ホームへ |
2013年12月25日 |
|
■李壽甲同志(AWC韓国委員会・元代表)の死を悼む
AWC国際事務局長
|
|
AWC韓国委員会の初代代表であり、長年にわたって日韓労働者・民衆の連帯運動の発展に尽力されてきた李壽甲(イ・スガプ)さんが、二〇一三年十二月二十四日に逝去された。謹んで哀悼の意を捧げます。以下、AWC国際事務局による追悼文を編集部の責任で転載します。
|
AWCの各国・地域の同志たちへ
悲しいお知らせを伝えなければなりません。AWC韓国委員会の初代代表であった李壽甲同志が昨夜(二〇一三年十二月二十四日)に亡くなられました。八十八歳でした。AWC国際事務局長として、ご遺族ならびにAWC韓国委員会の同志たちに深い追悼の意を表します。
李壽甲同志は一九二五年に慶尚南道梁山郡に貧農の子として生まれ、闘う労働者としてその人生を全うされました。
一九四五年八月十五日に日本帝国主義の植民地支配からの解放を勝ちとるとすぐに、朝鮮の労働者階級は民族の独立と労働者階級の解放の情熱を込めて、各地のあらゆる産業に労働組合を結成し、同年十一月には戦闘的なナショナルセンターとして「朝鮮労働組合全国評議会」(全評)を結成します。二十歳の青年労働者であった李壽甲同志も鉄道労働組合の組織者として、一九四六年九月の歴史的な釜山発の全国ゼネストをはじめ、この全評運動の先頭に立って闘ってきました。
李壽甲同志はまた、一九四六年十一月の南朝鮮労働党の結成当初からの党員として、慶尚南道を中心に活躍し、労働者階級の解放と朝鮮半島における独立国家建設・社会主義のために尽力してきました。また、朝鮮戦争の勃発とともに南朝鮮労働党や全評が壊滅的な打撃を受けるなかでも、その組織再建のための非公然の地下活動に従事してきました。
こうした李壽甲同志の信念にもとづく活動は、不可避に権力による弾圧を受けざるを得ませんでした。南朝鮮単独政府の樹立に反対する闘いのなかで、その後の軍事独裁政権の下で、労働者階級の解放と朝鮮半島の自主的平和統一を求めてたたかう李壽甲同志は幾度も逮捕され、時には死の脅迫をも受けてきました。しかし、李壽甲同志はどのような弾圧にも屈することはありませんでした。
二〇〇五年以来、李壽甲同志は民主労総傘下の韓国鉄道労組の名誉組合員でもありました。「韓国労総」傘下の御用労組から闘う民主労組へと自己変革をとげた韓国鉄道労組が、「全評」時代以来の不屈の闘いに敬意を表し、李壽甲同志の名誉を回復したのです。その韓国鉄道労組はいま、十二月九日以来、朴槿恵政権の弾圧に屈せず、鉄道民営化阻止を掲げた無期限ストライキをたたかい続けており、民主労総は十二月二十八日にゼネストを準備しています。
李壽甲同志は労働者・民衆の国際連帯の必要性と重要性を深く確信していました。それゆえに私たちは国や民族の違いを越えて出会うことができました。一九九五年十月に「米日のアジア侵略・支配に反対するアジア・キャンペーン」の第二回総会に参加して以来、反帝国主義を基盤とする韓国とアジア各地の労働者・民衆運動の連帯と結合のために尽力され、一九九九年にはAWC韓国委員会を設立しました。
李壽甲同志は晩年に至るまで常に労働者・民衆の闘いの現場に立ち続けてきました。AWCの闘いのなかで、李壽甲同志は日本、台湾、インドネシアなどアジア各地の闘いの現場に立ち続けました。また、八十六歳であった二〇一一年九月には済州海軍基地建設阻止闘争のために、約一週間テントに泊まって現地闘争をたたかっています。
AWC運動を通して李壽甲同志と出会い、以来二十年近くに渡って闘いを共にすることができたことは、私たちの財産であり、誇りです。韓国における労働者・民衆の闘いと国際的な反帝国主義運動の前進のために李壽甲同志が果たしてきたその努力を私たちが引き継ぎ、さらに大きく発展させていかねばならないと心から決意しています。
二〇一三年十二月二十五日
AWC国際事務局長
|