共産主義者同盟(統一委員会)
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■本の紹介 『NHK、鉄の沈黙はだれのために ―番組改編事件10年目の告白』 [著]永田浩三 出版社―柏書房 昨年夏、私は一冊の本をさがしていた。本の名前は『NHK、鉄の沈黙はだれのために』(以下『鉄の沈黙』)という。サブタイトルには「番組改変事件十年目の告白」とある。著者は永田浩三、NHKの元プロデューサーである。たやすく見つかると思っていたが、大きな本屋を四店も回るはめとなった。やっと見つけたその本は「ジャーナリズム」と書かれたコーナーの最下段のすみに、押し込められるようにして並んでいた。 ●1 当事者が明かした真相の一端 二〇〇〇年十二月の東京で、「日本軍性奴隷制」を裁く「女性国際戦犯法廷」が開かれた。ここで紹介しようとする本のタイトルにある「番組改変事件」とは、この「法廷」を取材して制作されたNHKの番組が、右翼政治家の圧力を受けて大きく改ざんされたというあの有名な事件のことである。番組の名は、NHK教育テレビ「ETV2001」シリーズ「戦争をどう裁くか」の第二回、「問われる戦時性暴力」。番組は二〇〇一年一月三十日に放送された。あれから、ことしでちょうど十年となる。 この本は、番組改変に直接、制作現場の当事者として関わった著者が、その経過をたどりながら、事件の問題点を明らかにしようとしたものである。NHK番組改変事件とは、直裁に言えば「権力犯罪事件」であった。事件を引き起こしたのは、保守反動の有力国会議員たちであり、これに全面加担・協力したNHK最高幹部たちであった。この事件の中心にいた国会議員・NHK幹部たちが、その真相をいまなお隠蔽・偽装しつづけているなかで、『鉄の沈黙』という一冊の本が世に出されたことの意義は大きい。 ●2 右翼勢力から攻撃された「法廷」 「女性国際戦犯法廷」とは何であったか。昨年一月に『NHK番組改変事件―制作者九年目の証言』という本が発刊された。このなかには次のような解説があり、参考になる。――女性国際戦犯法廷 二〇〇〇年十二月八~十二日、東京・九段会館、日本青年会館で開催された日本軍性奴隷制を裁いた民衆法廷。主催はVAWW―NETジャパンと「慰安婦」被害六カ国、そして国際諮問委員会の三者で構成した国際実行委員会。「慰安婦」に対する日本軍と日本政府の責任を当時の国際法の下で明らかにし、女性に対する戦時性暴力の不処罰を終わらせ再発を防止することを目的に、六四人の被害者と南北朝鮮・中国・台湾・フィリピン・インドネシア・オランダ・東チモール・マレーシア各国検事団が起訴。判決では共通起訴状で被告となった昭和天皇をはじめとする日本軍上層部や政府関係者ら一〇人に「有罪」が言い渡された。(引用ここまで) 女性国際戦犯法廷についてはVAWW―NETジャパン(「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク)のホームページに詳しい。このなかの記事によれば、法廷には毎回、千人以上が参加者し、「被害各国からの『法廷』参加者数」は三百九十人(うち被害者六十四人)、「メディアからの参加者」は海外・国内の合計で百四十三社の三百五人にのぼった。「法廷」が国内外の大きな期待と注目を集めて開かれたことがよく分かる。 昭和天皇らを戦争犯罪の被告人として裁いた女性国際戦犯法廷は、当初から右翼反動勢力の激しい攻撃を受けた。右翼勢力にとっては、天皇ヒロヒトが国際民衆法廷の場で「性的奴隷制について『人道に対する罪』の刑事責任」を問われることそれ自体があってはならないことであった。 また右翼の攻撃の背景には歴史教科書問題があった。一九九三年の「河野談話」などを契機として、教科書に「慰安婦」問題が取り上げられるようになり、九七年度には、すべての中学歴史教科書に「慰安婦」問題が記述されていた。そうした状況に危機感を強めていた右翼諸勢力は九七年一月に「新しい歴史教科書をつくる会」を結成した。その一か月後には、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(同年二月)が旗揚げされた。「若手議員の会」の代表は自民党の中川昭一、事務局長は同じく安倍晋三、両人ともNHK番組改変事件の影の主役である。女性国際戦犯法廷が開かれた二〇〇〇年当時は、「つくる会」や自民党内の歴史修正主義者たちが、「慰安婦問題」などの記述を教科書から排除するために総力をあげていた時期であった。番組改変事件は、「歴史教科書から『慰安婦』という記述が消されて行った時期とまったく重なっていた……」(P161)と『鉄の沈黙』は述べている。右翼諸勢力は、女性国際戦犯法廷を取り上げた番組をNHKが制作し放送を予定していると聞きつけるや、自民党国会議員、民間右翼一体となってNHKに強力な圧力をかけ始めた。 ●3 政治家の介入に迎合したNHK 政治介入は具体的にはいつごろ始まったのか。