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  ■総選挙の結果と民主党連立政権の発足について





 さる八月三十日に行なわれた第四十五回衆議院選挙は、日本の戦後政治の歴史を画す結果を残して終わった。今回の選挙で自民党は歴史的な大敗を喫し、それまで衆院で保有していた議席数の約60%をいっきょに失い、一九五五年の結党以来、初めて衆院第一党の座から転げ落ちるという事態となった。小選挙区では、自民の「大物」有力議員が相次いで落選した。マスコミがこぞって書きたてたように、まさに自民党の足もとを揺さぶる激しい「地殻変動」が起こったのである。自民党の地すべり的・瓦解的とも言える敗北を生み出したのは、何よりも、自民を中心とする自公政権に対して噴出した労働者人民の猛烈な怒りであった。恐慌情勢と貧困・生活危機の深まりのなかで、自公政権に対する人民の不満・不信が爆発的に高まっていたことが、今回の事態をもたらした主要因である。

 自民党を打ち破って野党第一党の民主党が圧勝した。自民党と民主党の位置は、そっくり入れ替わり、与野党は逆転した。民主党は大躍進した。だが、事前の各種調査にも示されていたように、民主党に対する労働者人民の期待度はそれほど大きなものではなかった。自民・民主両党はともに、支配層の利害を代表するブルジョア政党である。人々は、この二大政党のあいだに内容上の大きな相違はないとうすうす感じ取っていた。選挙前には民主党は、政治献金問題をめぐって、自民党と変わらぬ「金権腐敗体質」を自己暴露していた。

 にもかわらず民主党が一人勝ちと言える大量議席獲得に成功したのは、生活破壊に怒り、その改善を願った労働者人民のなかに、「自公政権には何も期待できない」「自民党政権はもうたくさんだ」という気持ちが広く充満していたからである。その受け皿として民主党が存在した。しかし、民主党への投票行動は、自民党を敗北に追い込むための、いわば「消極的選択」という性格が濃厚であり、選挙結果は「自民の自壊的敗北」であって、必ずしも「民主党の勝利」を意味していたわけではない。

 ともあれ、戦後の自民党支配の長い歴史には、ついにピリオドが打たれた。総選挙の結果を受けて、「政権交代」が実現した。九月十六日、鳩山が首相に就任し、民主党と社民党、国民新党が連立を組む鳩山内閣が発足した。九月十六日から十七日にかけて行なわれた新聞各社の世論調査では、鳩山内閣の支持率は71%(朝日)75%(読売)(日経)77%(毎日)などを記録し、「政権発足時としては、二〇〇一年四月の小泉内閣の80%に次ぐ歴代第二位の高水準となった」(日経ネット)。鳩山新内閣の登場とともに、日本の政治状況の新しい局面が幕を開けつつある。来年の参院選を射程に入れて再度の政党再編が引き起こされていく可能性をはらみながら、今後、巨大な政治的流動と政治的混乱が国会内外で始まっていくであろう。何よりも重要なことは、このなかで巨万の人民が政治の渦のなかに投げ込まれ、現状の変革を求めて、みずからの階級的利害を主張し始めるであろうということである。政治が大きく活性化していく時期が到来する。新しい政治状況を、日本帝国主義に対する階級闘争を前進・発展させていく条件・推進力に転化していくべく、われわれは奮闘せねばならない。そうした作業の一環として、ここで〇九年総選挙の結果をあらためてふり返りながら、発足した新政権の基本的性格について以下、みていく。



 ●1章 09総選挙の結果と諸特徴


 まず、ごく簡単に、今回の総選挙の結果について再確認しておこう。以下、箇条書きする。

 @自民は議席を公示前三百議席から百十九議席に激減させた。小選挙区では海部俊樹、中川昭一、尾身幸次、与謝野馨、山崎拓、久間章生など、元首相、閣僚経験者、党幹部が相次いで落選した。自民党の連立パートナー・公明党も議席を減らし、公示前三十一議席は二十一議席となった。小選挙区では、太田代表、北側幹事長らをはじめ公明党の候補者は全員が落選した。自民べったりの政治姿勢が大幅な議席減を招いたのである。これらの結果、衆院での与党・自公勢力は、公示前三百三十一議席が百四十議席となり、議席の半分以上を失った。

 A民主党は議席数を公示前百十五議席から三百八議席にほぼ倍増させ、単独で衆院過半数(二百四十一議席)を大きく超えた。議席占有率は64・2%となり、戦後最高を記録した。

