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     11・23-24 山口

   岩国行動2012 大成功かちとる




 ●11・23 岩国住民との交流会

 反対運動の苦闘と闘いの確信に触れる



 プログラムの最初は、たたかう岩国住民諸氏を招いての住民交流会だ。
 最初に「愛宕山を守る会」代表の岡村寛さんから「安心安全のための基地の沖合移設工事が、米軍再編計画で厚木からの艦載機を持って来る話になってしまった。戦後、これだけ米軍基地を強化拡大した所というのはない。米軍は港湾まで整備した。今後、むつかしい問題があったら全部岩国に持って来ればいいというようなことになりかねない。実際、オスプレイの陸揚げがそうだった。沖合移設でだまされ、住宅建設でだまされ、もうたてついてもしょうがないな、となりかかっていたときに、守る会は発足した。艦載機移駐と、米軍住宅建設反対のこの二点を目的に、活動して来た。署名を出したり意見書を出したり、裁判を傍聴したりして来たが、むなしくなるときもある。しかし、私たちの取り組みをちゃんと評価してくださる人たちの心を大事にしながら、地元としてがんばっていかねば、と思っている。見守りの集いを二年以上やって来て、最初市の担当者があれこれいやがらせをして来たが、そのうち何も言わなくなった。やはり継続は力だ。変わらぬご支援をお願いします」と述べた。
 「住民投票の成果を活かす会」の藤川俊男さんからは、四つの裁判闘争についての報告がなされた。「最初に提訴した海の裁判は、一審では敗訴したが控訴して、広島高裁に移った。来月十二日に第一回の口頭弁論が開かれるので、足を運んでいただきたい。二番目が空の裁判。いわゆる爆音訴訟。合わせて二回の提訴をし、六百五十四名の原告でたたかっている。オスプレイの件でも、飛行差し止めなど、何らかの形での追加提訴を考えている。三つ目が山の裁判。広島地裁で、そろそろ証人尋問に入る。それから既に終わっているが、テーブルの裁判。議事録の一部開示を命じる判決が出た。全面開示とはならなかったが、われわれとしては一部勝訴と考えている」との報告があった。
 続いて同じく「活かす会」の大川清さんからだ。「われわれが強く反対する中、アメリカはオスプレイを陸揚げした。訓練飛行の初日から、合意事項などおかまいなしに市街地上空を飛び、夜間に飛んでいる。岩国から沖縄に飛び立たせてしまったときには悔しくて涙が出た。オスプレイについて知れば知るほど、飛ばせてはならないと思う。米軍に守られているなんていう人もいるが、基地がどれほど住民の生活や命を奪って来たか。国民の命を危険にさらして、何が安全保障か。オスプレイも、危険だから、だけではなく、戦争に使われるのだ、ということで反対していかなければ。沖縄も岩国も、植民地ではないはずだ。岩国は住民投票で意思表示して以降、国の圧力にさらされ、どれだけ悔し涙を流したか知れないが、全国からの支援を受けはねかえして来た。オスプレイにも、米軍犯罪にも、今一度NOを突きつけたい」と、強い口調で糾弾した。
 田村順玄市議は、「岩国錦帯橋空港の開港を二十日後に控え、また十二月十六日に総選挙の投開票を控えて、沖縄でも『本土』でも、米軍は目立った動きを見せないようにしている。やはり全国の人が、全国の目でオスプレイを糾弾していくことが一番大事だと思う。オスプレイの低空飛行訓練ルートの下には、およそ百七十の自治体がある。ぜひ全国の自治体の住民が、オスプレイ反対の意見書、決議、集会などをいっせいにやって、反対の狼煙を上げて行くことが、今一番大事なんじゃないか。自分の頭の上二百フィートを飛んで行く、ということを具体的に示して、皆さんとともに全国的な運動に結びつけて行きたい。各地が点で運動しているんじゃ駄目で、面で全国の仲間が取り組んで行こう、ということ」と確信に満ちて発言した。
 その後の会場との質疑応答では、現状で何が課題であり、岩国市外からのどういった取り組みが支援になりうるのか、という、きわめて実践的なやり取りが行われ、住民交流会は成功裏に終了した。



