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     4・21~26 関西

  大飯原発再稼働阻止闘争

  住民の闘いと結合して連続決起





 大飯原発再稼働阻止に向けて、関西においては全力をあげた闘いが組織されてきた。『戦旗』前号において、四月十四日の枝野福井訪問抗議行動までを報告した。それ以降の闘いを報告する。

 ●四月二十一日
   大阪集会・デモ


 四月二十一日(土)には、「とめよう原発・関西ネットワーク」の呼びかけで、「眠れ原発、再稼働さすな!」集会が午後一時から大阪中之島公園女神像前で開催された。集会には、約三百人が結集した。まず呼びかけ団体を代表して、STOP原子力★関電包囲行動の韓基大さんが発言を行なった。集会のメインとなる発言は、「サヨナラ原発福井ネットワーク」代表の山崎隆敏さんであった。山崎さんは、福井の緊迫した状況を報告し、大飯原発再稼働阻止に向け全力で立ちあがることを呼びかけた。リレートークの中では、反戦共同行動(きょうと)を中心にした京都・滋賀からの参加者を代表して、アジア共同行動・京都のメンバーが枝野福井訪問阻止闘争、おおい町での現地事務所とテント村の開設計画について報告し、四月二十六日の政府による住民説明会をめぐる闘いへの結集を呼びかけた。集会終了後、参加者は関電本社までのデモのあと、関電本社を包囲するヒューマンチェーン、関電本社前でのライブ・リレートークを行なった。

 ●四月二十三日
   牧野経済産業副大臣抗議行動


 四月二十三日(月)、牧野経産副大臣が嘉田滋賀県知事・山田京都府知事に大飯原発再稼動への「理解を求める」として、滋賀県庁と京都府庁を訪問した。滋賀県庁では、約百人が嘉田知事への激励と牧野副大臣への抗議のために結集した。午前十時三十分ごろから開始された牧野・嘉田会談は、約二時間におよんだ。嘉田知事は、山田京都府知事と共同で作成した七項目の提言への回答を迫ったが、牧野は具体的な回答を行なわず、牧野は嘉田知事から再稼働への「理解」を取り付けることができなかった。抗議行動は、さいなら原発・びわこネット関係が約四十人、日本共産党系が約六十人ほどで、この両団体の現場共闘の形で組織された。午後三時ごろから開始された牧野・山田会談も二時間ちかくにおよぶものであったが、滋賀と同様に牧野は山田知事の再稼働への「理解」を取り付けることができなかった。抗議行動は、非共産党系が約四十人ほど、共産党系が約四十人ほどであった。

 ●現地アクション事務所とテント村の開設

 おおい町では四月九日から大飯原発再稼働に反対する監視テントが立てられてきたが、反戦共同行動(きょうと)などを中心として準備してきたSTOP★大飯原発再稼働現地アクション事務所が四月二十三日(月)から開設され、同時にテントも増設された。開設当日には、東京の柳田さんをはじめとするたんぽぽ舎や経産省前テントの関係者ら約二十人が福島の椎名千恵子さんらとともに訪問し、夜に今後の再稼働阻止闘争についての意見交換・交流が行なわれた。
 四月二十三日から二十六日にかけて、現地事務所を中心におおい町の各戸ビラ入れが行なわれた。それは、おおい町の住民と直接に話をする格好の機会となった。住民の反応は決して再稼働賛成一色ではなく、福島原発事故のような事故が起こることへの不安、町長と関電の癒着への怒りをあらわす住民など、さまざまな思いが交錯するものであった。また各戸ビラ入れに行くと、「あなた方は関電の人かテントの人か」と聞いてくる住民もおり、テント村が住民のなかでも認識されていることを示す反応であった。テント村には、少数ではあったが「よくやった、頑張ってくれ」と激励に来る住民、夜間に差し入れを持ってきてくれる住民もおり、当初危惧したような対立的な反応は無かった。アジア共同行動・京都のメンバーも、この現地事務所の展開や各戸ビラ入れに参加した。
 おおい町のテント村は、海岸沿いの漁協の土地に六つほどのテントを建てたものであった。テント村には、前述したたんぽぽ舎や経産省前テント関係者、福島や伊方などからの激励の訪問があり、また国内マスコミだけではなくドイツ国営放送テレビやフランスのマスコミなども取材に訪れた。現地事務所は、四月二十六日のおおい町住民説明会の終了後にいったん撤収し、以降の方針については情勢をみて改めて決定することになっている。テント村も、五月六日にはいったん撤収した。

