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■5・13~15 沖縄 反革命的統合40年弾劾!現地で連続決起 ●5・13 県民大会に3000名が結集 平和行進の成功をかちとる 昨年は3・11東日本大震災の関係で一日となった5・15平和行進だったが、今年は三日間の日程で沖縄島内三コースで展開された。初日の五月十一日、辺野古の浜からは東コース団が出発した。出発式では、稲嶺進名護市長や「命を守る会」の西川征夫代表などが参加して発言し、参加者は改めて辺野古への新基地建設を阻止する決意を固め、5・15平和行進の成功を誓い合った。 その5・15平和行進の総結集環としての「復帰四〇年/くらしと命を守る5・15県民大会」が、五月十三日宜野湾市海浜公園野外劇場で開催された。大会にはこの日宜野湾市役所を出発し、南北に分かれて普天間基地を周回した平和行進団をはじめ、三千名の労働者・市民で埋め尽くされた。わが統一委員会・沖縄労共闘は、今年もビラ情宣に決起し、日帝の沖縄反革命的統合四〇年糾弾!反原発・反安保・沖縄解放!日帝・野田政権打倒を訴え、多くの労働者・市民と合流した。 午後二時、辺野古新基地建設阻止!オスプレイ配備を許すな!高江ヘリパット建設阻止!与那国・宮古への自衛隊配備阻止!山城博治沖縄平和運動センター事務局長の戦闘的シュプレヒコールで集会は開催された。 主催者あいさつで、崎山嗣幸平和運動センター議長は、「米軍基地の重圧化にある沖縄の現実は四十年たっても何ら変わらない。反原発の闘いや全国での反基地の闘いとの共闘の輪を広げ、基地のない沖縄、平和な日本をめざして闘おう」と訴えた。 集会では、社民党・社大党、照屋寛徳衆議院議員、山内徳信・糸数慶子参議院議員をはじめ、フォーラム平和・人権・環境の藤本事務局長、野国昌春北谷町長、安次富ヘリ基地反対協共同代表、島田普天間爆音訴訟団長、新川嘉手納爆音訴訟団長、高江住民の会住民などから連帯と闘いの報告がなされた。とくに「四十年」特別コースとして五月六日に展開された「国境の島」与那国島から、与那国改革会議の崎原議長が登壇し、民主党政権の中期防での自衛隊の派兵・配備攻撃と対決して闘い抜く決意が表明された。また、韓国済州島での海軍基地建設阻止闘争を闘いぬく平澤平和センターのカン所長も登壇し、沖縄と韓国、韓国と日本との国際連帯を呼び掛けた。 5・15平和行進団の総括発言などを受け、大会は最後に、「核兵器も原発も、そして一切の軍事基地のない平和な時代を作るために一層団結を強めて闘いぬくとする大会宣言を採択した。集会の締めくくりに団結ガンバローを三唱し、沖縄の分離処分したサンフランシスコ講和条約六十年、5・15反革命的統合四十年、戦後六十七年の節目を弾劾し、新たな闘いの構築を全体で確認しあった。 ●5・13普天間基地ゲート前集会 雨の中、200名が結集 オスプレイ配備阻止の決意固める 「県民大会」閉会後の五月十三日夕方、普天間基地の第一ゲート(大山ゲート)前広場で「オスプレイ配備を断じて許さない怒りの県民集会」が緊急に開かれた。主催は「基地の県内移設を許さない県民会議」、普天間と嘉手納の爆音訴訟団、高江住民の会ら。雨が降る中、二百名が広場を埋めた。 平和運動センターの山城博治事務局長によるシュプレヒコールの後、国会議員や各団体の方々が発言した。山内徳信参院議員は「『復帰』から四十年経つのに、沖縄は植民地扱い、差別扱いされている。みんなで普天間基地の前に座り込んでオスプレイ配備を阻止しよう」と檄をとばした。 名護ヘリ基地反対協の安次富浩共同代表は「オスプレイはアフガニスタンやモロッコで事故を起こしている。普天間基地の隣には普天間第二小学校があり、辺野古には名護高専がある。第二第三の宮森小学校事故を起こすつもりか!」と日米政府を怒りを込めて糾弾した。 