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 ■6月アジア共同行動の成功に向け奮闘しよう

  日韓労働者連帯! 反基地反安保闘争の前進を




 アジア共同行動日本連絡会議(アジア共同行動日本連)は、六月に、韓国から双龍(サンヨン)自動車労組を迎えて全国各地でアジア共同行動に取り組むことを呼びかけている。また、日韓労働者連帯と結合し、反基地闘争反安保闘争を前進させることを呼びかけている。本年の六月は、日米安保改定国会批准を阻止するために全人民が国会を包囲し、樺美智子さんが虐殺された六〇年安保闘争から五十年にあたる。いま、普天間基地撤去をめぐるたたかいによって鳩山政権は追いつめられ、日米軍事同盟の再編成である日米軍事同盟と「米軍再編」そのものが大きくぐらついている。今こそ、普天間即時閉鎖―反基地闘争のただ中で反安保闘争の爆発を実現していこう。アジア共同行動日本連の呼びかけに応え、各地の六月アジア共同行動に結集しよう。


 ●1 韓国双龍(サンヨン)自動車労組の闘いに連帯しよう

 六月、アジア共同行動日本連は、韓国の双龍(サンヨン)自動車労組の代表を招いて、アジア共同行動の各地集会を開催することを呼びかけている。
 双龍自動車労組のたたかいは、昨年、韓国労働運動のなかで最も激烈で戦闘的なたたかいであった。経緯は以下のようなものだった。双龍自動車は、韓国の中規模の自動車製造会社であった。一九九八年双龍グループから大宇グループに売却され、大宇グループ解体後、二〇〇四年、中国国営企業の上海自動車に買収された。こうした過程で、双龍自動車の韓国内販売数は激減しつづけた。そして、昨年(二〇〇九年)、上海自動車は、ソウル中央司法裁判所に双龍自動車の法定管理を申請し、経営権を放棄した。上海自動車は、そもそも双龍自動車の技術を獲得するために買収したのであり、用が済めばいらないというわけだ。
 国境を越えた搾取と収奪という点で、新自由主義グローバリゼーションの典型的な姿に他ならなかった。しかも、その過程で、人員削減も進められてきた。こうした上に、会社は、昨年四月、全労働者七千百七十九人のうち、二千六百四十六人を解雇すると発表した。
 これに対し、ついに労働組合はストライキを決議し全面的な対決に突入した。五月に入ると、労組は整理解雇反対と雇用保障を掲げて時限ストを開始し、続いて、正規職二名と非正規職一名の三名が煙突の上で籠城闘争に突入した。にもかかわらず、会社は希望退職に応じない約千百人の整理解雇名簿を郵送で通知すると発表した。ここに至って、労組はいよいよ全面的なストライキに突入したのである。これは、正規職労働者と非正規職労働者の連帯、元請け労働者と下請け労働者の連帯の闘争であった。
 他方、資本の側は会社側に寝返った労働者による「救社隊」や、やくざを組織し、たたかう労働者への襲撃を繰り返した。また、組合員百九十人に対し五十億ウォンの損害賠償訴訟、五億ウォンの仮差し押さえ申請、金属労組幹部六十二名の告訴など、あらゆる手段を使った闘争破壊と弾圧に打って出た。
 双龍自動車労働者の武装したストライキは、資本、警察権力と対決しつつ七十七日間にわたった。組合幹部が大量に逮捕され、二十二名が起訴された。本年に入り、水原地方裁判所平澤支所は、労組幹部二十二名に対し、懲役四年から懲役二年執行猶予三年にいたる判決を下した。双龍自動車労組は、「われわれのたたかいはあまりに正当だった。それ故、生計がおびやかされ、逮捕と損害賠償、差し押さえの弾圧の中でも屈せずたたかっている。不当解雇者、処分解雇者、強制的に無休扱いされた休職者、獄中の同志たちの苦しい現実の前に、われわれには力を失ったり怠けたりしている余裕はない」と宣言している。
