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   ■ブリュッセル・サミット

    瓦解したG8首脳会合



 帝国主義を軸としたG7首脳会合は六月四日・五日、欧州連合(EU)の主催(議長国ドイツ)で、ベルギーのブリュッセルにおいて開催された。本年のG8サミットは本来、ロシアのソチで開催される予定だった。しかし、本年3月、ロシアのクリミア併合直後にハーグで開催されたG7緊急首脳会合は、ロシア非難で一致し、ソチ・サミットをボイコットして、ロシアの排除を決定した。

  ●1章 ロシア非難の首脳宣言

 文書としてまとめられた首脳宣言の内容は、世界経済、エネルギー、気候変動、中東和平問題など多岐にわたる。経済問題については後述するが、今回のブリュッセル・サミットにおいて、首脳たちが主要に論議したことは、ウクライナ問題でありロシア問題だった。
 G7は、六月二十五日に実施されたウクライナ大統領選挙を「成功」と評し、ポロシェンコが次期大統領に選出されたことを「歓迎」した。現実には、ウクライナ東部の幾つかの州では選挙が実施されず、また、大統領選直後からウクライナ政府軍と親ロシア派の軍事衝突は激しさを増しており、東部では内戦状況になっている。
 ハーグ緊急首脳会合に続いて、ブリュッセル首脳会合も「ロシア連邦によるウクライナの主権と領土の一体性の継続的な侵害を一致して非難する」という文言をもって、ロシアのクリミア併合を非難した。「国連総会決議68/262に沿って、クリミア、セヴァストーポリに関する厳格な不承認政策を実施している」「情勢が必要とすれば、ロシアに更なる負担を課すため、対象を特定した制裁を強化するとともに、重要な追加的制裁措置を実施する用意がある」とした。
 他方、「エネルギー」の項においても、「エネルギー供給を、政治的な手段あるいは、安全保障上の脅威として用いることは容認できない」として、ウクライナと欧州総体に対するロシアの対応を非難した。

  ●2章 ウクライナ問題の背景

 G7諸国は、三月ハーグ緊急会合、六月ブリュッセル会合と二つのG7サミットを開催して、ウクライナ問題-ロシア問題に対処せざるをえなかった。二〇一四年年頭からのウクライナをめぐる情勢は、現代帝国主義の世界支配体制の混乱を浮かび上がらせるものであった。
 ウクライナは一九九一年に独立するまで、ロシアをはじめとして隣接する諸国の影響を強く受けてきた。一八世紀末からは、ロシア帝国とオーストリア帝国に分断されて支配された。そして、第一次大戦―ロシア革命を経て、ウクライナは、ソ連邦とポーランド、ルーマニア、チェコ・スロバキアの四カ国によって分割された。
 その上で、ソ連邦を構成する一共和国となったウクライナでは、一九二〇年代初頭に内戦の疲弊と急激な農業集団化によって飢饉におちいった。この飢饉で百万人が亡くなったといわれている。「新経済政策(ネップ)」によって、一旦食糧生産が回復した。しかし、スターリンが権力を掌握した後、改めて強制された農業集団化の下で三二~三三年には大飢饉が起こる。しかも、この時期には、穀物生産の不作にもかかわらず、農村から穀物の強制調達が行なわれた。ウクライナでは、この大飢饉で三百五十万人が餓死した。出生率の低下をも引き起こし、ウクライナの人口は五百万人減少した。この時期、ソ連邦全体が飢えていたのではなかった。ソ連邦は穀物輸出を続けていたのだ。
 この農業集団化と食糧調達の強制を大きな要因として、抵抗運動が起こった。スターリンの大粛清は、ソ連邦全体では三六~三八年であったが、ウクライナでは三〇年代前半に粛清が強行された。ウクライナ共産党員の37%にあたる十七万人が粛清された。
 第二次世界大戦においては、ウクライナは独ソ戦の戦場となり、ウクライナ人民は「ウクライナ蜂起軍(UPA)」を形成して、対独パルチザン戦を戦った。同時に、独立をめざしたUPAは、ソ連パルチザンともたたかった。スターリンは、ウクライナを焦土とした上で、四三年のスターリングラード攻防戦で独軍を破ったのちに勝利を収める。しかし、スターリンは戦後も数年間にわたってUPA掃討を継続し、かつ、UPAの拠点となった地域に対しては、シベリア流刑、強制移住などをおこなって、この抵抗を根絶しようとした。
 さらに、ソ連邦時代の重大な問題はチェルノブイリ原発事故であった。
 一九八六年四月二十六日、ウクライナ共和国のキエフに近いチェルノブイリ原発四号炉の制御棒を誤って引き抜いたために、原子炉が暴走、水素爆発を引き起こした。放出された放射性物質は二百京ベクレル。事故直後に三十一人が死亡。旧ソ連で事故処理作業にあたった八十六万人のうち、五万五千人が放射線障害などで死亡。セシウム137で一平方キロメートルあたり三百七十億ベクレル以上汚染されている地域は、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアで計十万平方キロメートルに達している。現在も、ウクライナ、ロシア、ベラルーシの汚染地域に六百四十万人が居住している。ウクライナでは三百五十万人が甲状腺癌など事故による健康被害を受けている。
 チェルノブイリ原発事故とソ連政府の事故隠蔽に対して、ウクライナ人民の中に改めてソ連支配体制への不信と不満が湧き上がった。