 ●12岩国・労働者反戦交流集会

 「なぜ今労働者が政治闘争を闘うのか」を熱く語り合う



 今年の岩国反戦労働者交流集会の特徴は、「なぜ今労働者が反戦闘争を闘うのか」を巡って、それぞれの職場や地域の課題を出し合いながら語りあったことだった。長引く不況の中で、出口が見えない労働者に対して、橋下や石原たち右翼排外主義者は民族差別を煽りたて、弱者への攻撃を扇動し「政治を変え、憲法を変え、TPPなどによって経済体制を変え」ようとしている。こうした現実の中で働く労働者達が自分たちの未来を勝ち取りるためにはどうすればいいのかが真剣に論議された。
 集会では、まず地元の「連帯ユニオン山口」から開会の挨拶があった。そして、連帯の挨拶が、同じく山口で憲法を活かす活動に長年たずさわってきた団体からおこなわれた。続いて二つの基調的な提起があった。一つは「ピースリンク広島・呉・岩国」から「七月二十三日、オスプレイの岩国配備に対し、全力で反対闘争を取り組んだ」報告と「このオスプレイ配備がアメリカの軍事戦略である」ことの暴露であった。
 集会実行委員会の提起した基調報告では、六回目を数えるこの「岩国反戦労働者集会」を「岩国でつながり、岩国・沖縄・神奈川の反戦・反基地闘争を闘ってきた私達が現在直面している課題は、労働者全体の未来を決する局面で私達が何をするのかということだ。かつて戦争へと動員され、アジア侵略の加害者となった日本の労働者が二度とその道を歩まないように、反戦反基地反安保の闘いを全力で闘う」意思統一の場とすることが提起された。
 続いて特別報告として、沖縄連帯の闘いから帰ったばかりの労働者からオスプレイ配備反対の闘い、高江のヘリパット建設阻止の闘いが臨場感をもって語られた。そして、韓国のカンジョン基地反対闘争に連帯して渡韓した労働者からは、韓国政府が作ろうとしている海軍基地の実態が暴露され、これに対して闘う韓国の労働者市民の姿が生き生きと報告された。
 さらに集会では結集した労働者からフロア発言がおこなわれた。郵政労働者は「なぜ労働者が反戦闘争を闘うのか。それは平和に生きる権利を守り貫くためだ。平和であるからこそ賃金や労働条件が守られるのだ」と労働者が反戦闘争を闘う意義を鮮明にした。全港湾の労働者は、橋下との闘いを報告しながら「震災ガレキを安全だといって埋めようとしている。岩国では海を埋め立てて基地を作りオスプレイを陸揚げした。自分たちの職場である海を守る闘いと反戦・反基地・反核は同義語である」と語った。また、全国一般全国協からは「全国で岩国連帯の大きな闘いを作りだしていこう。労働組合が先頭に立ち闘うことが重要である。また、自分達の課題として被曝労働者との連帯の闘いを開始している」と報告があった。全日建連帯関生支部からは「オスプレイ配備反対の全国闘争をおこなおう。労働者は政治ストライキを構え、なぜストライキをして闘うのかを職場で議論し、ストを打って闘う労働者のうねりを作り出そう」と闘いの方針が提起された。そのほか各地域職場での闘いの報告や決意が次々とおこなわれる中、別の会場での集まりを終えた沖縄名護で闘う議員と市民も駆けつけ「名護でやられたことも、今岩国でやられていることも同じだ。連帯して闘えば必ず勝てる。米軍基地がある限り人々の安全・安心な暮らしは守られない」と闘いの報告と連帯を込めた発言がおこなわれた。最後にまとめとして「現場の闘いに学び、連帯し、具体的に行動していくことで労働者の未来を作りだそう。沖縄・岩国・神奈川そして韓国をはじめとするアジア各地の闘いへの連帯した闘いを続け、来年も岩国で会おう」いう提起がおこなわれた。