 B共産党は比例区で九議席を獲得し、議席数を維持した。選挙では共産党は、誕生が予想される新政権には是々非々で対応するという「建設的野党」論を強調した。これにより、民主党の一人勝ちに危惧する部分からの一定の支持を得た可能性はある。

 C社民党もまた現有議席維持の七議席獲得にとどまった。社民党は新政権への閣内協力を示唆しながら、「政権内部の歯止め」論を主張した。だが、これが得票に結びついたかどうかは疑わしい。

 D国民新党、みんなの党、新党日本はそれぞれ三議席、五議席、一議席を獲得した。国民新党は、綿貫党首、亀井幹事長を失い、「郵政民営化反対」のシングルイッシュー政党としての役割が終わったことを印象づけた。三百三十七人の候補者を立てた幸福実現党は当選者ゼロという結果となった。幸福実現党は選挙期間中には、「反北朝鮮・改憲」キャンペーンを大々的にくり広げた。かれらは自民のファシスト的別働隊として自民党の右翼的扇動に呼応し、選挙を利用して排外主義の基盤拡大に役割はたそうとした。

 E戦闘的労働者・市民の応援を受け、全国で社民党所属の反改憲・反基地候補が健闘した。沖縄二区では照屋寛徳候補が、比例区近畿ブロックでは服部良一候補が当選を果たした。東京八区では保坂展人候補が自民党・石原伸晃との接戦を展開した。また民主党候補ではあるが、山口二区で、空母艦載機部隊の岩国基地への移転に反対する平岡秀夫候補が当選した。沖縄では、辺野古新基地を容認する自民党候補は四選挙区すべてで落選し、比例区も含め自民党の獲得議席はゼロであった。これは沖縄人民の意思としてある普天間基地無条件返還・辺野古新基地建設反対の意思がつらぬかれたことを意味する。

 F今回の投票率は69・29%であった。前回〇五年の「郵政選挙」の投票率67・51%を上回り、一九九六年の小選挙区比例代表並立制導入後では最高となった。今回の選挙に対する有権者の高い関心が示されている。

 G今回、比例代表での二大政党の得票率は民主42・4%、自民26・7%、小選挙区での得票率は民主47・4%、自民38・7%であった。比例代表では民主の議席獲得数は八十七、自民五十五であり、小選挙区では民主の議席獲得数は二百二十一、自民は六十四であった。小選挙区では民主と自民の得票率の差は10%にも満たなかったが、議席獲得数では三・五倍の開きとなって現れている。小選挙区制が、いかに非民主的な選挙制度であるかが、今回も明確になった。

 次に自民・民主を中心に、その敗因・勝因などについて述べる。



 ●2章 自民の敗因―「支持基盤崩壊」の意味


 自民党にあっては、あらゆる階層で不支持が拡大したことが顕著であった。これは一過性の現象ではない。少なくとも〇七年七月の参院選を前後する過程から、そうした傾向は明確に現れていた。今回、都市部・農村部を問わず、自民党「不支持」「離反」の動きはさらに広がった。

 自民党の最大の直接的敗因は、自民みずからつくりだしてきた経済的・政治的現実に根拠を持つ。小泉政権時代をはさんでこの十数年間、雇用の二極化―失業と非正規雇用が拡大し、ワーキング・プアと呼ばれる貧困層が増加しつづけてきた。賃金の低下に加え、人々の生活の基礎を支える医療・年金・介護・福祉・教育制度の大幅な劣化が進んだ。規制緩和や公共事業・補助金削減のもとで「地方の疲弊」もつづいてきた。〇八年秋以降の金融恐慌―世界恐慌の開始は、日本社会の状態をいっそう過酷なものにした。さらに日米軍事同盟の強化・海外派兵の拡大、沖縄・日本「本土」各地における米軍再編・米軍基地の強化が、労働者人民・基地周辺住民の意思を無視して強権的に進められてきた。

 加えて、〇七年参院選直後の八月には安倍が、次いで翌〇八年八月には安倍の後継・福田が相次いで政権を放り出すという無責任な姿をさらしたことが、自民党への支持率をいっそう低下させた。〇八年九月には、福田辞任を受けて麻生が総裁・首相に就任した。民意を完全に無視しての、政権たらい回しがつづいた。首相に就任した麻生の最大の任務は、早期の衆院解散―総選挙であり、「選挙の顔」として自民党の起死回生をはかることにあった。だが麻生は解散をためらいつづけ、他の閣僚ともどもさまざまな失態を演じることで、自民党の権威をますます失墜させた。このようななかで、いわば必然的に自民支持層を含んで、広範な労働者人民のなかから「自民撃つべし」の声が澎湃(ほうはい)としてわき起こっていったのである。