  ●3章 独立後のウクライナとロシア・EU

 ソ連邦においてこのような歴史的経緯をもつウクライナだが、九一年のソ連邦崩壊にともなって独立を果した。ウクライナは、EUとロシアの間で、両側からの影響をうけつつ、国内的な対立もはらみながら、独立国家としての主権を維持しようとしてきた。ソ連邦から独立したとはいえ、ロシアを軸にした独立国家共同体(CIS)の枠内にあり、ロシア・ウクライナ友好条約をはじめとして、経済的にも軍事的にもロシアの強い影響の下にある。
 ウクライナはCISの構成国としてロシアと軍事協力する位置にありながら、九七年にはNATOとの間でNATO・ウクライナ憲章を締結しており、ウクライナ国内にNATO情報センターが設立されている。ロシアからすれば、ウクライナのNATO加盟を阻止することが軍事的に一貫した課題となってきた。
 ウクライナには経済的にもロシアの重要な利害がある。ロシアのEU向け天然ガスの最重要パイプラインは、ウクライナ中継ルートである。また、ウクライナは世界有数の穀倉地帯である。上に述べたように、ソ連邦の時代にあっては強制的に食糧供給を担わされてきた。現在は中東、アフリカ、ロシア、アジア地域に小麦・トウモロコシを供給している。
 九八年のロシア通貨危機は、経済的にロシアの影響を強く受けてきたウクライナに甚大な影響を与えた。ウクライナは国家デフォルトの危機に直面した。この経済危機に直面して、ユーシェンコはIMFの融資を受けて、ロシアの影響を抑え、経済再建をめざそうとした。一方で、ヤヌコビッチはロシアの援助を受けた経済運営を指向した。
 二〇〇四年の「オレンジ革命」以降、ユーシェンコ政権、あるいはティモシェンコとユーシェンコの連合によるティモシェンコ政権が、EU寄りの政策をとってきた。二〇一〇年の大統領選挙ではヤヌコビッチが勝利し、それまでのEU寄りの外交から、ロシア寄りの政策に転換した。
 二〇一三年十一月、ヤヌコビッチ政権がEUとの政治・貿易協定の調印を見送ったことに対して、野党勢力が抗議し、反政府運動に発展した。一四年二月には、政権側と反政府側との衝突で死者がでる事態に至った。二月二十二日、ウクライナ最高議会はヤヌコビッチの大統領解任と大統領選挙実施を決議した。
 この反政府勢力には、ネオナチなど極右民族主義者も参加していた。ロシア-プーチン政権は、そのことを理由に「ロシア系住民を保護する」として、クリミア半島への軍事介入を開始した。
 この状況の下で、クリミア自治共和国最高会議とセヴァストーポリ市議会は三月十一日に「クリミア独立宣言」を採択した上で、三月十六日に「住民投票」を行ない、十七日に「クリミア共和国」の独立とロシアへの編入を求める決議を採択した。プーチンは、クリミア共和国の主権を承認し、十八日にはクリミアのロシアへの編入を受諾した。プーチン大統領とクリミア共和国アクショーノフ首相は、編入に関する国家間条約に署名した。
 米帝をはじめとする帝国主義各国は、このロシアのクリミア編入を国際法違反で無効であるとして非難し、制裁に踏み込んだ。米、英、仏、独、伊、日、カナダと欧州連合の首脳は三月二十四日、核安保サミットが開催されていたオランダ・ハーグで、G7首脳会合を開催し、クリミア編入を強行したロシアを非難する「ハーグ宣言」を採択した。
 ハーグ宣言の骨子は、①ウクライナの主権・領土の一体性及び独立に対する強い支持を再確認、②クリミアの違法な住民投票とクリミアを併合しようとするロシアの違法な試みを非難し、これら双方を承認しない、③ロシアが現状をエスカレートさせる場合、制裁を含む行動を強化する用意がある、④ロシアが方向を変更し、G8で意味ある議論を行なう環境に戻るまで、G8参加を停止し、二〇一四年六月はブリュッセルでG7会合を開催する、というものであった。

