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■5月 沖縄 沖縄―「本土」貫き5月沖縄闘争かちとる ■5・19 沖縄 豪雨の中、3500名が沖縄差別軍事支配打破へ総決起 「5・15平和とくらしを守る県民大会」 日本軍性奴隷制度被害者が橋下を弾劾 五月十九日、宜野湾市海浜公園野外劇場で「復帰四一年、5・15平和とくらしを守る県民大会」が開かれた。5・11宮古島、5・15石垣島、5・16からの沖縄島「東・西・南三コースで展開された第三十六回「5・15平和行進」の総結集と総決起の場だ。 集会は、山城博治沖縄平和運動センター事務局長のリードによる戦闘的シュプレヒコールで開始された。主催者あいさつに立った崎山嗣幸平和センター議長(「県」議)は、「復帰四十一年、講和条約発効四十一年の今日、沖縄の闘いは人間回復への闘いの歴史だった。憲法改悪を狙い戦争策動を強める安倍内閣を糾弾して闘いぬこう」と訴えた。 集会途中、堰を切ったような豪雨となったが、結集した三千五百名の誰ひとり席を立つ者はいない。藤本平和フォーラム事務局長、新垣邦男中部市町村会副会長(北中城村長)が登壇し、沖縄―「本土」を結んで普天間、オスプレイ、原発―国策と対決しようと訴えた。 韓国・済州島で闘う「開拓者たち」代表団が演壇に立つとひときわ高い拍手がわき上がった。代表の宋(ソン)氏は、沖縄から米軍基地を追い出そう、そして沖縄・台湾・済州島を結ぶ海を非武装の平和な海にしよう、連帯して闘おうと戦闘的に訴え、最後に日本語で「米軍基地、出て行け」と全員で唱和した。 さらに日本軍性奴隷として強制連行された金福童(キム・ボクトン)さんが登壇し、開口一番「国家による性暴力により人権を踏みにじられた少女のことを知っていますか」と問いかけ、十四歳の時日本軍に連行された自らの経験を語った。「日本政府は民間人の施設として『慰安所』があったといっているが、それは戦時下、軍部の関与なくして準備できない」「日本政府はウソをつかず、公式に謝罪せよ」と糾弾し、同時に「慰安婦は必要」「米軍は風俗業を利用せよ」なる差別暴言を繰り返した大阪市長・維新の会共同代表の橋下を弾劾した。 集会では、平和行進三コースを代表して東コースの団長が平和行進の総括を行い、憲法九条改悪で戦争への道を突き進む安倍政権を許さず、オスプレイ配備・辺野古埋め立て申請糾弾、高江ヘリパッド建設反対、米軍再編・米軍基地強化反対、日米地位協定改定、脱原発を確認した「5・15大会宣言」を採択した。その後、豪雨の雨音をかき消す熱気あふれるガンバロー三唱で「5・15大会」は終了した。 日帝・安倍政権の戦争遂行攻撃は日増しに強まっている。われわれはこの激流に抗し、辺野古決戦を軸に断固として日帝の沖縄差別軍事支配打破―沖縄解放、安保粉砕の闘いに引き続き総決起しよう。 ■5・14―15沖縄 5・15闘争にAWCも結集 沖縄人民とともにたたかいぬく 米海兵隊の欠陥輸送機オスプレイの配備撤去をねばり強くたたかい、米軍による、さらなるオスプレイの新たな配備、辺野古新基地建設とたたかい抜いている沖縄に連帯し、かつ「本土」における反戦反基地反安保のたたかいとの結合を位置づけたAWC(アジア共同行動日本連)の、沖縄現地闘争が今年も取り組まれた。 AWCの呼びかけに全国各地から十三名の仲間が沖縄現地を訪れ、一九七二年反革命的統合から四十一年を糾弾する5・15闘争をともにたたかった。集会やデモへの参加とともに、辺野古や高江の訪問、交流、南部戦跡などの沖縄戦の学習と慰霊など、それぞれの運動との関係に応じた沖縄現地の取り組みにも参加した。 以下、五月十四、十五日のたたかいを報告する。 ●5・14 キャンプキンザー包囲デモ 五月十四日は、午後二時から「第十五回 軍港反対! キャンプキンザー包囲デモ」に参加した。主催は、「軍港反対! 浦添市民行動実行委員会」だ。 午後一時四十五分に浦添市役所前に集合し、二時から浦添市内の繁華街を抜け、軍港建設が続くキャンプキンザーの北側の海岸まで四・二キロメートルの長いデモに出発した。 デモ出発前には、キャンプキンザー包囲デモの呼びかけ人の黒島さんが挨拶を行い、侵略戦争を否定する安倍の発言や日本軍「慰安婦」制度問題についての大阪市長橋下の差別暴言を弾劾し、オール沖縄の反対を無視してオスプレイの配備強行・辺野古新基地建設を進める安倍政権とたたかっていくこと、浦添市民に軍港建設反対をアピールしていこうと呼びかけがあった。 