共産主義者同盟(統一委員会)






■政治主張

■各地の闘争

■海外情報

■声明・論評

■主要論文

■綱領・規約

■ENGLISH

■リンク

 

□ホームへ

     8・6 広島

   被爆67年、原爆ドーム前で青空集会を開催
 
    



 被爆六十七年目の八月六日、広島の平和公園には、たくさんの人々が集まってきている。私たち「8・6広島青空集会から9・6『山口のヒロシマ・デー』へ!連続行動実行委員会」の仲間も原爆ドーム前に集まった。今年も青空の下、午前八時十五分、鐘の音と共に黙祷し、原爆死者に思いを馳せた。そして、亡くなられた被爆者(二世)の遺志を引き継ぎ、反戦・反核・反原発・被爆者解放の思いを新たにした。
 続いて、青空集会と同時開催の「戦争と被ばくを許さない写真展―命をおびやかもの―」の準備だ。展示の中身は、原爆被爆者の写真だけではなく、反原発運動の写真や岩国基地反対運動の写真もある。机を設置し、被爆二世の会の旗を立てて、オスプレイ配備反対の署名や冷茶の準備もした。多くの人々が写真展に見入り、署名をしていく。
 長崎から来た被爆二世の仲間が、集会に先立ち熱い連帯のメッセージを述べた。「日本政府は、福島の原発事故以降、内部被曝があることを認めるようになった。しかし、国は内部被曝はあっても健康への影響は無いという論陣をはってきている。私たちは被爆体験者の裁判で、内部被曝の実態を明らかにすることで、福島の人達の援護につながると確信している。六月二十五日、長崎地裁はこのことを真っ向から否定し、国に追従し、原告団に対し不当判決を下した。これは、内部被曝を認めざるを得ないという状況に危機感を覚え、『これ以上被爆者を増やさない、被爆者が死に絶えて行くのを待つ。そして福島の原発事故を踏まえて原爆の実相を過小評価していく。福島に援護の手を差し伸べるのを拒む』という極めて政治的な意図を持った国の意をくんだ判決だ。これを打ち破るために、控訴審の準備を進めている。我々被爆者・二世の援護を拒み続けている根拠は、一九八〇年の基本懇(原爆被爆者対策基本問題懇談会)答申だ。被爆の実相を矮小化し、放射線被曝の実態を押し込めようとする国の動きに対して、断固として闘おう。私たち被爆二世は、これまで放射能の遺伝的影響があるのではないかという多くの被爆二世の思いを胸に闘いを続けてきたけれども、これからも皆さんと共に、闘いを続けていくことを約束する。最後に、高校生一万人署名運動の仲間と共に、広島にやって来たことを報告して、長崎からの報告とします」という言葉に、私の胸もじーんと熱くなった。
 いよいよ、午前十時三十分だ。朝から、原爆ドームの周りには、機動隊や「日の丸」を持った差別排外主義者がウロウロしている。山口大学ユネスコクラブの学生による「定刻になりました。ただいまより、青空集会を開催します」という掛け声で、青空集会は始まった。
 まず、アジア共同行動日本連絡会議が開会の言葉を次のように話した。「日本政府と原発に群がる輩は、原爆と原発は違うと表明し、民衆を欺瞞し続けてきた。しかし、3・11福島第一原発事故がこれが全くの偽りであることを満天下に示した。原発の完全廃炉を求める運動は、いま日本国中に、燎原の火のように広がっている。また、昨年から、核武装を主張する輩が、公然と平和公園に入り込もうとしている。ここには、数多くの被爆者が眠っている。だからこそ私たちは、この場で反戦・反核・反原発・被爆者解放の闘いを前進させてきた。岩国米軍基地の大強化と、世界で最も危険な輸送機と言われるオスプレイの沖縄配備のための岩国基地への持ち込みを徹底的に糾弾し、闘いを推し進めよう。本日は、皆さんの核廃絶に対する熱い思いと日々の闘いの様子を語り合えたらと思います」と檄を発した。
 続いて、被爆二世の会からの基調報告だ。まず、平和公園が一九四五年当時、中島地区と呼ばれた元々六つの町から出来た、幾つもの映画館や商店街や旅館が立ち並ぶ有数の繁華街であった事。その六つの町が一発の原子爆弾によって消滅させられたこと。そこには、千三百世帯、約四千四百人の人々が暮らしていたこと。しかも、戦争末期ということで、呉や福山や岩国なども空襲を受け、広島市でも空襲に備え建物疎開を行っており、この平和公園の辺りでも、十一歳、十二歳の幼い学生が建物疎開に従事しており原爆の被害にあったこと。勤労動員で、近隣の町や村から多くの人々が建物疎開に駆り出されて原爆被害に遭ったこと。
