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■1・8 三里塚 反対同盟が2012年・新年デモと団結旗開き 一月八日、全国から百六十名の労働者人民が結集して、三里塚芝山連合空港反対同盟の二〇一二年新年デモと団結旗開きがかちとられた。二〇一一年を通して攻勢的にたたかい抜いた勝利の地平を確認し、市東さんの農地を守りぬく決意をうち固めた。 ●新年デモ 突き抜けるような青空の下で、「用地内」東峰の開拓組合道路に、反対同盟を先頭に新年デモの参加者が続々と結集してきた。 午前十時半すぎ、司会の萩原富夫さんから、中郷の反対同盟員である鈴木謙太郎さんが、前日の七日に急逝されたことが報告された。反対同盟各氏をはじめ参加者全員が、突然の訃報に驚き、深い悲しみ抱えながら、謙太郎さんへの黙祷をもって集会を開始した。 そして伊東信晴さんが闘争宣言を読み上げた。つづいて萩原進事務局次長が発言に立ち、「謙太郎の死で涙が止まらない。これまで反対同盟として共にたたかってきた。今年も全国の先頭に立ってたたかい抜くことを彼に表明したい。激突は避けられない情勢だと確信して、本日のデモをたたかいぬこう」と謙太郎さんへの哀悼の意とともに二〇一二年もたたかい抜く決意を力強く表明した。最後に参加者全員でシュプレヒコールをあげて、デモ行進に出発した。 デモコースは、開拓組合道路から東峰神社を経て、市東さん宅前の開拓道路までだ。途中の東峰神社で北原紘治事務局長がマイクを握り、「昨年は東日本大震災と原発事故など大変な状況で、全国の人々と共にたたかってきた。原発は全て廃止すればいいのだ。反対同盟は先頭でたたかう。市東さんの農地を守りぬく」と発言し、デモ参加者に檄を飛ばした。そして、力強くデモ行進を貫徹し、午前中の新年デモを終えた。 ●団結旗開き 場所を成田市内のレストランに移し、午後一時から「二〇一二年新年団結旗開き」が開催された。はじめに司会の萩原富夫さんが、鈴木謙太郎さんが急逝されたいきさつを語り、哀悼の意を表明した。伊東信晴さんが闘争宣言を読みあげ、参加者全員が拍手で確認した。 つづいて北原さんが発言に立ち、「空港はいまだ完成していない。それは原点から間違っていたからだ。突然の閣議決定から現在まで、民主主義といえるものは何一つなく、全く正当性がない。昨年は大震災が起こり、原発事故が起こされた。政府の放射能への対処をみても、政府は原発の再稼動だけを考えている。これは大きな過ちだ。前途の見えない政治を根本から変えていくことが必要だ。ここに四十七年間、国策とたたかい抜いてきた三里塚闘争の位置がある。沖縄や福島の人々とともに、反対同盟はたたかい抜く」と決意を表明した。 市東孝雄さんは「謙太郎の死を受け止めることができない。しかし、悲しみを抱えながらでも、前に進まなければならない。彼のたたかう遺志をわがものとして、今年もたたかっていく」と表明し、乾杯の音頭をとった。そして全国各地から結集した市民団体、労組など支援から次々と発言が行われた。発言者のすべてが謙太郎さんへの哀悼の気持ちを表し、遺志を引き継いでたたかう決意を述べた。市東さんの農地取り上げに反対する会、顧問弁護団などから発言があり、市東さんの農地を守る沖縄の会から寄せられた連帯メッセージが読み上げられた。二期阻止全国共闘のたたかう仲間は、「市東さんへの農地強奪攻撃を絶対に阻止する。第三誘導路粉砕でたたかう」「3・11福島現地闘争と3・25三里塚闘争に全力で決起していく」と決意を表明した。 共産主義青年同盟学生班協議会の同志は、右翼排外主義ファシストの敵対を許さずたたかいぬく決意を明らかにし、統一委員会の同志は「反対同盟とともに、市東さんの農地を守りぬく」決意をはじめ、沖縄・岩国をはじめとした反基地闘争をたたかい抜き、三月の福島現地闘争と三里塚闘争に連続して決起していく方針を表明した。 まとめの発言に萩原進さんが立った。「今年の方針は、闘争宣言で示している。文字通り決戦の年としてたたかう」ときりだし、「市東さんの農地を守りぬく。とりわけ裁判闘争は正念場になる。市東さん個人だけではなく、農民、さらには全人民の課題として訴えていく」「現政権が原発再稼動やTPPを画策することで、支配階級と全人民の激突は避けられない状況になっている。全人民の政治決起の発火点となる決意で、空港反対同盟は先頭に立ってたたかい抜く」と力強く訴えた。参加者全員が万雷の拍手でこれに応えた。 最後に伊東信晴さんの音頭でガンバロー三唱し、二〇一二年をたたかう決意をうち固め団結旗開きをしめくくった。 |
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