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  ■激動する国際階級闘争

  韓国、フィリピン、ネパール情勢の報告






 二〇〇九年も前年に引き続き、国際階級闘争情勢は大きく流動している。深刻化する世界経済危機、帝国主義グローバリゼーションの無残な破綻は、どんなにもがこうとも帝国主義者による危機の克服が不可能であることを日々明らかにしている。そのことは他方で世界の労働者人民、革命勢力にとっては有利な状況をもたらしている。それゆえに基本的には労働者人民の反撃、攻勢が世界各地で継続的に巻き起こりつつあるのだが、それらへの帝国主義者どものなりふりかまわぬ、むき出しの強権的弾圧、介入もまた激化してきている。近年続々と反米政権が誕生しているカリブ中南米地域にあっても、ホンジュラスで米帝にバックアップされた軍部のクーデターによりセラヤ大統領が国外追放を余儀なくされるという事態が生じているし、フィリピンではアロヨ政権による活動家、運動家の暗殺、虐殺が膨大な数に膨れ上がっており、ネパールではインドに支援された軍部、ネパール会議派(以下NC派)、ネパール共産党UML派(以下UML派)がネパール共産党統一毛沢東主義派(以下毛派)政権を引きずりおろすに至った。しかしながら、大局的に見れば、敵階級の攻撃によって一時的な後退は余儀なくされようとも、いずれの国においても最終的には人民の大義を基盤にした革命勢力の側が勝利を手にしていくだろう。

 我々はこれまでに国際共産主義運動の再建のために、様々なプロレタリア国際主義実践を世界各国の諸党、諸運動体とともに組織化してきたし、また、各国階級状況の紹介およびそれへの我々の見解を明らかにしてきた。さらに、幾つかの必要と思われる理論的内容に関する見解も提起してきた。今回は極めて流動的な国内情勢が継続しているネパール情勢、同様に韓国情勢、フィリピン情勢に関する報告と我々の見地を提起する。



 ●(1)韓国

 親資本・反労働者の政策をさらに強める李明博政権


 韓国では今、資本家階級の攻勢が続いている。李明博(イ・ミョンバク)政権は、日帝の自公政権と同様、その極めて低い政策立案・実行能力が明々白々となって国内経済危機を加速させ、支持基盤が大幅に弱まっている。世論調査の支持率は、二〇〇八年二月の大統領就任直後が約50%、同五月20%台に急落し、一時30%台に上がったが、二〇〇九年六月現在20%代前半だ。今年四月の補欠選挙では五選挙区すべてで与党ハンナラ党が敗れた。だが米帝の支持・支援を背景に大開発事業経済政策をごり押しし、民衆への弾圧を強めている。他方、進歩陣営は労働者民衆の怒りと決起を全社会的に組織できず、ブルジョア政治委員会の攻勢に有効な反撃を加えられずにいる。

 ブルジョア右派の李明博・新自由主義政権は、第一に、昨年二月の発足以来、親米・反共政権として親資本・反労働者的な政策を露骨に進めてきた。建設会社社長出身でソウル市長を務めた「経済大統領」の経済政策の柱は@輸出企業支援A不動産市場活性化B土建屋的大開発C公共機関のリストラだ。

一つ目の輸出企業支援のためにウォン安誘導政策を数ヵ月継続したが、昨年の石油価格急騰がこれを直撃し、国内物価が急上昇した。米国金融危機は韓国にも波及した。日本と同様、企業の生産と売上は激減し、非正規職を中心に解雇が相次いでいる。基軸産業である自動車も壊滅的な打撃を受けた。中国資本が筆頭株主である双竜(サンヨン)自動車は経営危機に陥り、経営側が労働者の大量解雇案を発表したが、労組がその撤回を求めて今年五月から工場占拠という形でストライキに突入し、現在も警察および雇われやくざとの対峙が続いている。

 二つ目の不動産市場活性化だが、土地・住宅の取引にかかる税率の引き下げは、しかし不動産市場全体が沈滞しているため、起爆剤にならなかった。他方、都市部での再開発が各地で強行されている。今年一月には住民五名と警官一名が死亡する龍山(ヨンサン)惨事が引き起こされた。

 三つ目は土建屋的大開発だ。大統領選挙時に公約として掲げた大運河構想は全社会的な批判を浴びて取り下げられた。だが、これに替わるものとして四大河川再生事業が強行されている。取り返しのつかない環境破壊に巨額の税金が使われようとしている。