 また、知り合いの被爆二世が「おじいさんが相生橋付近で亡くなったらしいが、一瞬で蒸発し、跡形さえも残らなかったようだ」と胸に秘めた思いを打ち明けてくれたこと。私たちは一人一人の生きていた姿、黒こげになって亡くなっていった姿を決して忘れてはならないことを訴えた。
 だから、私たちはこの平和公園で、八月六日に、日本の核武装を叫び、原発推進を訴える「在日特権を許さない市民の会」のような差別排外主義に満ちた団体を決して許さない。彼等が、この公園にいる権利は無いと訴えた。
 同時に、今も多くの人々が福島第一原発の事故のせいで被曝を強制させられているにもかかわらず、昨年十二月に収束宣言を発表し、内部被曝の影響を過小評価する野田首相も平和式典に来る資格は無いと訴えた。そして、日本政府と東京電力に福島第一原発の事故の責任を取らせ、被害の補償をさせるためにフクシマの被災者や原発被曝労働者と連帯し原発被曝者健康手帳をはじめとする援護施策を実現しようと訴えた。
 次に、今も相次ぐ原爆症認定の大量の却下を糾弾し、六月二十五日の長崎地裁の被爆体験者訴訟の不当判決を糾弾した。今の政府の内部被曝や低線量被曝の影響を認めない姿勢を絶対に許さず、広島の黒い雨地域の大幅な拡大を行い、長崎の被爆体験者を被爆者として認めるまで、そして被爆二世を第五の被爆者として被爆者援護法を適用するまで、断固として闘おうと訴えた。途中、被爆二世三名と被爆者二名の遺影を紹介し集会参加者で追悼した。
 その上で、被爆六十七年経った今も、差別を恐れて被爆者と名乗れない被爆者や子どもや孫への影響を恐れて被爆者手帳を取っていない被爆者がいる現実を踏まえて、全国に被爆二世の会を作り、被爆二世運動の力で戦争も差別も核の被害も無い世界を実現しようと訴えた。
 最後に、アジア太平洋戦争が日本帝国主義のアジア侵略の歴史の中で起きた事、戦後のアジア支配を狙ったアメリカ帝国主義によって、原爆(核兵器)の威力と効果を調べるための人体実験として広島・長崎への原爆投下という人民大虐殺が行われたことをしっかりと確認した。その上で、私たちは原爆投下という人民大虐殺を絶対に許さず、加害者としてアジア民衆に連帯して、共に核廃絶・侵略戦争反対の闘いに立上がる事を誓った。特に、岩国基地の大強化を許さず、オスプレイの岩国基地への陸揚げに反対していくことを訴えた。また、上関原発建設に反対し、全ての原発の再稼働を許さず、廃炉にしていこうと訴えて基調報告を終えた。
 今度は歌だ。あじあんさんが、力強く「青い空は」と「日本国憲法」と「戦争を知らない大人達」の三曲を熱唱した。特に、「日本国憲法」を歌う前に、「在特会が勝手なことを言えるのも、私たちがこうやって集会ができるのも憲法で表現の自由が保障されているからです。憲法を守りましょう!」と話したのが印象的だった。
 次はメッセージの紹介だ。AWC韓国委員会 左派労働者会、中国台湾労働人権協会、フィリピン新民族主義者同盟(BAYAN)、アジア太平洋反基地ネットワークの団体、ANSWER連合、BAYAN―Japan、から届いたメッセージが読み上げられた。フィリピンでは、この青空集会に連帯して日本大使館前で連帯行動が行われている事も報告された。
 そして、各団体の発言に移った。
 まず、山口大学ユネスコクラブからだ。
 「先ほど私たちの目の前を通って集会を妨害した人達の主張は、戦前ドイツでユダヤ人や障害者を差別し殺戮したナチスと同じのものです。私たちは、こういう人たちを断固として許しません。彼等の活動をしっかりと監視していきます。戦前の日本がアジア各地を侵略するのを止められなかったのも、人民による政府や軍への監視ができなかったからです。また、物事と物事の間や人と人との間に線を引く事は、私たちが自由に考えることを妨げることです。こうした事態を打開するために、私たち労働者人民こそが反戦・反核の声を上げ続けることが、最も大切だ」と発言した。
 次に、戦争・貧困・差別とたたかう学生グループ「あすじゃ」からだ。
