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   9・24請求異議裁判控訴審闘争

  10・13三里塚全国集会に起ち上がろう

          
        


 九月二四日、市東さんの農地の強制執行を阻止するための請求異議裁判・控訴審がいよいよ始まる。国策会社―成田空港会社が農地法を根拠にして、農民―市東孝雄さんから農地を奪う。こんなことは絶対に許されてはならない。
 理不尽な政治と経営を司法権力が容認することを、絶対に許してはならない。それは、米軍基地建設にも、自衛隊レーダー基地・ミサイル基地建設、あるいは労働運動弾圧の理不尽にも通じることだ。日本の労働者人民の階級意識が今こそ問われている。国家権力の力に屈するのか、全人民的な反撃でこの理不尽を打ち破るのか。
 安倍右翼反動政権とブルジョア・マスコミの一大反動宣伝によって、国家ぐるみの民族排外主義煽動が始まった。安倍は、この煽動と一体に改憲―戦争国家化を一挙に進めることを狙っている。今こそ、革命的祖国敗北主義に立脚し、自国政府打倒! 韓国民衆との連帯にかけて安倍右翼反動政権を打倒しなければならない。
 五三年にわたって反政府闘争を闘い続けてきた反対同盟とともに立ち上がることの、今日的意義をはっきりさせるときだ。今秋期の反天皇闘争、民族排外主義との対決、安倍政権打倒に断固立ち上がろう。
 9・24請求異議裁判控訴審闘争、そして10・13三里塚全国集会に全力で立ち上がり、プロレタリア国際主義を貫き日本労働者階級人民の未来を切り拓こう。

 ●第1章 請求異議裁判・高瀬反動判決と反対同盟の闘争陣形

 ▼1章―1節 12・20高瀬反動判決から9・24控訴審へ


 昨年末一二月二〇日、千葉地裁民事第五部高瀬順久裁判長は、市東さんの農地に対する空港会社の強制執行を認める極反動判決を出した。市東孝雄さんと弁護団は即日控訴し、東京高裁が控訴を受理して審理開始までの執行停止を申請した。しかし、その決定がでるまでの時間(約一日間)、法的には空白の時間が生まれた。反対同盟と支援連は、二〇日から二一日の一昼夜、緊急の決戦態勢をとって、市東さん宅―天神峰決戦本部に座り込んだ。
 反対同盟と現地支援勢力は、高瀬の極反動判決から起こりうる農地強奪攻撃に対して、農地死守―実力闘争を総力で体現する態勢をとった。それは、反対同盟五二年の闘いをしっかりと受け継ぐものであった。同時に、一七年年頭以来、市東さん宅離れを天神峰決戦本部として、日常的に天神峰に結集する運動をつくり出してきたことの成果であった。
 昨年末の攻防から年が明けて一月一三日、反対同盟の団結旗開きで、市東さん自身が次のように語った。「腹の底から怒っています」「親父の跡を継いで二〇年になりました」「何事があっても天神峰で生きていく」。今まで以上に、闘いへの決意を鮮明にした発言であった。
 反対同盟は、今後の裁判闘争に向けた「四〇〇万円カンパ運動」と「天神峰結集運動、現地行動強化」を改めて強く打ち出した。