 本年八月の選挙戦に入って麻生は、小泉「構造改革」の当否にはふれぬまま、突如として「行き過ぎた市場主義批判」を口にし始めた。だが労働者人民の厳しい批判の広がりの前には、そのような欺まん的な言辞は何の役にも立たなかった。他方では麻生は、右翼政治家としての本性をあらわにしながら、「生活の不安、北朝鮮の脅威から日本を守る責任政党・自民党」などと絶叫しつづけた。

 選挙戦において自民党は党組織としての体裁を保つことすらできなかった。「小泉構造改革」の評価で一致せず路線的に分裂し、党内に「麻生おろし」の動きがくすぶるなかで、党首を前面に押し立てて選挙にのぞむという、政党としては当たり前の党内意思一致すら形成できなかった。自民党は戦意沈滞と組織分散状態のまま選挙戦に突入した。もはや自民党には敗北の道しか残されていなかったと言える。

 選挙においては、党の支持基盤がガタガタになっていることが隠しようもなく暴露された。選挙の結果を受けて『産経新聞』(八月三一日付)は、「自民、支持基盤が崩壊」との見出しをつけた記事のなかで次のように述べた。「自民党の場合、深刻なのは同党の支持者も固められなかった点だ。同党支持者からの(票の)獲得は53・7%で、ほぼ半数が他党に投票したことになる」。これを裏付けるように、新聞各社の出口調査では、自民支持層の30%以上の票が民主党に流れたという結果が出ている。〇五年総選挙時に郵政民営化に反対して自民党支持をやめた全国特定郵便局長会(現在、全国郵便局長会)につづき、今回も、建設・医師・農民などの自民支持団体が、党に反旗をひるがえしたり非協力的な態度をとったりするという事態があちこちで発生した。

 今回の自民党大敗には歴史的な根拠もある。族議員が官僚と結び、特定の団体を通じて「利益配分」や「利益誘導」を行なっていくというのが伝統的な自民党政治の手法であった。だが、高度経済成長が終わり低成長・ゼロ成長時代に入るなかで、そのようなやり方はもはや成り立たなくなった。「政・官・業のトライアングル」と呼ばれた癒着(ゆちゃく)の体制は、「官僚の天下り」など、あまりに無駄が多いと体制内部からも批判の槍玉にあげられるようになった。建設業界、農協や医師会など、利権で自民党と結びついてきた諸団体からすれば、自民党を支援せねばならない根拠はきわめて希薄になった。これが言うところの「支持基盤の崩壊」の中身である。しかし他方で自民党は大ブルジョアジーの利益を擁護する政党である。中小の業界団体などからの支持が存在するということは、自民党がブルジョア政党として存続していくうえでは、重要だが、あくまで一つの条件にすぎない。もっとも肝心なことは、大ブルジョアジーからの支持を得られるかどうかという点にある。

 さかのぼること十六年前の一九九三年、党分裂とその後の総選挙において、自民党は戦後初めて野党に転落した。これを受けて、当時の日経連は自民党への政治献金あっせん廃止を決定した。自民党はブルジョア政党として存続できるかどうかの大きな岐路に立たされた。その後、自民党は、九四年に村山連立政権(自民・社会・さきがけ)を成立させ、これを足がかりにして再び与党としての復権を果たした。一九九六年には橋本自民党政権が誕生し、自民党はいったん結党以来最大の危機を乗り切った。時あたかも日本独占ブルジョアジーは、グローバリゼーションの時代という新しい国際環境への対応をせまられていた。自民党は政権党として、ブルジョアジーからの期待と要請に応えていくことを求められた。二〇〇二年、日経連と経団連が合同し、日本最大の財界団体として日本経団連が発する。自民党はこれに寄りそいながら、〇三年「奥田ビジョン」という多国籍企業展開の拡大を基軸とする新たな基本路線を受けて、新自由主義党として党の「自己改革」をはかろうとしてきた。小泉「構造改革」路線は、その端的な表明であった。〇四年から日本経団連は、自民党と民主党の二党の政策評価を毎年公表するようになる。ここにおいて日本経団連は、民主党とは比較にならないほど圧倒的に高い評価を自民党に与えつづけた。小泉政権のもとで、自民党は再度、財界との蜜月関係を取り戻すことができた。

