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■安倍政権による「教育再生」攻撃を許すな! 闘う教職員と連帯し、戦争教育を阻止しよう 二〇一四年一月二十九日の衆院代表質問の答弁で、安倍首相は「道徳の教科化」「日本史必修」「教育委員会の見直し」を表明した。安倍が言うところの「教育再生」である。「教育再生」とはなにか。それは端的に言えば改悪教育基本法路線の実体化である。新「自由主義」にもとづく競争主義と排外主義、それと表裏一体の愛国心教育の徹底である。要するに戦争遂行のための教育に他ならない。そして重要なのは、こうした路線は一方において闘う教職員の現場からの排除を前提に据えているということである。われわれは「教育再生」攻撃を絶対に許してはならない。 教育の問題とは、彼我の力関係や社会状況に左右されるとはいえ、本質的には国家権力が労働者階級人民の価値観・社会観をいかに形成するのかという問題でもある。それは暴力的支配とは別の角度からする階級支配の要であることは間違いない。国家権力がこれまでの国家のあり様を大きく変えようとするならば、これに連動して教育体制・内容もその根幹から変えようとすることはある意味当然である。 われわれは、安倍の「教育再生」とは解釈改憲・戦争遂行体制構築と連動した攻撃であるということを確認しなければならない。解釈改憲・戦争遂行体制との闘いとして「教育再生」攻撃と全面的に対決していこう! ●1 教育委員会制度解体に反対しよう 安倍は一月二十八日の衆議院本会議において、「現行の教育委員会制度を抜本的に改革する」と表明した。これを受け、自民党は教育委員会のあり方を検討する小委員会を開催した。しかし政権与党である公明党との意思一致が難航、これを打開すべく自公によるプロジェクトチ―ムが発足した。ここで本格的に法案の検討をする運びとなった。このプロジェクトチ―ムは教育委員会制度のあり方と首長権限の強化をめざす「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(以下「地教行法」)、大学教授会の諮問機関化と学長権限の強化をめざす「学校教育法」、教科書採択で抵抗する沖縄・八重山地区竹富町の事態に対処するための「義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律」を論議の俎上にあげるとしている。そして三月十一日、自公のプロジェクトチームは教育行政に対する首長の権限を強化する改悪案で合意した。現行の教育委員会委員長と教育長を一体化する「新教育長」を新設し、首長に任命・罷免の権限をもたせようというものである。さらに、首長主導で教育に関する大綱的な方針を決める「教育総合会議」を新設し、同時に国が教育委員会に是正指示する権限も盛り込んだ。この改悪案を今国会で成立しようとしている 「地教行法」の改悪は、二〇〇六年の教育基本法改悪に次ぐ教育体制と内容に対する根底的攻撃である。国家権力による教育現場への直接介入が行われようとしている。名称としての「教育委員会」は存続されるかもしれないが、自公案は事実上の教育委員会制度の解体である。教育現場はむき出しの「イデオロギー注入機関」として組織されんとしている。絶対に許してはならない! ●2 教育への直接介入を目論む国家権力 これまで教育委員会制度の改廃については、二〇〇〇年頃から経済界などから散発的に言及されることはあった。民主党政権時代にはじめて教育委員会の改廃を含む具体的な議論が行われたが、民主党の凋落とともにこのような議論は立ち消えになっていった。 教育委員会の在り方を巡った議論開始のメルクマールは、橋下大阪府知事による「教育基本条例」の登場である。 この「教育基本条例」なるものは教育現場に徹底した競争主義を導入し、さらに教育行政への権限の巨大化を通じて首長が一元的に支配・介入しようというものであった。その根拠法として改悪教育基本法があった。この条例案ではじめて教育委員会の実質的解体が具体的に提出されたのである。しかし条例案の実現は内外の抵抗にあい、その中身は紆余曲折を経た。だが、条例の形は多少変わったとしても初期の目的は貫徹されたと言ってよい。橋下が大阪市長に転身して以来、大阪府の教育委員会は意思決定が不能となり、教育委員会制度は実質的には解体状況にある。 自民党と安倍が大阪の動きに刺激を受けたことは間違いない。自民党の「教育再生実行本部」の「中間とりまとめ」のなかでも「教育委員会制度改革」は大きな比重を占めていた。自民党は大津市の「いじめ問題」を口実にして、教育委員会制度の実質的解体に論議をすり替えてきたのだ。 自民党が主張する「教育委員会制度改革」のポイントの第一は教育行政の責任者を首長の任命する「教育長」に一元化することである。