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熱と光すみだフェスタ 報告 |
2017年5月 |
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首都圏在住労働者 十二月九日、墨田の地で毎年重ねられてきた「熱と光すみだフェスタ」が約七十名の参加で開催されました。 今年は「オモニの話を聞こう〜差別NO! みんなではねかえそう!」をテーマに、二人のオモニが招かれました。 お一人は、排外主義者らによるヘイトデモが十回にも及ぶ中で起ちあがり、ついにヘイトデモ差し止めをたたかい取った川崎のオモニです。もう一人は、関東大震災時に虐殺された韓国・朝鮮人の追悼碑を建立し、毎年の追悼式や様々な集いで地域内外へ発信し続けてこられた地元墨田のオモニです。 川崎は在日韓国・朝鮮人をはじめ外国にルーツをもつ様々な人々が、互いの文化の違いを「素敵だね、豊かだね」と認め合い共に生きてきた街。子どもがオモニのことを、学校では周囲に合わせて「ママ」と言いかえていたら、先生が「オモニと言っていいのよ」と言ってくれた。ブラジルにルーツをもつ友達もたくさんいるが、からかったりからかわれたりすることもなく仲良く育ってきた。そんな素晴らしい街に、土足で踏み込んできたヘイトデモ。最初は消極的だったオモニも、「僕は(反ヘイトデモに)行くよ」と言う中学生の息子を守らなければならない一心で勇気を出した。しかし、直面したヘイトスピーチのあまりの酷さに息子は泣き崩れ、その息子を守らなければと思いつつオモニ自身も「音が消え、色が消える」思いで立ち尽くしたと語られました。 どうして生きているだけでこんなにも憎まれ、否定されるのか? 中学一年生が「差別をやめてくれ」と訴えなきゃいけない社会、じょうだんじゃない!。「もう逃げない」と決めたオモニ達当事者の悲痛な叫びは、国を動かし、ヘイトスピーチ対策法の成立へ。そしてついにヘイトデモを禁じる仮処分決定につながりました。 ネット上での誹謗中傷・差別ツイートに対しても諦めることなく被害を訴え、一件でも二件でも削除させるためにたたかい続けているとのこと。ヘイト法は不十分な法律だが、「ないよりマシ」ではなく「あることを尊ぶ」べき。生かそうと思えばやれることはたくさんあるのだから、プラスにしてゆこうと訴えられました。 「墨田に暮らして三十七年。(関東大震災時韓国・朝鮮人虐殺犠牲者)追悼式の開催は三十四年目」と自己紹介された墨田のオモニは、とても活動的な女性ですが、実はヘイトスピーチのカウンター行動にだけは………新大久保にも行ったことがなかったのだと言います。子どもの頃から貶められ、沁みつき、心を殺されてきた―わざわざその言葉を聞きに行くものか、と思ってきたからです。しかし一月初めて川崎へ、居ても立ってもいられず足を運んだとのことでした。それほど在日当事者がこの問題に踏み込むのは勇気がいるのだということを、改めて訴えられました。関東大震災時虐殺事件を知ったとき、「また地震があったら私や子どもが殺される」と恐怖を感じ、絶対に止めなければならないとの思いで追悼事業を続けてこられました。子ども達孫達の世代に繰り返させないために、墨田の地でゆるぎなくやっていくしかない、と今のお気持ちを語られました。 在日外国人へのヘイトスピーチをはじめ、障害者十九名の命が奪われた相模原でのヘイトクライム事件、「全国部落調査 復刻版」を出版販売しようとし未だに差別情報をネット上で流布し続けている「鳥取ループ」問題、沖縄の人々を「土人」と罵った大阪府警、など差別事件があとを絶ちません。 世界中が差別・レイシズムに覆われていく中、私達は何に希望をみいだしていくのか―川崎のたたかいの中で、また身近な墨田のたたかいの中で、とても厳しいけれども暖かく豊かなつながりが築かれてきたんだということを忘れてはいけない。今日お二人との出会いを明日につなげ、共に差別を根絶していこう! との訴えで、集いが締めくくられました。 |