 ●ヒバクを考える交流会

 ヒバクシャ差別・障害者差別を考える



 二〇一一年三月十一日以降、誰もがヒバクについて向き合わなければならない状態になった。しかし東日本と西日本に住むものの間では差がある。また3・11以前からヒバクと向き合ってきた被爆二世とも感覚の差がある。これまで関東地区では「被曝を考える座談会」を重ねている。今回はその流れも含みながらの交流会となった。
 まずは参加者全員が3・11以降に感じた事を話した。その結果、ヒバク問題を巡り様々な分断が起きていることがわかった。分断の根底にあるのはヒバクシャ差別・障害者差別である。新聞記事を利用し、ヒバクシャ差別について論議をした。ある獣医師が「放射能雲の通ったところにいた人は結婚しない方がいい。子どもを産むと奇形児がどーんと増え大変なことになる」と発言したことが報道されている。その記事に対し、「被爆二世の存在を否定するものだ」という抗議文を送った被爆二世の会もある。交流会に参加した障害者の女性は妊娠したときに医師から「障害者が産まれるから子どもを産むな」と言われ、猛然と抗議をしたという体験を話してくれた。「原発事故の被害に遭うと障害者が産まれる。だから原発を止めよう」という反原発・脱原発団体は意外に多い。それがヒバクシャ差別に繋がることを自覚していない。
 今はまだ、混乱状態にある福島の人達は声を出しづらい状況にある。関東に住む人が、東京電力福島第一原発事故によりヒバクをしたということを自覚し、政府や東京電力に補償を求める運動をしていこう。現在、東京の労働組合が原発被曝労働者との連帯を強めている。こうした闘いにリンクしながら同時にヒバクシャ差別・障害者差別を許さない社会を作ることが必要である。そのためにもこうした交流会を重ねることが大事だ。



 ●岩国・沖縄・神奈川・韓国・フィリピンの反基地懇談会

 今後の課題で率直な意見交換



 「岩国・沖縄・神奈川・韓国・フィリピンの反基地懇親会」は、タイトルどおり、地元岩国をはじめ、沖縄、神奈川、韓国、フィリピンの運動を進める人たちがざっくばらんに意見交換する場となった。
 参加者が自己紹介をした後、沖縄の命を守る会・事務局長である宮城保さんから、「住民投票の結果を活かすのではなく、実現させる。次にどうしていくのか、市民に運動を広げていくのが大事。そのためにどうしているのか?」と岩国の人たちに質問してから、活発なやり取りとなった。岩国の「愛宕山を守る会」代表である岡村寛さんは、「ストップさせるには高江のような運動が必要。われわれの主体が年寄りばかり。若い人が立ち上がることによって、運動にエネルギーがもらえるが、もどかしさを感じる」「オスプレイの問題で、全国民が同じ目的に向かって手を上げ声を出すという行動が起きれば、地位協定の改定だとか日米安全保障条約の見直しだとか、一般市民が関心をもってくれる、近い将来そういう展開になってくれればいいなと、そうすれば運動の切り口がだいぶ変ってくる」。それに対して宮城さんは、「命を守る会がそうだが、年寄りががんばってくれることが他の人たちに影響を与えてくるし全県全国に伝わっていくということもある。何も実力阻止行動をやることだけが成果を上げる手段ではない。ある意味ではあるところではそういうのも必要。無抵抗の抵抗、沖縄でも大体同じ」。
 話しは段々と深まり、まさに各地各国でのたたかいの経験に学んで岩国のたたかいの前進へつながる契機となった。



