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   「天皇代替わり」攻撃―戦争
    差別排外主義の激化を打ち破り、
         障害者解放―日帝打倒を

          
         河原 涼

 ●1章 「天皇代替わり」は差別排外主義への総動員攻撃だ

 一〇月ナルヒトの「即位礼正殿の儀」の「祝賀」を強制する一大攻撃が目前に迫った。
 日帝は、「天皇代替わり」儀式を「国家的祝賀行事」として強行し、天皇制・天皇制イデオロギーの下、日本労働者階級人民を戦争と差別排外主義に動員しようとしている。
 日帝は、でっち上げの天皇制国家行事を荘厳に行うことによって、日本人民に、天皇制すなわち国体の維持を強制する。
 国体の維持とは、すなわち六八権力以来、日帝が突き進んできた戦争と差別の歴史を今日アキヒトの「慰霊」の儀式などで清算し、とりわけヒロヒトの戦争責任をなきものにしたうえで、象徴天皇制を改めて宣言し、ナルヒトによって天皇制国家の存続を高らかに宣言するものである。
 アジア人民二〇〇〇万人を虐殺した戦犯天皇ヒロヒトは、日帝の敗戦が確実な状況となっても、「和平条約を有利にするにはいま一度戦果を挙げてから」と、最後まで「国体護持」=天皇制の存続にこだわり続けた。この結果、四五年三月の東京大空襲、四月米軍沖縄上陸から始まる沖縄戦、八月には広島、長崎に原爆が投下され、おびただしい数の人民が犠牲となった。
 近代天皇制は一八八九年、帝国憲法の欽定憲法としての発布を持って帝国主義として成立したが、欧米列強の資本主義の発展の過程では、その階級闘争の結果としてブルジョア民主主義の内容深化があったのに比して日帝はそれを一切持ち合わせないまま、侵略戦争を動力源にして、帝国主義として成立してきた。戦争を遂行せずしては天皇制は生き延びられない。天皇制イデオロギー、優生思想によるあらゆる差別を煽動し、煽動した差別を改めて天皇制の下に解消し、差別構造を固定化させるのだ。
 アジア太平洋戦争時、多くの障害者、精神障害者が虐殺されていった事を忘れてはならない。
 過酷な戦闘で精神障害を発病する軍人も数多い。発病した軍人には、全国で三箇所(東京武蔵野、千葉、佐賀)の療養所が設けられた。そこは、療養どころか戦時下の食糧難で真っ先に飢え死にの場所となった。療養所の飢餓状態を生き延びても、家族が受け入れを拒否し、多くの発病した傷痍軍人がそのまま後の精神病院での生活を余儀なくされて一生を終えた。
 驚くべきは、療養所で餓死した傷痍軍人が靖国神社に「英霊」として祀られているのである。まさに、天皇の名において行軍を強制され、発病して傷痍軍人として療養所に入りながら、天皇の名の下に餓死させられ、それを改めて「英霊」としてまつりあげるという天皇制の本質を見るのである。
 また、多くの重度障害者は「戦争に役に立たない非国民」として差別排除され、「防空演習にも参加できないから」という理由で、配給米の差し止めなどを受け、餓死していった。