 四つ目は公共機関のリストラだ。機関間の統合と公務員労働者の約10―20%に及ぶ削減だ。

 第二に、李明博は軍事独裁政権以上ともいわれる過酷な弾圧を反対勢力に加えてきた。

 昨年五月から二ヵ月あまりにわたるローソク集会デモは最大で百万人規模にまで発展した。要求内容も当初の「牛肉をめぐる米国との再交渉」が最終局面では「政権退陣」に変化した。中高生数名のささやかな自然発生的行動が巨大な反政府闘争へ瞬く間に発展したのだ。この結果、李明博は二度にわたる対国民謝罪と、形式的なものにすぎないとはいえ米国との再交渉をせざるを得なかった。この闘いの衝撃が労働者民衆に対する現政権の態度を決定付けた。

 李明博政権の逆襲は徹底していた。まず、ローソク集会に対しては参加者だけでなく、ネット上で参加を呼びかけた者まで逮捕した。次に、ネット上で経済政策を批判していた「ミネルバ」氏が逮捕された(最終的に無罪放免となった)。また、マスコミに対する介入と規制が露骨に行われた。国営放送KBSとニュース専門放送局YTNの社長が大統領周辺の人間に強引に代えられた。牛海綿状脳症に関するMBCの報道番組「PD手帳」を、ローソク集会のきっかけになったと決め付けたうえで、虚偽報道をした容疑で今年に入って製作スタッフ数人を逮捕した。さらに、経済状況の悪化をすべて金大中・盧武鉉政権時代の「失われた十年」の「失政」に責任があるとして決め付け、批判を続けていたが、今年に入ってからは盧武鉉前大統領にたいする賄賂疑惑について検察が捜査中異例の記者会見を連日開くなどして圧力を加え、五月に同氏が自殺した。支持者による追悼行事に対してはソウル市役所前広場を警察バスで完全封鎖して妨害した。これに限らず、軍事独裁政権時代を髣髴とさせる「源泉封鎖」=集会禁止が乱発されている。

 第三に、労働貴族を取り込みながら労働者民衆の生活を破壊している。失業者は増え、非正規職労働者の割合も増え、賃金は減少し、生活はより厳しくなっている。まず、二〇一〇年度に適用される最低賃金が二〇〇九年度の時給四千ウォン(約三百二十円)から2・75%引き上げられて四千百十ウォンになった(〇九年六月決定)。二〇〇八年の消費者物価上昇率4・7%を考え合わせると実質引き下げだ。次に、今年七月一日で施行後丸二年になる非正規職保護法の改定問題が現在浮上している。大量解雇発生防止を理由に同法の定める使用期間二年を延長するか(ハンナラ)否か(民主)が争点だ。しかし、同法そのものを問うているわけでは全くない。ちなみに御用ナショナルセンターの韓国労総は与党ハンナラ党と政策協定を結び、総選挙で数人が同党候補として出馬し国会議員になった。

 第四に、日米帝との協力関係を強めるとともに朝鮮民主主義人民共和国に対しては敵対政策を続けており、南北間の緊張はかつてなく高まっている。李明博は大統領就任以来ずっと「北と話す用意がある」といい続けてきた。だが、二〇〇〇年の6・15共同宣言と二〇〇七年の10・2合意を無視し、事実上破棄した。口先とは裏腹に対北敵対政策へはっきり転換したのだ。今年五月の共和国の核実験後に大量破壊兵器拡散防止構想(PSI)全面参加を発表し、また韓米首脳会談で「核の傘」を明記した軍事協力関係を確認した。核武装や対北先制攻撃論が右派政治家や国軍関係者によって公然と主張されている。加えて、南北経済協力の象徴である開城(ケソン)工業団地の将来にも暗雲が垂れ込めている。

 軍事独裁政権と同じ、あるいはそれ以上と批判されている李明博政権の過酷な支配・管理の手法は民衆の怒りの決起を必然的に生み出している。KTX、イーランド、キルン電子など現政権以前から続く非正規職労働者の闘い。今年五月の宅配労働者の自殺と特殊雇用労働者のスト。双竜自動車労働者の工場占拠闘争。また、ローソク集会と右派新聞広告掲載企業商品不買運動。故盧武鉉前大統領を追悼する行事への五百万人の参加。その追悼行事に対する公権力の露骨な妨害を契機として、現政権を厳しく批判する時局宣言が六月三日のソウル大を皮切りに知識人・宗教者などの間に瞬く間に広がり、七月現在も続いている。

 しかし、進歩陣営はこうした労働者民衆のさまざまな決起とがっちりと結合しているとは言えない状況にある。

 第一に、進歩陣営の基軸である民主労総は今年二月、指名手配中の委員長をかくまう過程で起きた全教組組合員間における性暴力事件と、それを組織的に隠蔽しようとした行為の発覚で民主労総指導部が総退陣に追い込まれた。その直後には「民主労総は死んだ」という批判の声が公然と上がるなど重大な組織的危機に直面している。主要な構成要素である民間大工場正規職の労働組合が全体として戦闘力を失いつつあり、また、内部での党派対立が深刻化している。そのことにより、組織の最重要課題として掲げる非正規職労働者の組織化と闘いの推進が大きな壁にぶつかっている。

