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■2・19沖縄
「危険な隣人はいらない!」緊急女性集会
米軍犯罪・事件への怒りと基地撤去の訴え
二月十九日、沖縄の北谷町で行われた「危険な隣人はいらない!」緊急女性集会に参加してきました。この集会は二月十日に十四歳の女子中学生に対するキャンプコートニー所属の海兵隊が起こしたレイプ事件に抗議するために、三十団体以上の女性団体や、地元自治会などが呼びかけた集会です。参加者は三百二十名(主催者発表)。座れないほどの人達が集まっていました。報道の注目度も高く、テレビ局のカメラは四〜五台が入っていました。
集会では八名の方が登壇して発言されていましたが、発言に立った方たちは口々に基地撤去を訴えておられました。発言者の中には、自治会関係の方や北谷町長さんもいたのですが、彼ら彼女らもみな基地撤去をはっきりと訴えていたのはとても印象的でした。
それは、一つには事件・事故と共に繰り返されてきた「綱紀粛正」や「再発防止」「教育プログラムの徹底」の約束が一向に守られないことへの怒りと、もうそんな言葉には騙されまいという強い思い、今まで自分達がその言葉に騙され、容認してきてしまったから今回も新たな犠牲を出してしまったという後悔の思いがあるからだろうと思います。そうであるから、今までのような地位協定の改定や兵士への教育の徹底を要求していても解決できない、問題解決を求めるにはもはや基地撤去しかないということが自治会レベルの人々も含めて受け入れられているのでした。主催者の方からも、今回の事件に関しては今までと違って自治会の老人会や女性会などの人々が本当に衝撃を受け怒っている、だから今回の緊急集会の呼びかけもそのような人達が主軸になっている、とお聞きしました。
そして、もう一つには、基地が自分達の生活の場に「液状化したように」流れ込んできており、基地の中に住宅街があるのと変わらなくなってきているとの実感があるということです。基地外住宅などが特徴的な例で、今回の事件後の調査によって一万戸以上の米兵の基地外住宅があることがわかりました。この問題は特に中部の自治体では深刻な問題になっているようで、例えば砂辺地区(北谷町)では、現在でも基地外住宅を多く抱えているのに、基地内の土地が不足しているとの理由で、今後四百戸〜五百戸の基地外住宅を増加するといいます。そうすると、住民の住宅よりも米兵の住宅の方が多くなってしまうのだそうです。基地外住宅に住む米兵については実態の把握はおろか、行動の把握など到底不可能だし、今回の事件後にとられているような外出禁止の措置も彼らには当てはまりません。このように、米兵はさらに自由に基地の外に出てくるようになり、基地と基地の外との境界がますますあいまいになってきているのです。けれども、沖縄の人々は基地に自由に入ることもできない、事件・事故を起こしても基地に逃げ込まれてしまえば手も足も出すことができないという現状の中では、集会中言われていた「自由を制限されるオリに入れられているのは私達の方だ」「安全な場所はどこにもない」という言葉こそ沖縄の人々が肌で感じている感覚を端的に表しているものだろうと思います。そんな中で、今回の事件も閑静な住宅街、基地外に住む米兵によって起こされたわけで、住民の追い詰められるような不安と憤りはピークに達したのです。もはや基地撤去しかない、という思いはこのような背景によって、出てくるべくして出てきた要求だと思いました。
