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『帝国の慰安婦』を読んで |
2016年3月 |
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野々田 ひな子 韓国の大学教授、パクユハという女性の『帝国の慰安婦』という本が日韓でかなり話題になっているらしい。そこで実際読んでみて、黙っていられない気持ちになり筆を執った。パクユハは「戦争、侵略、帝国主義の植民地支配などがある所には、必ず広い意味での『慰安婦』がいた」と主張する。「それはなにも朝鮮半島に限った悲劇ではない」と言う。慰安婦にされた女性達は「絶対的被害者」であった、韓国社会の抱くそうした慰安婦像にメスを入れて、慰安婦の「実像」に迫ることを試み「これまでのイメージとは異なり、慰安婦たちも日本の軍関係者に大切にされてもいた」「慰安婦と兵隊は同じ戦場の主に最前線において、志を共有していた愛国の『同志』であった」とも言う。「朝鮮人慰安婦に辛く当たったのは、日本軍の兵士達というよりはむしろ同じ朝鮮人の業者だった」。そして、パクユハは、「日中戦争、太平洋戦争の時に陵辱された朝鮮人慰安婦たちの苦痛の責任は、つまるところ日本の植民地支配にある」「しかし米軍占領下にあった沖縄、ソ連が侵攻して来たときの中国大陸では、多くの日本人女性たちが誰それかまわずアメリカ兵やソ連兵にレイプされていた」ことなどをあげている。 しかし彼女の書き方では、日本のアジア侵略の責任がぼやけて曖昧になってしまう。 そして「歴史的にみて、韓国の一部の慰安婦支援団体が望んでいる、日本が法的責任をとる、ということは不可能である」と述べている。 私は『帝国の慰安婦』は、まだかろうじて生存している元「慰安婦」のハルモニたちの心の傷を癒すことも、彼女達の恨(ハン)を晴らすこともないだろうと思った。それどころか、ハルモニの逆鱗に触れた。「日本兵と愛国の同志であった」などというくだりは、まさにそうであった。当然のことであろう。『帝国の慰安婦』はいわば学術書なわけだから、この書物にそれ(恨の癒し)を求めても筋違いであることはあるだろうが、ハルモニたちが求めているのは、とにもかくにも、ハンを晴らしたいということだろう。そして、心残り無く天国へ行きたいのだろうと思う。あるアメリカのジャーナリストが言っているように、慰安婦問題は「戦争問題としては最も感情的な問題」である。「戦場における兵士達の性的欲求を処理する必要性を感じて女性を『調達』したのは、アメリカも、そして韓国も同じだった」ということもかなり書かれているが、これを読んだ一部の軽卒な日本人は、「ああ、慰安婦問題とはこういうことだったのか、慰安婦だった女性達も結構楽しいことがあったらしいし、なにも日本人だけが戦争中に恥ずかしいことをしていたわけではなかったんだ」と、この深刻な問題をひとまず理解できたように感じてしまうのではないか。そうした危険性をはらんでいるのが、『帝国の慰安婦』である。 実は私も微力ながら元「慰安婦」のハルモニ達を支援する運動に関わっていたことがある。『帝国の慰安婦』を読みながら、あの時のことをいろいろと思い出し、本当に悲しくなった。特に、日本人の私と在日の韓国人との結婚を、ハルモニ達は心から祝福しくれて、いろいろな贈り物を下さった。金学順さんは、元「慰安婦」だった過去を初めてカミングアウトして日本政府を相手に訴訟を起こしたハルモニだったが、私は彼女から、シャネルのロゴの入ったバッグをプレゼントされた。嬉しかった、ありがとう、大事にしよう……。そればかりではない、洋服、指輪、小鳥を描いた螺鈿(らでん)細工(韓国の伝統的な装飾芸術)の宝石箱、そのほか、韓国料理に使うものも多数いただいた。今私の胸を刺すのは、ハルモニ達が本当に良くしてくれたのに、私は、彼女達に何ができただろう、本当にいろいろとありがとう、それなのに、私は何の恩返しもできなかった、ごめんなさい、という痛切な思いだ。それを思うと今でも涙がでてくる。 私が出会ったハルモニたちは、「慰安婦」達の中でもとりわけ過酷な運命にあったのだろうか。だまされ、あるいは無理矢理連れて行かれた(強制連行された)こと、慰安所で行われていたのは、レイプ、強姦だったこと、抵抗すると酷い目にあったこと、彼女達は日々何人もの日本人兵士にレイプされていた奴隷のようなものだった……。涙ながらにそう主張するハルモニの肉声を、私は確かに聞いた。それは私の体の血肉の一部になっている。彼女達が嘘をついていたとはどうしても思われない。強制的に連れ去られた女性は、多かれ少なかれ確かにいたのだ。その事実の重さをどう考えるか、である。 「金学順さんが亡くなったんだって」 日本の植民地支配、日中戦争、太平洋戦争、その間の、「慰安婦」としての苦しい日々、戦後祖国に戻っての、過去を隠して暮らす日々、朝鮮戦争、その後の軍事独裁政権下の不自由な生活……。学順さんは朝鮮戦争で、夫と息子を亡くしたという。かくも過酷な運命に弄ばれ、激動の時代を苦しみ、悲しみながら生きていた一人の女性の死。学順さんは元「慰安婦」として、自分と同じ不幸を辿る女性がもう二度と現れないようにと、それを切実に、純朴に願っていた。彼女が訴訟を起こしたのは、名誉の回復、女性の人権といった概念からというよりも、その素朴な願いを叶えたいと思ってのことだった。それから、彼女は日本の「国、政府」の責任を訴えていた。日本の法的な責任といってもよい。「慰安婦」問題はすべては彼女のこうした思いから始まっている。学順さんの思いは報われたのだろうか。『帝国の慰安婦』が、彼女の思いに寄り添っているとは私には思われなかった。 それにしても『帝国の慰安婦』に溢れ出る、冷酷なまでの理性的知性的な文章の流れは一体どこを水源としているのだろうか。かくも過酷な運命に弄ばれ、激動の時代を苦しく悲しく生きた女性は学順さんばかりではない。現地で命を落とし、その骨のひとかけらも祖国に帰れなかった女性達も大勢いるはずである。彼女達の人生に迫るには、戦後生まれのひよっこで、文弱の徒、知識も経験も全く不足している私には不可能に近いとは思ったが、恥を覚悟でこんなものを書いた次第である。 『帝国の慰安婦』は、日本の支配階級、もともと「慰安婦」問題に批判的な態度だった人、学者、知識人たち等々を満足させるかもしれない。全く勉強不足の私が言うのもなんだが、『帝国の慰安婦』を読んだ人が、この問題をなかば理解できたようには思って欲しくないのである。 。 |
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