 ▼1章―2節 農民―市東さんの正義と権利

 九月二四日の請求異議裁判控訴審第一回弁論に向けて、市東さんの農地をめぐる裁判闘争の内容を改めて確認しておこうではないか。
 請求異議裁判は、市東さんの農地を農地法に基づいて強奪しようとする「農地法裁判」の最高裁判決(二〇一六年一〇月二五日)をもって成田空港会社が強制執行することを阻止する闘いである。いかに最高裁の決定であろうとも、一企業である空港会社が一人の農民の生活、営農の根拠を強制的に奪い取ることが許されてはならない。この強制執行そのものを争う裁判として、請求異議裁判は千葉地裁で約二年にわたって闘われてきた。
 第一に、空港会社が強制手段をもって農地を強奪するという行為が、全く不当であり、違憲違法である。土地収用法とて決して認められるものではないが、現行法で土地の強制収用を可能としている土地収用法に基づく成田空港建設の事業認定は一九八九年に失効している。成田空港建設に関して強制収用は不可能なのだ。
 その上で、空港会社は九〇年代のシンポジウム―円卓会議の中で「二度と強制的手段はとらない」ことを約束してきた。それだけではない。二〇一五年には、大木よねさんに対する強制収用(一九七一年)について小泉英政さん、美代さんとの間で和解したが、その過程で空港会社は謝罪し、「今後は強制的手段はとらない」と表明している。それは、請求異議裁判において小泉さん自身が証言したことである。小泉さんは、空港会社社長のこの言葉を三里塚農民すべてに対する言葉として聴いている。
 弁護団は、裁判の中で、この強制執行は過酷執行だと明確に主張してきた。
 市東孝雄さんは、祖父市太郎さん、父東市さんから受け継いだ農地を、自ら耕作して産直野菜を生産・出荷して生計を立てている。この農地は、農民市東孝雄さんが生きて生活していくための土地である。これを暴力的に奪うことは、農民としての生活を否定することである。生存権の否定である。そんな暴虐は絶対に許されてはならない。
 市東さんが農民として生き続けること。この当然の権利は必ず全うされなくてはならない。
 第二に、最高裁判決が確定しているとはいえ、農地法を根拠に農民の農地を奪うという、この倒錯した裁判そのものの誤りを何度でも主張し、農民としての市東さんの権利と正義を取り戻すことだ。
 市太郎さん、東市さん、孝雄さんと三代一〇〇年にわたって開拓し耕作して、現在の豊かな農地がある。市東さんの農地が小作地になっているのは、戦争に招集された東市さんが捕虜になったために復員が遅れたという事情ゆえである。本来ならば耕作者の市東さんにこそ、この農地の所有権はある。
 成田空港公団(当時)は一九八八年、市東東市さんの農地を、名義上の地主から秘密裡に買収した。正当な利害関係人である小作人の東市さんには秘匿したのであった。空港公団は移転登記そのものを五年間も行なわなかった。空港会社に変わる直前の二〇〇三年に移転登記をした。しかも、登記後も、東市さん、孝雄さんにはその事実を明かさず、小作料も旧地主が受け取り続けた。
 しかし、空港会社が土地そのものの所有権を形式的に取得しても、農地を空港用地に転用することは簡単にはできない。空港会社は農地法の例外規定を適用して、成田市農業委員会、千葉県農業会議、千葉県知事堂本に、農地の転用の許可を出させた。そして、この転用許可決定を根拠にして、市東さんを被告として土地明け渡しの裁判を起こしたのだ。
 自作農育成を目的とし農地の転用を厳しく制限する農地法の、その例外規定を拡大解釈して適用し、かつ、農民の権利を護るべき農業委員会、農業会議を抱き込み、さらには、この異様に偏った法適用を裁判所にむりやり認めさせる。空港会社は国策として、農民―市東孝雄さんに襲いかかって農地を奪おうとしてきたのだ。行政権力も司法権力も、空港会社と一体になって、一人の農民の権利と正義を叩き潰そうとしている。これが農地法裁判―請求異議裁判の本質なのだ。

 ▼1章―3節 法廷闘争で明らかにされた空港会社の犯罪

 農地法裁判での空港会社の狡猾で強権的な手法は、他の裁判でも一貫しているが、国策会社の強権的農地強奪ゆえに、その犯罪性が一つひとつ暴露されてきている。
 耕作権裁判は、市東さんが耕作している南台の農地の一部を空港会社が「不法耕作地」だと決め付けて起こした裁判だ。しかし、空港会社は市東さんの農地の位置の特定を誤っており、それだけでも棄却されるべき裁判だが、空港会社が市東東市さんの「同意書」「境界確認書」として提出した文書が偽造であったことが明らかになってきている。
 そして、空港会社側は、空港公団(当時)が行なっていた農地交渉過程の証拠文書を墨塗りで法廷に提出するという暴挙を続けている。しかし、さらに問題なのは、裁判所そのものをも侮辱するする空港会社のやり方に対して、厳しく証拠提出を命令すべき裁判長内田博久が、それを躊躇し続けていることだ。
 新やぐら裁判は、市東さんの畑に立つ反対同盟のやぐらと看板について、空港会社が反対同盟を相手取って、その撤去と敷地明け渡しを求めている裁判である。この裁判においても、会社側が農地の所有権を根拠に反対同盟を訴えたがゆえに、空港会社が市東さんに秘匿して農地を取得した過程を改めて問うている。農地買収過程の記録の証拠提出が重要な争点となっている。
 これらの裁判の証拠は、同時に市東さんの農地法裁判―請求異議裁判と直接に連関している。空港会社の違法な農地買収が徹底的に明らかになれば、空港公団―空港会社を貫いて強行されてきた詐欺的農地強奪が一挙に破綻することになる。

