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■3・11 各地 全国貫き3・11反原発の巨万人民決起! ●3・11 福島 反原発は痛恨の決意だ! 県内外から一万六千人が結集 多大な被害と惨禍をもたらした東日本大震災から一年が経った三月十一日、福島県郡山市の開成山球場で「原発いらない! 3・11福島県民大集会」が行われた。寒風が吹く中であったが、福島県内外から一万六千人の人々が会場を埋め尽くし、集会の成功をかちとった。 集会開始にさきだって、加藤登紀子さんや日本音楽協会福島支部の人たちが演壇に上がって歌い、会場の参加者を盛り上げた。 実行委員長の竹中柳一さんが壇上に上がり、「三月十一日は忘れてはならない。苦しい状況を共有しながら、今後に向けた決意を固めたい。福島の、そして日本の変革の始まりとなる集会としたい」と開会を宣言した。 つぎに呼びかけ人が紹介され、代表として清水修二さんが発言した。「災害はまだ続いている。福島で何が起きているのか、日本の人々はまだ分かっていない。このような人心分断の中で、政府が再稼動に向けて動き出している。福島県民の気持ちは一つです。「原発いらない」は痛恨の決意なのだ。ともに前進しよう」と訴えた。 つづいて大江健三郎さんが壇上に上がり、「電力会社を先頭に電力不足の危機を煽っているが、そのやり方は民主的ではない。どう電力を供給して配分したらいいのか、それを民主的に決めればいいのだ。私たちに求められていることは、原発の事故を絶対になくすこと。そのためには原発をすべて廃止することだ。」と訴えた。 その後、郡山市長の連帯メッセージが読み上げられた。続いて「県民の訴え」として、六名の福島県民が壇上に上がり、現在の苦難を語り、反原発の決意を明らかにした。 山形県に小学生の子どもを避難させている母親は「原発事故で、毎日不安をかかえ、決断を迫られた。避難について、周りにはいろいろな意見がある。家族が別居することになる、二重ローンをかかえるといった経済的な負担もある。ただ、十年後に後悔しないために、夏休みを境にして避難した。避難しているが、福島が好きだという気持ちは変わらない」と語った。 二本松で有機農業をしている農民は、これまでのさまざまな取り組みを具体的に語り「農業と原発、人間と原発は共存できない。これまで原発を推進してきた大企業中心のやり方は続けられない。いま転換しなくて、いつ転換するのか。今日を、その転換点にしていこう」と訴えた。 二人の発言が終わったところで、地震が起きた十四時四十六分に近づいた。会場全体が静まり返り、参加者は一分間の黙祷を行った。 次の発言者は浜通りの漁民だ。「私の住む町も津波をうけて、美しかった町の風情はあとかたもなくなった。船を津波から守った漁師たちは、失った漁具を一つ一つそろえて、漁の再開に向けがんばっていた。しかし、放射能が再開を妨げる。市場はいまも変わり果てた姿のままだ。いま、漁業者は海の瓦礫清掃に出ている。しかし、私たちはもう一度漁民として働きたいのだ」。 つづいて飯舘村から福島市に避難している農民が壇上に上がった。「飯舘村では野菜を作っていた。しかし今回の原発事故で、農地も牛も、全てを失って涙を流して廃業した。去年の三月十六日、飯舘村は四十四・七マイクロシーベルトだった。この高い放射線量の中にほっておかれて、飯舘村村民は被曝した。この被曝の責任は誰がとるのか。原発事故は天災ではない、明らかに人災なのだ。飯舘村は放射能で汚染されてしまった。もう、そこには住めない。政府には、はやく放射能の心配がなくて安心して暮らせる生活の場を建設することを求める。そのためには、住民の声を聞くことが必要だ。こんな悲惨な原発事故は二度と起こしてはならない」。 つづいて警戒区域にある富岡高校に通っていた高校生が発言した。「まさか原発が爆発するとは予想できなかった。避難しているときに、自衛隊や消防車が次々とすれ違っていくのを見て、やっと事態の深刻さが分かった。原発事故を終わらせることができるのは、作業員の人たちだと思う。でも、その作業員は私の友人の両親や誰かの大事な人だったりする。こうしている今も、危険な事故現場で働いている人がいる。そのことを考えると私は胸が痛む。原発がなければ、津波の被害にあった人を助けに行くこともできた。それを思うと怒り、悲しみでいっぱいだ。