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     10月 三里塚 (感想)

 
援農・全国集会・交流会に参加して





 ●福島・沖縄・三里塚の闘いが繋がっていく力強さ感じた

 十月八日に菱田の鈴木さんのお宅へ援農に行き、10・9全国総決起集会、その後の交流会にも参加させて頂きました。
 援農ということで、足手まといにならないかしらと緊張していましたが、「自分のペースでやればいいから」との鈴木加代子さんの言葉に、すぐ気持ちもほぐれました。この日の任務は人参畑の草取り。いきなり人参の苗を抜いてしまい、あっと蒼白になりましたが、抜いた苗を見て、まだまだこんなほそっこいチビがゆくゆくは立派な人参になるのだということにちょっと感動。雑草を引っこ抜くと土のなかから虫がうじゃうじゃ出てきて、この大地の下にも生態系は存在し生命が息づいてるのだと、こういうことにいちいち感心していました。
 農家の方にいろんなお話を聞いたなかで特に印象に残っているのが「自分たちは、おかしいと思ったことをおかしいと言いたいだけ」という言葉です。市東さんの畑が取り上げられるのはおかしい、自分たちの生活が壊されるのはおかしい。そう言っているだけなのに、過激派と言われたり、嫌がらせを受けたりするんだから……、と屈託なく仰る姿に、長年闘い続けてこられた苦労と、培われてきた強さがにじみ出ているように感じました。そのお話を聞いているときにも、飛行機が通ると轟音が響き、何度か会話を中断しなければなりませんでした。
 自分はつい最近まで「三里塚の闘争は終わったこと」と勝手に思い込んでいた一人です。今なお、闘い続けている人たち、それを支える人たちが存在し、それゆえ滑走路がへの字に曲がっているということなど、思い至りませんでした。成田空港A・B滑走路同時離陸のニュースの裏にある農民の方たちの苦しみを想像することもありませんでした。
 集会に参加し、その後の交流会で萩原進さんのお話を聞いて、かつて自分がそうであったように、今の三里塚の状況を知らされる機会のない人たちに伝えなければ、と焦るほど強く思いました。大手マスコミなどがあてにならないのなら尚更、こうして三里塚の人たちと出会えた自分が知らせていかなければならないと思いました。
 今、原発があることは当たり前なのか? と多くの人々が考え始めたように、気づくことで、人は変わるし、人は動く。それが大きなうねりになれば、動き始めた国策も止めることができるのではないか。基地も、ダムも、空港建設事業も。そう奮い立つような勇気をもらった交流会でした。福島、沖縄、三里塚の連帯に、横に繋がっていく力強さを感じました。
 この間、自分にとって新しい、貴重な出会いがたくさんありました。この経験を大切にしていきたいと思っています。
                            (首都圏S)


 ●報道されない三里塚の実際

 東日本大震災直後の今年三月の三里塚集会に参加して以来、今回、初めて現地に入ることになった。その間、五月二十日の高裁で、五十名が「不退去罪」の容疑で逮捕され、私の知る人も初めて逮捕された。八月六日には、広島で集会があるなかで、どさくさに紛れて団結小屋、天神峰現地闘争本部の強制撤去があった。こうした弾圧の体制が強まるなかで、今回は自分にとって、特別に緊張する現地入りとなった。
 全国集会に参加した人の数は、九月十九日に開かれた集会「さようなら原発1000万人アクション」の六万人とは大きな落差があった。けれども、これは単なる誘う側の力不足というよりも、報道の扱い方とか、身近に感じるかどうか、直接利害関係があるか、などの要素もあると思うので、それほど悲観することもないように思われる。まだ三里塚闘争が続いているのを知らない人、成田空港を利用しても「へ」の字に曲がったB'滑走路の誘導路に気づかない人も、事実を知れば問題意識を持つかも知れない。
 ちなみに、翌日、物見ヤグラで、破壊撤去された現地闘争本部の方向を見ると、誘導路の先が曲がってよく見えなくなっていて、視界がさえぎられていて、その危険性がよく分かった。B滑走路の南にある東峰神社なんかも、そこだけが三方ともフェンスで囲まれていて、異様な様相を呈していたが、買収できずにいる国と会社側の失態を晒しているようで、滑稽に見えた。
                            (首都圏W)



 

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