 ●第2章 空港機能強化策との対決

 ▼2章―1節 19年冬ダイヤ離着陸時間延長攻撃


 成田空港会社、国、県、空港周辺市町の首長による四者協議会は一六年九月、離着陸制限時間の短縮、第3滑走路建設、B’滑走路北延伸を柱とする空港機能強化策を確認した。その後、空港周辺各地域で「住民説明会」を開催し、一八年三月には、横芝光町長などの反対を押し潰して四者協議会の決定となった。
 離着陸制限時間に関しては、現行の「午後一一時から翌日午前六時」となっているものを「午前〇時三〇分から五時」に短縮するというものである。しかも、二〇年オリンピック・パラリンピックまでにまずA滑走路の離着陸制限時間を「午前〇時から六時」に短縮するということも決めていた。
 ところが、千葉地裁・高瀬の極反動判決と同じ昨年一二月二〇日、成田空港会社は「二〇年夏ダイヤ」からとしていたA滑走路の離着陸時間制限の短縮に関して、「一九年冬ダイヤ」から強行することを周辺市町に対して提案した。騒音被害が直接高まる横芝光町と山武市の首長が強く反対した。しかし、政府や族議員、成田市や芝山町など空港機能強化の利権に群がる首長どもの圧力によって、本年一月下旬に妥協を余儀なくされた。二月四日の四者協議会で、成田空港の運用時間延長の前倒しが正式に決定された。本年一〇月二七日から深夜離着陸時間の延長という重大な生活破壊攻撃がはじまろうとしている。
 具体的には、成田空港A滑走路について、六時から二三時となっている現行の運用時間を一時間延長し、六時から二四時とするのである。加えて、現在は二二時台については便数制限があるのだが、この制限も撤廃する。このため、二二時以降の発着回数は現在の三倍に増加することになる。
 空港会社は経営上、空港としての稼働時間が一時間延長できるというだけの計算だが、周辺住民にとっては殺人的暴挙である。人間として当然享受すべき健康な生活の必須条件である睡眠時間が六時間に短縮されるのだ。大人も子供も老人も毎日毎日、深夜〇時から朝六時までしか睡眠できないという無間地獄が強いられるのだ。この騒音地獄は、睡眠障害、高血圧、心筋梗塞、脳卒中などさまざまな健康被害をもたらすことになる。経済的利権と引き換えにできるようなものではない。
 空港会社は、空港機能強化に伴う地域振興策として、横芝光町と成田空港間の路線バスを開設し、一二月一日から毎日一〇往復二〇便運行する。空港会社はこのバス運行のために一億円を交付する。また、山武市に対しては、航空機騒音下へのエアコン設置補助金として一億円を交付する。一方、成田市長小泉は「成田空港での入国者の増加」を主張しており、成田空港から入国する外国人観光客の増加が地域経済の発展になるかの幻想を振り撒いている。
 しかし、こんなことと引き換えに、市民・町民の睡眠時間破壊を許していいのか!

