【紹介にあたって】 以下に翻訳して紹介するのは、フィリピン共産党(CPP)の創設議長であるホセ・マリア・シソン氏が今年六月に発表した「産業資本主義国における人民戦争の問題について」と題する小論である。
この小論はイギリスのある毛沢東主義グループの求めに応じて書かれたもので、その後いくつかのウェブサイトに転載された。その直接的な要請は「帝国主義国における持久的人民戦争は可能か?」という問いに応えることであった。
この小論の中でシソン氏は、いわゆる「持久的人民戦争戦略」をあらゆる国で適用できる「普遍的」な戦略とみなす見解を退けつつ、帝国主義諸国を含む「産業資本主義諸国」においてブルジョア階級支配を打倒する暴力革命の準備の問題についての彼の基本的な見地に触れている。
その行論の中でシソン氏は、「プロレタリアートの武装」を彼岸化する傾向に対する批判的な見地から、「産業資本主義国」の法律上の制約の範囲内でもブルジョア国家権力の打倒に向けて現在からなしうる準備があることに言及している。そして、フィリピンのような「半封建・半植民地国」とは異なる「産業資本主義国」においては、「圧倒的な人民の参画による暴力革命の準備」を長期・持久的に整えていかねばならないことを指摘している。その上で彼は、「銃火器を入手あるいは製造することよりもはるかに重要なのは、プロレタリアートとその党を真に革命的なものにするイデオロギー的、政治的、組織的な任務を果たすことである」とも述べている。
それはある意味では当然のことのように思えるかもしれないが、われわれブントを含む日本の革命運動・共産主義運動の歴史を振り返れば、そう簡単に言ってしまうことはできないだろう。
「労働者階級は、できあいの国家機構をそのまま掌握して、自分自身の目的のために行使することはできない」(マルクス『フランスの内乱』)。それを踏まえるならば、帝国主義本国においてブルジョア国家権力を打倒し、その権力機構を解体して労働者人民の手でそれを新たなものに置き換えるプロレタリア社会主義革命の実現との関係で、プロレタリアートの武装の問題は避けて通ることのできないものであり、またわれわれにとっては今日的な準備の問題でもある。
この点に関連して、シソン氏の以下の小論は、そうした側面におけるわれわれブントのかつての実践の歴史的総括、および、プロレタリア社会主義革命の実現に向けたわれわれの今日的準備にとっても示唆的なものを多く含んでいると言える。(佐々木 涼)
●はじめに
私はプロレタリア革命家を自認する人々から、中国で毛沢東が遂行したような持久的人民戦争は、産業プロレタリアートが多数者の階級となり、農民が少数者の階級となっている資本主義諸国で成功裏に遂行しうるだろうかと何度も尋ねられてきた。
私は、歴史と社会的諸条件にもとづいて、産業資本主義諸国の既存の憲法および法律の範囲内で、この質問に理論的・仮説的な方法で回答してみたい。そのなかで、毛沢東の持久的人民戦争の理論は普遍的に正当であり、適用しうるものだという幾人かの人々の見解について扱うことにする。
●1 中国とフィリピンにおける持久的人民戦争
毛沢東自身は、持久的人民戦争は、慢性的な危機にある半植民地的・半封建的な国において民主主義革命を成功裏に実現するために、プロレタリアートの革命党にとって可能であるばかりでなく、必要ですらあると機会あるごとに説明してきた。
農村から都市を包囲するという戦略的路線を採用することで、プロレタリア革命家は広大な作戦行動地域としての農村部を活用し、革命の主要勢力としての農民大衆の支援を得て、人民軍を少数で脆弱な段階から強力な段階へと成長させることができる。
中国共産党は、最終的に都市を占拠し、それにより民主主義と社会主義のための人民戦争を勝利させるための十分な武装力と政治力を蓄積するために、長期間にわたって成功裏に農村部を活用することができた。
私は暴力革命のためのフィリピンの特定の諸条件に関する自ら著作のなかで、持久的人民戦争に関する毛沢東の理論と実践を支持している。そして、私は考慮すべき事柄の中でも、とくにフィリピンの群島的・山岳的特徴を念頭に置いてきた。
フィリピン共産党が率いる暴力革命は、それを粉砕しようとする米国と傀儡政権のすべての戦略的計画にもかかわらず、そして中国における資本主義の完全復活や一九九一年以降のソ連の崩壊といった世界のドラスティックな変化にもかかわらず、持久的人民戦争の戦略的路線を遂行することで、五〇年以上にわたって自らを維持し、力を得ることができてきた。
産業資本主義諸国においては、プロレタリア革命家は農村部の少数で脆弱な人民軍によって革命戦争を開始することはできず、その戦争を持続させるための農村部の広大な空間と無限の時間の活用を期待することはできない。
軍隊が最初の戦術的攻撃を開始するやいなや、それは巨大な武装した軍隊と独占ブルジョアジーの高度に統合された経済・通信・運輸システムに圧倒されることになるだろう。
