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■改悪教育基本法の実働化を許すな 「君が代」強制大阪府条例を粉砕しよう! 〇六年の教育基本法改悪から五年目の今年、改悪教育基本法の実働化攻撃が本格化してきている。各種「君が代」強制をめぐる裁判での相次ぐ最高裁合憲判決、全国各地での「つくる会」系教科書の採択策動、そして大阪府知事橋下と「大阪維新の会」による大阪府教育条例―通称「君が代」強制条例案可決策動、これら一連の攻撃は改悪教育基本法を国家・社会の既定路線、もしくは直接的な法的根拠として拠り所にしている点において共通である。 橋下は六月三日に大阪府議会において、罰則規定のない、「大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例」の強行可決を行った。そして今年十一月には「大阪府教育条例」なるものを提出しようとしている。この条例は「職務命令違反三回で免職」を明言している所に最大の特徴がある。すなわち、全国で闘われている教職員による「君が代」強制反対の闘いに真っ向から敵対する条例を可決しようとしているのである。この攻撃は大阪という一地域の問題でない。明らかに改悪教育基本法の実働化攻撃であり、こんな条例が一度成立すれば、全国に波及するのは明白である。一方において、すでに自民党は教育現場における国旗・国歌義務化法案を準備している。大阪府教育条例の成立を許すならなば、これら動きが加速するのは確実である。我々は条例成立阻止を全国的な課題として取り組まなければならない! さる九月二十四日、大阪の教職員が呼び掛けた実行委員会によって現地全国集会が闘われ大きな成功をおさめた。この集会の成果を受けて、闘う教職員とともに改悪教育基本法の実働化阻止を掲げて大阪府教育条例成立阻止を闘おうではないか。 そして「つくる会」教科書採択阻止を全国で闘おう!これらの課題を分断させてはならない。両者は改悪教育基本法の実働化として同じ路線上にある。同様に、最高裁判決にひるまず不屈に闘う教職員と連帯し、「日の丸・君が代」強制反対の大衆運動を闘っていこうではないか。 ●1 藤田裁判不当判決弾劾! 七月七日、最高裁は東京都板橋高校の元教諭である藤田さんに対して、威力業務妨害の有罪判決を確定した。藤田さん側の上告を棄却し、罰金二十万円とした一、二審判決を確定させたのである。これは卒業式での「君が代」強制に反対する行動に対する初の刑事罰であり、絶対に許してはならない。 〇四年に藤田さんは板橋高校の卒業式に同校の元教員として来賓に招かれた。卒業式開始前に「起立する義務はありません」という内容の雑誌のコピーを保護者に配付した。それを見とがめた校長・管理職が藤田さんを不当にも追い出そうとしたため、当然藤田さんが抗議。それも社会人として冷静に抗議しただけである。そして藤田さんは退席し卒業式が滞りなく行われたが、なんと学校側がそのことによって式開始が二分遅れたとして「威力業務妨害」の被害届を警察に出したのである。まさにでっち上げ弾圧そのものに他ならない。 そして罰金刑とはいえ最高裁が有罪の判決を出した意味は大きい。注意しなければならないのは、当時、藤田さんは教職員ではなく来賓として式に参加したということである。最高裁はこの来賓による「日の丸・君が代」反対の意思表示に対して、有罪判決を下したのである。すなわち、今後においては来賓・保護者の強制反対の闘い―意思表示も十分に刑事弾圧の対象になるということを意味している。教育現場における反「日の丸・君が代」強制に対して教職員は行政処分が、それ以外の来賓や保護者にたいしては「威力業務妨害」などの刑事告訴が適用されようとしているのだ。 藤田裁判不当判決を許すな! ●2 大阪府教育条例成立阻止を闘おう! そして今秋における反「日の丸・君が代」の闘いにおいて重要なのは、大阪府教育条例制定策動との闘いである。 本教育条例においてまず確認されなければならないのは、露骨なまでに教育に対する政治の介入が意図されている点である。 その前文には「教育行政からあまりに政治が遠ざけられ、教育に民意が十分に反映されてこなかった」「教員組織と教育行政は聖域扱いされがちであった。しかし教育の中立性とは、本来…『特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育』などを行ってはならないという趣旨であって、教員組織と教育行政に政治が関与できない、すなわち住民が一切の手出しをできないということではない」と述べられている。「選挙を通じて民意を代表する議会及び首長」が教育委員会と学校組織に積極的に関与すべき旨が展開されている。 第五条一項、「府における教育行政は、教育委員会の独立性という名目のもと、政治が行政から過度に遠ざけられることのないよう、選挙を通じて民意を代表する議会及び知事と教育委員会及び同委員会の管理下におかれる学校組織が……適切に役割分担を果たさなければならない」。第六条一項、「知事は、府教育委員会を任命する権限のみならず、地方教育行政の定める範囲において、府内の学校における教育環境を整備する一般的権限を有する」。その第二項、「知事は、府教育委員会との協議を経て、高等学校教育において府立高等学校が実現すべき目標をさだめる」 そして第一三条二項には、「府教育委員会の委員が……目標(知事が定める教育目標)を実現する義務を果たさない場合、又は……懲戒もしくは分限処分を怠った場合は……罷免事由に該当する」とある。 