『鉄の沈黙』では、NHKが番組外注先である制作プロダクション「ドキュメンタリー・ジャパン」(以下D・J)から映像素材を引き上げ、直接、編集に当たることになる二〇〇一年一月二十四日、「この時点ではまだ、政治家の影はなかったとわたしは信じている」(P106)とされている。たしかに安倍・中川らの介入が激烈になり、NHK上層部が慌てふためいて直接に番組編成内容を指示し始めるのは放送予定日の直前であったのは事実だろう。しかし、二〇〇〇年九月から始まった番組づくりが十二月の「法廷」をへて本格化していく動きを、右翼勢力がまったく察知してなかったとは考えにくい。すでに十二月十二日、「法廷」について報じた同日夜のNHKの「ニュースに反応した右翼団体がNHKにやってきた」(P85)という事実もある。政治家による何らかの介入は相当前から行なわれていたのではないだろうか。 いずれにせよ、〇一年一月に入ると、安倍・中川ら自民党国会議員の恫喝・政治介入は露骨に行なわれるようになった。保守反動政治家からの圧力が強力に加えられるようになってからのNHK上層部の対応は、異様というほかない。『鉄の沈黙』には、このあたりのNHK内部の動向がリアルに描写されている(P34)。 放送予定日四日前の一月二十六日から放送当日三十日の夕方にかけて、普段は個別の番組の編集にかかわることのない松尾武放送総局長、野島直樹総合企画室担当局長といったNHK幹部の面々が直接台本に手を入れ番組改変の指示を飛ばしつづけた。その結果、「編成作業がすべて終わったのは放送開始の一時間半前。最終的に四十分まで縮められた番組が放送された」(P34)。当初の放送予定時間は四十四分であった。こうした強引な番組改変の背後には、当時のNHKの最高責任者・海老沢会長の直接の指示があった(P39)。 自分たちにつごうが悪い事実を隠しておくために、NHK上層部は口裏を合わせて多くの嘘をつきつづけてきた。たとえば放送予定の前日の一月二十九日にNHKの幹部と安倍らが面会しているという事実があるが、これについてもそうである。それはたんなる面会ではなく、安倍・中川に呼びつけられてNHK幹部がかれらのもとに出向いたのである。『鉄の沈黙』には朝日新聞の本田記者がNHKの松尾総局長に行なったインタビューが引用されている。このなかで松尾は中川の対応についてふれ、「北海道のおじさんはすごかったですから。そういう言い方もするし、口の利き方も知らない。どこのヤクザがいるのかと思ったほどだ」と、その時のようすをリアルに述べている(P162)。 中川じしんも朝日新聞の取材(〇五年一月十日)において、「放送直前の一月二十九日に、NHKの野島・松尾両氏に会われたわけですね?」との質問に、「会った、会った。議員会館でね」と答えている(P123)。ところが中川は、その三日後、これらの発言内容を否定して、NHKが来たのは放送後の二月二日だと修正した。明白な嘘である。中川が平気で嘘をつく政治家であったことは、〇九年二月の酩酊記者会見事件とその後の財務・金融担当大臣辞任の過程をみれば容易に想像のつくことだ。NHKの側も放送直前に中川と会ったことを否定し、中川との面会は二月二日だったと主張し始めた。NHKも中川も、どちらも卑劣である。NHKは、「政治家による事前介入」があって、その結果、番組の改変が行なわれたということを隠ぺいするために、いまもってそんな事実はなかったとしらを切りつづけている。 ●4 何が改ざんされたのか 安倍や中川が求めていたのは番組の放送を中止することであった。NHK幹部たちは自己保身のために、放送中止だけは何とか回避しようと焦った。そして番組の内容を切り刻み・切り貼りして、安倍や中川といった連中にも受け入れられるものにしようと必死になったのだった。『鉄の沈黙』は、とくに「番組はこうして改ざんされた」の章で、この過程を克明に描いている(P95―140)。 どこがどのように改変されたのか。その内容はP118―119の記述、および、〇五年一月十三日に番組改変事件を内部告発した長井暁・元プロデューサーが記者会見の場で配布した文書(P189―193)などから知ることができる。NHK上層部は一月二十九日に、慰安婦や慰安所の存在そのものを消す、政府や軍の組織的な関与を消す、女性国際戦犯法廷を肯定的に表現しない、判決内容や昭和天皇の責任にふれているところは削除するなどの基準で番組改変を制作現場に直接指示した。また翌三十日には、①中国人被害者の紹介と証言②東ティモールの慰安所の紹介と元「慰安婦」の証言③自らが体験した慰安所や強姦についての元日本軍兵士の証言をカットするよう指示した(P191)。 NHKはこれらを「改変」ではなく「通常の編集」だと主張してきた。「改変」とは内容を変えて、もともとのものとは違ったものにするということである。最終段階ではNHK上層部は、元「慰安婦」の人たちの証言や、加害兵士の証言という「法廷」の核心中の核心と言える最も重要な部分まで削ってしまうということまでやっているのである。代わりに、「法廷」に反対していた右翼学者・秦郁彦のコメントを増やして追加した。これらをたんなる「編集」であったというのは、まさに強弁としか言うほかない。