公然と表明した。防衛省は、辺野古新基地建設作業での海上ブイ設置を表明し、刑特法適用を想定した弾圧を公然化した。辺野古の浜に総結集した行進団は、辺野古新基地建設阻止・改憲阻止の新たな決意を固めて三日間の平和行進へと出発し、各地で反戦・反基地を訴えた。五月十八日、東・西・南三コースを三日間にわたって歩きぬいた平和行進団を迎え、「復帰四二年 五・一五平和とくらしを守る県民大会」が二千百名の結集で開かれた。 梅雨の真っ最中、平和行進の最終日となったこの日はあいにくの大雨。集会開催前には土砂降りとなり、急きょ会場を宜野湾市海浜公園内の野球場軒先に移して、プログラムも短縮して開催された。雨の合間をぬって、沖縄労共闘・統一委員会行動隊は、結集してきた労働者・市民へのビラ情宣を展開した。 集会では、主催者を代表して山城博治沖縄平和運動センター議長が、「安倍政権の戦争政策に決して屈してはならない、五・一五平和行進でつかんだ反戦の確信を全国で拡大しよう」と力強く訴えた。連帯挨拶の平和フォーラムの藤本事務局長も、沖縄と全国をむすび改憲阻止を闘おうと訴えた。来賓の紹介後、三コース平和行進団の団長・副団長から決意表明がなされた。また、今回の平和行進に参加した韓国代表団の代表も発言し、共に闘おうと熱いエールを送った。 集会は最後に、「戦争への道を踏み出そうとする政府の戦争策動、憲法改悪に抗し、わが国とアジア近隣諸国、世界平和のために闘いぬく」という大会宣言を採択し、ガンバロー三唱で締めくくられた。 ■5・10 東京 一坪関東ブロックが集会 辺野古新基地建設阻止の闘い強化を訴える 5・15沖縄現地闘争と結合し、「本土」東京においても5・10「復帰四十二年糾弾! 沖縄の基地強化を許さない!」集会が百五十名の結集でかちとられた。主催は、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック。 主催者挨拶では、米軍再編と自衛隊の強化にさらされている沖縄の基地の現状を徹底暴露し、それを許さずたたかいぬこうと訴えられた。さらに、四月十九日の与那国現地での陸上自衛隊起工式阻止の闘いも緊急報告された。 沖縄からは、ボーリング調査―埋立着工が強行しようとしている辺野古新基地建設の決定的な事態に、安次富浩・ヘリ基地反対協議会共同代表が発言した。安次富さんは沖縄の「自己決定権」と「平和的生存権」が必要であると強調した上で、今後の現地情勢について、ボーリング調査を名護市議選への影響を避け、六、七月頃におこなおうとしていると警告し、「工事を秋にも着手」という報道は、安倍政権が知事選に勝てないと踏んでのことか、と批判した。 連帯発言ではフォーラム平和・人権・環境、東京全労協、全労協・全国一般東京労働組合、辺野古への基地建設を許さない実行委員会の四団体が発言をおこなった。 最後に、基地建設工事が目前に迫る高江・辺野古を問題にした、「高江・辺野古の基地建設を許さない6・6集会」への結集が呼びかけられ、団結ガンバローで集会は締めくくられた。 5・15闘争から辺野古・高江への基地建設を阻止する現地攻防を軸に沖縄―「本土」貫く闘争陣形を強化しよう! ■5・10 三里塚沖縄集会 五月十日三里塚沖縄集会が読谷村文化センターにおいて開催された。三里塚芝山連合空港反対同盟と市東さんの農地を守る沖縄の会による共催で、約四十名が参加した。 集会に先立って、知花昌一さんと宮城正明さんによる三線の演奏と歌が披露された。 午後七時より集会は開始された。集会の冒頭、昨年急逝された萩原進さんの黙祷を行った。進さんの遺志を継いで三里塚沖縄の連帯の強化を確認した。 そして対談形式で山本善偉さん(元高校教師・九十三歳)の「生き方と三里塚闘争を語る」と題したお話があった。 