日米政府は、垂直離着陸輸送機MV22オスプレイを、「本土」への実験配備計画を撤回して、七月中に那覇軍港へ部品を搬入し、軍港内で組み立てて九月以降に普天間基地に配備するという計画を発表した。開発段階から事故を起こしている欠陥機・オスプレイの配備を「身体を張って」「命がけ」で阻止する決意表明がなされた集会だった。 ●5・14 キャンプ・キンザー包囲デモ 米軍のPAC3展開訓練を弾劾 五月十四日午後、「軍港反対!浦添行動委員会」の主催するキャンプキンザー包囲デモが行われ、五十名が参加した。 国立劇場横の公園で開かれた集会でまよなかしんやさんが、十四日未明嘉手納基地に配備されているPAC3の展開訓練が公道を使用して行われたことについて「5・15で『復帰』を問い『基地はいらない』の声が島ぐるみであがっている時に許されることではない」と批判した。 デモ行進はキャンプキンザーをぐるっと包囲しながら、「キャンプキンザーを撤去しろ!」「浦添新軍港建設をゆるさない!」「『復帰』記念式典糾弾!」「オスプレイ配備阻止!」と声をあげて国道五十八号線を行進した。ゲート前では立ち止まって抗議をした。途中、車からデモ参加者に帽子を渡してくれる人や、手を振ってデモに呼応する市民もいた。 ●5・14 韓・琉ちむどんどん 音楽、映画、講演で沖韓民衆が闘いを共有 五月十四日、宜野湾市民会館大ホールにおいて、「韓・琉ちむどんどん2012」が沖韓民衆連帯の主催、沖縄平和市民連絡会ほかの共催によって開催された。 集会はⅠ部とⅡ部にわかれており、Ⅰ部は「韓国ドキュメント上映と音楽祭」、Ⅱ部は「復帰四十年記念講演と特別報告」という構成であった。 Ⅰ部「韓国ドキュメント上映と音楽祭」では、現在韓国・済州島カンジョン村で強行されている海軍基地建設との闘いや工事に翻弄される村の様子を描いた「済州カンジョン村」上映と、韓国から来沖した伝統民俗芸能集団「トヌム」の舞台、沖縄のミュージシャンKEN子さんの歌が披露された。 ドキュメント「済州カンジョン村」は、海軍基地建設をめぐって分断される村の様子や圧倒的な警察権力の力を前に、果敢に闘いつづける平和活動家達の苦闘を映し出していた。弾圧の厳しさに胸が痛み、活動家達の闘いに胸が熱くなるドキュメンタリーだった。 Ⅱ部の「復帰四十年記念講演と特別報告」では、沖縄大学名誉教授であり沖縄民衆連帯代表世話人の新崎盛暉さんによる「復帰四十年、沖縄を民衆連帯の懸け橋に」と題する記念講演、真喜志好一さんによるオスプレイの危険を訴える映像と解説、今年一月に「アメリカに米軍基地に苦しむ沖縄の声を届ける会」の一員として訪米し活動を展開してきた新垣さんの報告、最後に韓国から来沖したピョンテク平和センター所長のカン・サンウォンさんの「韓国の米軍基地問題」と題する報告が行われた。各報告の間には、韓国の民衆歌手ヨン・ヨンソクさんの歌と、沖縄・与那国島出身の与那覇歩さんの歌が入り、会場を盛り上げた。 新崎さんは講演で、「復帰四十年」の歴史を時系列で追いつつ整理しながら、単独では沖縄を維持できなかったアメリカに代わって日本が目下の同盟者として沖縄の米軍支配を支えてきた歴史を明らかにするとともに、一九九五年におこった少女暴行事件に抗議し米軍基地を糾弾する島ぐるみの闘いのひろがりが大きく情勢を切り開いた意義について語った。 ピョンテク平和センター所長カン・サンウォンさんは、カンジョン海軍基地建設について、①計画の非民主的な決定 ②貴重な動植物、自然環境の破壊 ③アメリカの軍事戦力に基づく推進、を問題点として指摘しその不当性を明らかにした。そして「五年間とにかく建設をとめるために闘って来た」「逮捕を恐れず闘っている村人、活動家に連帯してください」と闘いへの連帯と支援を訴えた。 ●5・15 与儀公園 まやかしの「復帰式典」糾弾! どしゃ降りの中、5・15集会かちとられる 四十年目の5・15も土砂降りだった。一九七二年「5・15抗議県民総決起大会」と同じ会場の与儀公園では、沖縄平和運動センター主催の「まやかしの復帰式典を糾弾する五・一五県民集会」が開かれ、三百名余の労働者・市民が結集して怒りの抗議集会を貫徹した。