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   反原発闘争のさらなる発展で全原発を停止―廃炉に

   日帝―野田政権の原子力政策を打ち破れ

              




 三月十一日の東日本大震災と福島第一原発事故からすでに八カ月が過ぎた。いまだに、福島第一原発の事故は収拾の目処がたっていない。放射能被害は拡大し続けている。福島の子どもたちをはじめ、多くの人々が放射能被害にさらされている。こうしたなかで、全国で多くの人々が反原発闘争に立ち上がってきた。だが、菅首相から野田首相へと移った民主党を中心とした政府は、いまだに、原発との決別を明確にせず、それどころか、原発の再稼働や原発輸出の推進を続けている。福島の子どもたちの多くが内部被曝をしている事実も明らかになっている。放射能汚染地域が広範に存在することが明白となり、野菜や米、牛肉、魚、さらには中古車などを含め、放射能汚染はありとあらゆる形で拡大しつつある。なんとしても、一刻も早くすべての原発を廃炉にさせること、原子力に依存することのない再生可能エネルギー政策への根本的転換を実現すること、そのために、反原発闘争の全人民的政治闘争としての発展をより一層、前進させていくことが求められている。そのためには、反原発闘争のどのような発展が問われているのだろうか。本稿が、今後の反原発闘争のさらなる前進の一助になれば幸いである。


  ●1章 全人民的闘いへと拡大する反原発闘争

 三月の福島第一原発事故以降、全国で多くの人々が反原発闘争に立ち上がってきた。世論調査においても、原発推進政策からの転換を求める声が多数を占めるようになり、こうした世論を背景に、全国で反原発集会やデモへの参加者がかつてなく拡大してきてきた。六月十一日を山場とする全国アクションの開催に続き、九月十一日―十九日を再度の山場とする全国アクションが、「さようなら原発一〇〇〇万人アクション」主催の東京の六万人集会デモ(十九日明治公園)を筆頭に全国十万人以上の参加者で取り組まれた。反原発集会などがほぼすべての都道府県で取り組まれ、これまでにこうした集会などがなかった市町村でも新たに反原発の声があがってきた。福島でも公然と反原発集会やデモが開始されてきた。放射能汚染に農産物をさらされた農民たちの怒り、無念さ、子どもたちが受けている内部被曝への恐怖、それでもなお、「ただちに健康に被害はない」と強弁し、汚染測定や汚染除去に何の手だても取らない政府、こうした政府への怒りが拡大してきた。経済産業省に対する直接抗議行動、東京や大阪、福岡などでの主要都市では、東電や関電、九電などの各電力会社に対する直接抗議行動も恒常的に取り組まれてきた。なかでも、特に特徴的なことは、女性たちの立ち上がりや主要都市における若者の立ち上がりである。また、これまでに集会やデモなどに一度も参加したことがなかった多くの人々が立ち上がりだしたことにある。あらゆる諸階級諸階層の内部に、放射能汚染への怒りと反原発の声が広がりつつある。そして、こうしたことを背景に、原発の是非をめぐる国民投票を求める運動や、新たな環境政党の形成に向かう動きなど、さまざまな動きが開始されている。
 一方、世界各国地域でも、福島第一原発事故によって、反原発闘争の高揚が各国地域を席巻した。ドイツ、イタリア、スイス、フランス、アメリカ、さらに、韓国、フィリピン、台湾、インドネシア、インド、タイなど、アジア諸国地域でも、福島第一原発事故を受けて、反原発闘争がより広範にたたかわれだしている。ドイツでは、原発からの撤退へと向かうことを政府に決定させ、イタリアでは国民投票によって原発との決別が選択された。こうした諸国での政府の決定(その内容に不十分な面があるにしても)には、民衆による広範で激しい反原発闘争の蓄積と爆発があった。
 そして、日本、世界諸国地域を貫くこうした流れのなかで、日本共産党も、これまでの「原発からの段階的撤退」から「すみやかな撤退」へとその態度を変化させた。また、ブルジョアジーの一部も、ソフトバンクの孫社長のように、再生可能エネルギーに新たな資本投下先と市場を見いだし、公然と原発からの決別を訴えている。城南信用金庫なども原発との決別を社として宣言している。原発推進を公然と要求してきた連合指導部も、原発推進の旗を表向きは降ろし、原発推進政策を再検討するなどとしている。だが、連合指導部などは、反原発の世論の拡大と高揚を前に、首をすくめただけにすぎない。いずれにしろ、反原発世論の高揚と反原発闘争の拡大こそが、こうしたさまざまな勢力に原発問題をめぐる態度の変化を強制してきたのである。