続いて、沖縄の闘争現場から、辺野古における闘い、またヘリパッド建設阻止高江住民の会、普天間基地爆音訴訟団からそれぞれ闘いの現状報告と決意が表明された。 緊急報告として、群山米軍基地被害相談所所長のク・ジュンソさんより、済州島海軍基地建設阻止闘争の闘いの報告を受けた。 連帯の挨拶として、福島で闘う果樹農家からのメッセージが代読された。 市東さんの農地取り上げに反対する会から発言を受けた。 そして三里塚芝山連合空港反対同盟として、市東孝雄さんが、裁判報告と三里塚闘争の現状報告を行った。どのように野菜を作っているのか、どのように出荷作業をしているのか、団結街道が封鎖されたため畑に行くのに迂回を強いられる状況などを、映像を使ってわかりやすく説明した。また第三誘導路との位置関係や、奪われようとしているのは畑だけではなく、苗作りのためビニールハウスや農機具置き場、資材置き場なども含まれており、それらは農作業には欠かせないものが多くあることを説明した。 問題になっている農地は、農地解放で解放されるべきだったこと、残存小作地は小作人に買い取る権利があること、小作人の承諾しない売買は許されないということが農地法の根本原理であると説明した。さらに農耕者でない当時の空港公団が父・東市に黙って、農業委員会の許可も受けずに買収するという農地法違反を行ったことを明らかにした。このことについて空港会社は、農地の賃貸目的ではなく、転用目的で買ったと言い訳しているが、買収してから十七年間も転用せず放置しておくこと自体が、農地法に違反していることを明らかにした。 この畑は、産直消費者のものであること、約四百軒の消費者に野菜を届けていること、産地交流や総会で顔の見える関係を作ってきていることを説明した。農地から生まれる作物は、アトピーの子どもにも受け入れられ、多くの人々の支えになっており、農業にこそ公共性があるというして、その大切さを改めて確信していることなどを語った。 市東さんは最後に次のように発言した。成田空港は「国策」を掲げ、農地・家屋を収用することで作られてきた。そのやり方は、「国策」として推進された原発や基地とまったく同じである。私が成田で農地を守り続けることは、同じように「国策」と闘い続ける福島や沖縄の人々とつながり、ともに闘うことだと思っている。 羽田国際化が進む中で、成田空港会社は焦っている。「第三滑走路実現する会」が設立されたが、荒唐無稽な計画で、現実性などない。二百軒以上の住民に立ち退きを強制するもので、断じて許すことはできない。反対同盟は周辺住民とともに闘い抜く決意を明らかにした。そして六月二十五日控訴審第二回口頭弁論に向け、東京高裁に結集するよう呼びかけた。 集会のまとめとして、次のような発言が行なわれた。「沖縄は米軍により銃剣とブルドーザーで農民の命である農地を奪われ、基地が作られてしまった。現在沖縄では、黙認耕作地から農民が追い出されようとしている。安倍政権は、「国策」を盾に、原発の再稼動・辺野古移設を強行しようとしている。本日は、市東孝雄さん、山本善偉さんを迎えて、福島・三里塚・沖縄の闘いをさらに強化していくために、集会を持ちました。反基地民衆連帯の闘いを強固にうちかためて、今後も闘い抜いていこう」と訴え、熱気あふれる中、集会は終わった。 ■AWC日本連が現地闘争に決起 辺野古・高江、宮森小学校を訪問 一九七二年の「復帰」から四十二年目を迎える沖縄は、安倍政権による辺野古新基地建設が沖縄人民の総意を踏みにじって進められ、領土防衛のもとに対中国の軍事態勢が強化される情勢のただ中にあった。五月十五日には、安倍首相による集団的自衛権の合憲化へ踏み出す記者会見が行われた。 