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■9・11 全国 福島原発事故から1周年 各地で抗議の声広がる 【東京】 反原発行動に2000人 「人間の鎖」で経産省を包囲 九月十一日に東京で「経産省を人間の鎖で囲もう!1万人アクション」が取り組まれた。二千人の労働者人民がデモと包囲行動に立ち上がったのだ。経済産業省を完全に取り囲んで、原発の廃炉、再稼動反対の声をたたき付けた。 午後一時に始まる集会とデモに参加するため、被災現地の福島の住民を先頭に、労働者人民が続々と日比谷公園に結集してきた。そして皆で隊列を組んで、「原発廃炉」「東電解体」などのシュプレヒコールをあげながら、西幸門を出発点にデモ行進を開始した。デモ隊は日比谷公園から東電本店、経済産業省に向かった。これまで原発推進の中軸として動き、また再稼動を企んでいることに対して、断固とした弾劾の声を叩きつけた。 デモ参加者の多くは、そのまま午後三時半からの経産省包囲行動に移っていった。包囲行動は、多くの参加者からの発言を織り交ぜて行われ、三回に渡って参加者全員で手をつなぎ、完全に経済委産業省を包囲する人間の鎖を作り出した。福島第一原発の事故が続いている中で、電力独占資本の利害を保護しようと原発再稼動を画策する経産省を徹底弾劾したのだ。 参加者の発言として、被災現地の福島住民と県外避難者を先頭に、浜岡などの原発立地地元の住民、反原発運動に取り組んできた住民団体など、多くの発言がかちとられた。福島県の住民からは「放射性物質の実害がある。福島県民というだけで差別される不安を抱える中学生高校生がいる」ことなど原発事故による被害に直面している住民のリアルな状況が報告された。そして、原発事故を受けて住民の健康・安全を優先させるのではなく、原発の再稼動を画策する政府・財界を弾劾し、「福島県民は変わりはじめている。これからは、声を上げていかなければいけない」とみずから立ち上がっていく決意を明らかにした。 最後に、主催者をはじめ多くの参加団体が経産省への要求を突きつけていることが報告され、9・19五万人集会のへの結集が呼びかけられた。 9・11の経済産業省包囲行動は成功裏にかちとられた。原発再稼動を絶対に許さず、全原発を廃炉させるたたかいの前進をともに作り出していこう。 【大阪】「原発ハヨトメロ!」 500人以上が結集 福島原発事故から半年となる九月十一日(日)、大阪では「原発ハヨトメロ!デモin大阪」が開催された。この行動は、STOP原子力★関電包囲行動やサウンドデモグループなどが中心となり実行委員会を形成し準備されてきたもので、大阪を中心に関西各地から五百人以上が結集した。アジア共同行動もこの集会に参加し、デモを最後までたたかい抜いた。 この日、真夏を思わせる炎天下、集会場の難波の元町中公園では、午後二時からライブ、午後三時からリレートークが行われた。リレートークでは、最初にあらかじめ予定されていた四人が発言を行なった。東大阪から参加した牧師は、大震災・福島原発事故から半年にあたる今日、全国の教会ではカトリック・プロテスタントなど宗派をこえたクリスチャンの共同の取り組みとして祈祷会が開催されたことを報告した。「その式文は、原発の問題にクリスチャンは立ちあがろうというメッセージを含むもので、命と平和を守るために頑張りたい。福島の人々の怒りを自分たちの怒りとしよう」と呼びかけた。続いて発言した一児のお母さんは、次のように訴えた。福島原発事故の前は東京に住んでおり、子どもの小学校入学を機に茨城の実家にもどるつもりだった。しかし、原発事故でそれは不可能となり、子どもを放射能から守るために知人の紹介で大阪に来た。自分だけが逃げてきたという後ろめたさもある。原発事故は、子どもの健康を脅かすだけではなく、家族のきずなも壊してしまう。家族がばらばらになり、喧嘩してしまうこともある。後で後悔するようなことはしたくない。みんなで頑張ろう。 次にノーニュークス・アジアフォーラムの佐藤大介さんが発言した。佐藤さんは、アジアにおける反原発運動の国際連帯を推進してきた経験をもとに、次のように訴えた。