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■安倍内閣の朝鮮学校「無償化」排除を弾劾する! ●1章 3・31日比谷野音集会の成功かちとられる 三月三十一日、東京・日比谷野外音楽堂で行われた「朝鮮学校はずしにNO!すべての子どもたちに学ぶ権利を!」集会は会場を埋め尽くす人々で一杯となり(主催者発表六千名)、日本政府・安倍内閣弾劾の声であふれた。日比谷野音には在日の学生、子供たち、保護者、教員そして日本の支援者が参集し一体となり、かつてない闘いとなった。排外主義右翼らの悪らつな敵対はあったが、怒りの声は彼らを圧倒し跳ね飛ばしてデモも貫徹された。 そもそも高校の全無償化政策は、二〇一〇年民主党・菅政権の目玉政策として行われたが、同年の朝鮮民主主義人民共和国による「ヨンピョン島砲撃事件」を口実に、民主党政権は、朝鮮高級(高校)学校だけに支給を保留し続けるといった前代未聞のことをやりつづけた。その間膨大な書類審査や、学校自体の適正調査も終わっており、教育機関として問題ないことがはっきりしていたのである。国家が差別を容認し実行するなど、民主党政権が自分たちの不条理な政策に責任を取ることなく倒れたのは、ある意味では当然ではある。だがその後登場した安倍・自民党政権はより差別を徹底する攻撃をかけてきた。 安倍政権がまずやったことは「無償化」にともなう「省令」を改定したことだ。これまで文部科学大臣が認可した学校全てが「無償化」対象校あったものが、その条項を削除して、最初から朝鮮学校を外すことができるように法律を変えてしまったのだ。朝鮮学校無償化を上から暴力的に中止し、国家自らが差別・選別を可とすることを認めてしまったのだ。前代未聞の行為である。もちろん国会審議などは行われず、文科省がアリバイ的にモニタリング募集を行い、賛否はほぼ半々などとの発表で改定するといったふざけた対応で終わらせたのだ。自分たちが日本社会から排除されることを享受しなければならない生徒たちの怒り・悔しさははかりしれないものがある。 集会発言で登壇した学生は「こうした排除は道理とか正義がまかり通る社会ではない。政治的対立や国家間の対立の犠牲者になるのではないかと怯えてもいます。どうして私たちを差別するのですか」と怒りと無念の思いを語った。また保護者の一人は「在日の教育権が奪われようとしている」と今の日本の現状に危機感を訴えた。いまこそ民族教育を保障し、「無償化」実現のために奮闘しなければならないことを強く決意させる集会であった。 いま全国で「無償化」要求が闘われている。三月二十四日の大阪の集会には三千名もの人々が集まり、集会・デモがかちとられている。また地方自治体の助成金打ち切りも許さない闘いも活発化している。差別・排外主義者が社会を牛耳るのを許してしまうのか否かの闘いでもある。こうした状況が三年目に入る朝鮮学校「高校無償化」実現運動は新たな闘いの段階に入ったといえる。3・31集会の成果を引き継ぎ、さらに連帯を強め闘おう。 ●2章 安倍の省令改悪弾劾、「無償化」ただちに行なえ 去る二月二十日に行なわれた「省令」の改悪はまったく許すことのできない暴挙だ。この省令では「高等学校の課程に類する課程を置く」外国人学校として三つの類型を定めているのだが、そのうちの(ハ)の規定、すなわち文科大臣の指定したものをという条項を削除したのだ。朝鮮学校はそもそもが民族教育を奪おうする日本政府が正式に学校として認可しないまま、各種学校として文科大臣が認定してきたのだ。その条項を削除することは朝鮮学校を最初から学校として認めない、すなわち「無償化」の対象にしないというとんでもない改悪なのだ。在日韓国・朝鮮人は戦後解放直後から守りつづけ、日帝の植民地支配で奪われた言葉や文字や歴史を文字通り命をかけて守り抜いてきた。日本政府もその存在意義を完全に葬りさることなど出来なかったのだ。「省令」の「改定」の一言で朝鮮学校を教育から排除するというとんでもない暴挙なのだ。教育の平等、機会・均等の保障は、人種や国籍にとらわれてはならないもので、憲法にも保障されたものであり、国際的な常識である。「省令」の改悪を徹底弾劾する。 またもや朝鮮学校の卒業生は、深い傷を負って卒業していった。かれらは学業や部活の他に街頭情宣や署名集めを行ってきた。母国朝鮮のことだけではなく、日本の歴史や社会の勉強を学びつつ訴えてきた。日本社会の差別と闘いながら、そうした差別をなくさねばならない日本国家から差別を受けるなどといったことがあってはならない。国際的にも人権侵害と弾劾されている。韓国からは「無償化」を求める五百団体を超える要請署名と激励文が届けられた。この大集会はより大きなうねりとなって広がっている。 こうした怒りを集約するものとして、学園の生徒を原告とする国家賠償請求の裁判が次々と提訴されている。「これは金の問題ではなく、なにが正義なのか」ハッキリさせる闘いなのである。自らをさらけださなければならない裁判は、非常に理不尽なものだろう。排外主義右翼どもの標的になるかもしれない。裁判に勝つことはもちろんのこと原告の若者たちを防衛していかなければならない。