 中でも、二〇〇七年七月一日の非正規職労働者保護法施行の前日から二十日間に渡る職場のショッピングセンター占拠として爆発し、五百十二日間のストライキの末に非正規職労働者全員の現職復帰と無期限職への転換を勝ち取り、非正規職闘争の象徴といわれたイーランド一般労組闘争に対する民主労総の関与のあり方――会社・警察より先に上部団体のサービス連盟の幹部数名が職場占拠の撤回を要求し圧迫を加える、五百十二日間にわたるストライキの初期から会社側と早期に妥結するよう促す、民主労総指導部が闘争現場に来ない、指導部との面談要請を半年間拒否する、代議員大会でも闘争支援はカンパ集めに終わって連帯ストなど具体的な支援闘争方針は決まらない、国内外から集めた闘争支援カンパ数千万ウォンをサービス連盟が闘争終結後もイーランド一般労組側に渡さなかった等々――はその組織的な問題点を赤裸々に明らかにした。

 第二に、政党運動が大きく流動化している。一つは昨年三月の民主労働党の分裂だ。脱党した部分が進歩新党を結成し、翌月の総選挙は二つの進歩政党が競合する事態となった。この分裂は民主労総をはじめ――例えば、民主労働党への排他的支持を原則とする民主労総およびサービス連盟と、総選挙で副委員長が進歩新党から出馬したイーランド労組の対立は昨年十一月の闘争終結まで尾を引いた――進歩陣営全体に影を落とし、その社会的影響力が大きく低下した。二つは社会主義政党建設の動きが公然化した。昨年三月に未来連帯など三党派が統合して社会主義労働者連合を結成。同十月には「労働者の力」会員を中心に社会主義労働者政党建設準備会が発足(今年二月には「労働者の力」が解散)。社会主義政党建設を主題とする全国巡回討論会が両者主催で行われてきた。だが、左派グループ全てが社会主義政党建設に踏み込んでいるわけではない。例えば、タハムケ(「みんないっしょに」)のように社会主義政党建設は時期尚早として分裂後の民主労働党にとどまった左派組織もある。社労連と準備会の綱領的立場の違いも大きく、社会主義政党建設の展望は楽観を許さない。

 しかし、韓国労働者民衆の自己解放闘争における二大課題である民族解放と労働解放をかち取るためには、資本主義を打倒して新たな社会建設を目指し、労働者民衆の決起と結合してこれを組織化する部分が不可欠である。われわれはこの意味で社会主義労働者党建設に向けた努力をきわめて重要と考える。駐韓米軍を撤収させて自主的平和統一をなす反帝反戦闘争と労働者に対する搾取と抑圧を廃絶する反資本主義闘争とを同時一体的に推進する革命党建設が韓国労働者階級の闘いの前進にとって不可欠の条件となっているのだ。

 こうした韓国階級闘争の情勢のなかで、われわれは日韓労働者民衆連帯運動をさらに前進させていく。韓国労働者民衆闘争と結びつき、支援し、同時に日本の労働者の階級闘争を強化発展させる。そして、アジア各国・地域の階級闘争を総体として結合し、帝国主義と対決してこれを打倒するためのアジア労働者民衆の統一戦線を作っていくのだ。

 日韓の戦闘的労働者間の連帯を強化しよう! 韓国非正規職労働者の闘いに対する支援を強化しよう!

 反戦反基地闘争と戦闘的労働運動を結合させよう! 朝鮮侵略反革命戦争阻止! 日米安保粉砕! 日米韓三角軍事同盟と米比軍事同盟粉砕! 南北の自主的平和統一支持!

 アジア労働者民衆と連帯し、帝国主義を打倒しよう!



 ●(2) フィリピン

 末期を迎えたアロヨ政権に挑むフィリピン人民の闘い



 ▼@ 強権政治のアロヨ

 フィリピンでは大統領としての任期切れを来年五月に控えて、アロヨ政権の最後の悪あがきがはじまった。それは、人民の運動との激しい対決の局面をもたらしており、来年にむけたフィリピン政治の激動の開始の号砲ともいえるだろう。

 六月二日深夜、フィリピン下院は国会会期末を控え、「憲法議会」の設置をきめる法案を強行可決した。以前から、歴代の大統領が課題にかかげ、そしてなによりもアロヨ自身が目論んでいた改憲を、アロヨは下院の圧倒的多数の与党議員の数を使って力づくで行なうことに踏み切ったのである。

 多くの人民が、即座にこの暴挙を知り、雨のなかを国会につめかけ、街頭でも抗議行動を行なった。以降、抗議行動は拡大し、野党をはじめ、労組、学生、民衆団体、教会関係者、知識人、市民が決議の撤回を要求し、反対運動を展開している。この下院決議はフィリピン人民にとって、この改憲のやり方において、そして、その目的において、絶対に許すことのできないものである。