時々雨もぱらつく天気であったが、まよなかしんやさんの唄を先頭に、「浦添軍港建設反対!」「オスプレイ配備をやめろ!」「日米安保条約を破棄しろ!」とシュプレヒコールをあげながらデモ行進を行なった。 デモ行進は、建設が進む工事現場のすぐ横の海岸で終了し、その後は工事の概要の説明を受けた。また包囲デモに結集した全国の仲間から発言があり、AWCからも山口の仲間が、岩国基地の拡張・基地機能の強化の実情や愛宕山で計画されている米軍住宅建設とのたたかいについて報告をおこなった。 ●5・15 国際通り道ジュネー 国際シンポジウム 五月十五日は、午後一時三十分から、「5・15『復帰』を問う国際通り道ジュネー」に参加した。 国際通りの牧志公園に集まり、短い集会ののち国際通りをデモ行進し、県庁前ひろばで解散。この日も小雨が降る天気ではあったが、元気よくデモを貫徹した。 沖縄人民にとって四十一年前の「復帰」へこめた思いとは、「平和憲法」の下への復帰、米軍基地のない平和な島を取り戻す、という願いが込められていた。しかし日米政府による「復帰」は、米軍基地を固定化し四十一年たった今も全く変わらない米軍の「軍事植民地」状態のままで、米軍による凶悪事件や事故は跡を絶たない。「復帰」とは何だったのか、日米政府による差別軍事支配からの沖縄の解放とは何なのか、を問うことを位置づけたこのデモ行進は、「復興」の象徴ともいえる国際通りで行なわれた。 今年はデモの中で、とくに琉球の独立ということが問題提起されていた。沖縄の反対の意思を無視し、オスプレイの配備を強行し辺野古新基地を作ろうとする日本政府に対する不信と怒りは、今沖縄では独立しかないという言葉となって表現されている。どんなに反対してもオスプレイの配備も辺野古新基地建設もやめようとしない日本政府から、独立をする以外に米軍を追い出し平和な島を取り戻すすべがないという思いが沖縄で深く静かに広がっている。 五月十五日、国際通り道ジュネーのあとは、午後六時から、沖縄県立博物館美術館二階講堂で行なわれた、沖韓民衆連帯の主催で、韓国基地平和ネットワークの共催による「第六回東アジア米軍基地 環境・平和国際シンポジウム」に参加した。 このシンポジウムには、韓国から群山米軍被害相談所、チェジュ島カンジョンで海軍基地建設とたたかう活動家など十名が参加していた。沖縄側からは、沖縄国際大学教授の佐藤先生、ヘリ基地反対協の安次富浩さんが講演と報告をおこなった。 佐藤先生は、「東アジア米軍の最新動向」と題した報告をおこなった。安倍政権の下で、中国との領土問題が煽動され日米と中国との新たな軍事的緊張が日本では大きなテーマになっているが、アメリカの動きを冷静に見ていくと、アメリカが戦争をする体制にはないことが明らかになるとして、日本における領土ナショナリズム、排外主義を批判した。 安次富浩さんは、辺野古の闘いを中心に報告され、「オスプレイの撤去と辺野古新基地建設を許さないオール沖縄の総意は揺るぐことはなく、来年一月の名護市長選に勝利し辺野古新基地建設を打ち砕こう」と発言された。 韓国からは、群山米軍被害相談所のク・チュンソさんから韓国の米軍基地における環境破壊の調査報告やピョンテクで行なわれている米軍基地の拡張工事の問題が取り上げられ詳しい報告が行われた。 カンジョン村で海軍基地建設と村人ともにたたかっているソン・ガンホ博士は、朴新大統領の下で非常に厳しい闘いが続いており、警察によるひどい弾圧が行なわれ力で勝つことができない現状を報告しつつ、政治・社会的闘いをもっと広げていくことを訴えた。具体的には、チェジュと台湾、沖縄を結んだ三角形を東アジア非武装平和三角地帯あるいは東北アジア平和三角地帯としていく国際的な壮大な構想を明らかにした。 ■5・14 沖縄 「復帰」41年を問う 沖縄の「軍事植民地」化に反対! 五月十四日、沖縄・浦添市のベッテルハイムホールで、「『日本復帰』四一年を問う5・14沖縄集会」が開催された。主催は「5・15を問う沖縄行動実行委員会」で、「日米による沖縄の『軍事植民地』化反対!」「琉球の主権回復を!」という集会スローガンが掲げられた。 まよなかやしんやさんの司会で進行した集会ではまず、集会の呼びかけ人の一人であり、一坪反戦地主会浦添ブロックの黒島善市さんが開会あいさつとして、「米軍政の圧政を逃れるための「復帰」であったがその現実はどうか。