  ●2章 政府の欺まんと原発推進

 一方、政府と電力独占資本を先頭とする原発推進派は、こうした反原発闘争の拡大を前に、極めて欺瞞的な態度に終始してきた。菅前首相は、原発「安全神話」が完全に崩壊し、原発に対する批判が拡大するなかで、浜岡原発の運転停止を指示した。だがそれは、津波対策として防潮堤を建設するためであり、二年後には運転再開をすることを前提としたものであった。浜岡原発は、予測される東海、東南海、南海地震の被害に直撃されることが明らかであった。それ故、浜岡原発に対する批判は高まってきた。菅前首相は、こうした声をもはや無視できずに、かつ、こうした世論を懐柔するためにのみ、運転再開を前提とする一時停止に踏み切ったにすぎなかった。続いて、菅は、「脱原発」を表明した。だが、これも、すぐに、「個人の意見にすぎない」「内閣の態度ではない」と弁明に終始し、さらに、「脱原発ではなく減原発」だ、などとトーンダウンさせることに躍起となった。同時に、菅おろしで四面楚歌となるなかで、菅は、「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法(再生可能エネルギー買取法)」の成立を退陣の条件の一つとした。だが、これも、原発廃止を意味するものでも何でもない。原発と並んで、再生可能エネルギーの拡大も!ということなのである。しかも、この法律でさえ、再生可能エネルギーの導入目標や実施期限さえ何も決められていないばかりか、「当該電気事業者の利益を不当に害するおそれがあるとき」は買取を拒否できる(四条)のであり、「当該電気事業者による電気の円滑な供給に支障があるとき」は接続も拒否できる(五条)というとんでもない代物なのである。すでに北海道電力は、風力発電の接続拒否、買い取り拒否を表明している。こうした一方で、八月五日には、原発輸出の継続を菅政府は決定しているのである。菅の「脱原発」なるものは、あらゆる意味で、まったくの欺瞞であった。
 そもそも、菅政権のもとで民主党政府は、昨年二〇一〇年に「エネルギー基本計画」を閣議決定しているが、そこでは、二〇三〇年には総発電量の50%を原発でまかなうために十四基以上の原発を新増設する、また、原発の海外輸出も積極的に推進するという、自民党を上回る原発推進方針をとってきた。そして、菅自らが、ベトナムへの原発輸出を取り付け、これを外交上の成果として自慢していた。そして、こうした民主党の原発推進を強力に後押ししてきたのが、電力独占資本と固く結びついた部分であり、その代表例が、東電をはじめ電力会社労組で形成する「全国電力関連産業労働組合総連合(電力総連)」の組織内候補である。その内の一人、藤原庄司参議院議員(関電労組出身)などは、福島第一原発事故後も「再生エネルギーなどたかがしれている。原発は欠かせない」と公言しているのである。
 菅退陣を受け、新たに首相となった野田の場合は、その欺瞞的態度もまた悪質である。野田は、首相就任演説で、「脱原発か原発推進かの二項対立でとらえるのは不毛だ」「長期的には原子力への依存から再生可能エネルギーへの比重をできるかぎり拡大していく」と政府の態度・方針を説明し、来年の夏を目処に、新たなエネルギー計画を確立するとしている。同時に、原発再稼働を進め、原発輸出も進めることも宣言し、ベトナムへの原発輸出について、菅を引き継ぎベトナム政府との正式合意を発表、インドとの原子力協定推進も決定するなど、矢継ぎ早に原発輸出にむけて動きを活発化させた。野田首相だけではない。福島第一原発事故とその後の反原発のうねりを受けて、原発推進派の一部に見られる詭弁は、もはや共通している。曰く。「長期的には原子力依存政策から再生可能エネルギーへと転換していくことは当然のこと」「ウランも有限であることは自明のことだ」等々。原子力資源も有限であることから、原子力への依存政策から再生可能エネルギーへの転換を、あたかも、自然法則の如くに自明のこととするこうした主張は、実は、原発からの撤退を回避し、ただ一点、すなわち、実際には、原発の維持・推進のみを目的とするもの以外のなにものでもないのである。しかも、日本政府の場合、各国が撤退したにも係わらず、高速増殖炉もんじゅ(核燃料サイクル計画)にしがみついている。しかも、その目処がたたないために、代替案としてのプルサーマル運転に踏み切ってきたのである。そして、高レベル放射性廃棄物の処理さえ確立せず、莫大な高レベル放射性廃棄物を、十万年という気の遠くなる管理下におくことを前提とせざるをえないという政策自身が、そもそも、根底から誤っているのであり、原子力政策そのものの最初からの破綻を意味しているのである。福島第一原発事故を招き、未曾有の放射能被害を引き起こし続けているにもかかわらず、いまだに、原発に固執し、核燃料サイクルに固執するのが、日本政府と電力独占資本なのである。