 まずやり方において、この強行採決は、反アロヨ派が多数をしめる上院を無視してアロヨ派が圧倒的多数をしめる下院の決議として行なわれた。法案は上下両院議員でもって憲法議会を構成するとしている。下院の議員数は上院の十倍を越えており、法案は下院が圧倒的にアロヨの支配下にあることを見越したものである。また、憲法を改正するための憲法議会とはいいながら、憲法のどこをどう改正するのか、まったく言及がない。憲法議会でどのような改正案を提案しようとも、強行採決できるという代物である。

 つぎにその目的において、アロヨ派は「現在の世界的な不況のなかで、フィリピンに外資を呼び込むためにより経済を開放する必要があり、この障害となる経済保護主義的な憲法条項を廃棄する必要がある」と述べている。この理由自体人民は決して容認できない。しかし大多数の人民は、これはアロヨの表向きの理由であって、実際は大統領制から議員内閣制への統治制度の変更を狙っているのであり、これが改憲の最大の眼目であるということを見抜いている。この制度の変更によってのみ、アロヨは大統領六年間一期のみという現行憲法の規定にとらわれることなく、任期が終わってもこんどは議会によって首相に選出され、政権を半永久的に継続することができる。なによりも、来年五月に政権を降りたとたんに間違いなく待ち受けるだろう、在任中の汚職、人権弾圧、腐敗選挙の訴追を免れることができる。アロヨにとって、それを保証する唯一の道こそこの改憲であり、今、力で反対をおしつぶしても、なりふりかまわずやらねばならなかったものである。

 そもそも現在の八七年憲法は、マルコス独裁打倒闘争の闘いの結果をうけて、アキノ政権下で制定されたものであった。そのため、従来の憲法に比して相対的に人権や民主的制度を擁護する進歩的要素を取り入れ、経済的・政治的主権を擁護する民族主義的要素を含んでいる。しかし、以降、支配階級は、アキノ政権が支配を安定させるに伴って、これらの要素が邪魔になり改憲によって削除しようとしてきた。かれらはさまざまな機会をとらえて改憲を政治日程にあげようとしてきた。そのたびに人民の反対運動のまえに挫折してきたが、その改憲の眼目は以下の三領域にしぼられている。

 第一は、先述のフィリピンの経済主権的条項を撤廃し、外国投資家に天然資源、土地、企業の所有権を完全に開放し、100%の所有権を認めることである。これは今ですらすでに民営化、規制緩和によってフィリピン経済・社会の荒廃が進んでいることをさらに加速させるものである。

 第二は、現行憲法に存在する、外国軍隊のフィリピン国内での展開を禁止し、また基地化、核や生物化学兵器の持込を制約する条項を撤廃することである。これらを合法化し、米軍をはじめ他国の軍隊のフィリピンでの展開を保証することである。

 第三は、憲法の人権擁護条項を削減すること、戒厳令や非常事態宣言にたいして憲法が課している制約を撤廃することである。

 とりわけ、第一の目的は大きな意味をもっている。現在の世界恐慌のなかで、米国、EU、日本などが第三世界に犠牲を転化しより多く搾取するために、フィリピンへの改憲圧力を強化しているからである。かれらは在比商工会議所を通じて、また本国政府総がかりでフィリピン政府、支配階級に露骨にその要求を突きつけている。これを跳ね返す力は人民の運動にしかない。フィリピン人民は、国内の政府・支配階級とならんでそれを支配している米国をはじめとする外国帝国主義勢力とも闘わねばならないのである。


 ▼A 深刻化する不況

 この背景をみてみよう。現在の改憲にむけた政治情勢をもたらしている中心的な動因のひとつは、昨年来の世界的な恐慌状態である。当初、アロヨ政権は、二〇〇八年にいたる年5%を超える経済成長率を誇りながら、「フィリピン経済への世界不況の影響は軽い」と宣伝していた。もちろん、この経済成長とてフィリピン労働者への激しい搾取によって外国の投資家と一部の国内資本が利益をあげたことを意味するのみで、大多数の民衆の生活が改善されたことを意味するものではない。現に、この成長率はいささかも失業を軽減し大衆の収入増に結びつくものではなかった。経済成長の数字が大雑把で操作されたものであり、いかに大衆の生活実感と乖離したものであるかは、人々が日々実感していることである。そして、当然のことながら、主に米国、日本・EUなどからの投資と借款、これらの諸国への輸出に大きく依存しているフィリピン経済は大きな打撃をうけている。三月、フィリピン政府は二〇〇八年の外国からの直接投資が〇七年から半減したことを公表した。とくに日本からの投資の減少は大幅であり、企業のフィリピン撤退もはじまっている。すでにパナソニックが収益悪化によって乾電池生産工場を撤退し、ほかにも四社がエレクトロニクス関連や製造業において撤退の手続きにはいっている。企業の撤退、閉鎖、事業縮小、雇用の縮小は日系企業にとどまらない。政府発表では、昨年十月から今年一月までのわずか四ヵ月間のあいだに、フィリピンにおける経済特別区、工業団地で二十四社が正規社員一万二千五百人を解雇した、という。これは政府によって操作された数字である。同時期に、保守的な労組ですら、工業団地が多いラグーナ州の経済特別区だけで三万五千人の失業者がでた、と報告している。大きな位置をしめてきたエレクトロニクス関連、自動車部品生産が縮小しつつあるのである。