人の命も守れないのに、電力とか経済とか言っている場合ではないはずだ。線量が高い郡山で生活し続けることに不安を持っているが、おじいちゃん、おばあちゃんをおいて移住することはできない。皆さんとともに、自分たちの将来を考えていきたい」と訴えた。 つづいて浪江町で被災し、これまで九ヶ所の避難所を転々とした末に、仮設住宅で生活している人が壇上に上がった。「十一日は津波による避難指示だったが、十二日以降は避難指示が町内放送で流れるだけで、理由はなにもなかった。誰とも連絡が取れないなかで着の身着のまま移動したが、避難先は放射線量の高いところばかりだったことが後になって分かった。十二日の避難は、中国大陸を徒歩で歩いた、あの苦しかった戦争を連想させた。国家の政策によって、二度も棄民にされてしまう恐怖を感じた。福島や東北の人はもっと声を出すべきだといわれることがある。しかし傷はあまりにも深い。もう少しの間、寄り添ってほしい。全国の皆さん、脱原発、反原発に関心をもって、確かな一歩を踏み出すために力を集めていきましょう」。 さまざまな立場にある六名からの訴えは集会参加者全員の胸を打った。発言中は会場全体が静まり、合間に「そうだ」の声や拍手が発言者に向けられた。 そして集会宣言の採択に移り、満場の拍手で採択された。つづいてドイツの環境団体FoEの代表が連帯の挨拶とともに、千羽鶴を大会主催者に手渡した。最後に、呼びかけ人の片岡正彦さんが「反原発のメッセージを全世界に訴えたい。デモ行進をがんばりましょう」と発言し集会をしめくくった。 そして、デモ行進だ。コースは県内と県外参加者の二手に分かれて、それぞれの部隊が、「原発いらない」「再稼動許すな」の声をあげて郡山市内を行進した。 地震と津波の被害に加えて、原発事故がもたらした惨事に対する福島県民の悲しみと怒りは、福島県内では初めてという規模の県民集会を実現させた。被災地住民と連帯して、住民自身による生活再建を支え、原発の再稼動阻止―廃炉をかちとるために粘り強く奮闘していこう。 ●3・10 沖縄 沖縄の地でも反原発・反米軍基地の声をあげる 3・11未曾有の東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から一年目を迎えようとする三月十日、沖縄平和運動センターの呼びかけで「脱原発一〇〇〇万人アクションin沖縄/さよなら原発 さよなら米軍基地」の集会が県民ひろばで行われた。 集会では冒頭、犠牲者への黙とうがおこなわれた。主催者あいさつに立った崎山嗣幸議長は、核も基地とも共存できないと脱原発・自然エネルギーへの転換を訴えた。また、沖縄電力が小型原発の導入研究を止めないことへの強い怒りを表明し、「復帰四〇周年」を迎える今年、自衛隊の新たな軍事基地強化にも反対して5・15平和行進を与那国から展開することを表明した。 また照屋寛徳衆議院議員、山内徳信参議院議員や全港湾・第一次産業労連、沖教組代表が発言にたち、原発・軍事基地・TPP・教科書問題など、力を合わせて「国策」と対決しようと訴えた。 集会参加者約二百五十名は、ガンバロー三唱ののち、国際通りへのデモを展開した。「原発いらない」「軍事基地いらない」「辺野古に基地はいらない」「普天間基地いらない」「高江にヘリパッドいらない」など、国際通りに響きわたるシュプレヒコールに市民や観光客の注目が集まった。 ●3・10 京都 大飯原発の再稼動をやめさせよう! これまでを上回る五千人が結集 三月十日におこなわれた「バイバイ原発3・10きょうと」には約五千人が集まった。会場となった円山野外音楽堂は集会が始まる前にはすでに満席となり、入りきれない人々が会場周辺に溢れ出た。 午後二時から始まった集会では、まず東日本大震災の犠牲者への黙祷がおこなわれた後、主催者を代表して地球温暖化防止京都ネットの原強さんが「今日は原発ノーと言い、原発の無い社会に向かって歩きはじめる日」「大飯原発を絶対動かしてはなりません」と訴えた。 続いて、京大原子炉実験所の小出裕章さんが登壇した。小出さんは「この空の繋がった福島ではいま現在も放射能で汚れており、政府はそこに人々を取り残しています。これまで原子力を進めてきた政治、経済界、裁判所そして学会等々には、大変重い責任があります。正直に言うなら、そういう重い責任がある人をみんな刑務所に入れるべきだとわたしは思っています」と静かだが力強く訴えた。