 ▼2章―2節 第3滑走路建設を最優先する新社長田村

 成田空港会社は六月二五日、株主総会を開いた。夏目誠が社長を退任し、国土交通省官僚の田村明比古が新社長に就任した。
 夏目は退任直後の記者会見で、「民間空港」として「使い勝手のいい空港」にすることに取り組んできたと七年間を総括し、LCC(格安航空)専用の第3ターミナルを開設したことと「離着陸制限時間(カーフュー)を緩和した」ことを成果として語った。夏目は会見の最後に「世界の主要空港は二四時間空港。地域の方々の理解を得ながら、事実上、カーフューがなくなるところまで合意することができた」と結論し、「将来の発展への道筋はつけることができた。後は田村社長の下で、前に進めてほしい」と結んだ。
 空港機能強化策として、空港会社が四者協議会で合意してきた内容は、離着陸制限時間の一時間、二時間の短縮というレベルではなく、「事実上カーフューがなくなるところまで」、つまり二四時間空港化の「道筋」をつけたと、夏目は言っているのだ。これが空港会社の社内で了解されていることなのだ。地域住民の生活、睡眠時間、健康など何も考えてはいないのだ。
 「地域と空港の共生」などと騙る輩は、この空港会社の本性をしっかりと見てから語れ。
 新社長田村は前観光庁長官だが、二〇一五年夏に政府が第3滑走路建設を提案した当時には航空局長であった。つまり、空港機能強化策、とくに第3滑走路建設については、その構想段階から関わっているのだ。就任直後の記者会見では、近隣諸国および羽田空港との競争に言及した上で「厳しい経営環境の中、引き続きわが国の表玄関として発展していくため、大型の設備投資を含む必要な策を社員一丸となって実行していく」と語った。
 民間から起用された社長が二代続いたが、田村は「国策会社としての機能を果たさなければならず」と述べ、国交省官僚出身の社長として空港機能強化策を推し進めることを宣言したのだ。

 ▼2章―3節 国策空港会社にまとわりつく利権集団

 前述したように、四者協議会は、離着陸制限時間の短縮、第3滑走路建設、B’滑走路北延伸を柱とする空港機能強化策を一六年九月に確認し、一八年三月には、横芝光町長などの反対を押し潰して四者協議会の決定とした。
 この空港機能強化を推進してきたのは、地元ブルジョアジーどもが一四年に立ち上げた「成田第3滑走路実現する会」であり、また二階俊博や林幹雄など「自民党成田国際空港推進議員連盟」だった。
 そして、この空港機能強化策という名の一大国策事業の利権に喰い込もうとする輩は新たな利権組織をつくってきた。石毛博道は芝山町長相川と結び、空港周辺市町の商工会長を束ねて「成田第3滑走路実現を目指す有志の会」を形成した。「有志の会」は「国は喉から手が出るほど『第3滑走路』を欲しがって」いるから、住民にとって「チャンス」なのだと主張する。「空港と地域の共存・共栄」と主張する者たちの本性は、四者協議会が独占している空港機能強化という国策利権とその決定権限に、何としても喰い込み、利権の分割を要求することなのだ。
 さらに、石井新二は昨年六月、「空港と被害地域の真の共存共栄を目指す集い」なる団体を立ち上げた。現在の飛行便数と空港機能強化策によって増大する飛行便数の比率に合わせて、交付金、特別交付金の金額を計算して提示し、四者協議会の示した交付金の増額では少ないと主張する。その上で「共生協力金制度」を創設し、防音工事、移転費用を十分に支払えと要求している。利権の上乗せと利権の再分割の要求である。石井は「機能強化に賛成」であるが、この要求を呑まなければ「同意書の保留を考えざるをえない」と主張する。
 かつて三里塚闘争を反対同盟として闘った相川、石毛、石井などが、空港機能強化という一大利権にそれぞれの立場からしがみついている。
 空港会社が行なってきた周辺地域の地区ごとの説明会で住民たちは騒音被害拡大を認めず、怒号の集会となっている。殺人的な睡眠時間破壊、そして、これから強行されようとしている第3滑走路予定地の半強制的移転に対して、怒りが渦巻いている。空港経営の利害だけで押し通されていく機能強化に、「共存共栄」などありうるはずがない。政府と空港会社に与する輩が、地域住民をだまして、条件派利権集団を形成することを絶対に許してはならない。