 ●青年・学生交流集会

 大川さんを囲んで語り合い有意義な場に



 十一月二十三日の夜には、各地からかけつけた若者たちが「住民投票の成果を生かす岩国市民の会」代表の大川清さんを囲んでの交流集会を企画した。場所は大川さんが牧師を務めている岩国教会だ。
 まず「あすじゃ山口」のメンバーが、はじめて岩国を訪問した仲間を対象に「岩国基地問題とは何か」と題してレジュメを提起。つづいて大川さんの講演だ。テーマは「軍事力によらない平和な未来の為に」。
 牧師として北海道から赴任してきた大川さんは、さまざまなしがらみから「基地反対」の声を上げにくい岩国の現状を知った。しかし、〇五年の米軍再編中間報告で、岩国への艦載機部隊移駐が報道され、その是非を問う住民投票がはじまると、住民の様子が一変したという。「イヤなものはイヤ、と言っていいんだ」。住民は立ち上がった。賛成派からの圧力やデマをはねのけ、有権者の過半数がNO!を突きつけた。
 ところが国は住民投票を無視し、反対派の井原勝介市長を辞任に追い込むという暴挙を展開。大川さんら立ち上がった市民は「住民投票の成果を活かす市民の会」を立ち上げ、岩国は負けないとたたかいを続けている。故・小田実氏が残した「私たちは微力だが、無力ではない」というメッセージが強く印象に残っているという。
 つづいて質疑応答。まず、オスプレイ反対運動の時の思いをうかがった。「ゴムボートに乗って反対したが、海上保安庁に圧倒された。オスプレイが陸揚げされ、いても立ってもいられず、ハンストを呼びかけた。『不法占拠だ』と言われたが三日間、おこなった。しかしオスプレイは沖縄に飛び立ってしまった。悔しくて悲しくて、涙が止まらなかった」。
 参加者から質問が相次いだ。領土問題で噴出するナショナリズム、現下のイスラエル軍によるパレスチナ侵攻、日米安保条約等々ついて。「親子の中で運動の話はしますか?」といったつっこんだ質問にも、大川さんは丁寧に返答。
 参加者側も質問するだけでなく、東京や関西での米兵による性暴力事件を糾弾する取り組みを紹介したり、これから「岩国米軍基地の強化に反対する署名」にも取り組んでいく、との具体的な運動提起も打ち出された。
 会場を見守っていた、韓国「平和と統一を開く人々」の活動家が最後にコメントしてくれた。「真剣に討論している若者たちに感銘を受けました」「済州島の海軍基地建設反対運動の現場でも、若い仲間ががんばっています」「現場でたたかうことと同時に、理論や方針を学習し、それを現場での実践を通じて検証することが大切です」「岩国と済州島はつながっています。北東アジアの真の平和をかちとりましょう」。



 ●11・24 フィールドワーク

 岩国基地コース

 マイクロバスで岩国市中心部から国道を南へ抜けて十分ほど。岩国基地のある二つの川に挟まれた中洲を過ぎて西側の山の斜面につくられた住宅地の中の坂道を登りつめると、岩国基地が一望できる高台に出ました。基地全体を望めるほぼ唯一の地点とのことで、七月にオスプレイが陸揚げされた南端の港湾部から十二月に開港する民間空港の施設が置かれる北端まで、七・八九平方キロメートルにも及ぶ広大な基地の全貌が見渡せました。
 今回の沖合滑走路新設に伴う二百十三ヘクタールもの拡張エリアはとにかくだだっ広く、密集した市街地と不釣り合いな存在感を示していました。
 次に向かったのは基地の拡張エリアの北東端。先述の民間空港(岩国錦帯橋空港)のターミナルビルの前を通り、パブリックアクセスロードと呼ばれる海に面した市道の入口に着きました。もともとこの沖合新滑走路は一九六八年の九州大学F4戦闘機墜落事故を契機に市街地の騒音低減・安全確保を目的に計画されたはずでした。しかし旧滑走路の廃止プログラムは不明なまま、さらに誘導路にも緊急時の着陸制動装置の設置が明らかになるなど、実態は大幅な機能強化であることを説明していただきました。

 愛宕山コース

 十一月二十四日には、朝から愛宕山と基地に分かれてフィールドワークがおこなわれました。
 私たちは、愛宕山でのフィールドワークに参加しました。
 マイクロバスで愛宕山に向かいます。近づくにつれて、山の中腹からばっさりと切り開かれた愛宕山の姿が見えてきます。岩国基地沖合移設に必要な土砂は、愛宕山を削って搬出されました。そしてその愛宕山には、住宅地が造成される予定でした。ところが、基地の沖合移設事業は基地強化へ、愛宕山住宅地建設は米軍住宅へと姿を変えたのです。
 アジア共同行動山口と九州の方に説明をしていただきながら、愛宕山を登ります。真平らに切り開かれた開発地に立つと、かつての山頂から移設されてきた愛宕神社が目を引きます。愛宕山は、鎮守の杜としてあり、春には満開の桜の中で、相撲大会などがおこなわれていたそうです。山の地権者は、基地の沖合移設と住宅建設のためだと説得されて土地を手放し、付近の住民は工事の騒音や粉塵を我慢させられてきました。ところが、それは基地の拡張・強化と米軍住宅建設のためだったのです。
 愛宕山の上に立ち、説明を受けていると、岩国基地の強化が、いかにして住民をだまして進められてきたのかが手に取るようにわかりました。



 ●11・24 岩国国際集会

 岩国から全国貫く反基地闘争を!