 双龍自動車労働者は、いま、被解雇者の現職復帰闘争、新たな合理化攻撃との闘争、「工場に入っていくための闘い」、双龍自動車昌原(チャンウォン)工場、整備工場、非正規職との連帯と組織整備、李明博政権に対する「家計生存権闘争」をつづけている。
 新執行部は、「政権と資本は、われわれを非正規職と正規職に分けて、『生き残った者』(工場に残る者)と『死んだ者』(工場に残れなかった者)に引き裂こうとしたが、われわれは一つになった力で抗してきた。非正規職・正規職と分け隔てなく、われわれは労働者という名で元請・下請けの共同闘争を作っていく」と、一社一労組が新たなたたかいの始まりとなると主張している。双龍自動車労働者のたたかいは、まさに昨年(二〇〇九年)から本年にかけて、韓国労働運動にとって最大のたたかいであった。それはまさに、本質的には総資本と総労働の対決を意味するたたかいであった。そうだからこそ、韓国労働運動の現在の課題、そして、今後の展望も切り開く教訓に満ちあふれたたたかいでもある。
 六月アジア共同行動各地集会に結集し、双龍自動車労組のたたかいに連帯し、日韓労働運動の連帯を前進させていくために共にたたかおう。
 アジア共同行動日本連は、韓国の労働運動、反米軍基地闘争、南北の自主的平和統一を求めるたたかいに一貫して連帯を組織してきた。特に、AWC韓国委員会の結成によって、日米両帝国主義と闘争する日韓労働者の共同闘争を発展させてきた。
 本年も、双龍(サンヨン)自動車労組を迎えた六月アジア共同行動に続いて、七月二十三日〜二十六日(予定)には、闘争現場と軍事基地をめぐる韓国への派遣団を送り出すことを呼びかけている。これは、米軍基地に対する闘争と韓国労働運動に連帯するたたかいを前進させることを主目的にしている。
 さらに、本年を通して、朝鮮戦争開戦六十年に際し、日米軍事同盟に反対しアジアからの米軍総撤収と朝鮮半島平和協定を求める国際共同声明を国際的に呼びかけていこうとしている。そして、今秋十一月には、韓国労働者大会への結集から、ソウルで開催されるG20に対するたたかいと連続する横浜APEC首脳会談粉砕闘争を、国際的な連続闘争としてたたかうことを決定している。同時に、本年、韓国併合百年を迎えるなかで、日韓併合を美化しようとする歴史修正主義者・反動勢力の策動も激化している。なかでも、「在日外国人の特権を許さない市民の会」(在特会)などの差別主義者・民族排外主義者が、在日韓国・朝鮮人に対する攻撃を激化させ、八月二十二日には日韓併合を擁護する大集会の開催(日比谷公会堂)を打ち上げている。こうした差別主義者・民族排外主義者と大衆的に対決しつつ、在日を含む日韓労働者の連帯を大きく前進させていく必要がある。
 アジア共同行動日本連の呼びかけに応え、反帝国主義闘争をたたかう日韓労働者の共同闘争を、本年を通して大きく前進させていこう。


 ●2 安保改定50年、今こそ反基地反安保闘争の新たな前進を

 本年六月は、一九六〇年の安保改定を阻止するための国会包囲闘争とその中での樺美智子さん虐殺から五十年目にあたる。日米安保(日米軍事同盟)は、半世紀の時を経て大きく変貌してきた。
 一九五一年、資本主義陣営とのサンフランシスコ平和条約の調印とともに、沖縄は米軍政下へと固定されるとともに、日米安全保障条約(日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約)が締結された。これに基づく「日米行政協定」が一九五二年二月に調印され、日米安保条約と行政協定は一九五二年四月に発効した。この日米安保条約は、朝鮮戦争の最中に締結されたのであり、米軍は朝鮮人民軍・中国人民義勇軍と激烈な戦闘を繰り広げ、日本全土と沖縄はその出撃基地としてフル稼働していたのである。米軍は、日本全土と沖縄から出撃し、日本と沖縄を補給・修理、訓練・医療・「慰安」基地としていた。それだけではない。秘密裏に日本人も出兵し戦死者さえ出したのだ。