アジア共同行動(AWC)は、七二年沖縄の反革命的統合を糾弾し、人権と生活を踏みにじる米軍支配からの解放を闘う沖縄人民に連帯する五月沖縄現地闘争を闘った。五月十五日から十八日まで、全国から参加したAWCの仲間とともに取り組んだ闘いを報告します。 五月十五日は、名護市の辺野古と高江を訪問。辺野古は、七月から埋め立て工事のためのボーリング調査の開始が狙われている。訪れたときは、嵐の前の静けさといった感じで、テントものんびりしており穏やかな海が迎えてくれた。テントでは、辺野古に作られる巨大基地の概要の説明を受けた。また豊かな大浦湾の生態や美しいサンゴなどを紹介する資料を見学できた。 辺野古の次に、米軍のヘリパッド建設と闘う東村高江を訪れた。高江では、昨年攻防となったN4ゲートとこれから建設が開始されようとしているN1ゲートを訪問した。現在は、特別天然記念物のノグチゲラの繁殖期ということで工事は止まっており、つかの間の休息の時期であった。 N1ゲートでは、見張りに来ていた女性から、現在の状況や計画されているヘリパッドなどについて説明を受けた。七月からは、二つのヘリパッドの建設がはじめるとのことで、資材や建設重機の搬入を阻止する激しい闘いが始まる。N1ゲートは、ヘリパッド建設地に至る入口が二か所しかないとのことで、阻止行動がやり易いと言われていた。高江のヘリパッドは、辺野古新基地に配備されるオスプレイの訓練基地であり、新基地と一体の施設だ。高江の闘いにも注目と支援を集中しなければならない。 五月十七日は、午前中にうるま市にある宮森小学校を訪れた。一九五九年六月三十日午前十時半頃、この小学校には米軍ジェット機が墜落し児童を含め十八名が犠牲となる痛ましい事件が起きた場所だ。当日は、事件当時宮森小学校の五年生で、現在「NPO法人石川・宮森630会」の事務局長の方に受け入れていただき、説明を受けることができた。最初は、旧石川市庁舎の中に展示してある事件関連資料を見学し説明を受けた。当時の新聞資料や写真などが展示してあり、子供たちの受けた被害や犠牲となった様子などがわかり、胸が痛くなる思いであった。展示資料の見学の次は、実際に墜落現場を歩いてみた。パイロットが脱出し無人となったジェット機が、民家をなぎ倒して宮森小学校に突っ込んで、二年生の子供たちの教室を破壊した状況を知ることができた。最後に、宮森小学校の中にある、犠牲となった十七名の慰霊する「仲良し地蔵」の前で黙とうをして、二度とことような事故を起こさせないために、米軍基地の撤去を誓った。 午後からは、読谷村に向かった。一九四五年五月読谷村から上陸を開始した米軍に追われチビチリガマに逃げ込んだ読谷村民のなかで起こった集団自死の悲劇の現場を訪問した。読谷村在住で、一九八〇年代に行われたチビチリガマの調査から関わられている方に説明をしていただいた。ガマの入口で、逃げ込んだ当時の状況やガマの内部での生活の様子、集団自死に至る状況を説明していただいた。個人的にはすでに何度か訪れているが、何度来ても胸に迫るものがある。真っ暗でジメジメしたガマの中で、息絶えていった人たちの恐怖や無念を思う。 チビチリガマの次に、読谷村にある米軍トリイ基地や返還された米軍基地跡地の様子などを簡単に見て回った。 ■5・17 沖縄―韓国連帯集会 十七日には、那覇市県立博物館・美術館にて、「米軍基地反対運動を通して沖縄・韓国民衆の連帯をめざす会」主催の「2014平和行進と沖縄―韓国連帯集会」が開催された。 集会は毎年行われ、この集会に参加するため来日するゲストたちは平和行進に参加し、辺野古や高江などの座り込みの現場にも赴いて、反基地を闘う沖縄と韓国との交流と連帯を重ねてきている。今年は十七名の方が来日された。 