 基地に肉薄するデモ貫徹



 十一月二十四日、岩国市の岩国福祉会館において「基地強化に反対し、アジアからの米軍の総撤収を求める国際集会」がアジア共同行動(AWC)日本連絡会議の主催で開催された。十一月二十三日、二十四日と二日間にわたる二〇一二岩国行動の締めくくりとして集会・デモがたたかいぬかれた。
 午前十時すぎ、「二〇一二岩国行動は、新しい展望を切り拓いた。あらたな力を蓄えて、ともに奮闘しよう」というアジア共同行動日本連共同代表の白松哲夫さんの開会あいさつで集会が開始された。
 つづいて連帯発言がつぎつぎとおこなわれた。はじめに台湾労働人権協会から寄せられた「米軍基地をアジアから追い出そう」と訴えるビデオメッセージが紹介された。
 憲法を活かす市民の会・やまぐちは、「沖縄にも岩国にも基地はいらない」と発言。
 つぎに、韓国から岩国行動に参加した金鍾一(キムジョンイル)さん〈平和と統一を開く人々(ピョントンサ)現場チーム長〉が「韓米日軍事同盟阻止のための韓国民衆の闘い―アメリカ帝国主義の覇権戦略を中心に」と題した報告をおこなった。済州島カンジョン海軍基地反対闘争についてパワーポイントを使いながら報告し、「岩国のオスプレイ反対闘争に連帯し、共にたたかう」と発言した。
 フィリピンからは、「米兵による暴虐を許さず共にたたかおう」というメッセージが紹介された。
 つづいて、岩国住民からの発言では、「愛宕山を守る会」代表の岡村寛さん、岩国市議の田村順玄さんそれぞれから連帯あいさつがおこなわれた。
 岡村さんは「岩国基地は、滑走路を沖合延長し、拡大強化された。戦後いままでに、機能強化された基地はない」と岩国基地強化を徹底批判した。田村さんは、「さらに反基地のたたかいを続け、岩国から全国につながる反基地闘争を発信しつづけていく」と決意を明らかにした。
 沖縄からは、命を守る会が、「岩国での反オスプレイのたたかいのように、自分の問題として反基地を取り組んでほしい」と沖縄―「本土」を貫く反基地闘争の重要性を語った。
 神奈川から参加した、基地撤去をめざす県央共闘会議の檜鼻さんは、キャンプ座間、米軍横須賀基地、厚木基地と神奈川における反基地闘争について報告し、岩国に連帯してたたかう決意を明らかにした。
 被爆二世の会は、福島原発事故後から、被ばく者差別がひどくなっている実態を明らかにし、被ばく者差別とたたかいぬくことと、上関原発建設を阻止していく決意を明らかにした。
 つづいて、米兵による女性に対する性暴力事件を糾弾し、反オスプレイを訴える「岩国行動2012 女たちの宣言」が女性有志によって読み上げられた。
 12岩国・労働者反戦交流集会実行委員会からの発言では、全国一般労働組合全国協議会、全日本港湾労働組合、全日建関西地区生コン支部の三人から連帯発言がおこなわれた。
 東京から参加した元教員は、石原都政による教育現場での「日の丸・君が代」強制とのたたかいの報告をおこなった。
 青年・学生交流会の報告では、格差拡大・貧困化が深刻化する中で、多くの青年・学生を反帝国際連帯のたたかう側に獲得していく重要性を明らかにした。
 集会の最後に、集会宣言をアジア共同行動日本連全国幹事が読み上げ、会場の参加者全員の万雷の拍手で確認した。
 いよいよデモ行進だ。集会中、激しく降っていた雨もデモ出発時には小雨になり、参加者は手作りのゼッケンやプラカード、横断幕をもって岩国基地に向けたデモ行進に打って出た。楽器の演奏とともに、「オスプレイの低空飛行訓練阻止」「米軍住宅建設阻止」「愛宕山を守り抜くぞ」のシュプレヒコールをあげる。岩国市内の沿道の市民がデモ行進に注目している。岩国基地正門前に差し掛かると、ひときわ大きな声でシュプレヒコールを上げ、岩国基地に肉薄し抗議の声を叩きつけた。そしてデモ行進を貫徹し、二日間にわたる、岩国行動を成功裡に終えた。

 

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