そして、チェルノブイリ事故の直後にウィーンで取り組まれたデモに参加したときの印象を語りながら、「人々が本当に自分の意思をもって、原子力をやめさせようと思うなら、それは絶対にできます」と参加者に訴えた。 さらに、「さようなら原発一〇〇〇万人署名」京都の会の石田紀郎さん、制服向上委員会の歌とスピーチが続いた。 集会の決議は、①原発のない社会をめざそう、②再生可能エネルギーを中心にしたエネルギー政策を実現しよう、③大飯原発の再稼動をやめさせよう、の三項目であった。「バイバイ原発・京都ネットワーク」の長谷川有衣子さんが、決議を紹介しつつ、「私たち自身の未来のために、子供たちの未来のために今こそ一歩を踏み出す時だと思っています。私たちの踏みだした一歩は多くの人達を動かしやがて国や社会を変えて行くと私は確信しています。皆さん、今日この時この場所から脱原発を実現するために私たちと一緒に歩き始めましょう」と訴えた。 その後、全員で「ウィ・シャル・オーバーカム」を合唱した後、参加者は京都市役所前までのデモに出発した。 この日の集会は、これまでの京都での反原発集会を大きく上回る人々が結集して成功した。多くの個人・団体がこの日の集会の成功のために協力しあった。アジア共同行動・京都もその一角を担い、当日の集会・デモに参加して、共に原発の停止・廃炉を訴えた。 当面する大飯原発再稼動阻止、そしてすべての原発の停止・廃炉に向けて、たたかいがさらに強化されていかねばならない。 ●3・11 北九州 5000名で集会デモ アジア共同行動も共に闘う 三月十一日、北九州メディアドーム横広場の三萩野公園において「―原発の再稼働を許さない―さよなら原発! 3・11北九州集会」が、同実行委員会が主催し約五千人が集まり行われた。アジア共同行動もこの日のたたかいを共にたたかい抜いた。 午後の本集会に先立ち、午前十時から、様々な団体・個人による〝原発いらない〟という思いを表現するための歌やライブペイントが行われた。また原発政策についてのシンポジウムも行われた。 午後からの本集会では、何人もの人たちが登壇し、発言を行なった。冒頭、発言に立った北九州市立大の棚次名誉教授は、「原発事故から一年たった今も事故の収束はおぼつかない。しかし政府はストレステスのようないい加減なもので安全として再稼働をしようとしている」として福島第一原発の爆発から現在に至るまでの政府の態度を批判した。そして発言の最後に「今の原発をなくすことが第一。それで私たちの未来が拓けてくる。もっと声を大きくしていこう。原発を廃止していこう」と締めくくった。 その後、いわき市や東京、埼玉から避難してきた三人の女性の方からの発言も行われた。いわき市から避難してきた女性は、「原発の爆発事故後、政府や県は『問題ない』と言ってきた。そのような中、子どもを外で遊ばせることを控え、マスクを付けさせていると子どもはいじめられ、自分も周囲から非難された。生活費の問題や何で自分たちだけ避難するのかという問題で夫とは現在離婚調停中となり、子どもを連れて避難してきた。原発の建設と再開はやめて下さい」と訴えた。また東京や埼玉から避難してきた女性も、事故後、子どもそして自分自身にも鼻血、下痢、嘔吐、体のだるさ、すぐに疲れるといった体の異変があり、地震がある度に怯えたこと。そして生活費の問題もあり夫と分断された生活を送らざるを得ないことなど避難の経過と現状を報告した。そして最後に原発を「建てさせてしまった大人の責任で、全て撤廃させましょう」と訴えた。 集会の最後に「全ての原発からの撤退を求める」集会宣言が採択された。宣言では、「東京電力福島原発は次々とメルトダウンをおこし、四機の原発建屋が爆発するという前代未聞の大事故を起こした。放射性物質は漏れ続け、事故の収束は未だ見えない。一体どれだけの人がふるさとを追われ、生きていくための基盤を失い、命を奪われたのか。人と人との関係も断ち切られ、地域社会は崩壊した。海も川も大地も放射能で汚染された。山積みされた稲藁、がれき、汚染土、下水汚泥の処理の方法もわからない。中間貯蔵施設も最終処分場もその候補地すら見当たらない。目の前にある核のゴミさえ処理できないでいるのに、それでも原発から撤退できないでいる。安全な原発などないことは既に歴史が証明している。二度と再び原発事故の悲劇を繰り返してはなりません。