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■4・28 沖縄

辺土岬に反戦のかがり火あがる

 

 昼間の辺野古・キャンプシュワブ包囲行動の大勝利・戦闘宣言の烽火に続き、夕方には沖縄島最北端の地・辺土(へど)岬に反戦の炎が燃え上がった。昼からの雨は上がったものの北風が吹きすさむ肌寒い中、暗黒の逆風に抗うがごとく、かがり火は荒々しく燃えた。

 「講和五五年、復帰三五年/県民屈辱の日を新たな闘いの日へ/四・二八辺土岬集会」が、四月二十八日夕方から国頭村辺土岬の「復帰闘争記念碑」横で開催された。主催は、沖縄平和運動センターと五・一五平和行進北部実行委員会で、約二百名の労働組合員らが参加した。

 「四・二八」は、一九五二年の同日、サンフランシスコ講和条約発効により敗戦国日本が占領状態から「独立」した日である。それは日米安保条約の成立と表裏一体であった。この過程で沖縄は日本統治から分離され「国連信託統治まで」として事実上アメリカの軍事支配を強制されたのである。その背景に、後日アメリカの長期にわたる琉球諸島の軍事支配の継続を要望した「天皇メッセージ」(一九四七年九月)として明らかにされたように、「国体護持」のために強制した沖縄戦に続き、戦後天皇制の延命のための取引材料として沖縄と沖縄人民を売り渡した戦犯天皇ヒロヒトの歴史的犯罪があったことも絶対に忘れてはならない。

 まさに、今日につながる日米両帝国主義による沖縄の軍事支配・差別軍事支配の根源が「四・二八」なのである。沖縄人民はこの日を「屈辱の日」とし、「復帰運動」として現れた米軍支配打破・人権回復・民主主義獲得・自治権拡大のたたかいを展開し、「本土」人民との連帯を求めて、辺土岬と「本土」側の与論島でかがり火を焚き連帯を確認するとともに、北緯二七度線上では海上交歓会も持たれたという歴史的な地平がある。

 集会は岬の駐車場広場から「復帰闘争記念碑」へ向けた行進から始まった。寒風の中、沖音協による「沖縄を返せ」の歌声が夕闇に響き渡る。主催者あいさつに立った崎山嗣幸平和運動センター議長は、「復帰三十五年の節目の今日、米軍再編による基地の強化が進む一方で、憲法改悪が現実化している。平和行進・嘉手納基地包囲行動を成功させ、たたかいをさらにおし進めよう」と訴えた。北部実行委員会代表の玉城義和県議は、「昼間のキャンプシュワブ包囲闘争も大成功した。辺野古への新基地建設を絶対に阻止する。厳しいたたかいだが力を合わせて勝利しよう」と訴えた。

 九州ブロック代表・社民党代表の連帯あいさつの後、かがり火が点火された。どっと沸く歓声。燃え上がる炎とともに熱気も盛り上がる。「復帰闘争を語る」と題して、初代平和センター議長の新垣善春氏と元北部地区労議長の大城堅靖氏が発言に立ち、次世代の若者たちへ檄を飛ばした。それを受け、三人の青年労働者が決意表明を行った。集会宣言を全体で確認した後、全員でスクラムを組み「沖縄を返せ・頑張ろう」を合唱し、勝利への決意を固め合った。

 

 

 

 

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