「日本のマスコミはひどいが、アジア各国のマスコミはもっとひどい。日本の人々はみんな原発に賛成しているとか、福島原発事故がおこったが原発は安全だとか、このような報道を行ってきた。そして、原発事故から時間がたつにつれて、報道そのものがなくなっていった。このようななかで、去る七月三十日から八月八日まで、アジア各国・地域から四十五人の反原発運動をたたかう仲間を日本に招き、各地で国際会議やフォーラム、原発事故被災者との交流などを行った。福島では千人規模の集会に参加、また東京では経産省や東電への抗議行動を行った。広島でも千人の中電への抗議デモに参加し、上関原発の建設予定地の田ノ浦と祝島にも行った。このフォーラムは毎年各国回り持ちで開催してきたもので、今年はタイの予定だった。しかし、原発事故以降の日本の状況を知り、日本の反原発運動との交流をすすめるために、急きょ日本での開催に変更した。ヨーロッパでは、チェルノブイリ原発事故以降、新規の原発建設はほとんどできなくなった。アジアにおいても、福島原発事故以降、原発の建設をやめさせていかねばならない。アジアの人々が日本に対して要請していることは、日本からの原発輸出に反対する運動をつくってほしいということだ。世界がいま日本を注視している。福島原発事故を教訓として、日本こそが原発を廃止し、世界の手本となってほしい。いっしょに頑張ろう」。このあと、門真市会議員の戸田さんが発言にたち、地方自治体など自分の足元で脱原発を推進していこう、十年や二十年をかけた原発廃止のプログラムづくりではなく、ただちにすべての原発を停止させることが重要だと訴えた。そのあと、一分間アピールという形で、発言を希望する多くの集会参加者がさまざまなアピールをおこなった。関電前でのハンスト宣言を行う若者など、さまざまな人々が自らの思いと決意を語った。 エイサーの演舞で集会はしめくくられ、午後五時ごろからデモに移った。デモコースは、元町中公園を出発し、難波の繁華街を一周、若者の街アメリカ村を練り歩き、元町中公園に戻るというコース。エイサー隊や労組・市民団体のデモに続いて、サウンドカーを先頭に若者たちのサウンドデモが元気よく続いた。アメリカ村では、サウンドデモに沿道から若者が合流する。大阪府警察は、特にサウンドデモ隊への介入を終始続けたが、これをはねのけデモ隊は最後まで「原発ハヨトメロ!」と訴え、デモを繰り広げた。参加者は、デモ終了後も、元町中公園で、遅くまでデモ後の集会を続けた。 【京都】 広がる反原発の声 1600人が結集 福島第一原発の事故から六カ月目の九月十一日午後、京都では「バイバイ原発九・一一」と銘打たれたデモンストレーションが取り組まれた。この取り組みは「子どもを放射能からまもろう」「若狭の原発をとめよう」「生命の水がめ・琵琶湖を放射能からまもろう」「原発よ、さようなら」「今こそ再生可能エネルギーに転換を」などのスローガンを掲げながら、京都の様々な団体・個人による実行委員会によって準備されてきた。 晴れ渡り絶好のデモ日和となったこの日、デモの出発地点となった円山公園ラジオ塔前の広場には、実行委員会に参加する諸団体・個人やインターネットを通して取り組みを知った人々など約千六百人が集まった。この日の取り組みはさる六月におこなわれた実行委によるデモを倍する参加者となり、京都での反原発の声の広がりを感じさせた。 実行委員会に参加するいくつかの団体からアピールの後、東日本大震災が発生した時刻である午後二時四六分に犠牲者を追悼する黙祷がおこなわれ、その後京都市役所までのデモがスタートした。工夫をこらしたプラカードや衣装、サウンドデモの隊列など、にぎやかなデモ行進となった。子ども連れの参加者も多く見られた。 アジア共同行動・京都はこの実行委員会に参加して反原発運動の発展のために努力を共同で推進するとともに、当日は独自の情宣活動を行った。すべての原発の即時停止・廃炉の実現に向けてたたかいのさらなる拡大と発展をかちとっていこう。 |
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