 これに加えて、これまで国家財政収入に大きな役割を果たしてきた海外の出稼ぎ労働者からの送金が減少している。すでに現在でも送金額は昨年より一割以上減少しており、この減少は今後もますます続くだろう。日本でも出稼ぎ中の日系フィリピン人が雇用の打ち切りの犠牲になっているように、全世界で雇用が縮小し、失業して帰国する労働者も増加している。

 世界的な恐慌の底知れぬ深まりに恐怖し、それゆえ事態を軽く描こうとする世界銀行でさえも、フィリピンはじめ東南アジアの国々においては年内にまだまだ不況が深刻化していくことを想定している。アロヨのむなしく誇るGDP成長率すら7・1%(二〇〇七)、3・8%(二〇〇八)、0・4%(二〇〇九年第一四半期)と大幅に悪化しており、これ以上の急落は必至である。民間調査機関IBONによると、この状態が年末まで続くならばピープルズパワーの大衆蜂起をよびおこしたマルコス独裁末期に匹敵する状態になるという。昨年二〇〇八年の実質的な失業率は11%である。総人口八千万のうち二千七百六十万人もが貧困層であり(二〇〇六年)これは年年増加している。今年四月の調査では七割の人々が自分は貧困層だと認めている。失業、収入の減少、劣悪な福祉など生活条件の悪化に苦しむ大衆の怒りがアロヨ政権をとりまいているのである。

 これに対してアロヨ政権は相変わらず帝国主義に投資と借款を懇願し、見返りにかれらのますます露骨な要求をのみ、自由化、民営化、規制緩和という新自由主義経済政策を続けることしかしない。昨年十二月に発効した日比経済連携協定(JPEPA)もそのひとつである。圧倒的にフィリピン側に不利なこの協定にたいして、フィリピン人民は長い間反対運動をくりひろげて批准を阻んできた。フィリピンのただでさえ貧弱な医療・介護を崩壊させる看護士、介護士を日本に送ることと引き換えに、自動車など工業製品の輸入を自由化し、廃棄物輸入をうけいれるなど許せないという世論がまきおこった。しかしアロヨは反対の声をおしつぶしてようやく十月に上院の批准をとりつけた。アロヨのこれらの新自由主義的政策はますます対外借款を膨張させ、国家財政赤字を増大させ、フィリピン経済と政治をいっそう深く帝国主義に従属させていくという悪循環のうちにたたきこんでいく。そして人民との矛盾を加速させていくのである。人民の怒りはいまやこの状況から脱出するには単なる政権交代でなく根本的な社会変革が必要であることを自覚しはじめている。


 ▼B 米帝と軍部を背景に

 このようなアロヨ政権が、唯一の後ろ盾としているのが、人民の抵抗を抑圧する軍隊であり、国軍のアロヨ政権への支持である。事実、政権基盤の弱いアロヨは政権発足直後から一貫して軍隊にすり寄り、多くの将軍を政府高官へととりこみ、米国から軍事援助を取り付けることに腐心してきた。