しかしながら、「人民戦争」という用語は、産業資本主義国においてブルジョア国家を打倒するための人民による暴力革命の必要性を意味するように柔軟に使われているのかもしれない。しかし確かなことは、持久的になされなければならないことは、圧倒的な人民の参画による暴力革命を準備するということである。
レーニンが指摘しているように、革命は、支配階級がこれまでのようなやり方で支配できなくなるような深刻な危機に資本主義体制が陥り、人民が革命的変革を求めており、プロレタリアートの革命党が革命を導くに足るほど強力であるときに、はじめて勝利することができる。
革命の客観条件と主体的要因を十分に考慮せずに、都市部あるいは農村部で暴力革命を開始するのは無益なことである。資本主義国家に対する都市部での武装反乱は、国内危機、世界資本主義体制の危機、その国の資本主義間あるいは帝国主義間の戦争への関与、そして十分な武装力を伴った革命的大衆運動の高揚によるその国家の深刻な弱体化の結果としてのみ成功させることができる。
●2 暴力革命の歴史的事例
一八七一年のパリ・コミューンは、フランスが普仏戦争に没頭し、武装した都市の衛兵自身がプロレタリア大衆の圧倒的な支持を得て反乱を行ったときに、都市での反乱を成功させることができることを示した。
帝国主義ロシアにおいて、ボリシェヴィキはツァーリの軍隊内に革命の種としてのカードル配置する先見性を持っていた。第一次世界大戦中の人民のように軍隊の大衆が不満になったとき、彼らはツァーリ、そしてケレンスキー・ブルジョア政府を打倒するために立ち上がった。その後、彼らは広大なロシア帝国の農村部で反動と外国の干渉勢力に対して成功裏に戦争を遂行した。
ドイツのファシストは、独占ブルジョアジーに支持されて、ドイツを支配し、プロレタリアートとその革命党を弾圧するために直接的な国家テロリズムを行使する以前にさえ、武装グループあるいは準軍事組織を形成し、資本主義国家の軍隊および警察と協力して、労働者のストライキと人民の抗議を破壊した。
ワイマール共和国の深刻な危機の間、ドイツの共産主義者と社会民主主義者も彼ら自身の武装グループを保持していたが、決定的な時にファシストに追い抜かれた。しかしそれは、プロレタリア革命家と人民は常に武力革命の準備と実際の行動の双方で卓越し、成功するように努力しなければならないという今なお有効な教訓してあり続けている。
第二次世界大戦中、フランスやイタリアなどのヨーロッパのいくつかの国では、パルチザンが現れ、ファシストに対するパルチザン戦争を遂行した。一九二二年にファシズムが最初に権力を握ったイタリアでは、共産主義者と人民は都市部と農村部の双方でゲリラ戦を遂行し、ファシスト独裁者を打倒して国家権力を掌握する寸前までに到達した。
上記の歴史的事実に基づいて、組織された革命的プロレタリアートと大衆にとっては、資本主義システムが危機に陥りやすく、プロレタリア革命を阻止するために独占ブルジョアジーがファシズムに頼ることを想定し、予測することが、常に賢明である。社会主義の物質的基礎が資本主義のうちに存在するとしても、社会主義が勝利する前に、プロレタリアートはまずファシズムを打ち負かし、民主主義のための闘いに勝利しなければならないのである。
プロレタリア革命家にとっては、自らを武装し、意識的に訓練を行い、将来の武力紛争に備えて政治的・軍事的訓練を行うことは論理的かつ必要なことである。プロレタリア革命家の武装能力は、イデオロギー的、政治的、組織的な原則と規約にまず第一に拘束されると私は考える。
ボリシェヴィキがそうしたように、プロレタリア革命家は反動的な軍隊の内部に革命的活動のためにカードルを配置することもできる。とりわけ兵士のほとんどは労働者階級の出身だからである。資本主義国家は将来、危機と戦争によって弱体化しうる。第一次世界大戦におけるツァーリの軍隊のように、反動的な武装部隊はそうした危機や戦争のなかで崩壊する傾向にある。
数十年にわたって密かに武器を入手して保持し、最も限定的で困難な条件下で小規模な攻撃を開始することに関して、アイルランドとパレスチナの革命的な武装組織は、占領軍に反対するコミュニティー全体の大衆的支援を根拠とした、意識的な訓練、熟練、機知、忍耐に関する良い例を提供している。しかし、それらの発展の状況やプロセスは、現在の資本主義国では典型的だとは言えない。
●3 プロレタリアートが武装するにあたって考慮すべきこと
自由民主主義を装っている産業資本主義諸国の現在の憲法上・法律上の基準では、いかなる個人もスポーツや犯罪者からの自衛のために、あるいは国家が暴政的・抑圧的になる可能性に対する自衛を目的にして、合法的に銃器を入手することができる。
アメリカ合衆国ではまさに、銃のライセンスに関する法律を厳格化し、白人至上主義者や誇張されたジハーディストを武装解除し、帝国主義と無意味な暴力という米国の文化の影響を最も大きく受ける子どもたちの手から武器を遠ざけることを要求するブルジョア・リベラル派の主張にもかかわらず、武器販売の国内市場を広く保つために、武器を保有する市民としての憲法上の権利を行使している。