 しかし、事は順調には進まない。自民党はいわば、みずから墓穴を掘りつづけた。「構造改革」路線が労働者人民に悲惨な結果をもたらした元凶であることがしだいに明らかになるにつれ、労働者人民の憤りは、財界と自民党との友好な関係をも吹き飛ばすことになった。〇七年と今回〇九年の二つの国政選挙で、自民党はブルジョアジーからの信頼を大きくそこなった。資本家階級にしてみれば、ある特定の政党がいくら評価に値する政策を保持していたとしても、政策実現能力と人民統治能力を欠いているなら、その政党の存在価値はない。いま日本のブルジョアジーは、階級支配がかつてなく不安定化していっていることを感知し危惧している。それがますます深まっていくことを恐れている。日本経団連は今回の選挙を前にして、「次期総選挙における各党政権公約に期待する」という声明を発表し、冒頭、次のように述べた。「わが国は世界同時不況という荒波の直撃を受け、未曾有の危機に直面している。現下の雇用への不安に加えて、少子化・高齢化の進行、深刻な財政赤字、そして社会保障制度に対する不信が相俟って、国民は将来への展望を失いかけている」「次期総選挙では、まずもって各党がこうした危機意識を共有することを求める」。ブルジョアジーは強力な人民統治能力をもつ保守政党を欲している。今回の総選挙の結果は、自民党がブルジョアジーのこのような要求に、こたえられる政党ではなくなっていることを示した。

 自民党は再び野党に転落した。自民党には与党として復活していく道はあるのだろうか。自民党のなかには、党の再建ではなく再度の政党再編に望みをたくそうとする敗北主義も広範に存在する。選挙前の『朝日新聞』(八月十八日付)の候補者調査では、「近い将来に政界再編が必要」という項目に賛成と答えた自民党の候補者は62%にのぼっている。自民が消滅するかもしれないという危機感は党内にも保守言論にも強い。『産経新聞』(八月三一日付)は言う。「保守政党として再出発できるか。自民党は岐路にさしかかっている」「あえて『消えるな!自民党』とエールを送りたい」。自民党の復活を望む保守勢力からは、自民再建に向けたテコ入れが行なわれるだろう。しかし、人民の怒りに吹き飛ばされ、あまりにたくさんの議席を失った自民党が、九三年から九四年にかけての復活劇の再来を願望したとしても、そこには相当な困難があるのは明らかだ。肝心の党の路線はどう再確立していくのか。九月十八日からスタートした自民党総裁選においても、この点は不分明である。もはや公然と新自由主義をよしとする路線を正面からかかげることはできない。経済成長を前提とした利益誘導型路線は成立の根拠を失っている。だとすれば、党内右派・歴史修正主義者たちを中核として、右翼イデオロギー政党に純化していく道を選ぶのか。あるいは、民主党の失速がやって来ることを、ただひたすら待ちつづけるというのだろうか。いずれにせよ、支配階級の二大政党の一方を占める政党として自民党が復活することは、労働者人民にとって何の利益もないことだけは間違いない。



 ●3章 民主の勝因―だが問題の多いその政策


 今回の選挙結果は「自民の敗北」であって「民主の勝利」ではなかったとしても、圧勝を実現した主体的要因が民主党の側になかったというわけではない。〇七年参院選時と同様の民主党の「国民生活第一」の主張や、自民党政治からの「変化」、「政権交代」が必要などの訴えは、それなりに有権者の関心を引きつけたことは事実である。そしてマニフェストを軸にした政治キャンペーン、比較的若い候補者を前面に立てての精力的な選挙活動、小沢を先頭にした自民支持基盤の掘り崩しなどは、今回の大勝をみちびいた民主党の側の主体的な勝因であったと言える。