 二〇〇一年の9・11事件のあと、アロヨはいち早くブッシュの対テロ世界戦争に支持・協力を表明した。そして翌年、ミンダナオの西南端に巣くうアブ・サヤフなる一握りの盗賊集団のテロ活動を根絶する米比合同軍事演習をおこなうという名目のもとに駐留米軍協定(VFA)を稼動させ、憲法に反して米軍を恒常的にフィリピンに駐留させている。以降、米比軍は毎年のように合同訓練を行ない、今年は四月にはじめてビコール地方において行なった。これらの軍事演習に参加した米軍兵士によるレイプ事件も発生して人民の憤激をよんでいる。なかでも中部ルソンで発生したレイプ事件においては、被害女性が困難な条件をのりこえて告発したことによって史上はじめて犯人である米海兵隊員ダニエル・スミスが一審で終身刑判決をうけた。これにたいして米国は、軍事援助や軍事演習の凍結でもってアロヨ政権を恫喝した。アロヨは米国の圧力に従い、犯人をフィリピン拘置所から米国大使館に移送した。この措置はフィリピンの司法権、主権を蹂躙するものとしてフィリピン社会に衝撃を与えた。さらにあろうことか、米国とアロヨは被害者に直接の、また社会的な圧力をかけ、訴えを取り下げさせる工作をおこなった。こうして、四月、フィリピン控訴審の法廷は犯人に無罪を言い渡し、犯人はやすやすと釈放され帰国したのである。一九九九年に締結されて十年たつVFAの本質がここに露骨にあらわれている。人民運動は、大衆的なVFAによる合同軍事演習反対の闘争を組織し、演習の根拠となっているVFA協定はそもそも外国軍の入国、展開を禁ずる憲法に違反するものであり、即時廃棄せよと訴え、広範な支持をよんだ。ここにみられるアロヨ政権と人民の要求との争点はいまも継続している。アロヨは自らの政権維持をかけて、国軍の支持を確保し米国をはじめ帝国主義諸国の支持を確保するためにはどんなことでもやろうとしている。五月初旬には米国と共同で各国軍によびかけ、ASEAN地域フォーラム(ARF)としての初めての災害救援軍民訓練をフィリピンで主催した。ここに米国、EU、オーストラリア、日本など十二ヵ国の軍隊が参加した。災害救援対策の名目のうらで、実際は米軍の主導のもとにARF加盟各国軍の共同運用を訓練しようとするものであった。これも明白な憲法違反である。アロヨはこのことを自覚したうえで、なし崩し的に既成事実化するとともに、法的に憲法の制約をとりはらおうとしているのである。


 ▼C 虐殺・暗殺の横行

 いまや、アロヨは国民各層から嫌悪され、世論調査の支持率も長期低迷を続けている。支配階級内においてもアロヨ批判は高まっている。また、国際的にもこの政権への批判は増大している。とくにこれを決定づけたのは、悪名高い政治的暗殺=超法規的政治的殺人の横行であった。その犠牲となった労働運動、農民運動、人権運動の活動家、左翼指導者、教会関係者、市民の数はアロヨが二〇〇一年に大統領になってから、一千人を越え、誘拐された行方不明者は二百人を越えている。この犯行には明確に国軍、警察が関わっているために、犯人はほとんど逮捕されず処罰されることもない。あまりにも露骨なアロヨ政権の権力犯罪のまえに国際世論も動いた。二〇〇七年、国連はアルストン調査団をフィリピン現地に送った。その調査結果は明確に国軍、警察の関与を指摘するものであり、アロヨ政府にその責任をきびしく問い、政府にたいして状況改善のための具体的な勧告を行なうものであった。以降二年、暗殺件数は一定の減少をみせたが、犯行の調査は放置され、犯人はまったく逮捕されることはなかった。犯行も減少したとはいえ、以降も、たとえば二〇〇九年の一月から三月の間だけでも十七人が殺害(人権団体カラパタンの調査)されるという状態が継続している。この根本には、二〇一〇年までに内乱を鎮圧しきる、とする政府―国軍の内乱鎮圧作戦がある。これに基づいて人民の運動を「国家の敵」と規定し殲滅するという国軍の戦術にはいささかも変更はない。

 この状況にたいして、四月、国連特使アルストンの追加現状報告が発表された。フィリピン人権状況にたいする勧告の実施状況についてのべたこの報告では、犯行件数の減少をみとめつつも、なお犯罪が継続していること、犯人逮捕や目撃証人の保護が放置され、なによりも根本原因である内乱鎮圧作戦の位置付けが撤廃されていないことなど、アルストンがおこなった政府、国軍への勧告が実施されていないことを厳しく批判している。このアルストン報告にたいして、法務大臣ゴンザレスは犬の遠吠えであると一蹴した。他方、アロヨはあわてて二千五百万ペソ(約五千万円)の犯人逮捕のための報奨金をつくる、という茶番的政策を発表した。

 このマルコス独裁政権に匹敵する人権弾圧という政権の性格は、アロヨ政権をその誕生時からおおいつくしている。二〇〇一年、エストラーダ政権を追放した第二次ピープルズパワーの闘いによって、当時副大統領であったアロヨは自動的に大統領になった。二〇〇四年、それまでの言辞を翻してアロヨは大統領選挙に立候補した。八七年憲法下では現職の大統領として次期選挙に立候補するはじめてのケースであった。人民が危惧したように、アロヨはみずからの勝利のために国家財政を選挙資金に流用し、開票にあたっては国軍、警察を使って票の不正操作をおこなって、当選宣言をした。史上まれに見る不正選挙であったといわれる。翌二〇〇五年、この不正選挙が弁解しようもない証拠をともなってマスコミで暴露された。アロヨ弾劾・退陣の声がまきおこり週末ごとに大衆的デモが都心を席巻するなかで、アロヨは議会において弾劾裁判の一歩手前まで追いつめられた。彼女は議員を金で買収し、恫喝し、軍隊と警察の権力を駆使してこの危機をかろうじてすりぬけた。そして、以降、ブッシュの対テロ世界戦争を利用しそれと結合して、政権打倒運動の中心勢力をになった労働者、農民、進歩的大衆組織、反アロヨ派の政敵にたいして激しい攻撃を仕掛けたのである。この結果が以前の政権に比して桁違いに多い政治的殺人の嵐であった。二〇〇六年に、政権打倒の策謀があるというデッチあげでもって国家非常事態宣言を発令し、アナクパウィス(勤労人民)党下院議員であるベルトラン議員、オカンポ議員を逮捕し、その他の進歩的国会議員を起訴し政治的に迫害したことは記憶に新しい。このようなデッチあげによる政治的弾圧はアロヨ政権の基本政策であり、人民との鋭い対峙を形成している。


