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■藤本和代同志を追悼する 侵略反革命と闘う障害者青年同盟 さる二〇一五年八月二日 藤本和代同志が、急逝した。 藤本同志は、自らの発病を契機として、精神障害者差別の理不尽さを社会的に体現した赤堀差別裁判、刑法改悪―保安処分新設阻止の闘いにいち早く決起し、我が党の解放運動の実践的地平をおしあげただけではなく、全国的な精神障害解放運動の先駆的役割を果たしてきた。 晩年、精神障害だけでなく、体中の内科的疾患と闘い、歩行困難な状況にあってもなお、運動現場へ駆けつけるという、どん欲なまでの階級闘争へ決起するという意識を奮い立たせていた。 それは、二〇一五年三月反戦実主催の新宿反戦闘争への決起まで維持され、いよいよ歩行困難な状況にあっても、袴田事件の署名集約の活動は、亡くなる八月二日当日、電話連絡で確認するまで続けられた。 獄中にある精神障害者の「命の防衛」を最優先とした精神障害者の救援運動の実践の提唱、二十四時間以内の完全奪還を基調とすることを主張してきた。 その運動的表現としての「たまり場」の実践は、墨田の地において、地域の精神障害者の地域拠点として八〇年代中期―九〇年代初期にわたってひとつの実践的地平を築き上げてきた。 「たまり場」において、当時仙台拘置所に収監されていた赤堀さんとの文通面会闘争を対象化したり、地域保安処分とのたたかいを実践したり、患者会としてそれぞれの仲間の悩みに真摯に向き合いつつ、孤立を深める精神障害者の運動的支柱として、あり続けた。 障害者の解放運動の綱領的な内実の創造において、身体障害者と精神障害者の解放が、社会的な差別の理不尽さを解き明かす作業を共同して行う中でこそ、成し遂げられるということを謳い、そうして解放運動の中味を共有化していく回路をこじ開け、障害者解放運動の綱領的内容の豊富化をはかってきた。 それは、われわれの思想的確信であり、綱領的な内実を含めてなお、こんにちのわれわれの解放運動の基調である。 藤本同志が、生涯を通して障害者解放運動の先駆的役割を果たし続けた地平をいよいよ堅持し、解放運動の全成果をひきつぎ、障害者解放―日帝打倒闘争に勝利しよう! 藤本同志の遺志を引き継ぎ、戦時政策を粉砕し、社会保障制度の解体許さず、障害者解放闘争に勝利しよう! 河原 涼 |
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