当初、「問われる戦時性暴力」という番組は、「女性国際戦犯法廷」の「意義について考えるもの」(P7)とNHK内部で位置づけられていた。しかし、放送された番組は「法廷」の意義を正面から否定するものとなった。NHKは最初のコンセプトをみずから放棄し、日本が犯した戦時性暴力という戦争犯罪の隠ぺいをもって歴史の真実の歪曲に積極的に加担し、そして「法廷」に参加した「慰安婦」被害女性たちの名誉と尊厳を傷つけた。 しかし、問題はNHK上層部にとどまるものではなかった。上からの指示を受けてのことではあるが、番組改変を直接行なったのは現場の責任者であった『鉄の沈黙』の筆者たちである。そこに筆者らの深い苦悩のもっとも大きな理由があった。 番組の改ざんは、NHK上層部が直接乗り出してくる以前の一月十九日から事実上始まっている。この日、D・Jが中心となって制作された作品の最初の試写が行なわれた。これを見たNHKの吉岡教養番組部長は「これじゃあ、法廷との距離が近すぎる。このままではアウトだ」とD・Jのスタッフや筆者を罵倒した。「吉岡部長からは、考えられるかぎりの罵詈雑言が飛び出した」(P100)。二回目の試写は一月二十四日。この日も吉岡部長は十九日と同じ言葉を吐いて激怒した。そしてこの日、筆者は、「試写の二時間前、ドキュメンタリー・ジャパンが編集してきたものを見ると、なぜか『天皇訴追』の場面が新たに延々とつなぎこんであった」(P104)ことに驚いて、「はじめて感情的になった」(P104)。吉岡部長の怒りに同調するような態度を取ってしまったのである。筆者は、「……わたしが激怒したり、吉岡さんがこれまでになく荒れたりした背景には、NHK内部における『天皇の戦争責任』や『慰安婦問題』をめぐる慎重な姿勢が影を落としていたと言うほかない」(P107)と事態をふり返っている。放送の現場にも、それが意識されているかどうかは別にして、タブーが存在しているということである。 ●5 番組改変事件の現在的な意味 番組改ざん事件から十年を迎えた。しかし事件はけっして終わってはいない。いま右翼勢力は歴史改ざん運動をいっそう強め、日本軍「慰安婦」問題の解決に取り組む運動にも敵対を強化している。昨年十一月十六日の『毎日新聞』に掲載された方清子(パン・チョンジャ)さん(日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク共同代表)の寄稿文によれば、「慰安婦」問題の解決を求める地方議会意見書は、北海道から沖縄まで三十五の自治体で可決されているという。議会に働きかけてそれを実現してきたのは良心的な地方議員や市民運動である。これらの人々や運動に対して、右翼勢力は暴力的な攻撃をつづけてきた。大阪、西宮、京都、神戸などでは、「水曜デモ」に対する右翼勢力による襲撃・妨害がつづいている。こうした現在の右翼の動向と、十年前のNHK番組改変事件とは直接つながっている。 『鉄の沈黙』には、番組「問われる戦時性暴力」の放送三日前の〇一年一月二十七日、右翼団体の「維新政党新風」や「大日本愛国党」らがNHKに街宣車で押しかけ、うち「愛国党員およそ三〇人が乱入した」とある(P114)。当時、「維新政党新風」には、現在「在日特権を許さない市民の会」(在特会・〇七年結成)とともに差別・排外主義の直接行動をくり広げている「主権回復を目指す会」(〇六年結成)の代表・西村修平も所属していた。本のなかにも「西村」という名が「右翼の大物」という言葉とともに出てくる(P217)。かれらによって、「法廷」への攻撃、政治家への情報提供と圧力の要請、NHKへの直接行動などが行なわれた。こうした輩を中川昭一は「同じような問題意識を持っているわれわれの仲間」と呼んでいた(P123)。 いま排外主義右翼勢力の活動はかつてなく活発化している。かれらは労働者人民をアジア人民への敵対とアジアへの戦争の道に引きずり込もうとやっきになっている。歴史修正主義、差別・排外主義との闘争は、日本の労働者人民にとってきわめて重要になっている。こうしたなか、十年前の日本社会で起こったNHK番組改変事件という「権力犯罪」を忘れず、その真相を究明し、こうした事件をけっしてくり返させないという声を強めていくことは大きな意味がある。事件の真相解明のために、この本は大きな役割を果たすだろう。 またわれわれはこの本を通じて、NHKの内部に抵抗するジャーナリスト、抵抗する番組制作者たちが少なからず存在していることを知ることもできる。その人たちの勇気と才能と努力によって見ごたえのある貴重な番組も、けっして多いとは言えないが作られつづけていることも忘れてはならないだろう。 【二〇一〇年七月二十五日発行・柏書房・定価二千円】 ※なお『戦旗』一二五九号(〇六年四月五日)に掲載された「日本女性解放運動の総括と地平―戦後を三期に分けて」には、日本の女性解放運動史のなかで、日本軍「慰安婦」被害女性たちの決起と運動、あるいは「法廷」開催がいかなる意義を持ったのかについて一定の提起が行なわれている。参照されたい。 (K・K) |
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