  ●3章 反原発闘争をより広範な闘争におし上げよう

 政府のこうした態度を許さず、反原発の全人民的政治闘争をさらにより深くより広く発展させることが急務である。引き続き、あらゆる階級階層、老若男女の立ち上がりを促進していこう。あらゆる市町村で反原発の集会やデモを。あらゆる職場、学園、地域、街頭で、反原発のうねりを作り上げていこう。政府の工程表などまったく当てにならない。メルトダウンへと至り、底の抜けた原子炉で「冷温停止」などありえないにもかかわらず、政府は、本年中の「冷温停止」で事態が収束していけるかの如く宣伝している。実際は、放射能が日々たれ流されているのであり、放射能汚染水が地下に漏れ続けている可能性が高い。政府も原子力安全委員会も東電も、メルトダウンした炉内の状況を把握などしていないのである。現に二号炉では今も核分裂が起きており、再臨界が起きている可能性が高い。そして、次々と、あらゆる領域で、被曝線量の基準値をつり上げ、人々に被曝を強制しながら、「健康に影響はない」と言い続けてきたし、現在もそうである。原子力損害賠償法も東電の維持・防衛のため以外のなにものでもない。政府や原発推進の地方自治体首長や御用学者たちは、放射能などたいしたことはないという大キャンペーンを繰り広げてきた。山下俊一(現福島県立医大・副学長)は、「放射能被害はくよくよしている人のところにくる。笑っている人のところにはこない」「年間一〇〇ミリシーベルトまでは大丈夫」などと公言してきた。しかも、こういう人物が、震災後、福島県放射線健康リスクアドバイザーに就任しているのである。日々、被曝を強制され続けている子どもたちを含むすべての人々に対し、また、放射能の恐怖におびえる人々に対して、微量の放射線量ならばむしろ体によいなどというホルミシス効果説(微量の放射能は無害どころか健康によいという説)さえ流布し、人々を放射能になれさせようとし、たいしたことはないと思いこませようとしている(さすがに、公然とホルミシス効果を唱えるものは首をすくめているが、ここまでなら大丈夫だという「しきい値」を高めることでごまかそうとしている)。だが、こうしたすべてが、逆に、ますます人々の怒りを拡大している。反原発の全人民的政治闘争のより広範な組織化のためには、こうした政府や原発推進派の宣伝が嘘であることを広範に徹底して暴露していく必要がある。放射能は生命体の破壊をその本質的属性とするものであり、ここまでは大丈夫などという「しきい値」など存在しない。だが、政府や原発推進派は、放射能などたいしたことはないと人々に思いこませ、慣れさえようとしている。緩慢なる殺人に他ならない。現に、政府は、被曝線量の基準を次々と引き上げてきた。子どもへの年間二〇ミリシーベルトの容認、福島第一原発で事故処理にあたる労働者への生涯二五〇ミリシーベルトへの引き上げ等々。また、放射能で汚染されたがれき処理の全国への拡散、さらに莫大な放射能汚染土は処理の目処さえたっていない。政府の無策は許し難い。そもそも、政府と原子力安全委員会は、事故直後、スピーディー(SPEEDI―緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)による放射性物質の拡散予測を公表せずに、放射性物質が大量に流れる方向・地域に人々が避難するのを放置した。のみならず、今日まで、ごまかしと嘘を続け、放射能に慣れさせようとし、一方で、放射線量の基準を引き上げるというやり方を繰り返している。絶対に許すな。人々の命を守るたたかいとして全人民の決起を実現していかねばならない。