第二に教育委員会を独立委員会から「教育長」の諮問機関とし、第三に地方教育行政に対する国の介入の余地を拡大することにある。この第一、第二の内容は大阪において先行実施されているといっても過言ではない。首長と国家権力による教育の全面的支配が自民党の「教育委員会制度の改革」の本質である。 そもそも教育委員会制度とは、天皇のために進んで命をささげる「小国民」の育成として位置付けられていた戦前・戦中の教育を反省して設定された制度である。 敗戦直後の一九四八年制定の教育委員会法は、四七年制定の教育基本法と並んで戦後「民主主義教育」の根幹を形成する法規となるはずであった。実際、旧教育委員会法の第一条には「教育は不当な支配に屈することなく……公正な民意により地方の実情に則した教育行政を行うために教育委員会を設け……」と、教育基本法の精神を保障する制度として設定されていたのである。教育委員は選挙よって任命され、独自の予算と執行権を有していた。すなわち、国家をはじめとする行政権力から教育の自主性を担保しようとしたのである。そして、この担保の基本的モチーフが天皇制教育に対する反省であったことは間違いない。 しかし六〇年安保を目前にした一九五六年に教育委員会法が廃止される。当時、政府が教科書法案と並んで教育委員会法の廃止と「地教行法」を国会に上程した。日教組や野党・革新勢力は「教育の国家統制の強化」として強力な反対運動を展開した。しかし結果として、教科書法案は廃案とはなったが「地教行法」は成立することになったのである。現行の教育委員会制度はこのときに成立した「地教行法」を根拠とするものだ。現行教育委員会制度を改廃するということは、制度の改悪であればこそ「改正」「改良」などというものではけっしてありえない。 われわれは現行教育委員会制度そのものにけっして賛成するわけではない。現在の教育委員会の多くが、実際上は国家権力の下請け機関に成り下がっていることもまた事実である。しかしながら現行教育委員会制度が形式上は行政権力から一線を引いた意思決定機関としてあり、そこから委任を受けた教育長が実務を執行するという体裁は維持されてきたことは確認しなければならない。すなわち教育委員会は行政権力から相対的に独立してあり、その実務―教育行政は教育委員会の管理下に位置付けられていた。教育委員会制度の解体とはこうした制度を逆転させることである。首長が人事権を握る教育長を教育行政のトップに据え、教育委員会を付属機関化するといういうものだ。すなわち地方行政権力・国家権力と教育行政の一体化である。国家権力・地方行政権力による教育現場への直接的介入以外のなにものでもない。 われわれは、現行制度を改廃し教育行政を首長や国家権力の意のままにしようという思惑には断固として反対していかなければならない。そしてまた教育委員会制度という枠組みを解体することは、戦後「民主主義教育」の地平を解体・清算することをも意味するのである。すなわち安倍の主張する「戦後レジーム」からの脱却の実体化であり、第一次安倍政権が強行した改悪教育基本法の貫徹である。そしてここで言う「戦後レジーム」からの脱却とは、改憲攻撃を初めとする新たな戦前の創出であることは言うを待たない。教育委員会解体攻撃もかかる観点から論じられなければならない。 教育委員会制度解体攻撃に反対しよう! ●3 反「君が代」不当処分弾劾! 事実上の軍事教練を許すな 安倍の「教育再生」攻撃は戦後「民主主義教育」の解体を策すことである。それは表裏一体的に闘う教職員の現場からの排除を貫徹しようということでもある。同様にそれは改悪教育基本法路線の本質でもある。そして東京都教育委員会(都教委)はこの路線を先取りし、国家権力の忠実な先兵として立ち振る舞ってきたことを確認しなければならない。 〇三年十月二十三日都教委は、「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」(通称、一〇・二三通達)という通達を出した。以降、なりふり構わない姿勢で「日の丸・君が代」を教育現場に強制し、これに反対する多くの教職員に対して不当処分を乱発してきた。 昨年十二月十七日、都教委は八年前の不起立について改めて「戒告処分」を当該教員に出した。これは前代未聞の「再処分」攻撃であり、「二重処分」攻撃である。徹底して弾劾しなければならない。 〇五年の卒業式で不起立を闘った教員に対して「減給処分」が出された。しかし昨年九月の最高裁で処分内容が重すぎるという判決がだされた。この時点で「減給処分」は取り消しになったのだが、都教委はあろうことか昨年の十二月にあらてめて当該教員七名に「戒告」の処分を下したのだ。八年も前の事象における再度の懲戒処分の発令など前代未聞の「珍事」である。これが刑事事件であれば、あきらかに「一事不再理」という二重処罰の禁止に触れる暴挙である。 