 ▼2章―4節 新たな住民運動の発展を

 芝山、横芝光など周辺市町のさまざまな団体、個人が、空港会社の横暴な「空港機能強化策」に反対の声をあげている。一六年から一七年に空港周辺各地で開催された「住民説明会」では、反対する住民たちが「四時間しか眠るなということか」「これ以上の騒音はだめだ」と空港会社を糾弾し、怒号に包まれるという状況だった。住民が納得できる説明ではない。空港会社は、四者協議会で確認したことを楯に、各地域で通告しただけなのだ。だから、最終的には、住民が参加した場での合意ではなく、四者協議会での「決定」で決着させたのだ。
 各地の住民たちは、それぞれの立場で反対を表明し、市町および千葉県当局や国土交通省に対して質問書、要求書を提出している。空港会社の横柄な「決定」、これから強行されようとする暴挙に対して、決して納得していないし、諦めてもいない。芝山町、横芝光町の各地に「空港機能強化絶対反対」「空港騒音断固反対」「夜間飛行時間延長断固反対」「これ以上の騒音はごめんだ!」と、思い思いの看板が次々と立てられている。一つも撤去されてはいない。
 空港会社の横暴が続き、首長たちが「地域振興策」という見返り利権の分配しか思考できない状況であれば、この憤怒は絶対にやむことはない。成田空港周辺地域は新たな怒りが湧き上がってきている。
 新社長田村は第3滑走路建設に全力を傾注しようとしている。しかし、「国策会社」だから何でもできるわけではない。事業認定が切れている成田空港建設においては、土地収用法をもって強制収用することは決してできない。住民が反対し信念を貫き、任意の買収に応じなければ、第3滑走路建設阻止は可能なのだ。金と権力の重圧を批判し弾劾し粉砕する運動こそが必要なのだ。空港建設を絶対に阻止する確信と運動こそが、政府と空港会社の横暴を打ち破る。
 市東さんの農地強奪を絶対に許さない闘いは、この新たな状況の中でこそ問われている。三里塚闘争は、周辺住民と呼応して広範な成田空港反対運動を展開していく新たな展望の中にある。9・24控訴審闘争開始の意味も、このような三里塚闘争の未来をかけた闘いとして捉えぬき、立ち上がっていかなくてはならない。

 ●第3章 農地死守の闘いが切り拓くもの

 ▼3章―1節 安倍政権との対決


 われわれは、安倍右翼反動政権の改憲―戦争総動員体制構築の攻撃と対決することを明確にし、二〇一九年におけるそのメルクマール、「天皇代替わり」と大阪G20サミットを打ち砕くことを鮮明に掲げて、階級攻防を担いぬいてきた。
 市東さんの農地をめぐる決戦は、まさにこの日帝―安倍政権の攻撃を打ち破る攻防と一体の闘いである。
 改憲に強く執着する安倍政権だが、決して磐石な基盤の上にあるわけではない。「アベノミクスの成果」を喧伝するが、異次元の金融緩和を続け、赤字財政を積み重ねて、〇八年恐慌以降の経済停滞を無理やり引き上げているにすぎない。株式市場は「官製相場」と評され続けてきた。まさに、国家財政を注ぎ込んで官製バブルを作り出してきたにすぎない。一方で、「地球を俯瞰する外交」などと言いながら、中国、ロシア、韓国、朝鮮民主主義人民共和国など周辺諸国のいずれとの間でも「外交成果」は全く上がっていない。米―トランプ政権との蜜月を強調するが、これとて、安倍が一方的に貢ぎ続けて、貿易交渉でも米軍基地費用でも、トランプ政権の法外な要求につけこまれている状況だ。
 沖縄では、安倍政権―沖縄防衛局が辺野古新基地建設を強行しているが、沖縄人民の反撃は島ぐるみの闘いになっている。昨年の知事選、衆議院沖縄三区補選、県民投票、そして七月の参院選において、沖縄人民の圧倒的多数が、辺野古新基地建設反対の候補に投票している。
 つまり、七月参院選を前にして、安倍政権は内政でも外交でも「成果」と誇れるようなものが何もなかったのだ。事前に準備を重ねた上で、参院選での切り札として七月一日突如、韓国に対する半導体関連三品目の輸出規制を発表した。そして、韓国―文在寅(ムンジェイン)政権の対抗措置を見ながら、八月二日には韓国に対する輸出優遇措置を取り消すことを閣議決定した。
 安倍は排外主義煽動をもって、七月参院選を乗り切った。それ以外に何の政治手腕も無かった。一旦火をつけた民族排外主義外交で、安倍自身が引き戻ることができなくなっている。安倍の支持基盤である日本会議など極右勢力の反韓、嫌韓の主張に依拠し、もともと極右思想の安倍自身も舞い上がっている。
 安倍は、排外主義煽動こそ日本の労働者人民を集約しうるプロパガンダだと捉え、この煽動を激化させながら、自身の悲願である「改憲」に突き進もうとしている。「天皇代替わり」と二〇二〇年オリンピック・パラリンピック開催を最大限に利用して、反動的に「日本国民」意識を煽り立てて、改憲を強行することに執着している。
 韓国民衆は、現在の事態に対して、敵は日本人民ではなく安倍政権であることをはっきりと見定め、「NO! 安倍」運動が大きく前進している。これに応える闘いは、プロレタリア国際主義を貫き、韓国民衆との連帯にかけて安倍右翼反動政権を打倒することである。