 また、反原発闘争の全人民的政治闘争は、野田政権の新自由主義路線に基づく復興を許さず、被災者の生活再建を全面的に保障するたたかいと切り離せない。野田政権は、TPPへの加盟を強行しようとしている。これは、復興特区構想などと軌を一にしている。それは、中小農家や中小漁業を根こそぎ破壊し、国際競争に勝ち抜く大規模経営を導入することを目的としている。大地震大津波によって生活を破壊され、福島第一原発事故による放射能被害によって、被災者の生活はずたずたにされた。しかも、野田政権や東電などは、放射能被害への賠償をできるだけ軽くするためにあらゆる手段を駆使している。放射能汚染からの避難者もできるだけ「自己責任」とさせることを狙っている。復興増税など、被災者も含む人民からむしるだけむしり取ろうとしている。こうした野田政権と電力会社に対する全人民の怒りを徹底して拡大し、被災者の全面的な生活再建と反原発闘争を一つのものとしてたたかおう。
 さらに、全人民政治闘争の広範な組織化のために、これまでに原発建設を阻止してきた各地のたたかいや経験を共有し、これ以上の原発再稼働を許さず、また、上関原発をはじめ新規建設を阻止するために住民とともにたたかうことである。政府と電力独占資本は、決して、新規原発を完全にやめることを決定したわけでもなんでもない。反原発闘争が後退すれば、再び新規原発建設も押し進めようというのが本音なのである。また、政府と九電は、「やらせメール問題」で批判が高まっているにも係わらず、ついに玄海原発四号基の再稼働に踏み切った。原発建設を阻止するたたかいは、これまでも、住民のたたかいによって、六〇年代後半から七〇年半ばにかけて、東北電力の浪江・小高原発(福島県。東北電力はそれ以降も浪江・小高原発の計画をあきらめたわけではなかった。だが、福島第一原発事故によって事実上、この計画は消滅する。そして許し難いことに、この原発に反対してきた住民も福島第一原発事故による放射能汚染によって、ふるさとをまるごと失ってしまった)、中部電力の芦浜原発(三重県)、珠洲原発(石川県)、関西電力による珠洲原発、日置川(和歌山県)、久美浜(京都)などで原発建設を阻止してきた。こうしたたたかいは八〇年代以降にも引き継がれ、巻町(新潟県)や海山町(三重県)などでのたたかいの勝利をはじめ、各地での原発建設阻止へと続いた。これまでに、全国で二十五カ所もの原発建設計画を頓挫・中断させてきているのである。こうしたたたかいを引き継ぎ、これ以上の原発再稼働をなんとしても阻止し、上関原発をはじめとする原発建設策動を葬りさらねばならない。反原発の全人民的政治闘争を一層広範に組織していこう。


