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■1・12 三里塚 反対同盟が新年デモと旗開き 一月十二日、三里塚現地において新年デモと旗開きが行われた。新年デモには百三十名の労働者人民が結集し、二〇一四年年頭の現地闘争を闘いぬいた。 午前十時過ぎから、市東さん宅の西側にある開拓組合道路に人々は結集した。まず最初に太郎良陽一さんが闘争宣言を読みあげた。そして事務局長の北原鉱治さんがあいさつを行った。北原さんは「反対同盟は闘争宣言を発し、二〇一四年も闘いに立ち上がる決意を表明した。市東さんの農地を強奪しようとする裁判では、三月から東京高裁に闘いの場が移ることになる。何としても、農地強奪攻撃を打ち砕こう」と激を発した。つづいて反対同盟顧問弁護団をはじめ参加者が発言し、全体でシュプレヒコールをあげて、部隊は現地デモ行進に立ち上がった。開拓組合道路から、東峰部落を通って、天神峰の市東さんの畑までのコースだ。デモ隊は「市東さんの農地を守り抜くぞ」とシュプレヒコールをあげながら、最後までデモをたたかいぬいた。 そして場所を移し、二〇一四年新年団結旗開きが行われた。伊藤信晴さんが司会をおこない、太郎良さんが闘争宣言を読み上げた。そして北原さんが「新たな決意をもって二〇一四年を闘いぬく」とあいさつした。 つづいて市東さんがマイクを握り、「萩原進さんの死によって、反対同盟は痛手を受けている。しかし、反対同盟はこの悲しみを乗り越えてたたかい続ける。先日、実行役員会においてたたかいの方針を決めた。三月に始まる控訴審のたたかいに勝利しよう。福島・沖縄と結びつきたたかいを前進させよう。進さんの遺志を受け継ぎ、『霞ヶ関に攻めのぼる』を合言葉に、十四年もたたかっていこう」と訴え、乾杯の音頭をとった。 そして歓談ののちに参加者が次々と発言に立った。すべての人が萩原進さんの急逝を悲しみ、三里塚闘争にかける決意を改めて表明した。反対同盟顧問弁護団は多見谷判決を弾劾し、「三月二十六日に東京高裁において、控訴審の第一回口頭弁論が行われる。高裁を包囲して、市東さんに対する農地強奪攻撃を打ち破ろう」と訴えた。市東さんの農地取り上げに反対する沖縄の会から寄せられたメッセージが読み上げられ、参加者全員で確認された。 統一委員会の同志は、まず始めに萩原さんの急逝を悼み「萩原さんは、人生のすべてを賭して三里塚闘争をたたかった。日本階級闘争の最先頭でたたかっているのが三里塚闘争だ。これを引き継ぎ、反対同盟のたたかいを全力で支援していく」と決意を表明した。そして、秘密保護法制定や靖国参拝を強行し、辺野古新基地建設をすすめようとする安倍政権を弾劾し、「『本土』―沖縄を貫いた安倍政権打倒のたたかいが、いまこそ求められている。三里塚闘争のように、徹底非妥協―実力闘争でたたかっていかねばならない」と二〇一四年をたたかう決意を明らかにした。 二期阻止全国共闘の仲間は「東京・芝公園での3・23全国集会、そして3・26東京高裁を包囲するたたかいに立ち上がる。反戦の砦―三里塚とともに国際主義の内容をもって反戦闘争をたたかい抜き、安倍政権打倒のたたかいに立ち上がっていく」と決意表明した。 共青同(学班協)の同志は、「毎回の全国集会で、萩原さんの基調提起を楽しみにしていた」「昨年の十月集会の後で行った交流会では、進さんから『左派はどうたたかっていくのか』と叱咤された」と回想して、萩原さんに哀悼の意を表した。そして「市東さんがはっきりと表明されたたたかいの方針、福島・沖縄とつながっていくという反対同盟とともにたたかっていく」と決意を明らかにした。 そして萩原富夫さんが発言に立ち、「萩原進の遺志をついで、反対同盟は固く団結してたたかっていく。市東さんの農地を守り抜く」と決意を明らかにした。最後に、参加者全体でガンバロー三唱をして旗開きを終えた。 市東さんの発言にあるように、反対同盟は今春のたたかいの方針を決定して、二〇一四年のたたかいに立ち上がる決意を明らかにしている。市東さんの農地法裁判では、三月二十六日に東京高裁において控訴審の第一回口頭弁論がたたかわれる。このたたかいの舞台が高裁に移る中で、反対同盟が呼びかける三月二十三日の全国総決起集会は東京・芝公園で取り組まれる。また反対同盟は、「あらゆる人々と交わり連帯しよう」と訴えた萩原進さんの言葉を受け止め、新たな三万人署名を呼びかけている。反対同盟とともに、二〇一四年闘争勝利へ前進しよう。 |
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