 しかし、民主党の最大支持団体・連合を別にすれば、選挙戦において民主党とその政策に対する支持は、民主党が獲得した議席数ほどには大きいものではなかった。「暮らしのための政治」と言いながら民主党にあっては、今回の選挙の最大の争点たりうるはずであった格差・貧困、雇用・失業問題などへの言及は、まったく不十分なものであった。「子ども手当」や「公立高校の実質無償化」なども公約にかかげられたが、強い支持は得られないままであった。選挙直後の『朝日新聞』の世論調査では、「子ども手当」への賛成は31%、反対は49%、「高速道路無料化」には賛成20%、反対65%という結果となっている。こうした民主党の政策に反対意見が多かったひとつの理由は、財源問題があいまい・不可解という点にある。法人税や軍事費の領域を事実上、聖域化したうえで、予算の組み換えだけで必要な財源を捻出するという方法が、そもそも怪しいと思われた。財源が足りなければ、赤字国債の増発や「四年後」と示唆されている消費税増税など、結局、大衆収奪の方法に頼ることになるのではないかという疑念は最後まで払拭されなかった。民主党は「農家の戸別所得補償」を言うが、同時に、日本の農業に壊滅的打撃をあたえることが明白な、日米自由貿易協定(FTA)の「交渉を促進」するということもかかげている。当然のことながら農民層から大きな反発も起こった。「高速道路無料化」は、車を所有していない人たちには何のメリットもないばかりか、実質上増税になる可能性がある。またこれには、環境破壊の観点から反対の声もあがった。あとでふれることになる「軍事・外交」「国家機構」「憲法」の関連をのぞいたとしても、一見、進歩的にも映る民主党の公約は、政策上の問題点があまりに多い。外見はおいしそうでも、安心して食べられない汚染米のようなものだ。そうなったのは、ともかく選挙で勝つために、見栄えのする政策をそろえようとしたからであり、また何よりも、独占資本の利害を侵害することを避け、それと「国民生活第一」の政策を両立させようとしたからである。そしてこのような、政策上のゆがみ・ちぐはぐさという問題点は、そのまま新政権に引きつがれている。



 ●4章 しだいに明らかになる新政権の性格


 民主党は「国民生活第一」をかかげ「新自由主義とは距離を置く」ことをアピールして選挙に勝利した。だが、民主党の中心を占める勢力が新自由主義から脱却したとは言いがたい。小泉政権の時代に、当時の鳩山代表が小泉の「構造改革路線」に賛意を表明し、「改革」の中身を競おうと小泉に呼びかけていたことは記憶に新しい。それは誤りとして、総括されているわけでもない。本年の「Voice九月号」に掲載された『私の政治哲学』と題した論文においても鳩山は、「小さな中央政府・国会」と「地方分権・地域主権国家」の創設が、十数年来、変わらぬ自分の政治信条だと書いている(鳩山の『私の政治哲学』については、「反共思想としての『友愛』」「『新・大東亜共栄圏』を構想する思想としての『友愛』」の観点から、本紙・一面政治論文で別途、批判がなされているので、それを参照のこと)。鳩山の「小さな国家」論が、ほかならぬ「国民生活」を侵害する民営化・福祉削減・公務員削減などと両立しないとは考えにくい。

 総選挙を通じて新自由主義は断罪された。だがそれは、全否定されたのでも、消滅しているわけでもない。新自由主義は新しい装いをまとって復活してくる可能性がある。なぜなら、恐慌情勢が継続するなかで、利潤率の低下を嘆く資本の側が危機を乗り切っていくためには、たとえ一方で口当たりの良いことを言ったとしても、結局は労働者人民の搾取・収奪の強化に頼るほかないからである。それを徹底推進する新自由主義政策と新自由主義イデオロギーは、ブルジョアジーにとってなお不可欠である。民主党が今後、ブルジョアジーの意向を受け入れて、この面でも「変身」をとげていく可能性は十分にある。

 民主党はまた自民党に劣らず帝国主義的大国主義を指向する政党である。ふたたび幹事長のポストについた党内最大の実力者である小沢の著『日本改造計画』(一九九三年)の柱の一つは新自由主義の勧奨であり、また「普通の国・日本」の主張であった(ただし新自由主義に関しては、小沢は最近では「日本型セーフティネットの構築」を提唱するなど、新自由主義政策とセーフティネットの充実を両立させていくという方向に、主張を変化させていると言われている)。日本も米帝や英帝のように、強大な軍事力を有し、国際的な影響力を持つ「普通の」帝国主義とならねばならないというのが、その主張の内実である。小沢と民主党は「国連中心主義」を標榜してきた。国連決議があれば、海外のどこへでも自衛隊を派兵できるし、武力行使も行うことができる、それらは現行憲法のもとでも可能だというのがその主内容である。こうした考えは現在においても、民主党内で否定されてはいない。