  ●4章 反政府、反資本主義、反帝闘争としての発展を

 こうした原発の全廃を求める全人民政治闘争のより広範な組織化と併せて、いま、問われていること、今後、問われていくことは、原発の即時全廃と再生可能エネルギー政策への転換を、政府に明確な政治決定とさせるたたかいを作り上げていくということにある。政府のあらゆる詭弁を許さず、内閣の閣議決定、国会での決議を行わせること、原子力基本法や電源三法などをすべて廃案とし、原発の全廃と新たなエネルギー政策をとっていく立法化を行わせることにある。明確な政治決定を避けた上での、「いつの日か脱原発」とでも言うべきあらゆる詭弁とごまかしをもはやこれ以上許してはならない。そして、このことを実行しない政府は、容赦なく幾度でも打倒していくというたたかいを明確にすることにある。すでに述べたように、「脱原発」ということが意味する内容は、今日では、大きな幅がある。原発推進派でさえも、原子力も有限だからいつの日かは脱原発だと言うのだ。しかし、それらはみな、実際はこれから何十年も、場合によったら何百年も原発を稼働させていくというのであり、次第に再生可能エネルギーなどとの「ベストミックス」をできるだけ原発依存を軽減していく方向でということに過ぎないのである。問題は、いますぐ原発をやめ再生可能エネルギーに根本的に転換することを政治決定させることだ。
 原発の全廃は、ブルジョアジーをして、原子力産業からの撤退と再生可能エネルギーをめぐる新たな投資と市場獲得へと向かわせることを不可避とする。それ自身は、資本主義社会の枠内で達成可能なことであることは自明のことである。だが、原子力産業を形成してきた各電力会社と東芝、日立、三菱重工、大手建設会社、これらの利益代弁者である政治家や経済産業省や文部科学省を中心とする官僚、原子力産業と結合した大学研究者、電力会社から莫大な利益を享受するマスコミ、強固な原子力村と言われる利益共同体の解体は不可欠である。また、そもそも原発は、日帝の核武装への野望にもとづいて出発した。それは、今日においても、将来の核武装への産業的・技術的条件を手放さないという策動と結びついている。こうした野望をうち砕かねばならない。
 にも係わらず、反原発闘争の全人民的政治闘争によって、ブルジョアジーに、原発の全廃を強制させることはまったく可能である。だが、それは、原発の全廃を政治決定することを避けようとするいかなる政府をも打倒していく反政府闘争として組織していくということなしには実現できないのである。だから、菅前首相の「脱原発」や、大阪の橋下や平松などの「脱原発」に期待や幻想を抱くようであってはどうしようもない。「維新の会」なども「脱原発」を標榜しているのだ。しかし、今日の反原発闘争の内部には、こうした連中が「脱原発」を言えばそれに期待するような質さえ広範に内包されているのもまた事実である。こうした現状を変革し、反原発の全人民的政治闘争をあくまで反政府闘争として推進せねばならない。そのためには、反原発闘争を全人民的政治闘争として一層広範に前進させること、同時に、その質を反政府闘争として変革していくこと、そして、当然、政府や電力独占資本に対する実力闘争を含むたたかいの戦闘的発展を実現していくことが必要である。そして、そのたたかいは、原発を推進し、総括原価方式(電気料金は、発電・送電・電力販売にかかわるすべての費用を原価とし、その上に、電力会社の利潤を一定の比率で上乗せして決まっている。建設費用などが高い原発を作れば作るほど自動的に儲かる仕組みなのである)などによって保障される莫大な利潤を約束された電力独占資本と、その政治的代弁者である自民党や民主党のブルジョア政党に対する真正面からのたたかいとして、あくまで資本主義に対する闘争として発展させねばならない。それは、貧富の格差の拡大のなかで増大する相対的下層労働者の生活のためのたたかい、被災者の生活再建のためのたたかい、これらと反原発闘争を一つのものとして、新自由主義に対するたたかい、資本主義に対する闘争として発展させることなのである。