 安保条約は、朝鮮戦争下で血塗られて発足した。そして、MSA協定(日米間の相互防衛援助協力協定)で日本の再軍備が推し進められた。こうした上に、安保条約が改定され、一九六〇年一月十九日に調印(六月に国会で批准を強行)されたものが今日へと至る日米安全保障条約(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約)であり、安保条約第六条に基づく米軍「地位協定」であった。
 一九五二年発効の日米安保条約は、米占領下で形成された全土基地化方式というべき実体をそのまま継続させるとともに、戦後革命期の闘争を敗北させた米帝と日本ブルジョアジーが、いわゆる「内乱条項」をもって日本革命を鎮圧すること、さらに、「極東における国際の平和と安全の維持に寄与する」として、朝鮮戦争を遂行し、この地域における社会主義勢力・反帝民族解放闘争に対抗するものとして形成された。
 また、日米行政協定における裁判権行使の権利など、米軍の治外法権が保障された。六〇年の安保条約改定は、これらを継承しつつ、中国革命に続いた朝鮮革命に対する侵略反革命戦争であった朝鮮戦争をへることで、それ以降の対ソ封じ込めと反帝民族解放闘争の拡大に備えていくためになされたものであった。同時にそれは、日本資本主義・帝国主義の復活を背景に、日米安保を再編成しようとするものでもあった。
 日米安保を「対等なものに改め、日本の自主性を持った日本の意志が反映するもの」(岸当時首相、六〇年三月国会答弁)にすることが強調された。改定された安保条約は、「相互協力及び安全保障」のための条約とされ、第二条に日米の「経済協力」と「国際経済政策」の一致が明記され、第三条で、軍備増強任務が、第五条で、共同軍事行動が明記された。すなわち、この「相互協力」「経済協力」の意図は、米帝にとっては、復活した日本資本主義の経済力を使ってアジアにおける反帝民族解放闘争・革命闘争を予防していこうとするということであり、日本ブルジョアジーにとっては、アジアへの再侵略を意味した。
 ところで、こうした「対等」な日米安保を象徴するものとしても、第六条にもとづく基地使用をめぐる「事前協議」制度が強調された。しかし、それは現在まで一度も適用されたことがないばかりか、そもそも安保改定時の日米密約(ダレス国務長官と藤山外相が署名)で、@戦闘作戦行動について米軍の移動については事前協議の対象とせず、米軍の出撃行動に制限は与えないこととし、A核積載の艦船や軍用機の寄港や通過は事前協議の対象とせず、核持ち込みなどは容認することが合意されていた。歴代首相はそれを承知の上で、非核三原則(核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず)の堅持を言明するという、とんでもない嘘をつき続けてきたのである。
 こうして、改定された日米安保は、それ以降、今日に至るまで、あまりにも大きな変貌を遂げてきた。一九七二年「沖縄返還」で、極東最大基地である沖縄基地はそのまま在日米軍に組み込まれ、逆に、沖縄―「本土」を貫く日米軍事同盟が再編強化された。沖縄は引き続き米軍基地を集中させられた。のみならず、沖縄への自衛隊配備が開始された。
 ベトナムへの米帝の侵略反革命戦争の最前線基地として沖縄はその出撃拠点となった。日米軍事同盟は、より侵略的な軍事同盟へと再編されたのであった。同時に、「沖縄返還」にともなう日米密約がかわされ、莫大な費用負担を日本側が秘密裏に受け持った。一九七八年から始る思いやり予算の原型となったのである。