 連合という労組ナショナルセンターを最大支持基盤とはしているが、現在の民主党は社会民主主義政党でもないし、労働者政党でもない。民主党政権をオバマ政権にたとえる評価もあるが、それも的はずれである。オバマ政権は仮にも米国貧困層からの圧倒的支持を得て成立した。敵失によって成立した民主党政権は、人民からの熱烈な支持・期待を欠いている。民主党は正真正銘のブルジョア政党である。しかし現在の民主党政綱の内容が、多国籍企業の利益を最大化しようとする大資本の基本路線とは一定のズレがあるのは確かである。現在の民主党の経済政策、安保外交政策などなどは、総資本の指向とは距離がある。したがって、民主党は今後、太いパイプのなかった財界との関係を形成しつつ資本家階級との協調関係を強め、いくつかの選挙公約を否定・後退させていくことを迫られていくだろう。

 この点に関連して、興味を引くのは、『読売新聞』(九月一日付)に掲載された選挙総括についての対談である。そこで出席者の一人である中曽根康弘(元首相)は、民主党政権のもとでこれまでの外交・安保政策の継続性ははたして保障されるのだろうかという危惧に対して、心配することはないと次のように答えている。「いずれ国会が開かれれば、自民党からいろいろな質問が出る。そのたびごとに少しずつ修正していく。そしてまあ、和(なご)やかなものに変えていく。そういうことが年内かけて行われるだろうと思う。国民から見ると、何だこのザマは、という失望感を生むかもしれないが……それで政権というのはだんだん落ち着いていく」。ここで中曽根が言う「和やかなものに変えていく」とは、民主党が選挙で掲げた公約を、支配者階級にも受け入れられるものに変えていくという意味以外ではない。九十歳を越え、いまなお保守政治界において発言力をもつ中曽根の予測は、おそらく大きくはずれることはないだろう。

 現状では、日本最大の財界団体、日本経団連の民主党に対する評価はすこぶる低い。先述した「政策評価」(〇八年九月十七日)では、全部で十項目ある「優先政策事項」の「合致度」において、四段階評価で自民党にはAが七つ付けられているのに対して、民主党にはA評価はゼロ、残りはB以下である。最低ランクのD評価も一つある。D評価になっているのは「雇用・就労問題」である。六つあるC評価は「税・財政改革」「社会保障制度改革」「地球環境対策」「道州制導入」「通商・投資政策」「憲法、外交・安保政策」(項目の内容は簡略化した)についてのものである。これらの項目を見れば、日本経団連が民主党に抱いている不満・危惧の内容はおおよそ分かるし、不満や危惧が決して小さいものではないことも容易に推察できる。しかし日本経団連こそが、階級支配の安定装置として二大政党制の成立を望んできたのである。そして今回、それは民主党政権の誕生という形で実現した。日本経団連など財界は現在、政権を獲得した民主党を、みずからの意に沿うブルジョア政権党として育てあげ、飼いならしていくという課題に直面している。これまで自民党支持一本槍で来た日本経団連には、これは初めての経験である。回り道や多少の紛争・いざこざが起こることも覚悟せねばならない。だが、新しいブルジョア政権党の育成という点に限っていえば、ブルジョアジーは事態を楽観視している。日本経団連の政治対策委員長・大橋光夫(昭和電工会長)は、「民主党への期待と注文」を問われて次のように言う。「政権を取って国家運営に深く関与すれば、野党の時とは主張が変わってくるだろう」「遠慮なく修正して欲しい」(『朝日新聞』・九月五日付)。



 ●5章 鳩山新政権はどこに進んでいくのか


 さて、選挙直後から新政権発足を前後して、新政権の今後のあり方を規定するような動きがいくつも発生しつづけている。とくに注目すべき事態の一つは、民主党の日米同盟への態度、対中・対アジア外交戦略に向けられたさまざまな批判の噴出である。民主党のマニフェスト・第七項「外交」には「緊密で対等な日米関係を築く」「東アジア共同体の構築をめざし、アジア外交を強化する」などの内容が盛り込まれている。これらが内外で、「日米関係を後景化し、アジア・中国を重視する外交戦略に転換するもの」と受け止められた。焦点となっているのは、日米安保・米軍再編の問題である。民主党のマニフェストには「日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」ことが記載されている。同じ一文は九月九日の民・社・国の「三党連立政権合意」にも明記された。これに対して、何よりも米帝の側から、そして日本の保守層・保守メディアから激しい反発と批判が起こった。民主党に圧力をかけてその「公約」をくつがえそうとする米政府・軍関係者の言動が、選挙後直後からつづいている。軍事力に頼る以外に世界を支配する展望を失った米帝にとって、米軍再編計画を揺るがせにするような動きは絶対に容認できないことだ。「アフガニスタンの実態を踏まえた支援策」(三党合意)や、インド洋での自衛艦による給油活動から来年一月には撤退するとの鳩山の言明も、非難されている。しかし、民主党にすれば、日米同盟関係基軸論は大前提であり、一部手直しを要求こそすれ、米軍再編などを全面否定する気持ちはない。NYタイムズに掲載された『私の政治哲学』の要約の一部、たとえば「冷戦後、日本は米国主導の市場原理主義、グローバリゼーションにさらされ、人間の尊厳が失われている」などの主張をもって、「鳩山は反米主義者だ、反グローバリストだ」と決め付けられるのは、鳩山にはまさに心外であろう。鳩山民主党に向けられた米国からの疑念を受け、九月二十二日、鳩山は、首相就任後初の日米首脳会談において、「自分の内閣でも日米同盟を日本外交の基軸として重視していく」(毎日)と表明した。

