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現地援農に参加して

三里塚に沖縄のことを重ねながら
        
2016年5月

                                                                                 




                                                  
 「タイヤの焦げる臭い、すごいでしょ?」
 夜明け前から降り続いて心配した雨もあがり、じりじりと暑くなる空気に、土と草が混じった匂いを嗅ぎながらの援農作業。初めてのことばかりで緊張し通しで、我に帰って腰を伸ばして深呼吸するのも束の間、周囲の作業の音や声が、本来これほど近くからは聞こえないはずの豪音で掻き消されてしまう。没頭していると気にならないのに。
 鉄塀の向こう側に着陸した旅客機がエンジンの排気音を響かせて遠ざかると、ゴムが摩擦で溶け焦げる臭いも次第になくなり、空港特有のあの臭いだけかすかに残る。風と草と作業の音だけの長閑な畑の情景が戻ってきても、見渡す視界は何処を向いても無機質な鉄塀が仁王立ちしたまま。
 「ほんとに。音もすごい」
 以前から来たかった場所。たった一日の間だけだけど、実際にこの場所に立ってみて、想像よりも厳しい環境に囲まれながら、想像よりずっとおおらかで、自由で、喜びに充ちた生活の場であったことにわくわくしながら、それでもこの農地を続けていくことの困難さは想像を遥かに越えたところのはずで、気を取り直して多少慣れ始めた作業に戻る。その繰り返し。農作業は不思議で、土を見ながら、次第に自分とも対峙することになるのを知りました。三里塚に、沖縄のことを重ねながら。そして父の若い頃の話を思い返しながら。
 子供のころ、父が夕飯時に時おり話す二十歳かそこらの若い頃の話が好きでした。沖縄から屋久島に渡る密航船の船倉で何日も過ごし、見兼ねた船長から渡された瓶コーラが美味しくて泣いてしまった話。やがて密航船が定置網を引っかけて見つかり、船を岸に暴走させ、それをおとりに夜の海に飛び込んだ話。港のブイを海底に固定するワイヤーを一本だけ残して全部刈り取り、鉄くずとして売りさばいた話。そんな悪いことをして稼いだドラム缶いっぱいのB円が切替に間に合わず全部紙くずになった話。そんな嘘か本当か判らない話ばかり。
 わたしも大人になり、三里塚の映画を観る機会があり、そのなかで西瓜畑が登場したときに父の話をふと思い出しました。もしやと思い、年老いた父に何気なく尋ねました。
 「そういえば若い頃、千葉で農業してたって言ってたよね、西瓜作って都内に売りに行ってたって…あれは千葉のどこ?」
 「ん?…三里塚」
 父はぶっきらぼうに答えました。やっぱり。気まぐれな父は、他には何も答えてくれなかったけれど、でもそうか。父は三里塚にいたんだ。
 後日、御料牧場への入植者の中に、南洋から引き揚げたり戦地から復員したものの、米軍占領下の故郷に戻れなかった沖縄出身者の一団がいたことを知りました。五年ほどだったようですが、若かった父もそこにいたようです。それを知り、ぜひ三里塚に来てみたい、と思っていました。勿論父のいた頃とは全然違う景色だろうし、状況も違うだろうけれど。六十年前の父はどうだったのだろう。いま目の前にあるのは西瓜でなく葱だけど、同じ体型をしているから、こんな感じで汗かきやってたのかなと思いながら。
 同時に、入植したウチナーンチュたちのことも脳裏から離れませんでした。国策でふるさとを出て、ふるさとを奪われたまま、第二のふるさととして開墾したであろう土地を、また国策で奪われていった人々。そして農地だけでなく、生活道路や鎮守の社さえ取り囲み、人の存在を否定して切り刻むような白い塀が、沖縄の基地のフェンスと重なって映りました。肉親の汗や血が滲んだ土地というだけではない。自分自身の誇りや信念だったり、大切で切実なもの、それらをこれ以上踏みにじられたくない。沖縄だけではなく、この三里塚や、この国の様々な場所で続けられているたたかいもきっとそうでしょう。自分たちのささやかな暮らしが、生活を守り続けることそのものが、抗いのたたかいになってしまう社会。権力が隠すものを知りながら見ようとせず、見えないものに気づいても通り過ぎてしまう社会。無機質な塀に隔絶され隠蔽されているのはこちら側ではなく、この塀の向こう側こそ、閉塞し隷属させられて不自由な籠の中のように見えるのに。市東さんの農地で、そんなことを思いました。自分勝手に憤ったり哀しんだりしながら、地産地消の美味しい食事をいただきながら(ほんとに美味しかった!)、汗まみれ土まみれになりながら。
 夕暮れも近い帰り際に、やぐらに登らせてもらって、鉄塀の向こう側の風景をみました。父も耕したであろう土地を覆い隠すように広がる発着場。変わらず爆音と共に行き来する旅客機に向けて、手を振ってみました。おーいおーい。旅客機の窓からはどのように見えるのだろう。何をしているのだろうと気づいてくれたかな。あの塀はなんだったのだろうと、思い出してくれるかな。
 また、援農に来ようと思います。市東さんをはじめ、お世話になったみなさま、本当にありがとうございました。

 ●三里塚だからこそ出来るおいしい野菜

 初めて援農に参加しました。
 あいにくの天気でしたが、手をかけて育てた土に、手をかけて育てた苗を植え、そこから作物が育ち、おいしい野菜になり私たちの食卓に並ぶということが、どれだけありがたいことなのかを、改めて思い知りました。
 消費者としては落ちこぼれの私ですが、土を軽く払って食べたラディッシュの味と生で食べた三つ葉の味は忘れられません。
 三里塚だからこそ出来るおいしい野菜を、これからも食べたい!と思います。
 とても豊かな時間をありがとうございました。また参加したいです。

        

 

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