 ▼3章―2節 反対同盟53年、貫かれた反政府闘争

 安倍右翼反動政権が改憲攻撃に執着し、民族排外主義煽動に全面的に踏み込んでくる時代にあって、日本人民が真に反政府闘争を闘い得るのか否かが決定的に問われている。
 市東さんの農地を守りぬき、日々の営農・生活に立脚した農民の反政府闘争を防衛し発展させることは、この時代にあって、非常に大きな意義を有している。
 反対同盟は一九六六年の結成以降、強制測量阻止闘争、空港公団分室突入闘争、千葉県収用委員会公開審理粉砕闘争。七一年の第一次強制収用阻止決戦、第二次強制収用阻止決戦での地下壕戦、農民放送塔、東峰十字路戦闘、そして九月二〇日の大木よねさんに対するだまし討ち強制収用とよねさんの闘い。七七年岩山大鉄塔の決戦、鉄塔やみ討ち撤去と東山薫さん虐殺。七八年開港阻止決戦。
 さらに闘いは、3・8分裂をはさんでの八〇年代前半の成田用水との闘い、八五年二期決戦、八七年・八九―九〇年の成田治安法決戦と、実力攻防は続いてきた。
 この攻防の中で、反対同盟は政府―空港公団の本性を見抜き、軍事空港反対! 農地死守―実力闘争を自らの闘いの核心としてつかんできた。政府と空港公団―現空港会社は、札束で農民から農地を買収しようとし、反対同盟が空港反対を鮮明にすると、土地収用法を「根拠」にし国家暴力を発動して、力づくで農地強奪に踏み込んできた。
 反対同盟はこの激しい攻防の中で、政府とは何か、国家権力とは何かということを感じ取り、つかみとってきた。実力攻防を闘い、カネに物を言わせた「話し合い」―切り崩し攻撃を一つひとつ打ち破ってきた。反対同盟は、この攻防を担い抜いてきたがゆえに、国家権力に対して決して屈しない強靭さを培い、闘いを通して階級的団結を形成してきた。
 五三年という年月は決して短いものではない。反対同盟、そして支援者も、多くの人々がその半生を三里塚闘争の中で生き、闘ってきた。三里塚闘争の現場で、階級闘争―反帝闘争の確信が培われてきた。安倍政権の改憲―戦争国家化の攻撃、天皇制・天皇制イデオロギー攻撃が、民族排外主義の激化を伴って劇的に進もうとする今、日本における真の反政府闘争として、三里塚闘争こそが労働者階級人民の闘いの一つの基軸とならなければならない。
 「ろうそく革命」として燃え上がった韓国階級闘争の革命的発展こそが、現在の文在寅政権を誕生させ、東アジアの新たな情勢の中で日帝―安倍政権は右往左往したあげくに、その本性をあからさまにした民族排外主義煽動に突き進んでいる。韓国をはじめとするアジアの階級闘争、革命運動の発展に応え、日本帝国主義足下にあって、強大な国家権力と真正面から対峙する反政府闘争の発展が今ほど求められているときはない。五三年実力攻防を闘い抜き、権力の横暴に決して屈することのない三里塚闘争こそが、反動と戦争の時代の闘いをこじ開ける力となるだろう。
 市東さんの農地を守り、第3滑走路計画を粉砕すると同時に、安倍政権を打倒する反政府闘争を三里塚から闘い抜こうではないか。9・24請求異議裁判・控訴審、10・13全国総決起集会に全力で結集しよう。



 

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