  ●4章 世界支配構造の新たな再編

 三月のハーグ会合は、ソチ・サミットのボイコットを決定した。その政治的排除がロシアへの大きな制裁になると、オバマ政権は考えた。ブリュッセル・サミットはこの企図のもとに開催された。
 オバマは六月三日、ブリュッセル・サミットに先立ってポーランドのワルシャワを訪問した。オバマはポーランド大統領コモロフスキと会談し、「欧州の安全保障を確実にするため、米国は兵士や装備を追加配備する」と述べ、東欧諸国に対して今後一年間に十億ドルの軍事支援を行なうことを約束した。
 オバマはワルシャワで、ウクライナ次期大統領ポロシェンコとも会談し、その「正統性」を支持した。
 また、ワルシャワでの演説では「ロシアによるクリミア占領は認めない。今後も挑発行動をとれば、ロシアはさらに孤立し、代価を払うのみだ」と主張した。
 しかし、帝国主義各国は、オバマが考えたとおりに結束していたのではなかった。
 オバマ政権が描いたような強固な結束でのロシア制裁は進まなかった。
 ロシアの天然ガスを重要なエネルギー源とするEU諸国は、ロシアとの経済的な断絶を望んではいない。
 すでにハーグ会合において、日帝―安倍は「ロシアを押しやって中国とロシアが連携すれば、アジアに激震が走る」と切り出した。中国との対立を深めながら、ロシアとの外交関係を強めてきた安倍政権としては、この分断外交が失敗することを恐れていた。
 独首相メルケルは、安倍に同調しつつ「中国は中立どころかロシアについている」と主張し、オバマも、この中国の要素を認めざるをえなかった。
 二日間のブリュッセル・サミットの翌日、六月六日にフランスでノルマンディー上陸作戦七十年式典が開催された。米欧の首脳がここに参加した。戦勝国としてロシア大統領プーチンも参加した。この場において、仏―ロ、英―ロ、独―ロの首脳会談が行なわれた。オバマとプーチンも、非公式だが十~十五分ほどの会談を行なった。
 ウクライナ問題―ロシア問題を主導していたのは、対ロ制裁を強く主張したオバマではなく、この七十年式典を主催したオランドであり、ロシアとの対話に踏み出したメルケルであった。
 米帝―オバマは昨夏、シリア内戦に対して軍事介入を強く主張したが、仏帝も英帝も参戦を断念したために孤立した。最終的には、ロシアの仲介でシリアの化学兵器を国連の管理下に置くということに至った。二〇〇一年以降のアフガニスタン戦争、イラク戦争がもたらしたものは、米帝と同盟国の同盟関係の強化ではなく、一超軍事大国―米帝の力の政治への不信であり、世界支配構造の新たな再編への踏み込みであった。プーチンとて、米帝を軸とした現代帝国主義の世界支配の弱化と分散の事態を見極めて、クリミア併合に踏み切ったのだ。
 ソチ・サミットの瓦解とG7によるブリュッセル・サミット開催という事態は、二十一世紀初頭の米帝を軸にした侵略反革命戦争と〇八年恐慌の中で、中心国-米帝の急激な力の減退を全世界に印象付けるものとなった。

  ●5章 新たな経済危機に直面するG7

 この政治危機に加えて、今やG7のみで世界経済危機を収束し続けることができなくなったことも改めて明示された。
 首脳宣言の文書は冒頭の「世界経済」の項において、帝国主義各国が直面している失業問題、新たな金融危機への対処、貿易と投資の自由に関する内容を提起している。G7は「二〇一四年は、強靭な金融機関の構築、大きすぎて潰せない問題の終結、シャドーバンキングによるリスクへの対処、デリバティブ市場の安全性の確保といった、世界金融危機への対応として我々が着手した中核的金融改革の重要な面を概ね完了させることに集中する年」であるとしている。
 〇八年恐慌への対処を完了できるといっているのだ。しかし、そうであろうか。米帝発の金融恐慌は全世界に波及し、この対処の結果として欧州の通貨危機・金融危機も引き起こされてきた。金融危機の下で起こった失業問題、貧困と格差は全世界に拡大している。BRICSの一国ともてはやされたブラジルにも貧困と格差が拡大している。ブラジル労働者人民は、サッカー・ワールドカップの期間中もストライキとデモに立ち上がっている。中国では、恐慌への対処としてなされた大規模な財政政策=不動産開発ゆえに、シャドー・バンキングによる融資が膨れ上がり、そのバブルの崩壊の危機に直面している。
 「貿易と投資の自由」を掲げてはきたが、首脳宣言に記された世界貿易機関(WTO)も環太平洋パートナーシップ(TPP)交渉も、帝国主義をはじめとした各国の利害対立の場となっている。
 G7サミットで危機を収束させることなどできはしない。
 〇八年恐慌をくいとめようとして引き起こされた矛盾はG20諸国にまで拡大している。帝国主義各国は新たな危機に直面している。国内の階級矛盾の増大を恐れ、かつ、ウクライナ、イラク、シリアに拡大した戦乱に対して新たな侵略反革命戦争を発動しようとしている。
 凶暴な帝国主義の本性としての戦争を断固阻止すべく、ともにたたかおう。



 

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