 それは、一九七三年から米空母ミッドウェーの横須賀母港化が開始され、日米密約によって、横須賀は恒常的な核拠点ともなったのである。一九七八年には、日米防衛協力の指針(ガイドライン)が策定され、日本に対する武力攻撃が発生しなくとも日米共同の軍事行動は可能だとされ、これ以降、日米合同軍事演習が急増するようになったのである。日帝は、日米安保のもとで、独自の帝国主義的野望に拍車をかけてきた。一九八〇年代に入ると、シーレーン防衛などと領土領海をはるかに越えた範囲までを日本の防衛ラインとし、こうした範囲での日米共同軍事行動を可能とした。こうした日米軍事同盟は、ソ連を封じ込め反帝民族解放闘争を圧殺することを主目的とする日米共通の帝国主義利益にそって変貌させられてきた。
 しかし、一九九一年、ソ連・東欧の崩壊に対応して、日米安保(軍事同盟)は、さらなる変貌を遂げた。ソ連・東欧のスターリン主義支配の崩壊によって、米帝の軍事戦略は、それまでのソ連封じ込めから、米帝にとって不利益となる反帝民族解放闘争を含むあらゆる反乱要素に対処するものへと転換しはじめた。
 こうして、世界新秩序の形成をかかげた米帝は一九九一年にイラクへの侵略戦争に突入し、また、日帝もこれに参戦し掃海艇を派兵したのである。こうした転換を受けて、日帝も、PKO法制定によるカンボジアへの独自派兵に踏みだした。そして、これらをふまえて、一九九六年には、日米両政府は「日米安保共同宣言」を発表し、日米安保体制を「アジア太平洋地域」へと拡大し、日米安保のアジア安保化へと決定的に踏み出したのである。同時に、SACO(沖縄に関する特別行動委員会)によって、普天間移設が合意された。
 アジア安保化を宣言したこの「日米安保共同宣言」を受けて、日米物品役務相互提供協定(ACSA)が締結され、一九九七年には「新ガイドライン」が策定された。日帝は、日米安保の変貌に対応して一九九九年には「周辺事態法」を制定し、実質的には中東へも対応する日米安保へと変貌を遂げてきたのである。二〇〇一年「九・一一事件」は、日米安保のさらなる変貌をもたらした。米帝のアフガニスタン、イラクへの侵略戦争に協力し、日帝は、テロ特措法(二〇〇一年)イラク特措法(二〇〇三年)などを通じて、次々と自衛隊の派兵を拡大させた。こうしたことを背景に、日米安保は、アジア安保からさらに「地球規模の日米同盟」、世界の全地域に対応しうる日米安保へと、ますます強化されてきたのである。こうして、二〇〇五年には、日米両政府は、「日米同盟 未来のための変革と再編」に合意し、その実施のために二〇〇六年「日米ロードマップ」を発表した。こうしていわゆる「米軍再編」が進められてきたのである。「米軍再編」は日米軍事同盟の新たな再編成であり、日米両軍の統合化・一体化と新たな米軍基地強化を進めようとするものに他ならない。
 こうしたなかで、日米安保(軍事同盟)の新たな再編成とこのもとで爆発する沖縄を初めとする新基地建設に反対する大きなうねりは、日米安保そのものを真正面から問題にすべき局面にきていると言える。いまから五十年前の日米安保改定に際しては、巨大な反安保闘争がたたかわれた。敗戦から十五年の当時、反戦平和意識はいまだ人々のあいだに広く存在していた。新安保条約は戦争への道を意味したのである。六〇年安保闘争は、これに先立つ、朝鮮戦争下での反戦闘争、原水爆禁止運動、再軍備反対闘争、憲法改悪策動反対運動、反基地闘争など、五〇年代のあらゆる社会運動を背景とし、かつこうしたの諸潮流を総結集するものだった。
