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 さよなら原発南部アクション
 鎌田慧氏講演会に400人
2011年9月
東京 一読者
   




 二〇一一年九月十六日、大田区蒲田の産業プラザPIOにおいて「さよなら原発南部アクション」集会が、原発なくそう大田実行委員会主催で開かれた。午後六時三十分開会前から仕事帰りの労働者や市民が集まり、集会は会場いっぱいの四百名の熱気に包まれて開催された。
 呼びかけ人の北川鑑一弁護士の開会の挨拶のあと鎌田慧氏の講演が行われた。日本の原子力発電の歴史について「最初に決められた開発予算は、二億三千五百万円だった。これは、原子力爆弾の原料でもあるウラン235をもじった数字だといわれている。そもそも原発の開始からどす黒いものがあった」そして、最初は反対だった福島第一原発の建設のために「札束でほっぺたをたたくように進められた。」と怒りを込めて語り、「危険なものを安全だ」と言いくるめる今回の事故でさえ繰り返される政府の言葉を弾劾した。そして「この反原発の運動は、今の日本の構造を問う運動でもある。原発に携わる九割が非正規労働者だ。彼らの低賃金・重労働によって事故後の事態はかろうじて支えられている。」と長年取り組んでこられた原発労働者の問題をしっかり取り組むことを提起した。最後に「東京電力に刑事責任をとらせよう」「人々の力で原発をやめさせよう。民衆の数を力にするために9・19集会に集まろう」と結ばれた。
 質疑では、「今の政治体制への考え方」や9・11での不当逮捕への支援を呼びかける発言があり、鎌田慧氏は「原発を推進してきた勢力は、自民党であり、利権にまみれた民主党だ。彼らは、同時に基地の再編やミサイル迎撃システム、TPP推進など命をないがしろにする政策を進めてきた人たちだ。デモの自由を奪う警察に恐れることなくこれからもデモを続けよう」と回答した。
 続いて、南相馬避難者の会の國分富夫さんから被災の現実が怒りを込めて語られた。「3・11の地震は今までに経験したこともないような揺れだった。津波が人々の生活を破壊した。さらに引き続く原発事故は残された生活、そして未来まで奪い去った。自主避難した人には、何の保障もない。政府の引いた線引きで避難を強制された自分たちには、東京電力から保障するからと分厚い書類が送られてきた。しかも小さな字でこの申請後保障要求は一切できないと書かれている。東京電力や政府にすべての保障を要求しよう。そして原子力発電がとほうもない高額な費用がかかるものだということを政府や電力会社や原発村の人々に思い知らせて、原発をやめさせよう」とリアルな現実を話された。集まった人たちも福島の怒りを共有しようと集中して聞き入っていた。
 フロアーから大田区内で放射能から子供を守る活動をしている母親から「放射能の被害は関東にも及んでいる。食べ物、土そして空気まで汚染した原発事故の元になる原子力発電をやめさせたい」と発言があった。引き続いてフロアーから大田区教育委員会が中学校の歴史・公民教科書を育鵬社版が採択されたことに対して「歴史を間違った理解をさせ、原子力開発を容認する教科書を採択したことに怒りを感じています」とアピールがあった。
 最後に呼びかけ人の青年労働者からまとめの発言と、南相馬被災者の会へのカンパの要請があり、団結して闘うことを誓い合った「ガンバロウー」三唱して集会を終えた。
 この集会に結集した人々の数倍の人々が東京南部の地から9・19集会に集まった。東京南部では、引き続いて反原発の運動を取り組む決意である。



 

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