 ただし、「東アジア共同体の構築」をめざすという民主党の主張は、これが具体的な姿をとっていけば、米帝や日本の対米従属派との少なからぬ摩擦を生じさせずにはおかないだろう。「東アジア共同体の構築」の主張は、「対等な日米関係」という主張と合わせれば、日本帝国主義が中国との関係を深めながら米帝から距離を置き、自立指向を強めていくことを意味する。問題が煮つまっていけば、日米同盟関係にヒビを生じさせかねない事態にまで発展する。だが、EUを念頭に置く「東アジア共同体の構築」という民主党の主張は、中国・アジア市場をめざして資本投下を急速に進めている日本ブルジョアジーの動きと、明らかに共振している。日本の支配者階級主流にとって、〇八年九月以降の金融恐慌の開始によって決定づけられた、米帝を中心国とする一時代の終えんという事態を踏まえるならば、米帝との関係を多かれ少なかれ相対化し、中国・アジア地域に経済と外交の重心をシフトしていくことはもはや避けて通ることはできない。それは日本帝国主義ブルジョアジョーの死活をかけた戦略的な課題である。民主党とブルジョアジーとの関係は、必ずしも一方通行的な関係ではない。政権党となったこの民主党の「東アジア共同体の構築」という主張にブルジョアジー主流が乗りかかり、対米戦略の手直し、対アジア戦略の明確化を急速に進めていくことも十分にありうることだ。

 また「二〇二〇年までに温室効果ガスを一九九〇年比で25%削減」との民主党の選挙公約が、財界とのあいだで対立議論となっていることも顕著である。資本家の側はこれに「非常に高いハードル。国際競争力を低下させないような現実的な内容に修正すべきだ」(出光興産社長、『日本経済新聞』九月一日付)と、「国際競争力低下」論をもって反対している。しかし、民主党と財界は根本的に対立し合っているわけではない。民主党の提起内容は「環境問題」から、「環境分野などの技術革新で世界をリードする」(マニフェスト)という、資本主義再活性化のモデルの提起、「新産業の育成」の提唱というものにその重点が実質的にシフトされている。ブルジョアジーの一部からは、こうした民主党の提言を歓迎する声もあがっている。

 あるいは、選挙時から「国民生活第一」とともに掲げられてきた「脱官僚」の主張にもとづいて、「国家戦略局」「行政刷新会議」の設置など、あわただしく進められている国家機構再編の動きである。「国のかたちを変える」とも形容される、国家機構再編の動きは、自民党支配下で形成され肥大化し、ブルジョアジーにとっても無駄の多く不合理になった国家統治・運営機構を、いわばリストラして刷新しようという試みである。これをめぐって、支配者階級や支配機構内部で、利権をめぐる激しい抗争もつづいている。だが、総資本が全体として、この計画に反対しているわけではない。われわれは民主党の「政治主導」の主張が一人歩きすることには十分注意を払う必要がある。問題の根本は誰の利益を「政治」が代表するのかであって、そのことを問題にしない「官僚主導か・政治主導か」という問題設定は形式主義である。それは進行する現実をおおい隠す役割を果たす。「脱官僚依存」の名のもとで、国家権力機構が簡素化されていくどころか、むしろもっと複雑になり、いっそう強力な階級支配・人民収奪機構として整備されていくという、その危険性にこそ、われわれは注意を向けねばならない。また、このもとで新たな政治と官僚の癒着構造が形成されていくこと、何よりもこれが公務員労働者の大リストラに利用されていくことなどに、いっそう警戒する必要がある。



 ●6章 まとめ―政権交代と階級闘争


 自民党支配は崩壊し、五五年体制はついに終えんした。今回の選挙で人々は、ともかく「政権交代」は可能であるということを知った。これは労働者人民にとって重要な経験であり、一歩の前進である。だがこの確認にとどまってはならない。