 特に、一九五二年発効の安保条約下での砂川闘争や妙義基地化反対闘争などをはじめ激しい反基地闘争の経験、警職法闘争などを直接に引き継ぐたたかいでもあった。砂川闘争は、朝鮮戦争でソ連製ジェット戦闘機に圧倒された米軍が、新たにジェット推進の大型爆撃機を実戦配備し、そのための出撃基地として砂川基地を拡張し土地を接収しようとしたことに対するたたかいだった。妙義基地化反対闘争も、米軍が朝鮮戦争で山岳戦で朝中軍に大敗した経験から、山岳戦のための演習場を作ろうとしたことに対するたたかいだった。警職法闘争は、安保改定をめぐる反対闘争に備えて警察の権限を飛躍的に強化しようとする弾圧法に対するたたかいだった。
 六〇年反安保闘争は、こうしたたたかいの継続でもあった。また、韓国の四・一九革命に連動するたたかいでもあった。そして、五十年前の六月、安保改定の国会強行採決を阻止しようとしたこの反安保闘争のなかで、全学連主流派であった共産主義者同盟はその最先頭でたたかった。このなかで樺美智子さんは警官隊によって虐殺された。七〇年反安保闘争は、ベトナム反戦闘争と結合してたたかわれた。再建された共産主義者同盟は、再びその最先頭でたたかった歴史がある。
 こうした歴史をふまえて、いまこそ反安保闘争を復権すべき時だ。特に、沖縄は、かつて「本土」防衛の捨て石とされ、敗戦後は、米軍占領下、銃剣とブルドーザーで土地を奪われ、極東最大の米軍基地に従属させられ、ありとあらゆる基地被害を被ってきた。七二年「復帰」後も、引き続き一切の犠牲を集中させられてきた。同時に、侵略反革命最前線基地として出撃拠点化を強制されてきた。
 そして、いま、普天間基地の即時閉鎖、新たな基地建設に反対する沖縄のたたかいは、鳩山政権を追いつめ、日米両帝国主義による「米軍再編」=日米安保(軍事同盟)の新たな再編強化の前に立ち塞がっている。それはまた、岩国基地大拡張に反対する岩国市民のたたかい、神奈川における反基地闘争、こうした各地の反基地闘争と一体である。鳩山政権は、徳之島への普天間基地機能の一部移設と桟橋方式での辺野古新基地建設など、結局は、沖縄に基地負担を押しつけようとしている。
 「将来的にはグアム、テニアンへの移設もありうる」から我慢してくれと言うことなのであり、実際は、新たな基地強化、基地の永久化・固定化なのである。そうして、今秋横浜APEC時の日米首脳会談で「新安保共同宣言」を発しようなどという魂胆なのだ。「県外・国外」などと公言しながら、ぬけぬけと辺野古沿岸と徳之島への新基地建設を押しつけようとする鳩山政権に一辺の幻想ももつべきではない。ただ、人民の反基地闘争のみがすべてを決定する。そもそも日米安保(軍事同盟)とその再編強化を前提に基地負担の軽減を口先で語って人々に納得してもらおうなどという魂胆がそもそも間違っているのだ。
 普天間基地の返還も移設条件付きである限り、基地のたらい回し以上の何ものも意味しない。無条件に普天間基地を閉鎖すべきなのである。米軍基地の存在根拠である日米安保そのものを破棄することこそ、根本的解決なのである。日米安保そのものを問わねばならない。日米安保体制を維持することは所与の前提であるかの枠組みそのものを解体すべきなのだ。また在沖米軍は「抑止力」の役割を果たしているなどというペテンを粉砕すべきなのだ。そもそも沖縄に集中する海兵隊は「抑止力」などではなく侵略のための殴り込み部隊なのだ。「軍事力には軍事力で」という冷戦思考、しかも、その軍事力(日米安保)は、人民を守る軍隊ではなく、人民に銃をむけるブルジョアジーの軍隊ではないか。日米安保そのものを粉砕すべきなのである。日米安保条約は六〇年改定から十年間効力を有した七〇年以降は、いつでも一方が破棄を通告さえすれば一年で終了する条約である。いまこそ反基地闘争の反安保闘争としての発展を全力で推し進める時である。日米安保そのものを葬り去れ。