かなりの数の産業資本主義国では、市民にはブルジョア国家の庇護の下での軍事訓練で取得した銃器を保持することを認められている。そしてそれらの国々では、家にある保管場所から銃器を持ち出して学校や他の公共の場所で罪のない人々を撃ち殺す少数のアメリカ人の事件や少数の子どもたちのような問題は存在しない。
それゆえ、スポーツ射撃クラブ、コミュニティー自衛組織、あるいは公共のイベントや施設のボランティアでの警備として、銃器を持つプロレタリアを組織することは可能である。しかしもちろん、武装した人民の集団を誇示し、同時に、資本主義国家およびその軍隊や警察に反対していることを挑発的に宣言するのは賢明なことではない。
そのような軽率さは、ブラック・パンサーの歴史的事例のように、ただちに暴力的弾圧という国家の対応措置を引き起こす。資本主義社会では、武器や軍事訓練・軍事演習を公に見せびらかす特権を持っているのは、ファシストと他の反動的武装集団である。
また、合法的・平和的な大衆的抗議行動に対して、あるいは大部分の人々が武装しておらず、武装反乱を開始するにはまだまだ準備ができていないところに、武器を持ち込むことも賢明ではない。プロレタリアートの革命党にとっては、暴力革命のための諸条件が熟す以前に人民軍を建設する意図を公に宣言しないほうが賢明である。
銃のライセンスに関する法律がどのようなもので、それがどれほど厳格なものであっても、人民の中には個人のガレージや作業場でこっそりと銃器を製造する技術、材料、設備を持っている者も存在する。ファシストと資本主義国家に対する人民戦争を準備する長期的な努力の中で、人民は銃器を入手し製造することができるのである。
特定の資本主義国では武器を使用して闘う条件はまだ存在していないが、プロレタリア革命家は必要が生じた場合にはファシストと資本主義国家に対する一定の成功をなしうる反撃のための自衛手段を持っているという自信を持って、合法的かつ説得力のある方法で、大衆を目覚めさせ、組織し、動員し続けるべきである。
銃器を入手あるいは製造することよりもはるかに重要なのは、プロレタリアートとその党を真に革命的なものにするイデオロギー的、政治的、組織的な任務を果たすことである。しかしもちろん、ファシストがすでに権力を掌握する過程にあるときには、ファシストが権力を掌握する以前に銃器を保持することのほうが重要である。
強調するために繰り返すのだが、米国においてさえ、国家が武器を独占することを防止し、専制的あるいは抑圧的な政府が生じた場合にそれに反対して打倒するために市民が武器を保有することを認めるものとして、人民は銃器を保有する憲法上の権利を有している。また、市民が武器を保有するための多くの特定の法的理由が存在している。
●4 悪化する国際情勢とプロレタリア国際主義
資本主義の完全復活とソ連の崩壊を受けて、アメリカ帝国主義は一極的世界における唯一の超大国の地位を享受し、無謀で攻撃的なやり方で新自由主義経済政策とネオコン的軍事政策を推進してきたが、それは知らず知らずのうちに米国自体の力を弱体化させ、その戦略的衰退を加速させてきた。現在、トランプの下で、米国は保護主義者として振る舞い、かつてないほど好戦的になっている。
米国はより好戦的になっているが、米国の戦略的衰退は、二〇〇八年の危機以降、経済・金融の点で明白になっている。新たな帝国主義国としての中国とロシアの台頭は、世界資本主義体制の危機を悪化させ、著しく多極的な世界において帝国主義間矛盾を激化させている。
帝国主義諸国はつねに危機の犠牲を世界のプロレタリアートと人民におしつけようとする。その結果、プロレタリアートと人民は抑圧と搾取のエスカレーションに苦しみ、最終的に抵抗に駆り立てられる。帝国主義者はそのうちいくつかの資本主義諸国でプロレタリア革命家と大衆に暴力革命の問題を強制するであろう。現在、帝国主義国家はより抑圧的になってきており、ファシスト運動をも生み出している。
プロレタリア革命家は、いかなる資本主義国においても暴力革命を開始する必要にまだすぐさま直面するわけではないが、プロレタリア国際主義と反帝国主義連帯の精神をもって、暴力革命を準備しているプロレタリアート・人民、あるいは、低開発諸国ですでにそれに携わっているプロレタリアート・人民と、武器およびそれを製造する技術を含む彼らの革命的な思想、経験、能力を共有することを考慮に入れることもできるのである。
低開発諸国あるいは世界の農村部における人民戦争の広がりと発展は、資本主義諸国における暴力革命の台頭に役立ちうるものである。現在、米国を先頭にした帝国主義諸国は、低開発国における軍事介入と侵略戦争を広範囲に行っている。それゆえ、プロレタリア国際主義と反帝国主義連帯のあらゆる具体的な行動が緊急に必要である。
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