また同時に粘り強く対文科省、内閣交渉を続けていかなければならない。世論を盛り上げることが裁判の勝利にもつながる。三年目新たな段階に突入した「無償化」実現運動を断固として闘おう。 ●3章 安倍の歴史歪曲許すな、差別排外主義攻撃打ち砕け 第一次安倍内閣は二〇〇六年に登場した。安倍は「戦後レジューム」からの脱却を掛け声に、憲法改悪を掲げ登場した。小泉政権ができなかった「普通の戦争のできる国家づくり」を命題とし、愛国心だとか誤った歴史認識を公然と披露し扇動してきた。それが民衆の批判にさらされると、サッサと政権を投げ出し、自ら汚れることを回避したとんでもない政権だったのだ。だが、またもや安倍は登場した。憲法改悪はもとより、自衛隊の国防軍化、集団的自衛権の容認、武器輸出三原則の撤廃などをやつぎばやに強行しようとしている。六十年日米安保の継続を強行し日米同盟の礎を作ったといわれる右翼岸反動内閣が亡霊のごとくよみがえったのだ。しかし安倍の登場が今日の新自由主義グローバリゼションの危機的状況のなかで、まさにブルジョアジーの救世主としての役割を担って登場していることを見逃してはならないだろう。 安倍は、復興もままならず、放射能汚染の恐怖のなかで生活している福島県民の状況を目の前にして、原発の再稼動を明言している。なんという恥しらずなことだろう。まずは「福一」「福二」の原発の廃炉を宣言するのが先だろう。また沖縄の全市町村が反対しているオスプレイ配備も強行した。辺野古の新基地建設も強行してきている。安倍の民衆の声を全く無視する政治はファシズムそのものだ。また安倍の歴史観は、まったく右翼と同じであり危険きわまりない代物だ。朝鮮植民地化の反省も在日朝鮮人の痛苦な歴史なども意に介さないだろう。いとも簡単に「無償化」からの朝鮮学校の排除したことが安倍の本質をあらわしているではないか。 安倍が提唱する「アベノミクス」なるものはグローバル資本主義の危機を救済するためだけの政策だ。金をばらまいてブルジョアジー・大企業だけが生き残るためだけの金融政策だ。それは経済破綻で崩壊寸前にあるヨーロッパの諸国家を見れば分かることだ。今日の実体無き金融バブルは常に恐慌不安を呼び起こしている。そして労働者階級の徹底した搾取でしか生きのびれない日帝は、アメリカ帝国主義に従属しながらも、一方で巨大中国市場を見据えながら生き残りをかけてうごめいている。まさに朝鮮半島の不安定は、安倍政府にとっては格好の要因である。軍事大国化は力で世界市場を渡りぬくための必要条件なのだ。「戦争の出来る」国家作りが安倍の最終目標なのだ。 そうしたなかで、この「無償化」からの朝鮮学校の排除が生まれ、排外主義を煽るものとして徹底的に利用されてきたのだ。さらに問題なのは地方においても朝鮮民主主義人民共和国に敵対的な自民党などが「拉致問題」と絡めながら、わずかな額でしかない補助金までも支給停止しようと煽っているのだ。残念ながら安倍政権になり地方自治他の補助金カットが続出している。これまでの東京都、埼玉県、千葉県、宮城県、大阪府にくわえて大阪市、水戸市、福岡市、神奈川県、広島県などが打ち切りを強行してきているが、全国にひろがることが懸念される。まさに国家が差別を先導していることが右翼や保守政治グループを鼓舞し、いきおいづけさせている。なかでもファシスト橋下大阪市長は、朝鮮学校の敷地まで返還をせまることまでやってきているだ。まさに、民族教育を消滅させる、すなわち在日朝鮮人そのものをも抹殺しようとする攻撃にほかならない。この根底には朝鮮人差別があり、歴史歪曲による排外主義扇動の目論見があるのだ。補助金打ち切り攻撃を阻止していこう。 安倍はかって「慰安婦問題」はなかったという発言をした。歴史の歪曲も平気な差別・排外主義者なのだ。国のトップが差別を煽りヘイトスピーチをまきちらしているのだ。まさに朝鮮学校への「無償化」を実現することは、侵略戦争の歴史を認め、在日の人権と権利を断固として防衛することなのだ。安倍内閣を徹底批判し「無償化」を実現しよう。 ●4章 「無償化」の実現まで闘いぬこう 排外主義右翼の横暴は目に余るものがある。かれらは一貫して在日朝鮮人を標的にし、聞くに堪えないヘイトスピーチを振りまいている。この「無償化」問題を格好の攻撃材料として使い敵対している。学校に押しかけ、子供たちに恐怖をもたらしている。東京ではコリアタウンが攻撃対象となり民衆の分断を作り出している。領土問題を意図的にさらけだして排外主義をあおっている。まさに「戦争と排外主義」はメダルの裏表であるのだ。貧困と格差社会が排外主義的若者を生み出しネット右翼として組織化されている。取るに足らない勢力とはいえ、在日朝鮮人襲撃や、外国人排斥を叫び続けさせることを許してはならない。 裁判闘争も含め、闘いは新たな段階に入った。「無償化」を実現できるか否かは、日本社会が差別を許さず、人権を守りぬける社会を作れるか否かの試金石ともいえる。さらなる運動の発展に努力し、頑張ろう。 |
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