全ての原発からの撤退を求めます」と事故後の放射能汚染とそれによる社会の分断状況、原発をいまだに推し進める政府・電力資本への批判、そして人民の原発政策とたたかう決意が表された。 その後、九州電力北九州支社と小倉駅への二コースに別れ、「原発いらない」「九電変えよう」「金より命」とシュプレヒコールを上げ、デモ行進を行なった。 この日、玄海原発や川内原発がある佐賀や鹿児島、そして九州電力本社がある福岡市内や北九州など九州各地で脱原発集会・デモが行われた。九州電力は政府、資本・経団連一体となって原発の再稼働を目論んでいる。原発事故の収束さえ出来ず、被災者への補償も出来ないまま資本の利益のためにだけ再稼働を急いでいるのである。人民の生活や生命など、政府・ブルジョアジーの延命のためには問題にしていないのである。人民の意思は明らかである。原発の再稼働を阻止し、すべての原発を廃炉にしよう。 ●3・11 福岡 反原発、市内で2つの集会・デモ 九州電力本社を包囲 東日本大震災による福島第一原発の爆発事故は収束にほどとおく、今なお放射能汚染が続いている。にもかかわらず政府は事故後の福島第一原発が低温停止状態となったとの詭弁をつかい、全国の停止中の原発の再稼動を策動している。全国に避難した被災者の苦しみと怒りは頂点に達している。 玄海原発と川内原発をかかえる九州の福岡市において、被災者と固く連帯して反原発・廃炉をもとめる集会―デモが二つの会場でおこなわれた。 福岡市中央区須崎公園で開催された「さよなら原発3・11福岡集会」には五千人の労働者人民が結集した。思い思いのコスチュームなどを身にまとった若者や家族連れ、手作りのプラカードやゼッケン、横断幕・のぼりをもった労働団体、反原発団体、市民運動団体など続々と集まる中、集会が午後一時半より開始された。最初に開会を宣言した主催者代表は「昨年十一月の九州一万人集会を引き継いで本日九州各地で集会が開催されている。一緒になって原発を止めよう」と訴えた。次にスプレーアート、弾き語りやラップ調のライブをはさんで、福島から避難してきた被災者が発言に立った。原発事故直後に避難して来た女性は、子供に鼻血や下痢の症状がでても被曝によるとの因果関係が明らかにされないので報道されず夫との別居生活を長期強いられている現状を、また別の女性は、家族がばらばらになりながらも原発をとめるために行動する女性たちの現状をそれぞれ訴えた。さらに三十年前、松江・敦賀の原発で定期点検の仕事をしてきた労働者は、体の変調が実は被曝によるものだということが福島原発の事故で明らかになり、「原発をやめないといけない」とのべた。つづいて長崎での原爆被爆者は、やらせメールをおこない莫大なお金で「原発の安全神話」を作りつづけ玄海原発の再稼動にすすむ九州電力をきびしく批判した。最後に韓国からの参加者は、「福島原発事故が国境をこえた問題だ」として、「世界が福島に注視しており、日韓の連帯で核のない世界を拓こう」と呼びかけた。 つづいて玄海原発・川内原発の再稼動を許さず、全ての原発の廃炉を要求する集会宣言が読み上げられた後、午後二時四十六分黙祷を行った。集会は最後に詩の朗読、合唱につづいて弁護団から「原発なくそう!九州玄海訴訟」原告が現在三千名をこえ一万人の原告団をめざして募集中とのアピールが行われた。 軽快なラップ調の音楽やシュピレヒコールをとどろかせながら、いよいよ九州電力本社までの福岡市繁華街を抜けてのデモ行進がはじまった。長蛇の列が市内天神・渡辺通りを埋め尽くした。ところが終点の九電本社前には警察に守られた在特会が「日の丸」を掲げ陣取っていた。われわれデモ隊は九電本社ビルを一周する包囲行動を貫徹し、さらに本社前でリレートークを開催した。アジア共同行動に結集する仲間も原発はいらないと熱く訴え、リレートーク・全プログラムが終了した。 同福岡市内の冷泉公園では「一〇〇〇万人アクション 福島集会と連帯 3・11 さよなら原発 福岡県集会」が開催された。県下から教育労働者や民主団体を中心に数百人が結集した。 主催者あいさつでは、福島原発事故は自然による災害ではなく人災であり、原子力を決して使わないことを確認しようと力強く訴えられた。また、一〇〇〇万人署名はまだ目標まで到達していなので、引き続き運動を広めようと呼びかけられた。