 AWC国際組織とアジア共同行動日本連はともに、沖縄、「本土」各地、韓国、フィリピンなどアジアから米軍と米軍基地を総撤収させることを掲げてたたかってきた。六月アジア共同行動を、韓国労働運動連帯の闘争と結合して、普天間即時閉鎖、新基地建設阻止、反基地反安保闘争としてたたかうことを呼びかけている。五・一六普天間包囲闘争、岩国基地大拡張に反対する五・二三岩国集会などを全力でたたかい、六月アジア共同行動に結集しよう。


 ●3 AWC運動の発展をかちとろう

 労働者、学生は、日韓労働者連帯、反基地反安保を掲げる六月アジア共同行動に結集し、ともにアジア共同行動の前進のために奮闘していこう。
 アジア共同行動日本連は、本年三月一四日に第十五回総会を開催し、二〇一〇年度の方針を決定した。
 アジア共同行動日本連は、二〇一〇年度のたたかいとして、第一に、反戦・反基地・反安保闘争の大攻勢をかけていくことを訴えてきた。「普天間基地即時返還・辺野古新基地建設阻止、沖縄―岩国―神奈川、韓国・アジアを貫く反米軍基地闘争・反安保闘争の大攻勢を!アジアからの米軍の総撤収、日米軍事同盟の破棄を掲げてたたかおう!五月に向かって、総力で普天間基地即時返還・辺野古新基地建設阻止闘争を各地で推進しよう!」(アジア共同行動日本連第十五回総会決定集から)と呼びかけ、五月十六日、普天間基地包囲行動に総決起することを訴えている。
 アジア共同行動日本連は、今春期、普天間即時閉鎖、辺野古新基地建設阻止を全人民的政治闘争へと押し上げる必要があること、その一翼で総力でたたかうことを決定した。同時に、これと結合して、岩国基地大拡張に反対するたたかいを全国各地で推し進め、十二月四〜五日(予定)には、岩国国際集会の開催を呼びかけている。
 沖縄、岩国、神奈川の反基地闘争を一つのものとして推し進め、五月全国各地で普天間即時閉鎖・新基地建設阻止を掲げた反基地集会を推し進め、十六日の普天間包囲から、五月二十三日岩国大集会、そして、六月アジア共同行動を反基地・反安保闘争として総力でたたかおう。
 第二に、十一月G20―横浜APEC反対闘争を反基地闘争と結合した国際反帝共同闘争としてたたかうこと、ソウルでのG20反対闘争、横浜APEC首脳会談反対闘争を、韓日連続闘争として、アジア太平洋地域の反帝国主義勢力の共同闘争としてたたかうことを決定した。そして、このたたかいと結合して、AWC国際幹事会(CCB)を神奈川で開催することを決定している。G20―横浜APEC反対闘争を国際反帝共同闘争でたたかおう。
 第三に、反貧困、反民族排外主義とのたたかいを強化すること、特に、「在日外国人の特権を許さない市民の会」や「主権回復を目指す市民の会」などの差別主義者・民族排外主義者と対決するたたかいを全国で強化することを呼びかけている。
 京都では、朝鮮学校に対する襲撃に抗議する三月二十八日大集会が開催され、その後も学校襲撃に抗議する共同声明運動が進められている。また、五月三十日には、在特会や主権回復を目指す会らの暴力を許さず、排外主義に反対する関西集会が五・三〇実行委によって呼びかけられている。在特会らを街頭で圧倒するたたかいを継続しよう。
 第四に、国際連帯を推進すること、特に、ロッテワールド建設による露天商排除に対する国際的な抗議集中(四月に妥結)、また、KMU(五月一日労働運動センター)の要請にもとづき、フィリピンにおける医療労働者四十三名の不当逮捕に抗議し、その釈放を求める国際的な支援を決定した。
