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■台湾労働党栄誉主席 林書揚さんの逝去を追悼する 共産主義者同盟(統一委員会) 台湾労働党の栄誉主席であった林書揚さんがさる十月十一日深夜に亡くなられました。八十六歳でした。私たち共産主義者同盟(統一委員会)は、同志であり階級闘争・共産主義運動の先輩であった林書揚さんの逝去に心からの哀悼を捧げます。 林書揚さんは一九二六年に台湾南部の台南市麻豆区に生まれ、幼少時代を日帝植民地下の台湾で過ごしました。一九四五年の日本帝国主義の敗北による台湾解放直後から、青年であった林書揚さんは台湾における人民運動・社会主義運動に積極的に参加します。貧困ゆえに進学できなかった林書揚さんは独力で様々な社会主義文献を学び、「還中会」という青年運動を組織し、国共内戦蒋介石国民党政権の台湾への撤退という状況のなかで、中国の新民主主義革命運動の一部として、中国大陸と台湾の両岸統一(祖国復帰)をめざす活動に献身してきました。 一九五〇年五月、林書揚さんは内戦に敗北して前年に台湾に逃げのびてきた蒋介石政権によって突然に逮捕されます。この事件は台湾では「中国共産党台湾省工作委員会麻布事件」と呼ばれ、逮捕された三十六人のうち三人が死刑判決を受けて銃殺され、林書揚さんを含む八人が無期懲役を宣告されます。この事件は一九五〇年代を通じて台湾で猛威をふるった蒋介石政権による白色テロルの序曲でした。その背景には一九四九年の中国革命の勝利から連続するアジア各地の民族解放闘争・社会主義革命運動の大高揚、そして林書揚さんの逮捕直後の一九五〇年六月に勃発する朝鮮戦争があります。この白色テロルによって約四千人が死刑とされ、二万人とも言われる人々が長期投獄を強いられてきました。同時に私たちは、日本政府が蒋介石政権の白色テロルによる台湾支配を支持・支援することで、自らのアジア侵略戦争・植民地支配に対する真摯な謝罪と被害者に対する賠償を回避し続けてきたことを、決して曖昧にせず、日本の戦争責任を問い続け、すべての被害者への謝罪と賠償を必ずや実現することを決意します。 無期懲役という攻撃に屈することなく獄中での闘いを続けてこられた林書揚さんは、最後まで信念を曲げず、ついに一九八六年一二月に釈放をかちとりました。逮捕当時二十五歳であった林書揚さんはこのとき六十歳でした。 釈放以後、林書揚さんは直ちに戦線復帰し、台湾地区政治受難者互助会を設立し、台湾労働党を結成し、労働人権協会の会長や中国統一連盟の主席を歴任してきました。林書揚さんは台湾の人民運動・共産主義運動の理論的指導者として、またその高潔な人柄ゆえに尊敬を集めてきました、そして何よりも、長期の獄中生活を屈することなく闘いぬいたその不屈の精神、不屈の闘いゆえに尊敬を集めてきました。 同時に、林書揚さんはその不抜の反帝国主義の立場から、一九九二年の「米日軍事同盟と日本軍の海外派兵に反対するアジア・キャンペーン」(AWC、後に「米日のアジア支配・侵略に反対するアジア・キャンペーン」と改称)の設立に台湾の側から尽力されたのでした。その出会いのなかで、林書揚さんから台湾における人民の闘いの歴史と現在、その展望を教えていただいたことは本当に幸運なことでした。それは私たちの反帝国主義と労働者階級人民の解放のための闘いへの決意をあらためて強固なものにしました。以後、約二十年間にわたって反帝国主義という共通の闘いを共にすることができたことは私たちの誇りでした。 私たちはまた、アジア人民の解放の展望と結びついた日本の人民運動の大きな責任について先生から常に叱咤激励されてきました。その言葉のひとつひとつをかみ締め、今あらためて、林書揚さんと私たちの共通の目標であった労働者階級人民の解放と共産主義の勝利に向けて全力を尽くして闘いぬいていくことを誓いたいと思います。 |
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