 ▼D 闘いに決起するフィリピン人民

 いまアロヨの憲法議会設置と改憲と永久政権化への道に対し、これを阻止すべく、人民運動は支配階級内の反アロヨ的部分を含めて総力で闘いを準備している。七月二十七日、アロヨは国会で例年の、そして現行法のもとでは最後の施政方針演説を行う。政府与党はその直後に議会を改憲議会へと切り替えて改憲を決定すると予想されており、人民運動は共同で国会闘争を計画している。

 情勢は来年のアロヨの任期切れを控えて、大統領選挙どころか、改憲という大きな政治課題をめぐって煮詰まりつつある。アロヨ政権の全期間をつうじて鋭く対峙した課題はすべてこの改憲問題に包含され集約されているのである。

 人民はこの過程において、アロヨが政治的謀略をデッチあげて戒厳令を布告する可能性を含めてあらゆる政治的事態が発生しうることを覚悟して準備をはじめている。すでに、七月にはいってフィリピン各地で爆弾事件がひきおこされ、市民に死傷者を出している。歴史を振り返れば一九七二年にマルコスが爆弾事件を国軍に実行させ、政権打倒と社会不安を口実に戒厳令を布いた例がある。アロヨがこれにならう可能性は十分にある。もちろん人民はこれを許さないだろう。また国軍内でも上層部の腐敗にたいする若手中堅幹部、下層兵士の不信と怒りが増大しておりその流動と分裂は不可避である。

 バヤンをはじめとするフィリピンの戦闘的労働者人民はまたもやこの大きな全人民的な攻防の先頭にたって闘いぬき、その大衆的高揚を組織して勝利しようとしている。このたたかいのなかで、労働者、農民の要求、隊列、ヘゲモニーをうちかためることによって、いままでのような支配層内部の政権交代にとどめようとする部分と分岐し、人民の要求を実現していく根本的な社会変革をめざそうと決意しているのである。



 ●(3) ネパール

 ダハル政権の崩壊  困難な経済・社会状況



 我々は昨年九月「戦旗」紙上でネパール情勢について、急激に高揚してきたネパール人民の反国王独裁闘争を基盤にして毛派のダハル政権が発足した経緯とそれに関する見解を明らかにした。そこではネパール人民の運動や毛派が政権を掌握するまでの推移を歴史的経緯にそって描写、紹介しておいた。今回はそれ以降の状況を報告し、それに関する我々の見解も提起する。

 いうまでもなく、帝国主義的グローバリゼーションは最貧国のひとつといわれるネパール社会に大きな打撃を与えた。ネパール人民は以前にもまして困難な経済条件、社会条件のもとに生きることを強いられている。このなかで、二〇〇八年八月にダハルが首相に指名されたが、新内閣発足までにかなりの時間を費やし、ようやく九月に新内閣が組織された。しかしながら、その後も一向に社会を変革していく実質的な政策は実行されなかった。

 ダハル政権発足後五ヵ月半を経てから、制憲議会は憲法制定の作業に入ることとなった。そのスケジュール案では二〇一〇年五月までに新憲法を作るという悠長なものであり、それさえも期限内実施は見込み得ないものであった。何故に新政権はいたずらに時を費やすのみで、社会変革戦に着手し得なかったのであろうか? 毛派のダハル政権が発足したものの、旧国王軍は解体されておらず、国王の忠実な家来のカトワル参謀長をトップとした指揮系統にもなんら大きな変化はなかった。トラの尾を踏めばいつでも権力の転覆は可能な条件を敵階級が握っていたのであり、言葉の真の意味での権力の移行といえないことは明白であった。それ故にダハル新政権はなんら新たな社会の変革に手を付けられなかったのである。