 また、資本主義に対する闘争として、政府と東電による被曝労働にさらされる労働者の切り捨てを許さずたたかわねばならない。福島第一原発事故処理に働かさられる労働者の大半が非正規雇用労働者であり、被災者も多い。原発労働者の場合、下請け、孫請けどころか、十次にも至る。政府は、福島第一原発で事故処理にあたる労働者の被曝線量を引き上げ(生涯二五〇ミリシーベルト)、東電は、非正規労働者に危険を押しつけ、まったくの無権利状態で被曝にさらしている。七月十四日『朝日新聞』によれば、この段階までの福島第一原発で働いた労働者六千七百九十二人のうち、六人は事故後四カ月で被曝線量は二五〇ミリシーベルトを越えている。三月~四月に働き始めた千五百四十六人はそもそも未検査であり、三月に働いた労働者のうち、十四人とは連絡も取れず、四月から働いた労働者のうち、百十八人と連絡がとれないという。そのすべてが、末端で働かされた下請け労働者であるからである。ここでも、電力総連の犯罪的役割は重大である。反資本主義闘争および労働運動の課題として、被曝労働を余儀なくされる非正規労働者の健康と権利を守るたたかいが進められる必要がある。また、反原発闘争の内部には、反資本主義運動、反貧困運動への指向性を有した若者たちも存在しており、各地でたたかいに立ち上がっている。こうしたたたかいを支持しともに推進しよう。
 同時に、日帝の原発輸出を許さずたたかわねばならない。原発輸出問題は、日帝の帝国主義的側面をよく示している。日帝は、これまでに米・英など八つの国・機関と原子力協定を締結している。原子力協定は、原発輸出のための法的枠組みである。ロシア、韓国、ヨルダン、ベトナムとの原子力協定締結の案件が国会での承認を求めて提出されている。民主党政府は、菅のもとで、八月五日には、原発輸出の継続を決定。原発輸出のためにヨルダンとの原子力協定の締結にむけて国会審議を開始した(前国会では継続審議扱いとなった)。ヨルダンやベトナム以外にも、トルコ、リトアニアなどへの原発輸出が目論まれている。野田政権は、インドとも原子力協定の交渉を推進することを政府レベルで合意した。また、野田政権は、菅が行ったベトナムへの原発輸出の合意とりつけを引き継いで正式な政府間合意を決定させた。また、台湾の第四原発は、東芝、日立の原子炉、三菱のタービンで作られ、来年には試運転に入ろうとしている。
 福島第一原発事故以降も、民主党政権は、原発輸出をやめようとしないばかりか、ますますこれに拍車をかけている。福島第一原発事故で、国内では新規原発建設がやりにくくなったが故に、逆に、アジアをはじめとする諸国地域に原発輸出の攻勢をかけようとしている。福島第一原発が放射能をたれ流している今このときにである。絶対に許されることではない。さらに、日米などが共同で包括的燃料供給構想を推進し、使用済み核燃料をモンゴルに押しつけようとしている計画の存在なども暴露されている。原発輸出のみならず、自らが処理できない莫大な核のゴミを他国におしつけるなどもっての他である。原発と使用済み核燃料の再処理場などは、国内においても、地方に押しつけられ犠牲を集中させられてきた。モンゴルへの核のゴミの押しつけは、国際的にも同様の構造だということを示して余りある。絶対に許すな。アジア人民と連帯し日帝の原発輸出をなんとしても阻止しなければならない。
 反原発の全人民的政治闘争のより広範な組織化、および、その反政府闘争、反資本主義・反帝国主義闘争としての前進こそ求められている。