 フィリピンでは、ここ数年で九百名以上の労働者・農民・学生が、軍によって殺害されるという反革命テロが吹き荒れてきた。医療労働者四十三名の拘束も、政府によるこうした攻撃に他ならない。民族民主主義勢力に対する弾圧攻撃である。政府は、「退役軍人などの暗殺をはかるために爆弾をつくっていた」などというシナリオで事件をでっち上げ、四十三名の医療労働者を不当に逮捕・拘束している。アジア共同行動日本連は、こうした不当弾圧、人権侵害に対して、フィリピン政府に対する抗議の集中と四十三名の即時釈放を求める署名運動を決定し、全国に呼びかけた。こうしたアジア共同行動日本連の呼びかけに応え、全力でその要請に応えていこう。
 同時に、AWC運動の意義を改めて確認し、その発展のために労働者学生が奮闘することを呼びかける。
 「日米両帝国主義のアジア侵略支配に反対するアジア・キャンペーン(AWC)」は、一九九二年に結成された。一九九二年、自衛隊のカンボジア派兵が強行された年に、これに反対する「日米軍事同盟と自衛隊の海外派兵に反対する国際会議」が日本でアジア地域十二カ国地域の民衆組織の参加で開催された。この国際会議(第一回国際総会)で国際的なネットワーク組織としてAWCが出発した。
 AWCは、一九九五年に第二回国際総会を開催し、これを受けて、アジア共同行動日本連が発足したのである。AWCは、結成以降、毎年、国際幹事会を開催し、これまでに、韓国、フィリピン、台湾、インドネシア、マレーシア、香港、日本で行なわれてきた。また、一九九七年のマニラAPEC反対闘争以降、韓国、香港、日本などで反帝国主義闘争を国際共同闘争として果敢にたたかってきた。特に、二〇〇一年、米帝国主義のアフガニスタン侵略戦争以降は、国際的な反戦闘争を反帝国主義闘争としてたたかいぬいてきた。
 昨年(二〇〇九年)、AWCは第三回国際総会を開催し、世界恐慌下におけるアジア太平洋地域における共同の反帝国主義闘争と労働者人民の国際連帯闘争の新たな開始に踏み出した。現在、AWCは、フィリピンBAYAN(新民族主義者同盟)、台湾労働人権協会、AWC韓国委員会、インドネシアYMB(文化活動家ネットワーク)、米国・ANSWER連合などを中軸としたアジア太平洋地域における反帝国主義闘争の実践的で国際的な共闘組織として発展している。さまざまな国際的組織とその運動のなかでAWCが有している優れた点は、反資本主義・反帝国主義を明確にした政治性と、かつ、その実践性にある。
 AWCは、アジア太平洋地域における共同の反帝国主義闘争を組織する国際的な共同闘争組織として発展してきた。こうしたAWCの国際的な組織と運動は、帝国主義グローバリゼーションのもとで、これからもますます重要な役割を果たすものとなっていくであろう。すでに、各国地域の労働者階級人民にとって、資本主義・帝国主義に対して共同のたたかいを進めていくことは、ますます実践的に要求されているからである。
 同時に、こうした組織と運動は、日本における労働者階級人民にとっても極めて重要な意義をもっている。日本の労働者階級人民は、自国帝国主義(日帝)打倒に向けてプロレタリア国際主義に貫かれたたたかいを組織し続けねばならない。そのためには、プロレタリア国際主義を自国帝国主義の打倒という問題にのみ一面化し、プロレタリア国際主義を観念的な理念に非実践的なものに落とし込める傾向や、また、その裏返しでもる、自国帝国主義打倒を欠落させるコスモポリタニズムとでも言うべき傾向とたたかわねばならない。
 アジア共同行動日本連のたたかいは、アジアにおける反帝民族解放闘争と実践的に連帯し、自国帝国主義と闘争することに貫かれている。同時にまたそれは、反帝民族解放闘争への連帯を共通の任務とする帝国主義国内左派勢力の国際的な共同闘争を生み出している。先進的な労働者学生は、六月アジア共同行動に結集するとともに、こうしたアジア共同行動日本連のたたかいをともに前進させるべく奮闘していこう。

 

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