集会では、まず海軍基地建設が強行される済州島カンジョンでの反基地運動を映したドキュメンタリー映画「風が吹く」(監督チョ・ソンボン)が上映された。済州島の南部に位置するカンジョン村では現在大規模な自然破壊・生活破壊を起こしながら海軍基地建設が強行されている。建設工事が始まって以来、地元の村人たちや市民団体によって建設阻止の闘いが続けられているが、韓国政府は人口千人余りの小さな村に千四百人もの陸上機動隊を投入して、暴力的に工事を強行。この七年間に六百人もの人々が逮捕され、連行・拘束された。そのような弾圧の中で今なお粘り強く反基地の闘いは続けられている。映画ではカンジョン村の美しい風景、豊かな自然の映像と、それらが破壊される工事と何とかその工事を食い止めようとする人々の激しい抵抗の映像が、交互に映し出されていく。カンジョンは島の中心にあるハルラ山からの湧水が流れ、稲作に適した大地が広がっているところだという。川と、海と、その両方が混ざり合う汽水域によって動植物の種類は多彩であり、豊かな恵みを村の人々にもたらしてきた。その象徴としてクロンビ岩という三万年前のハルラ山噴火の際の溶岩が固まった巨大な一枚岩があるが、海軍基地建設はこの多様な生命を育むクロンビ岩を削り、コンクリートで埋めてしまうのだ。豊かな自然からの恩恵を受け生活してきた人々の叫びと、まさに体を投げ出すような激しい建設工事反対の抵抗闘争に、心が揺さぶられた。 上映後は、そのカンジョンから参加されたお二人の方からの報告が行われた。映画批評家のヤン・ユンモさんは、土地や人口の比率が全国の1%程度の済州島に、今後海軍基地に続いて空軍・海兵隊も新たに導入されようとしており、「安全保障」の名の下に島まるごとが要塞化されようとしていると、沖縄と済州島が似た状況に置かれていることを指摘し、逆に私たちはそれぞれの闘いをつなげて共に闘っていかなければならないと話された。 最後に、もう一人のエミリー・ウォンさんからこの集会のまとめともなる提起を受けた。エミリーさんはカンジョンに住む台湾の方で、自身の故郷台湾の平和も米中の武力の均衡が保たれているというそれだけによって維持されているものであり、いつ崩されてしまうかわからない。他の島の犠牲を強いることで得られた平和など恥ずかしいものであり、そんなものはいずれ自らの島も滅ぼすことになるだろう。台湾も済州島も沖縄も「国境の島」と言われ、基地の負担や戦争に巻き込まれる恐怖を負わされているが、「国境の島」などではなく私たちの故郷・家なのだと語り、米軍基地がなくなった後のことを共に描いていく非武装・平和の三角地帯を築いていこうと訴えた。最後に、その非武装・平和の三角地帯を作るために今年夏に済州島で開かれる「平和の海 国際キャンプ」への参加が呼びかけられた。カンジョン村で、平和と環境保護の様々なワークショップが催され、カンジョン海軍基地反対の海上活動も行われるとのことだ。 平和なアジアに向け、各地で反基地の闘いが粘り強く闘われていること。そしてその闘いが固く結びつき、連帯して闘われていることが実感される集会だった。エミリーさんの話された「他人を犠牲にして得た平和は恥ずかしい」とはまさに私たちに向けられた言葉だと思う。そして今、さらに日本は沖縄とも韓国とも深い深い溝を作りつつある。常に沖縄を、アジアを犠牲にして平和や安定した生活を得てきた「本土」の私たちが、沖縄とアジアの人々との連帯にどのように加わっていけるのか。まずは、「本土」の私たちが他者へ犠牲を押し付けることを拒否し、ひたすら戦争に突き進んでいくような今の流れに歯止めをかける反戦・反基地の闘いをもっと広くもっと大きく作り出していかなければならないだろう。 |
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