集会スピーチでは、九州電力管内の玄海、川内両原発に反対する地元団体からの発言に続き、東京から避難を余儀なくされた女性から「避難ママが訴えたいこと」ととして一年におよぶ避難生活の現実と放射能被害の恐怖を涙ながらに切々と訴えられ、原発を絶対に再稼動させてはならないことを全体で確認した。そして、一〇〇〇万人署名運動の現状報告に続き、震災で亡くなられた方々に対する黙祷がささげられた。最後に集会宣言・シュプレヒコールをもって集会を閉会し福岡市内へのデモへと出発した。 政府・電力資本は福島原発事故の検証や収束が未だ行われていないにもかかわらず、原発の再稼動、原発輸出を虎視眈々と狙っている。事故の責任や賠償を曖昧にしたまま被災者に犠牲を押し付ける策動を許さず、原発を維持する社会を変えるためにたたかおう! ●3・11 大阪 昨年を倍する七千人が結集 福井住民と結合し、再稼働阻止を訴える 東日本大震災・福島原発事故から一年となる三月十一日(日)、大阪・中之島一帯において「さよなら原発3・11関西一万人行動」が取り組まれた。主催は、同実行委員会であった。 この関西一万人行動は、午前十一時からの中之島中央公会堂大ホールにおける特別企画から開始された。二階席を含めて千人を越える人々がぎっしりと会場を埋める。主催者あいさつに続いて、まず福島県飯舘村の酪農家で、現在は伊達市に避難している長谷川健一さんが「原発事故が奪ったもの」というテーマで講演を行った。長谷川健一さんは、映像をまじえながら原発事故後の周辺地域の状況を報告した。そして最後に原発を「建てさせてしまった大人の責任で、全て撤廃させましょう」と訴えた。 集会の最後に「全ての原発からの撤退を求める」集会宣言が採択された。宣言では、「東京電力福島原発は次々とメルトダウンをおこし、四機の原発建屋が爆発するという前代未聞の大事故を起こした。放射性物質は漏れ続け、事故の収束は未だ見えない。一体どれだけの人がふるさとを追われ、生きていくための基盤を失い、命を奪われたのか。人と人との関係も断ち切られ、地域社会は崩壊した。海も川も大地も放射能で汚染された。山積みされた稲藁、がれき、汚染土、下水汚泥の処理の方法もわからない。中間貯蔵施設も最終処分場もその候補地すら見当たらない。目の前にある核のゴミさえ処理できないでいるのに、それでも原発から撤退できないでいる。安全な原発などないことは既に歴史が証明している。二度と再び原発事故の悲劇を繰り返してはなりません。全ての原発からの撤退を求めます」と事故後の放射能汚染とそれによる社会の分断状況、原発をいまだに推し進める政府・電力資本への批判、そして人民の原発政策とたたかう決意が表された。 その後、九州電力北九州支社と小倉駅への二コースに別れ、「原発いらない」「九電変えよう」「金より命」とシュプレヒコールを上げ、デモ行進を行なった。 この日、玄海原発や川内原発がある佐賀や鹿児島、そして九州電力本社がある福岡市内や北九州など九州各地で脱原発集会・デモが行われた。九州電力は政府、資本・経団連一体となって原発の再稼働を目論んでいる。原発事故の収束さえ出来ず、被災者への補償も出来ないまま資本の利益のためにだけ再稼働を急いでいるのである。人民の生活や生命など、政府・ブルジョアジーの延命のためには問題にしていないのである。人民の意思は明らかである。原発の再稼働を阻止し、すべての原発を廃炉にしよう。 ●3・11 熊本 コンサート、展示、物販、工夫し賑やかに 三月十一日、熊本市の白川公園において、「さよなら原発3・11くまもと」集会実行委によるイベント、集会・デモが行われた。この集会に先立って、三月三日に「原発バスターズくまもと」という反原発をめざす運動体が結成された。子どもから大人まで幅広い結集が重要であるとの認識で、「反原発」「脱原発」「卒原発」などさまざまな民衆の願いをくみ上げ、原発の廃棄に向けた息の長い運動を大衆決起で作り出すためである。 三月十一日「原発バスターズくまもと」は昨年の岩国集会でも登場した「ジャックスケリントン」人形とともにあらたに「ホウシャノーズ」という巨大人形を登場させ、子供たちに原発事故で発生する放射能の恐ろしさを伝える企画を組んだ。会場では二体の巨大人形がねり歩き、大人だけでなく、子供たちの注目を浴びた。さらに、福島の病院建設に百円カンパすれば抽選券がもらえ、デモ解散地点である辛島公園の抽選会で景品がもらえるという企画も組まれた。 