 軍の統合問題こそが、新政権が名ばかりの政権となるのか、新たな政策を実行しうるのかの試金石となるものであった。このことをめぐってはあらゆる政党がその内部で大きく分裂していた。この軍の統合に関して何らの合意の進展もないままに、二〇〇九年一月に国軍は国防省に正式通知した上で独自に新兵の募集を始めたのである。そして、このことに毛派の国防大臣はなんら抗議せず、中止させもせず見守るばかりであった。この背景には、ダハル首相がインドを訪問した際に、インドのシン首相から「国軍には手をふれるな」という恫喝があったものと見られている。

 同二月にUML派の党首選挙があり、中央委員会内少数派と思われていたカナルが元書記長のKMネパールの支持を取り付けたKPオリに勝利した。ちなみにオリは反毛派、カナルは毛派との協調という立場をとっている。そして三月国軍の新兵募集に反発して毛派軍も自らの軍の新兵募集を開始するに至る。また毛派のタパ国防相はカトワル参謀長子飼いのネパール軍准将八人の退役延期願いを受け入れず、それをめぐる膠着状態が続くが、結局最高裁は准将八人を復職させるように政府に指示を出した。

 そして四月にダハル首相は政府、国防相の指示に従わなかったとして、国軍のカトワル参謀長の解任を決めた。NC派はそれに反対、UML派は解任賛成派と反対派に真っ二つに分かれる状況だった。五月には内閣決定でカトワル罷免となるが、ヤダヴ大統領が解任に反対し、カトワルに参謀長にとどまるようにとの態度を表明した。

 大統領の態度表明や他政党の態度を見て、ダハルは不信任決議をつきつけられる前に自ら首相辞任を表明し、以降毛派は大統領に指示撤回を求めて全国で抗議のデモやストを組織し続けている。ダハル辞任以降も次の政権をめぐり各党内部および各党間の意見の食い違いからかなり長い間政治的停滞状況が経過したが、五月二十三日UML派、NC派およびマデシフォーラムの三党を軸とした連立政権が合意され、UML派のMKネパールが新首相となった。その後各党内部で誰を閣僚にするかをめぐって内紛が激化し、一ヵ月以上経過しても最終的な組閣は完了しえず、にもかかわらずカトワル参謀長解任決定取り消しだけは正式に決めるという始末である。

 新内閣の奇妙な特徴の一つは首相のネパールをはじめ主だった閣僚が前回の選挙で落選した人々で構成されているということである。このことは新内閣があるいはUML派やNC派などの各政党が、人民により否定、拒否された政治家を重要視しているということであり、いわば反人民的政治、政党の利益や政治家個人の利益のみを考える傾向を象徴しているといえるであろう。したがって新たなKMクマール内閣にはネパール人民にとってよりよい社会建設を期待することは出来ないであろうと思われる。

 我々は前述した昨年九月の文書で、当時の毛派政権の直面する課題として、共産主義につながっていく内容を当面の社会建設の中でいかに獲得していくのか、国際反帝闘争の発展、強化に如何に寄与していくのか、軍の改組、統合問題を如何に乗り越えるのか、ネポチズム(縁故主義)やスターリン主義的組織路線を如何に克服していくのかという四点を指摘しておいたが、そのどれに関しても一歩の前進さえ無いままにダハル毛派政権は崩壊したのである。その崩壊の過程を見るならばたとえもう一度政権を掌握しえたとしても、それらの課題に勝利的前進を期待することは困難である様に思われる。

 共産主義革命をめざすもの、共産主義を組織せんとして今後の革命に勝利せんとするものは、「出来あいの国家機構をそのまま掌握して、自己自身の目的のために行使することは出来ない」(マルクス『フランスの内乱』)ことの意味を深く考え、「権力の移動」ではなく、自らの解体そのものを内にはらんだ「権力」をいかに形成していくのか、いかなる社会を形成していくのかということを鮮明に掲げた闘争と「権力」を準備していかねばならない。我々はコミューンあるいはソビエト的組織を基盤にした「権力」がその不可欠の前提条件であると確信する。ネパールの毛派に関しても、今回のいったんの後退戦の過程でそれらの点についても総括し、前進していくことを願うものである。

 現在、アジア・アフリカ・カリブ中南米地域はいわずもがな、日米欧などもふくめ世界のあらゆる地域で抑圧されつづけてきた人民が「変革」を求め続けている。米国において「チェンジ」を合言葉にした初のアフリカ系米国人オバマ大統領の登場や、日本においても自民党政権の下野、民主党政権の成立が予想されることも、これまでの資本主義がもたらしたあらゆる害毒、悲惨に悲鳴を上げている人民の変革を求める状況の反映である。しかしながら問われているのは、権力機構の頭のすげ替えではなく、資本主義に代わる被抑圧人民のための社会をいかに建設していくのかということであり、そこに至るまで人民の変革を求める闘争はとどまることはない。我々はそれが共産主義以外にはないことを、そしてそのような社会は過渡的にはどのようなものとしてあるべきかを明確に提起してゆかねばならないのである。

 
 

 

 

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