 ●おおい町住民説明会アピール行動

 四月二十六日(木)午後七時三十分から、おおい町総合運動公園内の体育館で、柳沢経産副大臣の出席によって政府主催の大飯原発再稼働についての住民説明会が開催された。おおい町当局は、大飯原発建設時の大混乱や四月十四日(土)の福井県庁前での抗議行動の経験から、きわめてナーバスな対応をとった。四月二十四日から二十六日まで、総合運動公園への出入りを禁止し、総合運動公園を取り囲む新たなフェンスを設置した。住民説明会はおおい町住民のみを対象とし、説明会への参加を事前に申し込み、かつ免許証などの身分を証明するものを持参しないかぎり入場させないという厳格さであった。説明会会場には、金属探知機のゲートまで設置した。さらにおおい町当局は、自家用車での来場も禁止し、町内の四つの公民館から十七台のバスで住民を会場に輸送するという方法をとった。
 この日は、午後五時ごろから運動公園正面入り口前で説明会に来る住民へのアピールと再稼働を推進する野田政権・経産省への抗議の行動が展開された。参加したのは、福井・京都・滋賀・大阪などから約百人弱で、交通の便が悪いおおい町での平日の行動であることからすれば、よく集まったと言える。抗議行動は、住民説明会開始後は総合運動公園の通用門前に場所を移し、住民が退出した午後十時ごろまで継続された。その過程では、フェンスを乗り越えて公園内に入ろうとした抗議行動参加者が排除されたり、通用門をはさんで警備の警察と激しくもみあうような事態もあった。
 報道によれば、住民説明会には約八千八百人の町民のうち五百四十六人が参加した。政府にとっては、この住民説明会は「説明を尽くした」という形をつくるためのセレモニーとして設定したものであることは明らかであった。しかし、その思惑どおりになったとは言えない。住民説明会では、八人の住民が発言した。最初の一人は再稼働を要請したが、それ以降は慎重論が相次いだ。明確に再稼働に反対するという意見も表明された。終了後、柳沢副大臣が「理解をいただくのはまだ(時間が)かかると率直に思った」と述べたように、決して政府や再稼働を求めるおおい町長の思惑通りになっていない。
 おおい町の住民もまた大きく流動し始めている。美浜の会やグリーンアクションは、四月四日に「原発震災」の著者の石橋さんを招き、おおい町で講演集会を開催した。それに向けて三度の戸別ビラ入れを行なったと聞く。さらに反戦共同行動(きょうと)を中心として、現地事務所の設立と戸別ビラ入れが組織され、また経産省前テントの関係者を中心にテント村が開設されてきた。これらの努力がこの流動の開始にどれだけ寄与できたかはわからない。しかし、このようなおおい町現地での取り組み、そして関西・全国での大飯原発再稼働阻止闘争の高揚は、これまで原発に依存した地域社会の中に封じ込められてきた住民のなかに別の道があることを提起し、流動を生みだしていくひとつの条件を形成したと言うことができる。このような努力が無ければ、四月二十六日の住民説明会において、不安や反対の声が噴出することは無かったであろう。四月七日の滋賀県・大津市での関西集会から四月二十六日のおおい町住民説明会に至るたたかいは、息もつかせないような過程であったが、まさに情勢に切り込むような努力であった。関西のアジア共同行動勢力は、その一翼をしっかりと担ったことを報告しておきたい。闘いは、福井県議会と県知事による再稼働容認表明を阻止することを焦点とした第二ラウンドに入った。全力をあげて大飯原発再稼働を阻止しよう。



 

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