ここまで引用すれば、すでに本条例の目的・位置付けは明らかであろう。ここで引用している素案は八月二十二日付のもであるが、それ以前の九日付け素案では「選挙を通じて民意を代表する」ものには「知事」だけが明記され、議会なども無視されていたのである。明らかに、本条例の目的は教育行政に知事が介入することであり、いわば知事権力による教育行政の一元支配を目的とした条例である。 ●3 新「自由主義」教育を許すな そして二点目に着目しなければならないのは、本条例が徹頭徹尾、新「自由主義」の思想に貫かれている点である。 その前文には、「大阪府の教育は、常に世界の動向を注視しつつ、激化する国際競争に対応できるものでなければならない」とされている。そして「第一章 目的及び理念」における第二条の(六)ではより具体的に、「グローバル化が進む中、常に世界の動向を注視しつつ、激化する国際競争に迅速的確に対応できる、世界標準で競争力の高い人材を育てること」と書かれている。すなわち、教育行政においてグローバリゼーションに対応する競争主義を意識的に追求するということであり、明らかに新「自由主義」思想そのものである。具体的政策としては、「……府内の小中学校における学力調査テストの結果について市町村及び学校別の結果をホームページ等で公開するとともに、府独自の学力テストを実施し、市町村及び学校別の結果をホームページ等で公開(第七条二項)」「大阪府立高等学校通学区域に関する規則……を廃止し、通学区域は府内全域とする(第四五条)」「府立高等学校のうち、各年度に定められた入学定員を入学者数が下回った場合、府教育委員会は……校長に対して……問題点を報告させるとともに、改善に向けて指導する(第四六条一項)」「……三年連続で入学定員を入学者数が下回るとともに、今後の改善の見込みがないと判断する場合には、府教育委員会は当該高等学校を他の学校と統廃合しなければならない(同二項)」等が掲げられている。小中高校における徹底した競争主義-能力主義を制度として導入しようとしていることは明らかである。 そして統廃合された学校の教職員はどうなるのか。第四〇条には「職制もしくは定数の改廃又は予算の減少による廃職または過員を生じたときは、教員等の免職を行う(一項)」「分限免職となる教員等の選定にあたっては、被処分者の勤務成績、勤務年数その他の事実に基づき、公正に判断しなければならない(三項)」と書かれている。すなわち統廃合になって過員となった教職員は、勤務成績や「その他の事実」により免職させられるということだ。 これらは、公教育破壊と言われてもしかたのない中身である。公立学校の私立化であり、公立学校制度そのものを否定しているともいうべき構想である。 小泉構造改革―新「自由主義」の導入によって格差が拡大し、政策として生み出された新たな貧困層の登場、総体として社会の疲弊などによって、むしろ現在は新「自由主義」の功罪が問題にされるようになっている。にもかかわらず、橋下は教育行政に徹底した新「自由主義」を導入せよと叫んでいるのである。こんなものが教育行政として展開しはじめれば、大阪における教育格差は今以上に拡大することは火を見るよりも明らかだ。極端な場合、高等教育そのものからからも弾き出される学生が層として出現すること可能性も十分にありうるのである。 ●4 教育現場の強権支配を許すな そして第三点目の特徴として、以上のような新「自由主義」と関係しながらの徹底した教職員支配がある。 本条例では校長・管理職から現場教職員まで徹底した勤務評価がなされる。校長は橋下の意を受けた教育委員会から評価され、教職員はS、AからDまでの五段階の相対的人事評価が行われる。相対的評価であるため、いかなる現場でも必ず五パーセントのD評価をうける教職員が発生する。そしてこの五パーセントになった教職員はいつクビになるかわからない状態になる。このようにして、教職員間の分断と同時の支配を貫徹していこうとしているのだ。 当然、職務命令違反に対する処分もより厳罰化されている。第三八条一項では「職務命令に違反した教員等は、減給または戒告とする」とし、第二項で「過去に職務命令に違反した教職員等が、職務命令に違反した時は、停職とする」、三項では「停職処分を行ったときは……教職員等の所属及び氏名も併せて公表する」と段階的に処分がエスカレ-トされる旨が明記されている。これは東京都が強行している懲戒処分の回数が増えるに従って内容が重くなる「累積加重処分」と呼ばれる方式の極端な適用である。しかし注意しなればならないのは、全国でもっとも悪辣と呼ばれる東京都の方式も明文化されているというわけではない。都教育委員会の非公式な内規として強行されているにすぎないということだ。すなわち、「累積加重処分」を明文化し条例として法体系のなかに組み込もうとしているところに大阪教育条例の画歴史的悪質性があるのである。 そして、わざわざ「常習的職務命令違反に対する処分」というテーマを設けて、「……五回目の職務命令違反又は同一の職務に対する三回目の違反を行った教員等は、直ちに分限免職とする」としている。ここまでくれば、条例がもつ政治的意味合いは露骨になる。これは明らかに学校式典における「君が代」斉唱強制に反対する教職員を想定した内容に他ならない。