中でも、宜野湾市職労の「オスプレイ配備絶対許さん」と書かれた赤色の横断幕が雨の中でも怒りに満ちている。 集会では、主催者の崎山嗣幸沖縄平和運動センター議長、宜野湾市で開かれた官制式典をボイコットした山内徳信・糸数慶子両参議院議員や住民・市民団体などが次々に発言に立ち、オスプレイ配備の強行で普天間基地の固定化をなし、それを恫喝に辺野古への新基地建設への突破口をなさんとする日米両帝国主義の怒りと糾弾がなされた。 大田昌秀元知事や国会議員、「県」議会議員など多くのボイコット者が出る中強行された官制式典で日帝・野田は、「日米安保体制は重要」「抑止力を維持」を強調、米帝・駐日大使ルースはさらに露骨に「沖縄は日米同盟と日本の域内平和の繁栄の礎であり続けた」と述べ、その反革命的意図を隠そうともしなかった。だが、「県」知事・仲井真をして「普天間基地の県外移設・早期返還」「日米地位協定の抜本的見直し」が公然と要求され、沖縄選出の上原康助元沖縄開発庁長官は、沖縄戦―米軍政支配下の苦闘を語り、「なぜ、日米両政府とも沖縄県民の切実な声をもっと尊重しないのか」と、出席した野田とルースを名指しで批判し、辺野古新基地建設・「県」内移設反対、オスプレイ配備反対を訴えたという。まさに官制式典も、沖縄人民の怒りと不屈の闘いによってボロボロとなったのである。 集会では「政府の、沖縄に対する軍事優先、植民地的施策の強引な押し付けに満身の怒りを込めて抗議し、……県民を冒涜し挑発する『祝賀式典』の開催に強く抗議し、……引き続き政府に抗し続けることを宣言する」とする集会宣言を全体で確認し、雷を伴った大雨のため予定された市内デモを急きょ変更し、与儀公園集会の周回デモを展開した。結集した労働者・市民は雨をついてシュプレヒコールをおこない、怒りと抗議を満身で示した。 ●5・15 普天間基地第一ゲート前 〝式典糾弾!オスプレイ配備を許さない〟 普天間爆音訴訟団が呼びかけ、緊急行動 沖縄反革命的統合四十年の五月十五日午後、普天間基地の第一ゲート(大山ゲート)前広場で「『復帰四十周年記念式典』糾弾!普天間固定化を許さない!普天間閉鎖!ストップ!オスプレイ配備緊急行動」が、普天間爆音訴訟団のよびかけで開かれた。この日は、野田首相らが参加する欺瞞的な政府記念式典が、集会場所にほど近い宜野湾コンベンションセンターで開催された。式典会場への抗議デモを行った部隊も合流し、二百名の人たちが式典糾弾とオスプレイ配備を許さない意思を示した。 集会のリレートークで、普天間爆音訴訟団の島田善次団長は「今日はコンベンションセンターに野田が来ている。『復帰』の内実は沖縄の軍事植民地化だ。この数日もオスプレイ配備計画やPAC3の展開訓練が行われた。もはや黙る必要はない!沖縄と『本土』の心ある人々が腹を決める時だ!」とオスプレイ配備実力阻止に向けて訴えた。山内徳信参院議員は「記念式典の招待状がきたが、とても喜べる状況ではないので断った。沖縄はすでに戦時体制に置かれている。基地を封鎖するようなたたかいをしよう。日本政府はあてにならない。歴史をつくるのは民衆だ」と訴えた。沖縄選出の国会議員の発言、海勢頭豊さんのミニコンサート、嘉手納爆音訴訟団の新川秀清団長、平和運動センターの山城博治事務局長、名護ヘリ基地反対協の安次富浩共同代表、平和市民連絡会の高里鈴代共同代表、高江住民の会、伊波洋一元宜野湾市長、六月「県」議会選の候補者らの発言があった。また、韓国やグアム、フィリピンからの参加者も紹介された。 集会閉会直前、ちょうど政府式典がはじまる時間帯に、「怒りの涙」「悔し涙」と呼ばれた四十年前と同じような激しい雨が降り始めた。参加者たちは、「団結がんばろう」を三唱し集会をしめくくった。 |
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