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辺野古現地支援に参加して

職場に辺野古の闘いを伝えたい

        

2015年5月

                                                                                 




                                                  首都圏・一労働者
 

 四月中旬、労働組合の派遣団の一員として辺野古現地闘争の支援に行きました。二泊三日の短期間でしたが、ほとんどの時間をキャンプ・シュワブゲート前のテントで過ごし、夜のテント防衛や早朝の阻止行動のお手伝いをさせてもらいました。ちょうど、翁長知事と菅官房長官の会談が行われた直後で、翁長知事が政府に対して堂々とした態度を貫き、「基地はつくらせない」という固い意思を示したこともあって全体に「余裕」があるようにも感じました。
 早朝は六時前から行動がはじまります。まず、三十台もの工事車両が列をつくってキャンプ・シュワブ内に入ろうとやってくるのを車の前に立ちふさがって阻止します。すぐに機動隊が乱入しもみ合いに。結局は排除されるのですが、いくらか車を押しとどめることはできました。続いて、海上保安官や沖縄防衛局員が出勤してきます。これらの車を取り囲んで抗議するのですが、警察に守られてニヤニヤしているのに腹が立ちます。最悪な連中です。機動隊はなるべくケガをさせないように訓練されている様子でしたが、現地では毎朝こういう衝突が繰り返されています。本格的な工事がはじまった時には、より多くの人が阻止行動に必要になると思いました。
 早朝の攻防が終わり、テントに戻って集会をします。はじめてきた人は自己紹介を兼ねて発言をしたりします。歌や踊りもあってゆっくりした雰囲気です。お昼が近づくにつれて、「島ぐるみ会議」のバスに乗って、那覇や宜野湾、沖縄市などからの参加者が続々と到着し、二百名近くがテントにやってきます。これも毎日です。すごいことだと思います。議員さんもたくさん参加していました。テント前から、シュワブのゲート前に移動しデモをしたりします。「座り込めここへ」を合唱して、ゲート前に本当に座り込んでしまった時には感動しました。これだけの人数が集まると警察も手出しができません。か細い声で「道交法違反のおそれ」を「警告」してくるだけです。
 夕方、静かになった頃に、国道をゆく車に二時間ほど手を振り続けました。そうすると三台に一台くらいの割合で手を振り返してくれたり、会釈してくれたり、声を出して激励してくれたり、クラクションで反応してくれたりします。老若男女でそういう反応は返ってきます。沖縄バスの運転手さんも熱くエールを送ってくれました。これが稲嶺進市長や翁長知事をうみだした沖縄の世論なのか、と思うとこみあげてくるものがありました。沖縄の人たちの怒りは深いです。安倍首相や菅官房長官には、この雰囲気を感じてみろといいたいです。
 今回の派遣には多くの働く仲間の援助がありました。派遣団の背後には多くの職場や地域の仲間がいます。労働組合として、きちんと職場に持ち帰り、辺野古のたたかいを伝えていく取り組みをしていきたいと強く思いました。多くの人たちが沖縄のことに「無関心である」ことの原因のひとつに「忙しさ」「不安定さ」があると思います。長時間労働や低賃金をずっと強いられれば、自分の「外」のことになかなか意識がいかなくなります。そういう労働者が増えることは差別が容認される雰囲気を職場や社会につくることであり、やがて戦争への道となります。だから、わたしたち労働組合は労働法制の改悪などの諸課題と反戦平和の取り組みをきちっと結びつけていくことが大切なんだろうと思います。そういう困難な取り組みを職場などでやっていきながら、沖縄の抵抗につながっていきたいです。
 
        

 

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