  ●5章 全ての核に反対する闘いを強化しよう

 原発であろうと核兵器であろうと、すべての核に反対するたたかいを強化せねばならない。核そのものが生存に対する敵対物であり、核と人間の共存などありえない。「原子力の平和利用」なるものがいかなるものであるか、スリーマイルが、チェルノブイリが、そして福島第一原発事故が、白日の下にさらけ出した。反原発は、核武装の産業的条件を一掃するたたかいでもある。日本の原発が核武装の野望と結びついて出発し、今日でも、原発に固執する部分のなかに、将来の核武装の条件を絶対に保持しようとする者たちが存在する。反原発は、核兵器に反対するたたかいともはや切り離せない。そして、それは、日帝の核武装の野望をうち砕くとともに、核で武装された今日の日米軍事同盟(日米安保)とのたたかいと固く結合されねばならない。日米軍事同盟とそのもとでの在日在沖米軍基地は、米帝の核攻撃の出撃拠点として機能する。そうだからこそ、反原発、反核、反基地闘争を固く結合してたたかわなければならない。
 発足した野田政権は、日米首脳会談でオバマから普天間基地問題の辺野古移設をはじめとする米軍再編を進めるよう強く要請された。これを受けて、野田首相は、次々と関係閣僚を沖縄に送り込み、自らも訪沖し、辺野古移設を強く迫った。そのために、本年中に環境アセスメントの評価書を提出すると宣言している。また、岩国へは防衛副大臣を送り、米軍住宅建設のために愛宕山の買い取り価格を提示した。政府は、日米軍事同盟の強化、米軍再編のために再び攻勢に入ってきた。絶対に許すな。岩国市民は、愛宕山を米軍住宅ではなく、東日本大震災の被災者の仮設住宅に使うべきだと提案している。こうしたたたかいを全面的に支持すべきである。反原発闘争と固く結合し反戦反基地闘争の一体的爆発をなんとしても実現しよう。「基地も原発もいらない!」を掲げるたたかいをより押し広げていこう。
 福島第一原発事故は、新たな被曝者を広範に生み出し続けている。原発事故の「収束」のために、原発労働者は日々被曝労働を強いられている。福島第一原発を中心に、福島県、そして、東日本全域が放射能汚染にさらされて、すべての人々が被曝を強いられている。とりわけ、子供たちの被曝は、健康、生命に取り返しのつかない被害を強いるものである。
 そして、この放射能被害を最も強く受けている福島の人々に対する差別事件が引き起こされている。放射能被曝という事態の責任は、政府―経産省、東京電力、そして、電機産業資本であるにも関わらず、この責任追及ではなく、被曝者を排除し差別する。許しがたい差別である。
 反原発闘争は、すべての原発を停止させ廃炉にさせていく政治闘争であるが、同時に、今も眼前で進行する、原発内部での核分裂反応、放射性物質の拡散、福島―東日本全域での被曝の継続という現実との闘争である。すでに生み出され、今も継続する被曝。現場の原発労働者こそが最も危険な被曝労働を続けさせられ、被曝地域で生活を再建し、生活を維持しなければならない現実を強いているものとの闘争である。
 9・19反原発六万人集会をはじめとして各地の反原発集会への福島の人々の決起、そして、十月二十七~二十九日に経産省を包囲した「原発いらない福島の女たち」の決起は、まさに、被曝の現実を告発し糾弾するたたかいであった。
 放射能拡散を一刻も早く止めさせ、放射能を除去させ、子供の安全な生活、すべての人民の生活を回復させるたたかいである。土、森林、海洋の回復なくして、人民の生活の復興はなしえない。政府、東電、電機産業資本は、すべての被曝者に対して、生涯にわたる補償をしなければならない。すべての事実を明らかにさせ、被曝の補償を絶対に行なわせる、そういう闘争である。
 最も厳しい状況におかれている福島の被曝者こそが、そして被曝労働者こそが、このたたかいの主体である。反原発闘争は、このたたかいへの連帯・共闘を軸心に据えなくてはならない。そして、同時にこれは、被曝者差別に対する闘争である。被害を受け続ける被曝者が差別され、被曝者が被曝者として立ち上がることをくじき、国家権力、電力資本、電機産業資本との対決を躊躇させるような事態を、絶対に許してはならない。
 われわれは、今こそ、広島、長崎における被爆者解放闘争、被爆二世・三世の解放闘争に学び、差別を打ち破って、生きる権利をたたかいとっていく実践のなかから、被曝者解放闘争を打ち立てていかなくてはならない。反原発、反核、反基地、被爆者解放、被曝者解放を固く結合して、たたかっていこう。