 「七月三十一日をもって水俣病被害者救済策の申請が打ち切られた。被害の実態すら分かっていないにも関わらず、勝手に線引きして潜在的な被害者を切り捨てる許し難い行為です。福島の原発事故が起こった際、私は『福島も水俣と同じようになるのではないか』と危惧を抱いたが、今、まさにそうなりつつあると感じている。誰かを『犠牲にする』ことのない社会を作るためにあすじゃは活動しています。勇気をもって学び、考え、発言し、行動する『学生』たらん」と話した。
 次に、AWC日本連からだ。
 「核武装をしろという主張や、差別された人々への襲撃や抑圧、そして集会破壊を絶対に許してはならない。奴らが狙っているのは、差別をどんどん強化し、日本を戦争出撃できるような社会に持っていくことだ。断固、反対していこう。この間の多くの原発をなくせという声を無視して、野田政権は、大飯原発の再稼働を始め、海外への原発輸出、原子力基本法において安全保障に資するという形での核武装の推進をやろうとしている。明らかに民意を踏みにじっている。全国の反原発の闘いと結合し、被爆二世の方々の差別抑圧をはねのける闘いの地平を共有する。そして、アジアから米軍を無くしていく、日米軍事同盟を無くしていく闘いをアジア―沖縄―岩国―神奈川の闘う仲間と共に、断固として推進していこう」と話された。
 次は、連帯労組・やまぐちだ。山口県の最低賃金審議会への意見書の提出や傍聴行動の取り組み、そして東京の7・16「さよなら原発十万人集会」に行き、参加者の多さに感動した事を話され、最後に十一月岩国での労働者反戦集会と国際連帯集会への参加を呼びかけた。
 次に、やまぐち障害者解放センターだ。生活保護の扶養義務が強化され、障害者の自立生活の破壊が進められようとしている事に対し、厚生労働省へ抗議文を送った事が報告された。その上で、学生介護者や介護労働者と共に、障害者が安心して生活できる処遇改善や制度改正を取り組む決意と、反戦闘争を障害者の生活を守る闘いとして行っている事が報告された。
 次に、SYNと多文化共生社会研究会の学生から報告を受けた。SYNは、八月四日から広島を訪れ、被爆体験を聞いたり、平和資料館を見学して、戦争や原爆投下の事実を自ら実感できたことを話され、「七十年間草木も生えないと言われてきた広島の現在の復興の姿を見ると、必ず問題は解決できると感じた」と話した。
 多文化共生社会研究会の韓国の留学生は、「韓国では、あまり原爆投下の実態は知られていないが、広島に来て、被爆体験の話を聞き、原爆資料館を見学できたことで、原爆が如何に多くの人々を殺し傷つけたのかを知る事ができた。韓国に帰っても、是非このことを伝えていきたい。また、戦争が無くても、言葉の暴力や差別や抑圧があったら、それはもう平和とは言えないと思う」と語った。
 最後に、憲法を活かす市民の会・やまぐちの発言だ。
 「今、核戦争の脅威は高まっている。広島の果たす役割はものすごく大きいと思う。広島、長崎そして福島、なぜ日本は核の問題と向き合わなければならない運命を背負わされているのかと思う。カタカナのヒロシマ、ナガサキ、フクシマを人類史の中でもう一回考え、日本人の果たす役割というか、地球上から核兵器を廃絶していく、原子力発電所をなくしていくという歴史的使命を確認したい」と発言した。
 SYNの音頭で、集会参加者全員でシュプレヒコールを上げた。そして、やまぐち障害者解放センターの閉会のあいさつで青空集会を終えた。
 今年も集会の途中、在特会が広島に現れ私達の集会に乱入してきて「こいつら叩き殺せ」「こじき」「オスプレイはいるんじゃ」などと繰り返した。
 八月六日の被爆地に在特会が現れることに私は心底、憤りを覚える。しかし、在特会が去った後、「オスプレイ反対」の署名に来る人が増えた。彼らのような存在をのさばらせてはいけないと思っている方が他にもたくさんいるのだ。韓国の人も署名してくださり、全部で百十六筆集まった。写真展にも多くの人が足を止めてくれた。こうした多くの人とのつながりを大切にしながら、今後も反戦、反核、反原発、全ての被爆者・二世に国家補償を求める運動を続けていきたいと思う。

                  (被爆二世の会 会員より)



 

当サイト掲載の文章・写真等の無断転載禁止
Copyright (C) 2006, Japan Communist League, All Rights Reserved.