このように、もちろん今回の事件を起こした米兵本人とこのような事件・事故を繰り返す米軍に対する怒りがまずあります。しかし、それと同じくらいの「本土」(それは政府・マスメディア・「本土」に住む一般の人々全て)に対する怒りが、集会の中では訴えられていました。特に、雑誌『新潮』やインターネット上などで書き立てられている被害女性へのバッシング。これに対する怒りは非常に大きかったです。それは、前述したような「自由を制限され、オリに入れられているのは自分達の方だ」と感じる程の状況の中で、「一体どこに安全な場所があるというのか」「こんな状態でどうやって自分の身や自分の子ども・家族の身を守れというのか」「沖縄の人間は外で遊ぶな、出歩くなということか」という悲痛な叫びなのです。そんな沖縄の人々の現状をみることも、そうなっている原因がどこにあるのかもみないで、「ついていった少女も悪い」「ふらふら遊んでいるのがいけない」といったような被害女性にも非があるかのようなバッシングに対して、沖縄の人々は「この少女へのバッシングは、全てのウチナンチュに投げつけられているものだ」と受け止めて、何よりも被害女性とその家族とに思いを寄せています。発言された教員の方は、場所や時間、年齢や性別によって蹂躙されていい人権があるのか、と問いかけました。そして、いかなる理由、例え「日本の安全のため」であっても人権が侵害されて良いはずがないと訴えておられました。「日本を守るために」自分達の子どもが何故犠牲にならなければならないのかと、「基地は必要だ」と簡単に言ってのける「本土」の人々の無関心に怒りを表しておられました。そして、今回の事件によって「もはや基地撤去しかない」というところまで追い詰められている沖縄の人々の思いを顧みることもなく、「基地撤去に結びつけるのはおかしい」という政府、「県」の姿勢、そしてその意向を積極的に後押しする産経新聞などのマスコミに対して、激しい怒りが燃えています。また、「本土」の人々全般についていえば、今までは日本政府の沖縄差別の政策に対して無関心・無反応によって積極・消極に支えているというような、間接的な加害性を言われることが多かったのですが、インターネット上での少女に対するすさまじいバッシングは一般の人々が行っているものであり、その行為においては「本土」の全ての人々が直接的な攻撃者、加害者として沖縄の人々の目に映っているのです。
集会の演壇の前には「安全な場所はどこ!軍隊の島に安心も安全もない。子どもは守られる権利がある」という横断幕が張られていました。発言者のお一人、高里さんはお話の中でそれに触れて、その横断幕が二〇〇〇年に民家に米兵が入り込む事件が起こった時に抗議するために作られたものであること、八年経った今でもまったく同じように使えるのが沖縄の現状だ、と話されました。そして、今回の事件が起こって以降九五年の少女レイプ事件がよく挙げられるが、「九五年」という年が繰り返し言われるのはとても辛いと話されていました。それは、あの年以外の年にも同じような目に遭った(が沈黙を強いられている)女性達がいるだろうし、「九五年」という言葉を聞いてそのような女性達が何度も何度も胸をえぐられるような思いをしているだろう、そう思うと「九五年」という言葉が繰り返される、そのような事態がまた起こってしまったことが大変辛いのだと。沖縄では戦後一貫して、このような事件が起き続けている。そして、そのような沖縄の歴史の中で、どれだけの性暴力事件の被害女性が沈黙を強いられてきたか。自分達が本気で被害者に非がないと考えるのなら、問題の根本を明らかにし取り除く運動をしなければならない、というお言葉が印象深かったです。
今回の集会に実際に参加したことで、沖縄の人々の置かれている切羽詰った現状とそこから出るべくして出ている基地撤去要求の声をじかに聞き、実感することができました。特に、基地が住宅街を侵食し、本当に基地の中に住宅街を囲い込んできているような現状は、「本土」ではほとんど知られていないでしょう。そうであれば、それによって行きついた沖縄の人々の基地撤去要求の悲痛な叫びも、それがどれだけ切羽詰った、追い詰められて出されたものなのかも理解できないでしょう。この現状を広く暴露し、その中で沖縄の人々が抱えている切迫感を多くの人にもわかってもらいたい。そして、三月二十三日の県民大会をはじめ、様々な取り組みも引き続き取り組まれていくことになるでしょう。このような被害をさらに拡大させる新基地建設に対するたたかいも辺野古や高江など各地で続けられています。それらのたたかいに対して、全力で連帯していきたいと思いました。
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