裁判闘争に敗北した都教委は、この再処分で巻き返しをねらっていることは明らかだ。さらに「君が代」に対する不起立・強制反対闘争を何が何でも根絶やしにしたいという意思の表れでもある。 「一〇・二三通達」から十年たった現在においても、教職員の闘いは頑強に続けられている。逆に言えば、十年たってもなお都教委は闘いを鎮圧できないでいるのが現実である。前代未聞の再処分攻撃も都教委のあせりの表れに他ならない。追い込まれているのは都教委である。 教職員による反「日の丸・君が代」をはじめとした闘いが改悪教育基本法の実働化を阻止してきたことは間違いない。前述した教育委員会解体攻撃も、教職員の闘いをいかに圧殺するのかという文脈での発想である。実際、教育委員会解体のひな型となった大阪の教育条例案は明確に「日の丸・君が代」の強制を目的としたものであって、これに反対する教職員を現場から排除するのが目的であった。そのための教育現場における知事権限の強化であった。 教育委員会解体策動には、教育現場の闘いを鎮圧できない教育委員会にたいする権力サイドの苛立ちが透けて見える。 卒・入学式における不起立を含むあらゆる抵抗と各種裁判闘争は確実に前進している。であるからこそ、これをたたき潰そうというのが国家権力の至上命題でもある。われわれは「日の丸・君が代」強制に関連する教職員へのあらゆる処分に反対し、闘う教職員と連帯し、安倍「教育再生」攻撃と闘ってこうではないか。 そして一方において都教委は、「防災」に名を借りた事実上の「軍事教練」に都内生徒を動員しようとしている。 昨年七月、田無工業高校生徒約三十名が、自衛隊朝霞駐屯地で自衛隊員主導による二泊三日の「宿泊防災訓練」に動員されている。この「宿泊防災訓練」では自衛隊員が直接生徒に「行進訓練」「非常呼集」を指導した。ちなみに「行進訓練」「非常呼集」はともに軍事用語であり、「非常呼集」は深夜に叩き起こされる訓練のことである。「防災」と名付けられてはいるものの、訓練のなかみは限り無く「軍事訓練」に近いものだ。通常、軍人が生徒に軍事訓練を指導することは「軍事教練」と呼ばれる。田無工業高校の自衛隊朝霞駐屯地での宿泊型「防災訓練」は、事実上の「軍事教練」に他ならない。 さらに問題なのは、この「訓練」が都教委の全面的支援のもとに実現された「訓練」であるということだ。建て前上、この「訓練」は都教委が当該学校(田無工業高校)からの要請に応えたということになっている。が、一都立学校校長がこのような判断ができるはずもなく、あきらかに都教委が方針を出してていることは間違いない。実際、「訓練」にかかった費用の一切は都教委から出されている。 また、昨年の東京都総合防災訓練の現場(あきるの市)では特別ブースを設け、田無工業高校の「経験」が紹介されている。さらに都教委は昨年十二月に全都立学校から一名以上の参加を義務付けた防災サミットなるものを開催し、この防災サミットで田無工業高校の「経験」を普遍化しているのである。都教委による「防災」に名を借りた事実上の「軍事教練」が児童・生徒を巻き込みながら着々と進行しようとしている。 現在、都教委が推し進めている東京都の教育行政の柱は、反戦・人権を掲げ闘う教職員に処分を乱発し現場から排除しようとすることであり、一方で、子どもたちに「防災」という名の事実上の「軍事教練」を強要しようというものである。 改悪教育基本法路線―「愛国心」教育の先兵たる都教委を許すな! 闘う教職員とともに都教委包囲の闘いに立ち上がろう! ●4 竹富町への「是正要求」弾劾、教科書改悪と闘おう そして都教委のような教育委員会もあれば、国家権力による不当介入に抵抗している教育委員会もある。 三月十四日、文部科学省は沖縄・竹富町教育委員会に「是正要求」を出した。竹富町が八重山地方採択地区協議会が選んだ中学公民教科書を拒否して、別の教科書を使っていることが理由である。これに対して町側は「要求」に従わない意向を明らかにし、二〇一四年度も独自で選定した教科書を使うことを決定している。 二〇一一年、八重山地方の採択地区協議会は中学公民教科書に、いわゆる「つくる会」系とされている育鵬社版を採択した。しかし竹富町が採択方法の問題や米軍基地のとり扱われ方の観点からこれに反発。同町教育委員会は東京書籍版を独自に採用することを決定した。政府は竹富町だけを教科書無償配付の対象から外すなどの悪辣な育鵬社版教科書強要攻撃を激化させてきたが、町民の闘いはこれを跳ね返してきた。 文科省は昨年十月に県教育委員会に「是正要求」を指示しているが、今回は県教委を頭越しにした直接の「是正要求」である。「是正要求」自体にはなんら法的拘束力がないとはいえ、国が市町村に直接「是正要求」を出すことは初めての事態である。明らかに国家権力による政治介入であり、不当な圧力を竹富町にかけてきたのだ。 