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初めて沖縄・辺野古に行って 現状を垣間見ることができた |
2015年5月 |
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東京・非正規労働者 首都圏在住の非正規労働者です。お金も休暇も乏しいが、一泊二日の日程で初めて沖縄・辺野古へ行ってきた。 四月一日の朝、那覇市内のホテルを出発。名護行の路線バスに乗り込む。この日は米軍の沖縄「本」島上陸から七十年。地元紙はチビチリガマ「集団自決」生存者の証言を掲載していた。車窓に目をやると、「怒り! 民意無視 安倍の埋立強行許すな」と書かれたステッカーが電柱に貼られている。 午前十時頃、辺野古バス停で下車する。海岸をめざして歩く。浜辺のテントにはマスコミが取材に訪れていた。二〇〇四年四月十九日に開始された座り込みから四千日の節目の日でもあった。 午前十一時頃、キャンプ・シュワブゲート前テントにたどり着く。辺りは閑散としていた。市民約五十名は、前日の朝に不当逮捕された仲間への激励と抗議のため名護署へ向かっているという。 午後となり、一行は戻られテントに残っていた仲間へ報告。世論の反発に恐れをなしたのか、夕方には釈放される見込みとの知らせにひとまず安堵する。 初夏のような日差しのなか、春休みを利用して那覇市内からお母さんと訪れた小学四年生の男児がマイクを握ってアピールしたり、山城沖縄平和運動センター議長が、「六甲おろし」を歌われたり、和やかに時は流れていく。時折、轟音を響かせながらオスプレイが垂直離陸していく姿が見られた。 帰路は、県庁前から毎日運行されている「島ぐるみ会議」がチャーターしたバスに便乗させてもらう。午後四時、テント前に残っている今日出会ったばかりの仲間たちに見送られながら現地を後にした。 やはり一泊二日の日程は短すぎたが、沖縄の現状を垣間見ることができた。首都東京で沖縄の人々の怒りにつながる闘いを作っていきたいという思いをさらに強くした。 |
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