 ●2章 障害者総体にかけられた差別抹殺攻撃を打ち破れ

 戦前戦中のみならず戦後においても一貫して障害者は、天皇制の下に差別抑圧されてきた。精神障害者は、天皇制の国家行事があるたびに強制入院が繰り返されてきた。重度障害者をはじめとして、天皇制優生思想の下、差別されてきた歴史を忘れてはならない。
 精神障害者は、私宅監置を制度化する精神病者看護法により長く拘禁生活を余儀なくされてきた。呉秀三らの努力により、一九一九年精神病院法が制定されるが、精神病者監護法と並存した状態で、精神障害者に対する監置制度は一九五〇年精神衛生法が施行されるまで続いた。
 一九九四年心身障害者対策基本法が障害者基本法と改められた。これにより、精神障害者は、初めて福祉政策の対象となった。それまではただ「治療および保護」の対象であって、精神障害者に対する社会福祉制度はついぞ存在しなかった。しかし精神障害者に対する差別監視制度は現在も続いている。
 今日の悪名高い精神保健福祉法では、精神障害者本人の同意を得ずして、無理やり入院させることができる医療保護入院制度がある。医療保護入院制度の中には、同法に規定されている「移送制度」を活用し、「移送警護」と呼ばれる警備員が羽交い締めにし、無理やり車に押し込んで入院させることもある。顔や体に多数の傷を負いながらも連れていかれる拉致制度である。二〇一八年一一月には、「移送」された精神障害者が業者を相手取り、逮捕監禁傷害容疑で刑事告訴する事態も発生している。
 旧優生保護法の下、優生手術によって中絶、断種を強制された多くの障害者の怒りを全く無視し、国の責任を認めず、その代わりにいくばくかのお金を、限られた障害者のみに渡して全てを清算しようとする事を、絶対に許してはならない。
 この秋、体外受精した受精卵の染色体を調べて、不妊治療の成功につなげる「着床前診断」の臨床研究を、日本産科婦人科学会(日産婦)が各地の医療機関で本格的に始めるという。
 命の選別―障害者の差別抹殺でありながら、これを「不妊治療の一環」あるいは「高齢妊婦の流産率を抑制する」という、母体の保護を語ることで、障害者抹殺の論理をねじまげ、罪の意識を根底から打ち消して、真っ向から敵対する。こうした暴挙を許してはならない。

 ●3章 少年法改悪の動きを許すな

 現在、法務省法制審議会少年法・刑事法部会において、少年法の適用年齢を二〇歳未満から一八歳未満に引き下げたうえ、一八歳、一九歳の年長少年に対しては刑罰を原則とし、検察官はこれを不起訴処分とした場合には事件を家庭裁判所に送致して「若年者に対する新たな処分」を行う等の構想が検討されている。
 今回の改悪案は、保護処分優先主義を放棄して形式的な刑罰主義に戻るものである。
 改悪案の想定する「若年者に対する新たな処分」は、一八歳、一九歳の年長少年について、少年年齢を引き下げて刑罰の対象とするのだ。それはそれまでの保護処分優先主義を放棄し、刑罰主義を全面化させるものである。
 刑務所出所後も、「再犯防止、改善更生のため」に「更生保護」目的で監視が強められるのだ。「社会福祉施策における公的扶助」ではないとわざわざ説明する、念の入れようである(第3部会)。まさに、再犯防止、新たな保安処分策動を許してはならない。

 ●4章 重度障害者の国会議員の当選

 先の参議院選挙にて、舩後靖彦氏と木村英子氏の二人の重度障害者が、「れいわ新撰組」より当選した。
 まず確認すべきことは、重度障害者が、国会に登場した事が、歴史的画期的であるという事である。
 国会議員として社会的に登場することで、これまでの障害者政策に風穴を開けたことは大いに支持されるものである。二人の障害者は、重度障害者が地域で生きていく事を追求し、さまざまな場に障害者が登場していくための社会保障制度の充実を訴えている。その突破口を開いたことは大きい。
 重度障害者の国会議員の当選に関しては、インターネットのSNS上で差別的なツイートが後をたたなかった。
 「障害者には議員活動できる人はいるけど、重度の障害がある人は議員活動を両立できるのか」「なんのために間接民主制はあるのか」「本人たちが出てきて議事進行に支障をきたすのは、キツイ言い方だけど迷惑行為にしかならない」というものであり、根底から障害者の自立解放への道を踏みにじることを前提にした差別投稿である。七月二四日の投稿以来二九日までに五万件の「いいね」が打ち出された。木村氏への当選報告への「いいね」が二万五千件である。断じて許してはならない。
 日帝国家権力は、天皇制の一大イベントに国体護持を最大限位置づけ、総力をあげて障害者抹殺を仕掛けてくるであろう。障害者の自立解放の展望をかけ、天皇制打倒、「代替わり」攻撃を断固として粉砕しよう! 共に闘わん!



 

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