  ●6章 反原発、反基地の国際共同闘争の前進を

 反原発の国際的な共同闘争は、これまでに反原発をたたかう人々によって切り開かれてきた。チェルノブイリ原発事故をめぐる国際同時行動、また、日帝の原発輸出を許さずアジア諸国地域の原発反対運動の交流と共同闘争の形成などである。「東アジアに脱原発ネットワークを」という声も大きくなってきている。こうした反原発の国際共同行動を支持し、こうした流れをさらに発展させていくことにともに貢献しなければならない。また、反基地をめぐる国際共同闘争も、さまざまに形成されてきた。東アジア・東南アジアにおいても、韓国、沖縄、「本土」各地、フィリピン、さらに米国を貫く、反米軍基地の国際共同闘争などがさまざまに発展してきた。こうした反原発や反基地をめぐる国際共同闘争の流れを支持しともにたたかうことが重要である。原発であろうと核兵器であろうと、すべての核に反対する、原子力に根本的にノーを突きつける国際的な共同闘争の発展が求められている。日本、韓国、中国大陸沿岸部、台湾など、どこで原発事故が発生しても、そもそも風向き次第では、その被害を等しく受けることとなる。東アジアにおける共同の反原発闘争の重要性はますます増大している。同時に、被爆者解放闘争をめぐる国際連帯、福島第一原発事故によって日々生み出されている新たな被曝者と結合した被爆者解放闘争の国際連帯、国際共同闘争なども極めて重要な課題である。さらには、帝国主義グローバリゼーションに反対する国際的な共同のたたかいなどとの結合が促進されねばならない。この間のニューヨーク・ウォール街を占拠せよというたたかいは世界に広がり、各国で激烈なうねりとなっている。帝国主義グローバリゼーションのなかで、各国で貧富の格差が劇的に拡大し、反貧困・反資本主義闘争がますます拡大し、その世界同時性、連動性を強めている。反原発闘争を反資本主義・反帝国主義闘争としてたたかうためにも、こうしたさまざまな国際的潮流の大合流が追求されていかねばならない。福島第一原発事故から一年を迎える三月十一日を、国内における、また、世界中における大規模な国際共同闘争としてたたかい、反原発の国際共同闘争を一層発展させていこう。


  ●7章 反原発闘争の先頭に起ち、階級闘争の前進かちとろう

 反原発の全人民的政治闘争を発展させ、その戦闘的発展を実現していくために、左翼勢力こそが大きな役割をはたさねばならない。反原発の全人民的政治闘争を、反資本主義・反帝国主義闘争として発展させていくために、左翼勢力の奮闘こそが求められている。共産主義勢力の復権は、常に、階級闘争・大衆闘争のただ中で、階級とともに、大衆とともにたたかい、最も献身的、かつ、先頭でたたかいぬくことを通して、実践的に押し進めることができる。全人民政治闘争の戦闘的発展、反資本主義・反帝国主義闘争としての発展を切り開いていくことができるのは、ただ左翼勢力の奮闘如何にかかっている。現在の反原発の全人民的政治闘争の内部には、当然にも、さまざまな傾向が混在している。さまざまな階級的利益が反映している。またそうでなければならない。そして、この全人民的政治闘争を、労働者階級の政治要求・階級的要求のもとに変革しつつ牽引するたたかいが要求されている。ブルジョアジーの一部をも巻き込んで原発からの決別を実現することと、ブルジョアジーの反原発派のもとにたたかいを収斂させることとはまったく別問題である。ブルジョアジーの一部をも包含した反原発闘争を、反政府、反資本主義・反帝国主義闘争へと首尾一貫して変革し前進させることができるのは、左翼勢力のみである。この全人民的政治闘争を戦闘的に発展させることができるのも左翼勢力のたたかい如何にかかっている。そのために、左翼勢力の共同のたたかいを推進しなければならない。各地―全国を貫く広範な統一行動を支持し共にたたかおう。反原発闘争の全人民的政治闘争の爆発のために共に奮闘しよう。全人民的政治闘争の戦闘的発展をともに推進しよう。反原発闘争を、反資本主義・反帝国主義闘争へと共に前進させよう。アジア人民と連帯し原発輸出を阻止しよう。反原発・反基地の国際共同闘争の流れをより強化していこう。こうしたすべてをもって、共同のたたかいを強め、反原発闘争の発展を推進していこう。



 

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