八重山地方は先の沖縄戦において日本軍による住民の強制移住が行われ、約三千人がマラリヤで死亡するという経験をもつ。こうした歴史をもつ八重山地方の竹富町が育鵬社版教科書に反発するのは当然である。「平和の大切さを教えることが教育の役目だ」と言い切る竹富町教育長や町民にとって、育鵬社版公民教科書は沖縄の歴史と現実を余りにも反映させていない教科書なのだ。 そして、こうした竹富町の闘いは現行教育委員会制度が根拠になっていることを確認しなければならない。現行教育委員会制度が行政権力と一線を引く制度であるからこそ、教育行政として国家権力と闘う余地があるのだ。これが解体されれば、竹富町ような闘いを展開することが困難になることは明らかだ。そして、教育委員会制度解体のモチーフには竹富町のような闘いを押し潰す意図もあるということだ。 一方、教科書の内容それ自体が領土拡張主義に改編されようとしている。政府―文部科学省主導による教科書の「つくる会」化が進行しようとしている。 本年一月二十八日、中学・高校向け学習指導要領の解説が改定された。この解説は文科省が教育現場や教科書編集の指針として作成するものである。今回改定においては独島(竹島)・釣魚諸島(尖閣諸島)に関する記述を追加している。中学社会や高校地歴・公民で両諸島を「わが国固有の領土」と教え、「国際法上正当な根拠で領土に編入」した歴史などにも触れるとしている。また、独島(竹島)に関しては「韓国が不法占拠」という内容で教える。これまでの教科書では釣魚諸島(尖閣諸島)については記述はなく、また独島(竹島)も高校教科書での記述はなかった。 われわれが確認すべきは、歴史的に誤っている主張にもとづいた領土拡張主義は必然的に差別排外主義を育成するということである。率直にいって、「韓国が不法占拠」しているなどいうデタラメな主張を教科書に記載することによる青年・学生層に与える影響は少なくない。政府―文科省みずからが排外主義を扇動しているようなものである。 今回の学習指導要領解説の改定―教育現場に対する領土主義の強調は、文科相下村の主導で強行されたものであり、安倍政権としての意向が反映されている。安倍と文科相下村は教育内容そのものを「つくる会」の中身にしようとしているのだ。 安倍政権による教育内容への介入を許すな。排外主義教育に反対していこう。 ●5 プロレタリア国際主義を掲げ「教育再生攻撃」と対決しよう 日本の戦争国家化と改憲を目指す安倍政権にとって、教育の根底的改編が必須の課題であることは間違いない。「戦争は教室から」という言葉にあるように、国家権力が労働者階級人民の戦争動員を貫徹しようとするならば、教育内容と体制をその根底から改編せざるを得ないのである。教育委員会解体もこの流れにある。われわれは安倍「教育再生」―改悪教育基本法路線を改憲・戦争国家化攻撃そのものとして闘っていこう。 改悪教育基本法の要である「愛国心」教育は一体的に排外主義を育成する。この間の差別排外主義が流布してきた根拠の一つとして、教育の問題があることは間違いない。「戦後民主主義教育」の清算と一体的に教育現場に導入されたのが「日の丸・君が代」であり、「愛国心」であり、領土主義である。それらが排外主義的民族主義の背景にななっているのは明らかである。 教育現場と内容に差別排外主義との闘いを反映させることが問われている。それは労働者階級人民を戦争動員―権力の側に組織させるのか否かの闘いである。われわれは差別排外主義には国際主義を対置して闘う。故に、われわれは教育現場に国際主義の観点を持ち込んでいかなければならない。アジア人民と具体的実践的に連帯する闘いを、安倍「教育再生」攻撃に対する闘いの路線として確定しいこうではないか。アジア人民との具体的交流の中身に、排外主義教育の狭さを実践的に突破する根拠があるのだ。そしてこうした闘いは、闘う教育労働者との共同した闘いとして位置付けられなければならない。日教組以来の「教え子を戦場に送るな」という精神を継承せんとする教育労働者の闘いと、アジア人民との実践的連帯を基軸とする国際連帯運動の思想と実践の結合が「教育再生」攻撃との闘いで問われているのである。 すでに九州地方において、韓国民衆との連帯運動が地域教育労働者とともに実現されている。この運動の組織化の過程において、あらためて日帝による侵略戦争の実相に触れ、同時に韓国民衆の闘いに触れた教育労働者が、反戦運動の先頭に立つことの意義を確認している。その実践的帰結として岩国基地をはじめとする反基地闘争に教育労働者が決起していく構造がつくられつつある。この闘いの地平を全国で普遍化しなければならない。 プロレタリア国際主義を掲げ、安倍「教育再生」攻撃と闘おう! 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