そして言うまでもなく、「連続三回で免職」になる中身を明文化した条例は歴史上この条例だけである。 繰り返すが、職務命令に違反した現場教職員に対する懲戒処分内容を法的に規制した自治体―首長はいない。悪質と言われる東京都も、そしてけっして「戒告」以上の処分を出さない広島も文章化されているわけではない。「日の丸・君が代」の強制を促した東京都の「10・23通達」も、都立学校校長に対して「君が代斉唱時に起立するよう教職員に職務命令をだしなさい」という位置付けであり、直接的に現場教職員を対象にした中身ではない。 ●5 改悪「教育基本法」の実働化を許すな すなわち、この大阪府教育条例とは、その悪質性においては東京都の「10・23通達」以上であり、ある意味これまでの教育行政の在り方そのものを根底から破壊するような中身である。強いて言うならば、教育基本法の改悪にも劣らない攻撃である。 実際、本教育条例は改悪「教育基本法」を補完するものとして位置付けられている。第一条には、「この条例は教育基本法……学校教育基本法……『地方教育行政法』……その他国の法令が定める教育目標を大阪府において十分に達成するべく、これらの法令を補完することを目的として定める」とされている。第二条には「府における教育行政は、教育基本法第二条に掲げる目標のほか、次の各号に掲げる具体的な教育理念に従ったもでなければならない」とされ、改悪「教育基本法」を教育理念の根幹に据えていることが明記されている。 そしてここで言う「具体的な教育理念」とは、「(1)個人の自由とともに規範意識を重んじる……」「(2)個人の権利とともに義務を重んじる……」などの戦後的個人主義の右からの否定、「(3)他人への依存や責任転嫁を、互いに競い合い自己の判断と責任で道を切り開く……」といういわゆる自己責任論、「(4)……自らが社会から受けた恩恵を社会に還元できる人材……」と、逆に言えば「恩恵を社会に還元」できない人材は排除することを目的とした文言がちりばめられているのである。 そして(5)には、「我が国及び郷土の伝統文化を深く理解し、愛国心及び郷土を愛する心に溢れる……」という改悪「教育基本法」そのもののような文言が書かれている。これだけでも、本条例と改悪「教育基本法」との一体性が垣間見えるのだ。 ここで展開されている「理念」なるものの中身は、要するに旧教育基本法に体現されるような「戦後民主主義教育」を、「いきすぎた個人主義」等と批判する現在の右翼論陣の主張を理念として押し立てたものに過ぎない。こうした内容を改悪「教育基本法」を根拠にして展開しているのである。 さらに本条例の特徴として着目すべきは、最後に書かれている「第九章 最高規範性」と題した五三条である。ここでは「この条例は、府の教育に関する最高規範であって、この条例に反する一切の府における条例、規則、要綱、指針等は無効である」とされている。すなわち、橋下は明らかに大阪府における「教育基本法」を条例としてつくろうとしているということだ。 以上、本条例の特徴をまとめるならば、改悪「教育基本法」を理念的主柱とした「愛国心」教育と新「自由主義」―競争主義教育を、これまでの公教育体制を破壊してでも徹底的に推進しようとするものであり、それを免職を手段とする恐怖政治を全面展開した知事独裁によって貫徹しようというものである。これが橋下言うところの「教育行政」に対する「民意の反映」の中身である。 ●6 「つくる会」教科書採択阻止と一体に闘おう 九月二十四日、大阪の教職員が中心となって「『君が代』強制大阪府条例はいらん!全国集会」が闘われた。我々は闘う教職員と連帯し、この集会の成功を引きついでともに闘っていこうではないか。 大阪府教育条例の制定と「つくる会」教科書採択の策動は一体である。両者ともに改悪「教育基本法」をその根拠としているのだ。逆に言えば、「愛国心」と差別・選別教育を柱とする改悪「教育基本法」の成立がなければ、これら攻撃は存立しなかったのである。「つくる会」による教科書の採択率は教育基本法が改悪される前は一パーセントにも満たなかった。しかし、現在はゆうに二パーセントを超える勢いである。明らかに、改悪「教育基本法」の制定が社会的力として作用していると見るべきである。事実、「つくる会」系教科書を採択しようという勢力は、異口同音に改悪「教育基本法の精神に則り」と主張してきている。 その意味において、「君が代」強制合憲判決・最高裁で相次ぐ反動判決も同様である。これら判決も改悪「教育基本法」が制定していなければ、よりましな中身になっていた可能性も否定しきれないのだ。少なくとも、雪崩をうつように「君が代」合憲判決がでる背景には、一般的な法律論以上の社会的価値判断が作用していると見るべきである。あきらかに最高裁判断にも、改悪「教育基本法」制定という政治的現象が作用しているのである。 すなわち、これら三種の攻撃は改悪「教育基本法」の実働化として同様の位置付けをもつものである。故に、我々は〇六年の教育基本法改悪反対闘争における全人民的闘いを継承した闘いとしてこれら攻撃と闘わなければならないということになる。 闘う教職員と連帯し、「日の丸・君が代」強制反対、「つくる会」教科書採択阻止、大阪府教育条例成立阻止を闘おう! |
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