集会ではタレントのうんばば中尾氏の司会で午前十一時四十五分からオープニングステージが開かれ、若者たちによるライブコンサートが行われた。会場に張られた十を超すテントでは、各団体による展示や食バザー、物販などが賑やかに行われた。 午後二時から開かれたメイン集会では、主催者を代表して水俣病研究者で医師の原田正純さんのメッセージが伝えられた。原田さんは長年の水俣病との闘いを通じて、福島に伝えたいことを訴えた。「今回の事故は水俣病よりはるかに深刻です。水俣病の問題が未解決なのは明らかに行政、企業の怠慢です。しかし、今回の事故は仮に企業や行政の怠慢がなくとも十年も二十年も結果が分からない可能性があります。水俣病のように病気に特徴がありません。したがって追跡調査の困難性と同時に未知から来る差別の問題が起こってくる可能性があります」と警告し「被害者に寄り添うと同時に、このようなパンドラの箱は日本が率先して閉じましょう」と呼びかけた。 主催者挨拶で弁護士の田尻和子氏は憲法と原発事故の関係に触れ、脱原発を訴えた。また田中正造研究者で熊本大学教授の小松裕氏は「真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」という田中正造の遺訓を紹介し、すべての原発を廃炉にするよう語った。続いて水俣病被害者団体の代表や、日本原水爆被害者団体協議会代表の方の挨拶、最後に福島から非難しているお母さんからは「日本中に散らばった原発を早くなくしたい」という怒りの訴えがあった。 午後二時四十六分に全員で黙祷を行い、集会宣言を採択して市内へのデモ行進に移った。解散地点の辛島公園では、「原発バスターズくまもと」による大抽選会が開かれ、無農薬野菜などが当たる空くじなしの抽選会は賑わった。集会参加者は千五百名であった。 「原発バスターズくまもと」はこの集会を契機に県内のさまざまな集会やイベントに登場して、広範な反原発運動の起爆剤になろうと準備している。 また、玄海原発の差し止めを求める「原発なくそう!九州玄海訴訟」、さらには川内原発差し止め訴訟が準備されており、玄海訴訟は第一次第二次の原告団の総数がすでに三千名を超えている。九州でも反原発運動を粘り強く続けていきたい。 ■読者からの手紙 山口 各地で様々な取り組み 中国電力前で集会かちとる 山口では、3・11関連として様々な取り組みがありました。 一つめは、三月十日の「さようなら原発一〇〇〇万人アクション・インやない」実行委員会主催の集会です。鋭い批判で名の知られているピン芸人の松元ヒロさんのライブをメインに、上関原発建設に反対する取り組みとして、県の東部、上関町の隣の柳井市で開催されたものです。県内外から、千二百名が参加しました。 二つ目として、三月十一日当日、県中央部の山口市にある中国電力山口支社前で集会・デモに取り組みました。集会中、地震のあった時刻に黙祷をしていると、近くのサビエル聖堂からの追悼の鐘の音が、街中に鳴り響きました。主催は戦争はイヤだ!市民の会です。この会は、二〇〇一年九月十一日米多発攻撃事件後、十月にアメリカが対テロ戦争を開始したことに抗議し結成されました。戦争が終わるまでデモを続けるとし、毎月十一日にデモに取り組んでいます。その定例行動の一環としての取り組みでもありました。 三つ目は、三月十八日に県西部の宇部市で開催された小出裕章さんの講演集会です。前日に別会場で同様の集会がもたれたにもかかわらず、千五百名以上の参加で、大盛況でした。放射性物質は厳密に管理するよう法律で定められているにもかかわらず、日本政府は放射線管理区域に相当する場所に人を住まわせ、放射能に汚染されたがれきを拡散しようとしている。法を簡単に反故にして、これで法治国家と言えるのかとの批判に、大きく頷きました。 原発推進派からは、「古い原発を廃炉にして、上関の新規建設を進めろ」という声も上がっています。山口は広島・長崎に次いで、被爆者が多い県ということもあり、放射能の被害を許さないとの思いが強い県でもあります。その大きな危機感から、この三つ以外にも、各地で様々な取り組みがあり、多くの人々が駆けつけました。全ての原発を止め、上関原発建設の息の根を止めるために、今後とも奮闘します。 |
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