四月二十八日の『主権回復の日』政府式典では『天皇陛下』万歳とまで言う始末で、背筋が寒くなってくる。沖縄に在日米軍の74%が集中しており、基地の島としての現実はまったく変わっていない」と訴えた。 続いて基調講演として、「復帰とは何だったのか」という演題で石川元平さんが登壇した。石川さんは沖縄教職員労組の委員長として当時の復帰運動を最先頭で牽引したが、昨年十月に「日本への決別の気概を」という文章を琉球新報に寄せ、大きな注目を集めた。石川さんはその講演のなかで、天皇メッセージに言及し、それは「現憲法の施行後に出されたものであり、天皇がやってはならない最大の政治行為をおこなって、4・28に誘導したものだ」「沖縄を天皇制護持のための『捨て石』として沖縄戦を遂行し、その責任も戦後補償も果たさずサンフランシスコ条約発効に導いた天皇の戦争責任・戦後責任を追及しなければならない」と訴えた。石川さんはまた、復帰運動を振り返りつつ、当時打ち出した「即時無条件全面返還」というスローガンは「核も基地もない沖縄」を意味するものであったが、日米両政府は「核抜き・本土並み」という文句で沖縄人民を欺き、実際には「核隠し・米軍基地自由使用」を押し進めて今日の沖縄の現実をつくりだしてきた、と語った。そして、現在の沖縄の状況を「第四の琉球処分」が進行中としたうえで、「二度と沖縄が日米の道具として利用されることがあってはならない」と訴えた。 集会ではさらに、琉球独立総合研究学会の設立に取り組んできた若手の研究者から、沖縄・「本土」間の労働力移動から考える沖縄の雇用・失業問題の報告、国連の「先住民族の権利に関する専門家機構」の会議への参加報告などがおこなわれた。また、辺野古、高江、八重山、普天間、泡瀬などの様々なたたかいの報告が続いた。アイヌ民族からのアピールも行われた。たたかいの報告のなかで、ヘリ基地反対協の安次富浩さんは安倍政権による辺野古埋め立て申請の提出を弾劾しつつ、七月参議院選、さらにきたる名護市長選に勝利し、辺野古新基地建設阻止の攻勢的なたたかいをつくっていこうと呼びかけ、ヘリパッドいらない住民の会の儀保昇さんはこの六月で六年を迎える高江ヘリパッド建設阻止のたたかいへの支援を訴えた。 ■5・15 東京 広範な人民が結集し反基地・オスプレイ撤去訴える 「本土」東京においても5・15集会が開催された。「『復帰』四十一年を問う―さらなる沖縄・反基地闘争にむけて―」というタイトルで、五月十五日夜、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの主催で集会はおこなわれた。 同関東ブロックは、同日集会前に定期総会をかちとり、二〇一三年のたたかいを確認してのぞんだ。集会には在「本土」沖縄人をはじめ同関東ブロックの会員、アジア共同行動など支援協力団体・個人が集まり、熱気あふれる場となった。 集会は、共同代表の大仲尊さんが主催者あいさつし、沖縄平和市民連絡会の真喜志好一さんが集会タイトルの内容で発言した。真喜志さんは現在のたたかいとして、「高江オスプレイパッド阻止」「(辺野古の)公有水面埋め立ての承認をさせない」「安全基準には合わない普天間(基地)は閉鎖」などについて話した。そして最後に「当面の課題」を戦後直後の社会科の教科書である「あたらしい憲法のはなし」から明らかにした。「『あたらしい憲法のはなし』に書かれている民主主義の理解の程度に留まっているのならば、少数者はたまったものではない。沖縄とヤマトの関係、まさに今それである。アイヌ、被差別部落、在日、新しく労働者として入ってくる外国の人たち、こういう少数者の人たちにとってたまったものではない」とし、沖縄の声を国政へ届ける必要性について提起した。 連帯発言では、全労協・全国一般東京労組、沖縄の闘いと連帯する東京東部集会実行委員会、横田行動実行委員会、辺野古への基地建設を許さない実行委員会、東京沖縄県人会の方、戦争に協力しない!させない!練馬アクションがおこなった。 最後に、「NO!オスプレイ6・6集会~追加配備はもってのほか!~」をはじめ、首都圏各地の取り組みへの参加などが呼びかけられ、団結ガンバローで集会は締めくくられた。 |
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