 今後、民主党の公約と労働者人民の要求との矛盾が顕在化していく。全国で多くの団体・人々が、民主党と連立政権に要求を突きつけ始めている。民主党の政策内容を十分に吟味し、そこに内包される限界性や危険性を批判していくことを不可欠にしながら、労働者人民の側にとって少しでも利益となり、階級闘争の発展にとって少しでも有利となるような公約の実行を、民主党政権に迫っていくことが必要である。たとえば最低賃金引き上げ、製造業への派遣労働原則禁止、後期高齢者医療制度廃止、障害者自立支援法廃止、インド洋での給油活動中止、核密約の調査・開示などを、全国のたたかう労働者人民と力を合わせて、民主党に必ず実行させねばならない。また三党合意にも明記された「日米地位協定」「米軍再編や在日米軍基地」については、沖縄・岩国・神奈川をはじめ全国で進行する米軍再編・基地強化を中止に追い込んでいくために、ただちに改定・見直しの方向で米政府に提起させなければならない。他方、消費税税率引き上げ、衆院比例定数八十削減、アフガニスタン派兵など民主党の明白な反動政策については粉砕あるのみである。

 民主党を軸とした新政権の誕生のなかで、とりあえずこの政権に対する期待や幻想は広がっていく。それが二大政党制の成立を望んできたブルジョアジーの狙いでもある。人民の不満や怒りを、資本主義擁護・帝国主義擁護の基本路線を同じくする二つの政党のどちらかに糾合させることで、階級支配の安定化を図ること、それが二大政党制という政治装置の基本的機能である。その狙いに沿うようにして、さまざまな政治勢力が民主党の側に糾合・再編され始めている。連合はますます帝国主義労働運動派として純化していくことを求められ、労働者階級と乖離することでさらに無力化する道を歩んでいくだろう。入閣の道を選択した社民党は民主党路線への屈服を要求され、いずれ再度、閣内協力か閣外協力かの選択を迫られることになるだろう。「建設的野党」をかかげる日共は、孤塁を守りこそすれ、ますます社会の根本的変革の道から遠ざかっていくだろう。われわれはこれらが示す敗北の道とは、断固決別しなければならない。

 今回の選挙で労働者人民は、新自由主義に鉄槌を下した。麻生自民党が敗北したのはその当然の結果であった。民主党が人民から熱烈な支持を受けなかったのは、かれらが新自由主義との相違を明確にできなかったからだ。労働者人民の新自由主義に対する批判には、この資本主義社会成立・存続の原理を問い、この社会の根本的変革を求める要求が潜在している。その要求は、きわめてあいまいな形で、いったんは新政権のもとへと糾合された。だが、新自由主義が根絶されていないのと同様、すべてを市場の原理に換算し、人間・自然・労働、そしてわれわれの社会そのものを破壊しつづける資本主義(帝国主義)、その駆動装置としての新自由主義に対する怨嗟と闘争の声は、その対極に根を張りながら存在しつづけている。この労働者人民内部に伏在しながら増殖しつづけている反資本主義・反帝国主義の抵抗の萌芽を、いかにして育て上げ、これを資本主義の廃絶と階級の解放に向かって開花させていくかが本格的に問われる。そのような一時代が始まろうとしている。そしてこの一時代においては、日本労働者階級の資本主義・帝国主義に対する全闘争が、アジア規模の階級闘争の一部としての位置を持ちながらたたかわれるようになっていくことも、また不可避である。アジア・シフトと称される、自国内に飽き足らず国外に超過利潤を求めて拡大していく日帝・資本の動向、そのアジア侵略反革命の強化と闘争し、アジア階級闘争との連帯をますます強めていくことは、この時代におけるわれわれの不可欠の闘争戦略でなければならない。

 労働者人民は「政権交代」という戦後日本政治史の画期をなす事態をみずからつくり出した。労働者人民の次なる政治的課題は、これをブルジョア支配体制の再編や強化ではなく、日本階級闘争の前進の新しい条件に転化していくことである。労働運動、学生運動、国際連帯運動、被差別民衆解放運動、反基地闘争をはじめ、労働者人民のたたかいの現場に階級拠点を形成し、国家・資本に対する実力闘争をもって階級闘争を推進していくこと、そして、労働者人民のありとあらゆる闘争を戦闘的・階級的に牽引しうる革命的労働者党の建設をおし進めていくことこそ、まさに急務である。

 

 

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